212. 南支部の夕食時間
南の支部は、年末前で騎士が半分近くいないというのもあり、風呂はすぐに入れた。
3~4人は入った後だったらしいが、もともと60人くらいしかいない南支部の半分だから、今日はそう、風呂の時間が混み合うこともない。
頭から川の水を被ったイーアンは、着替えを持って有難く風呂へ入った。もう、男の人が入った後だろうが何だろうが、とにかく洗いたいのと寒いのとで、湯船にしっかり浸かった。ドルドレンが毎度のように番をしてるので、少しだけ長めに入り、手足のじんじんする冷えを熱いお湯で癒してから風呂を上がった。
きちんと拭いて、きちんと着替えて。この寒い冬に馬に乗るため、外出に、足が出るほど切込みのあるスカートや、前重ねスカートではなく、ズボンと長い革靴を選んで持ってきた。
でも靴はさっき濡れたので、替えの脹脛までの革靴と、毛皮の足筒を履いた。
モス・グリーンの生地に光沢のある赤い細い糸で刺繍された緩いシャツ。ぴったりした前ボタンのグレープ・グレイのズボン。自分で編んだ柔らかい革の、幅のあるベルトを着ける。痣と瘡蓋に影響のない柔らかいベルトは使い勝手が良かった。
シャツの上から青い布を羽織り、その上から、買ってもらったばかりの赤い織布を肩に掛けて、脱衣所から出る。
ドルドレンはどこの支部でも関係なく、周囲の目を全く気にせずに固まって感動し、お手軽に恋に落ち、抱き締めてくれた。
――こんなに大事にしてくれる人に、アホな焼きもちをよく焼けたものだ・・・イーアンは自分の浅はかさを反省した。見た目・年齢云々で僻み根性があるにしても、それを焼きもちに乗せるなんて。まだまだ未熟だわ。疲れも溜まっているから、頭が回らないのも分かるけど。その度に繰り返して良いものではない。
でも。今回、露呈した未熟さ、僻みや不安や、戦闘方法への懸念も、全部ひっくるめて・・・・・ 心機一転出来たのだからそれで良い、と思えた。
「どうしよう。イーアンが綺麗だ。知ってるけど。どうしたら良いのか」
何を言っているの、イーアンが笑うと、ドルドレンは頬を赤く染めながら首を振る。『分かっていない。自己評価が低い。南でこんなイーアンを見せるわけには』どうにかイーアンを隠す方法に悩んでいる。
「お昼。食べていませんし、お食事頂けますから行きましょう。ドルドレンが思っているようなことにはならないですよ。だって、初めて服を買って頂いた帰りだって、北西支部の人は普通だったではないですか」
だからね・・・とイーアンがドルドレンを促した。ここでイーアンを預けるに、信用ある人物が見当たらないドルドレンは、自分は後で風呂に入ると言い、広間へ向かうのを嫌がっていた。
――イーアンには言わなかったし、そう気にさせないようにしただけだ。あの時だって、会議前にイーアンを部屋に閉じ込めて、下で全員集めて散々口酸っぱく忠告したから、うちの部下がそれを守っているだけで。
個別に話しかけられたら、いつだって、やれ服が綺麗だ、イーアンは綺麗だと誉められてたじゃないか。俺のいる前で、それを言える奴が限られているというだけの話だ。
この。今日の南支部は偶然だから、チュニックなどもない。それに風呂上りホカホカの魅力は、危険度を増すものなのだ。いや、どうすれば良いんだろう・・・・・
悩んで動かないドルドレンの背中を押すイーアン。『お食事に行きましょう、お腹空いたでしょう』灰色の瞳を覗き込んで広間へ誘う。見上げるイーアンに困るドルドレン。腹は減ってるが、かと言って広間では。
「部屋で食べれないか、訊いてみよう」
借りた部屋で食べようと思いつき、そうと決まれば、ドルドレンはイーアンの肩をがっつり抱き寄せてベレンを探す。赤毛の男が廊下にいるのを見つけ、部屋の案内を頼むと。予想通り、ベレンは総長の脇に納まるイーアンを見て固まった。
「見るな。減る」
「何を言ってるんだ。人間が減るか。イーアン、もうちょっと・・・こっちへ」
しっしっ、とドルドレンは片手を振って嫌そうに虫を払う。ベレンが総長を苦笑しながら見て、またイーアンに視線を戻した。
「もう少し、明るいこっちで姿を見せてくれ。さっきは上着を着ていたから分からなかったが。いつもそんな格好で仕事をしてるのか?」
「支部にいる時と、訪問や委託の用ではこうですが、遠征は皆さんと同じ服を借ります」
「あっち行け」
