210. 南の支部で魔物対策
よく分からないが、高らかに笑い声を上げて登場したイーアンと、その後ろにいる総長を見て、南の支部の騎士は非常に驚いていた。
「あの。ダヴァート総長。今日はどうされて」
「デナハ・バスに用があってな。町で魔物の被害を聞いた。確認のために寄ったのだ」
イーアンをちらちら見ながら、総長の答えに表情を変えて戸惑う騎士たち。5~6人いた騎士のうち、4人ほどがウィアドの近くへ来て、滅多にくることのない総長と、連れの女性を見ていた。
「この方は」 「もしかして北西の」
「彼女がイーアンだ」
建物の中から出て来た壮年の騎士が部下に答え、ウィアドに跨ったままのドルドレンとイーアンに近づいてきた。
無精ひげのある精悍な顔立ちに青い瞳、しっかりと後ろで一本に結んだ赤い髪。背がドルドレンより少し低いくらいの、白い清潔なチュニックに青地のズボンに革の靴が質素なのによく目立つ姿。何となくクローハルを思い出す雰囲気。
「ルーガス・ベレンだ。南の支部の隊長の一人だ」
ドルドレンはイーアンに教える。離れたところで見た印象はドルドレンたちと同じくらいに見えたが、すぐ側まで来ると、ギアッチくらいの年齢と分かる。つまりイーアンと近い。
「総長。抜き打ちかい」
「そうではない。魔物の話をデナハ・バスで町民に知らされた。今日は別の用事で来ていたから、魔物の話を聞きに寄った」
なるほどね、とベレンは頷く。『そのまま馬の上で話す気か?もう少しゆっくりしてけ』ウィアドの手綱を取り、ベレンはやや強制的に厩へ導く。『それほど長居する気はない。話だけ聞いて帰る』ドルドレンは厩前で手綱を引いていく隊長に釘を刺した。
ベレンは聞いているようで聞いてないふうに見える。総長が相手でも飄々とする感じが、やはりクローハルに似ている。ドルドレンも得意な相手ではないと分かる。イーアンは様子が分からないので黙っていた。
厩に繋がれてしまったので、観念してドルドレンは下りた。イーアンを下ろそうとすると、イーアンは自分で下りた。
何も言わずに荷物だけをウィアドから外す。イーアンが荷袋を持つと、ベレンが来てその袋に手を広げた。『自分で運びますから』イーアンは微笑まずに断った。ドルドレンはじっと見ていたが、イーアンの態度が変わったので、そのままそっとしておくことにした。
支部に案内されたドルドレン。イーアンは外で待つと言った。魔物の情報を後で教えてとだけ伝えて、人目につかない場所に動いた。
あまりにも態度が変わってしまって、ドルドレンは心配になった。怒っているふうではなかったが。何かが彼女の中で変わったのかと思うと、胸が騒ぐ落ち着かない気持ちだった。
「執務室に幾つか報告書がある。それを読むと良い」
ベレンが執務室へ案内して、デナハ・バスの最近の出現報告に目を通した。おばさんの話していた4日前には既に魔物の被害報告が出ている。
「これの対処は」
「人がいなさ過ぎるんだよ」
気がついた。執務室も騎士がいない。廊下も、広間も人数がいない。年末か・・・・・ 『どこまで調べた』知っていることだけでも聞き出す総長に、ベレンは肩をすくめた。
「連日被害だ。夜間に出現とあるから、一応交代で夜は見回っているが、牧地まではなかなか入り込めない。広いし、見回ったところでその時間にそこにいるわけじゃない」
南は今、半分くらい年末でいない、とベレンは話した。近いから見回りも出来るが、広範囲になった時に人数がいないと危険を冒す可能性があると懸念があり、思うように動けていないという。
「よく読んでくれ。出現と被害報告の地域が違うだろ。離れているんだ。一日で同時に上がってきた報告書を見れば、かなり離れていると分かる。これだけの地域となると」
ベレンが壁に掛かる地図を示して『この辺りとここと、ここ、それと、この辺の家畜、こっちとこれ全部だ』指を壁に沿わせて、総長に教えた。
「これじゃ、4人体制ってわけ行かないだろ。牛が連れてかれる魔物に、騎士が1人2人うろついたって食われてしまう」
ドルドレンは悩む。ベレンの話は最もだ。共通点がありそうで見えない。家畜しか襲われていないが、農家の位置が離れすぎているし、街道を挟んだ両側も魔物の出現報告に入っている。これを真夜中に見回るのは当てがなさ過ぎてしまう。
「各隊長の意見は」 「隊長の2人は留守だ。他の3人はいるが、彼らも弓だからあまり行きたくないだろう」
南は弓部隊の方が多い支部でもある。剣隊は2つ。2部隊だが人数を多くしているので、それほど大変ではないのだが、遠距離系の方が地域的に役立つので、どうしても弓部隊の方が4部隊で人数も多い。
「彼女は。どこへ行った」
ベレンが痺れを切らすように突然言う。ドルドレンが『近くにいるだろう』と答えると、呼んで来いと命令された。
「彼女は今、いろいろあったから疲労している。休ませたい」
疲労は遠からずだろうとドルドレンは思った。遠征から戻ってすぐに年末の予定が入り、傷を癒すゆとりもなく工房に籠もって、こっちへ来ている。鎧工房もおばさんの家でのことも、短い時間に詰め込み過ぎている・・・・・ 今更そのことに気がついた。イーアンを休ませていないことに。
「疲労していたって話は聞けるだろ。知恵者の噂も上がる人物なんだ。初めてここへ来たんだから、ちょっとはここの仕事も、見てもらったって良いだろう」
他人事だと思って、とドルドレンは溜め息をつく。しかし確かにイーアンがせっかくここへ来たのだから、考えを聞いたほうが良い気もした。
探してくると言い残し、ドルドレンは外へでた。
イーアンは一人でいた。
人が少ないのはどこも一緒なのかな、と思いながら、手に持った荷袋を抱きしめて建物の裏手にいた。人の気配もなく、すぐ外に繋がる場所だったから、腰掛けられるところに座って待っていた。
作ったものは預けてきた。手元にあるのは、ソカと自分用の手袋と、白いナイフ、青い布といつもの腰袋に入れたイオライの石や毒の袋だけ。綺麗な洋服に合わないからと思って、ソカと手袋は荷袋に入れていた。着替えの袋はウィアドの近くに置いたまま。でも自分の作ったものは、いつでも自分で持っていた。
ドルドレンが建物の向こうから歩いてくるのが見えて、イーアンは立ち上がる。
「イーアン。疲れていると思うが、少し来てほしい」
はい、と答えて素直に従うイーアン。様子が変だなと思うものの、ドルドレンは今は何も言わないでいた。イーアンも何となく用件は分かっていた。南の支部の人が、魔物相手に何か困っているのだというのを。
執務室に通されて、毛皮の上着を脱いで荷物袋と一緒に腕に抱えた。執務室には、先ほどのベレンの他、誰もいなかった。
「意見を聞きたい」 「はい。私はイーアンです、他の名はありません。お力になれますように」
「イーアン。分かった。これを見てほしい」
イーアンはちらっとドルドレンを見る。文字を読めないことが面倒くさい。ドルドレンは地図の掛かる壁まで行って、資料を見ながら地名と報告地域を指差して示しながら説明した。
自然体なので、ベレンは特に何も気がつかない。イーアンは報告資料をドルドレンに持たせているので、どのような被害と見た目なのかも尋ねた。
「真夜中で魔物と遭遇したものは今いない。家畜だけがその顔を見ている」
イーアンには一つのヒントが見えていた。ルシャーブラタの裏庭にも川が流れていたのを思い出す。デナハ・バスにも広い川があった。支流もある。地図を見つめながら、移動できる手段が水なのだろうと考えていた。
「同日に上がった被害報告と出現確認の報告の、地域と時間をもう一度教えて下さい」