嫌がるドルドレンにまとわりつくベレンは、赤い髪を撫で付けながら嬉しそうな笑みが止まらない。『全然さっきと違う。魔物を倒したなんて思えない。なんて細い体なんだ。なんて魅力的なんだ』全体を眺め眇めつ、イーアンの瞳に目を合わせて褒めちぎるベレン。
しーっしーっ!!目をむくドルドレンの、害虫を振り払う腕の振りが大きくなる。『あっち行けって!!』早く部屋へ案内しろっ、声を荒げて命令する総長の声は、ほぼ赤毛の騎士に届かない。
「部屋は別だろ。二部屋、空き部屋を用意したから。お前はあっち。イーアンはこっち」
ベレンがイーアンから目を離さずに、指だけで部屋の方向を示す。
銀色に光る怒りの眼がくわっと開かれて『馬鹿言うな。俺たちは一緒の部屋なんだ。こんなところでイーアンを一人部屋に入れられるわけないだろう』と怒鳴った。
「一緒?そういう関係か?」
「そういう関係かどうかはどうでもいい。北西支部では部屋を繋げさせた。イーアンを夜に一人部屋などとんでもない。お前みたいなのがウヨウヨいるから、俺が守らないで誰が守る」
だから部屋は一つだとドルドレンは吼える。恐ろしい過保護だなと呆れるベレン。『まぁ。そういうことなら仕方ない』何も仕方なくないが、煩いので部屋を一つにしてやることにした。
ベレンはイーアンを見ながら、部屋へ荷物を置いたら食事を一緒に・・・と甘い笑顔で誘う。
真横に黒いのがいるのに、全く気にしない態度は、間違いなく北西支部のあの人と同じ、イーアンは胡桃色の目を思い出す。
「クローハルさんを思い出します」
思うところを小声でドルドレンに教えると、ドルドレンは『どの支部にも一人はいる、と思ったほうが良い』と渋い顔で答えた。
まだいるんだ・・・イーアンはちょっと引く。支部に一人はジゴロ付き。騎士なのよねぇと決め付けたくなるものの、その前に男性なんだから、ジゴロ変換している人が騎士になることもあるかなと考えた。
考えてみれば。美形モテ三昧のはずの、ドルドレンや、シャンガマック、フォラヴなどは、いつでもジゴロに成れる見た目。それを踏まえると、性格が大人しいとか、真面目というのは、凄い宝のように思えてくる。
部屋は階段すぐ近くだった。綺麗に整えられていて、無駄なものが一切ない。
布団を増やせ、イーアンは寒がりだからと命じるドルドレンに『まさか一緒に寝てるんじゃないだろうな』とベレンが驚いて眉をひそめる。どうでもいいから、ベッドでも布団でも運んでこい、と鬱陶しそうに命令し、一切の情報を漏らさない徹底振りに、ベレンは部下にベッドを運ばせ、布団も一つ増やした。
ここでは『一緒に眠る』とは言わないんだな、と思うイーアン。一応、結婚前だからかもしれない。北西支部では、さすがにバレていそうな気がする付き合いだが、他の人が温かく見守ってくれていることを、こうした場面を通してしみじみ有難く思った。
部屋に荷物を置き、ドルドレンが窓の外などを調べている間に、ベレンは『食事をしよう』とイーアンに手を差し伸べる。王様相手だと礼儀かもしれないので断れなかったが、この方は断る。イーアンが辞退すると、後ろにいたドルドレンが気づいて害虫を追い払った。
「食事くらいは良いだろう。魔物退治の話もあるんだし」
総長が煩いので、ベレンは妥当な線で促す。仕事の話が絡むと嫌とも言えず、イーアンも受け入れる。ドルドレンは嫌がっていた。
ぶつぶつ言う総長に肩を抱えられながら、広間へ移動するイーアンに『自由がないなんて可哀相だ』とベレンが同情を示したが、総長が睨み付けて、抗議は即終わった。
広間で暖炉の側に二人を座らせ、ベレンは食事を運んでくれた。三人分の食事と酒を用意し、席に着くと夕食が始まる。冷えた腹に温かい食事が入ると、やっと全身が温まった。
「魔物を退治したのに冴えない食事ですまない」
微笑むベレンに、イーアンは頭を振って『突然お邪魔して、食事と寝場所を頂いて有難いだけです』と答えた。
イーアンの中で、ベレンという人はよく分からなかった。
魔物を退治して戻ってくる前と、風呂上り後の態度が違いすぎる。単に、女性らしければ良いのかも知れないなーと判断する。ちょっと衣服が変わったり、雰囲気に仕事らしさが消えただけで、相手への笑顔が増えたり甘口になったり。そういう人はどうも仲良くなれる気がしない・・・と思う。