同日のものを拾って読むドルドレンの横に来たベレンが、イーアンの顔を見て地図を指差した。
「同日でこれだけ離れているんだ。1頭2頭じゃない」
このとき初めて、イーアンはベレンの顔をじっと見つめる。赤毛に青い目と、日焼けした肌。この地域の出身なのだろうかと考えた。見つめられたベレンは少し困惑し、『なんだ。どうした』と声を掛けた。イーアンは微笑んだ。
微笑んだ顔が、久しぶりに思えてしまうドルドレン。ほんの1時間前にイーアンは笑っていたのに、いつも笑っている印象があるから、1時間でも笑わなくなると不安になる自分がいた。
「お名前を教えて下さい」
ドルドレンから聞いてはいたが、突然呼ぶのもいけないと思って質問する。ベレンはちょっと面食らった様子だった。『ああ。ベレンだ。ルーガス・ベレンという』何度か瞬きしながら答える。
微笑んだまま、イーアンはベレンの青い目を捉える。
「ベレンさん。私はこの地域を知りません。ですから今から話すことが変だったら訂正して下さい。
地図を見ていると、ここにはたくさんの川があります。農水路もあるかもしれませんが、支流が多い印象です」
そうだな、とベレンは頷く。それほど深さのある川はないことも付け加え、イーアンに続きを促した。
「深くない。それは大切な情報です。深くなく、広くもない。そうした支流が多いですか」
頷くベレンに、地図を見ながらイーアンは、魔物が出た地域の広範囲と、襲われた家畜の牧舎ピンポイントを一緒に指差す。
「ここの近くに川がありますか」 「それは地図で見て分かるだろう。それだ」
「では今度、こちらの報告の近くに川は」 「ある。見れば分かる。水が取れるから家畜が飼える」
イーアンは笑みを深めた。優しい微笑や笑顔ではなく、あの何か獲物を仕留める寸前のような笑みだった。ドルドレンはその顔を何度も見ている。ぞくっとする笑顔。魔物がいなくてもこの笑顔を見るなんて、と驚いた。
ベレンも目を見開く。笑み一つでこれほど表現が変わるのか、とイーアンを見つめた。
「簡単に思うことをお話します。同日の報告地域が違っても、時間も違いますでしょう。早いほうはこちら。遅いほうはここです。一本の川がこの二つを繋ぎます。上から下へ」
支流が交わる下流の場所をイーアンは示して、流れるように話す。
「ここで戻るのでしょう。そしてその日の夜に再び、別の川から上がってきて、今度はここの家畜を襲うのです」
自分と地図を見ながら話を聞くベレンに、イーアンはさらに伝える。
「報告に上がった川はすべて支流です。高低差がどのくらいか分かりませんが、高いところはここまで。低い場所はここが、今のところ跳ね返り場所のようです。この先に進んでも農家はあるのに、なぜこの範囲なのでしょう」
ベレンは続きを待った。自分に投げかけられた質問には思えない。その先を聞きたかった。イーアンがここで、いつもと同じように慈愛に満ちた笑顔に変わる。あまりの変わりように、ベレンが口を開けて驚いた。
「答えです。この範囲にしかいられない条件を、それは持っているのです。ですから。今日はここですよ。私も行きましょうか?」
「イーアン」
ドルドレンはつい声を掛けて遮る。イーアンは優しい微笑を向けてドルドレンを見つめた。
「倒しましょう。私が」
微笑がすうっと消えて、また別の、あの射抜くような目つきと凍りつく笑みが口元に浮かんだ。まるで別の仮面を付け替えているようだった。
その顔を見つめるドルドレンは答えられなかった。彼女が、自分の壁を壊したことが分かった。
イーアンはベレンを見て『倒しましょう。年末だし』なんだか分からない理由で頷いた。ベレンも頷きながら、総長に目を向けた。総長は目を逸らして悩んでいた。
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