まだクローハルの方が、最初からジゴロ絶好調で、態度に一貫性があるから付き合いやすい(※得意ではない)かも、とそんなことを思った。
「ベレンは苗字だ。名前で呼んでくれ」
食事途中で、イーアンの容器に酒を注ぐベレンは、自分の名を呼ぶようにと微笑む。イーアンの横のドルドレンが絶対零度の眼差しで向かい合う男を睨み付けるが、ベレンは何も気にせず『ルーガスだ』にこーっと笑顔を向けた。こんなところまで、そっくり。ジゴロパターンが見えてきたイーアンだった。
「イーアン。戯言を気にしてはいけない。そして魔物の話をしよう。彼は報告書を書くのだ」
ああそうかとイーアンは思い出して、注がれた酒を一口飲んで、さっきの魔物の話を始めた。1~2杯の酒を呷ったベレンは、露草のような色をした青い瞳を目の前の女性に向けながら、その話を黙って聞いた。
話の途中、側で彼らをちらちら見ていた騎士たちが寄ってきた。『同席して良いですか』『それはあの魔物のことですか』『最近の報告の相手ですよね』彼らは話を聞きたがったので、ベレンはイーアンを見た。イーアンとドルドレンは頷いて着席を促し、話を続けた。
一通り話すと、ベレンが質問を始めた。
「イーアンはあの魔物がなぜ川を移動すると思ったのか、最初にそれを何で感じたのか、訊きたい」
「地図を見たからです。共通点に農家と牧舎、川までの距離が似ていました」
地図を見なかったら気がつかなかったかもと、イーアンは言う。ベレンは頷いて次の質問をする。
「どうして魔物は、下流の牛を襲いに行かなかったのか。イーアンは条件があると言ったな」
「報告が4日分あったから、ある条件の仮定が立ちました。それでは推測の範囲がまだ浅く、現地で確認して、推測が正しいと分かりました。大きな理由は水温です。もう一つは川の幅だと思います」
「どうして水温と川の幅で下流へ行かないのだろう」
ドルドレンが質問したので、イーアンは彼を見て微笑んだ。『そういう生き物は結構多いのです』今回の場合は、と続ける。
「日中に暖められる川の温度があるでしょう?夜になると下がります。魔物にとって、温か過ぎる場所は苦手なのかもと思いました。
襲われた農家のある場所は、上流域というほど上流でもないけれど、山と林を抜ける川でした。そこは日中も陽光が届きにくく、冷えているはずです。下へ流れた川が合流する場所は、あの魔物の体には温いのかも知れません。合流域は交差点として、別の川へ移動するのに使っていただけに思います。」
「川の幅は広い方が移動しやすそうだが」
ベレンが思うところを話す。倒した場所の川幅がぴったりはまってしまっていて、動きにくそうにも思えた、という。
「あれにとっては、狭い川の方が都合が良かったのかも。大きい川は、冷えるのに時間が掛かるからです。狭い川は、山や木の陰にあれば冷えるのも早いし、自分が入り込める幅であれば、川幅一帯を埋めてしまう大きさは、かえって目立たない・・・そう、本能的に選んでいたかもしれません」
酒を飲みながら解説する魔物退治の話は、気がつけば、周りに人が集まって宴会のようだった。
食事をしながら酒を飲みつつ、冬の夜に退治したばかりの魔物の話で盛り上がる。話を聞いていた騎士がイーアンに『ちょっと質問して良いですか』と何人か疑問を話す。
イーアンもそれに答えて、自分がどう捉えて動いたか、何を手がかりに探したか、丁寧に教えた。一人の騎士が近づいてきて、イーアンの横に行き『地図を持ってきました』と小さな地図を見せる。
報告書から覚えた情報を辿りながら、地図を示して、現地の状況を細かく話すイーアンに、殆どの騎士が側へ来て大人しく耳を傾けていた。
ベレンはこの夕食の風景に、少し意外だった。
こんなに部下が自然に集まるのも驚いたし、誰もが真剣に知ろうとしていることに、新しい何かを感じた。後から席に着いた騎士の中には、支部に残っている隊長も見えた。彼らは同じ長机に酒を運んで同席し、話を聞きつつ、自分たちの間でも話題にして思うことを話している。
「おい。こっちへ来るか」
ベレンが背もたれをぐっと後ろへ斜めに傾けて、中央通路側の机端にいる隊長に声を掛けると、『おう』と返事をした彼らはあっさり近づいてきた。ベレンの後ろの椅子を引いて、顔の見える位置に座る。
それぞれが酒の容器を机に置いて、新しく酒を足し、イーアンに挨拶をした。
お読み頂き有難うございます。




