209. ナーバスなイーアン
工房の帰り道は前回同様に、街道を通ってデナハ・バスの町へ向かう。
あっさり着く距離なので、ドルドレンはここからが正念場。イーアンを宥めないといけない。つまり買い物をさせるのだ。
ウィアドには乗ってくれたが、むくれててちっともこっちを見ない。『挨拶をさせなかった』とかで機嫌を悪くさせてしまった。いいじゃないの。あんだけ喋ったんだからと思うドルドレン。でも言えない。
――良かった、町の近くで。心から、町という存在に感謝をする。【買い物が出来る=女が怒っても自然に回復する】この構図が出来上がるのだ。
それにこれは、路銀を多めに持たされたことで適う。有難う、執務室の輩。路銀を使っても恐らく、問題にならない。なぜならイーアンは、普通の女の買い物の内容ではない。確実に仕事が絡むものしか買わない。(※おばさんのお土産=接待費でOK)だから路銀を即金で使おうが、後払いでツケで支部に回そうが、ほぼ通る。
そう。この沈黙も。無視も。決して見上げてくれない悲しさも。あとちょっと。もう町の民家の地域に入ったから、あとちょっとだ。買い物まで懸命に寂しさを堪え、頑張るドルドレン。
おばさんの弟―― 魔物に襲われた家の男性宅が見えてきた。遠目から、まだ修復されていない様子が見える屋根と壁。
応急処置的な木材が打ち付けられているが、雨でも降ったら雨漏りしそうだった。
その家の前を通り、中の道を進む。石畳ではなく、この辺は小石が転がる土の道。道は広く、民家の敷地も広い。のびのびした雰囲気で、南の町独特の雰囲気がそこかしこに見える。
人が通りに少ないのは、時間が昼時だからだろう。オークロイの工房で何のかんの言いながら、2時間近くいたから、もう昼の時間。
そうか、と思ってイーアンに『腹は空いたか』いつもどおりに訪ねる。無視。
痛いっ。無視はキツイ。もう一度、気を取り直して『イーアン。何か食べようか』少々優しく促す。ちらとも見ない。微動だにしない。固まってるのかと思うくらい、見事な無視。感心している場合ではない。心が壊れるかもしれないので、どうにか買い物を先にすることにする(買い物頼み)。
「じゃあ。買い物でもしようか。革工房があるからな」
そこで初めてイーアンが見上げた。よしっ、と思うもつかの間。『結構です。この前たくさん買いました』・・・・・あっさり振られる。無駄な買い物をしない。買いたい時にたくさん買う。こんな女性は重宝だが、でも。どうしよう。
ドルドレンが息切れし始めると、イーアンが何かに気がついて頭を動かした。何かと思って同じほうを見ると、誰かが手を振っていた。近づくと、それがおばさんの娘だと分かった。
「イーアン。イーアンでしょ」
娘はすぐ近くまで走り寄って、ドルドレンをちょっと見て、ぽっとしてから、可愛く恥らいつつ『また会えた』と笑いかけた。お母さんに言うから寄って行って・・・・・とウィアドの横を歩きながら言う。
「はい。そのつもりで来たの」
180度態度を変えた、心優しい微笑の人が、さっさと歩く馬から滑り降りた。いつの間にそんな技を・・・・・
戸惑うドルドレンを満遍なく無視したイーアンは、娘の背に手を当てながら『近くまで来ました。お土産があるの』と普段のままの笑顔で語りかける。
気がつけば、おばさんの家は視界に入った。
このままおばさんの家に入ったら、仲直りする機会が消える、と分かったドルドレンはウィアドをイーアンに寄せる。『イーアン、食事をしてからが良い』娘にも聞こえるように、焦りを隠しつつ伝えた。
「丁度そろそろお昼なんです。いつもたくさん作るから、宜しかったら、うちで食べていきませんか」
若い娘がきらきらした目を向けて、黒髪の騎士にお願いする。こういう親切な娘が可愛くないことはないが、笑顔を返す必要はないにしても、どう反応すればいいのだ、これは。
ドルドレンは困る。そうですねとも言いにくく。いや結構とも言えない。何かを言えばイーアンに響く。
笑わないドルドレンを見上げるイーアンが、その灰色の瞳を見てちょっと目を留めた。『いま。ドルドレン思ったでしょう』物凄く何かを見透かされた気がするドルドレン。イーアンの顔が猛禽類みたいになっている。
「まぁ。男の方ですものね」
唇が動いていない気がした。石の仮面のように表情がない。聞き取りにくい言葉が異様に低い声で発せられた。中性的を上回る、この世のものと思えない声。ドルドレンの心臓の内側、一番奥底の真ん中が冷える。脳髄も冷える。今まで見たことがないけれど、これはもしやイーアンの焼きもちか。怖い、怖すぎる。
さすがに横の娘も何か気配を感じたのか、少し目を瞬かせてイーアンを見た。視線を馬上の騎士から娘に戻したイーアンは、自然な感じでニコッと笑う。
「おばさんにお土産を渡したら、今日はちょっと急ぎますのでご挨拶だけ」
そう微笑んで、ドルドレンを見もせずに、歩く馬の荷袋から器用に土産を取り出す。あまりに自然で、掏りでも活躍してたのではないかと、勘繰りが働いてしまうほどの手捌きだった。
彼女は娘に『おうち、そこでしたね』と笑顔で質問して指差す。娘が笑顔を取り戻して『そうです、玄関の扉は開いています』と答える間に、イーアンはちょっと小走りにお土産を持って先に家へ向かった。
「お急ぎだなんて。年も暮れですから、泊まっていって頂ければとも思ったんですが」
イーアンを追いかけず、ウィアドの横を歩く娘と二人にされたドルドレンは黙っていた。ウィアドから決して下りないと誓う。見上げる娘は自分が嫌われているのかと、ちょっと悲しそうな顔をしたが、それにも反応するのは止めた。気の毒だが、俺のほうが気の毒だ。
見える距離におばさんの家があり、もう着くだろうと思われる間際。玄関からおばさんとイーアンが笑顔で出てきた。
「急に会えて嬉しかったわ!この前の鎧工房、契約できたんだってね。お礼なんて良いのに!」
嬉しそうなおばさんは両手に抱えた布とお菓子を、馬上のドルドレンに見せながら訊く。『お昼は。泊まらないの?』屈託ない平和な笑顔。ドルドレンは強張る笑顔で小さく首を横に振り、『いや。仕事なので』しどろもどろの言い訳をした。馬から下りたら、もう帰らぬ人になりそうな気持ちだった。
笑顔のままのイーアンは、おばさんにも娘にも微笑んで、さりげなくドルドレンを無視しながら、『また近いうちに鎧工房へ来ますから、その時にでも』とお別れを告げた。
「そうなの。今度は上がっていって頂戴。あんたたち強いからね、南に出る魔物のこと聞こうかと思ってたのよ」
その言葉にイーアンが止まる。『南に出る魔物ですか』静かに聞き返す声に温度が消えた。ドルドレンも、ふと、南の支部の報告書でそんなのあっただろうか、と一昨日の書類の山を思い返す。
「南の支部が担当でしょ、デナハ・バス。でも来てくれないの。家畜やられると困るのよ。親戚の家の牛がやられて」
「それはいつからだ」
「最近なのよ。ええとね、4日前とかそのくらいかしら。すぐに憲兵が言いに行ったのよ。でもまだ調べてるとか言ってさ。調べがてら見張ってくれても良いじゃないね」
「親戚の方はどちらに。おばさんはその魔物をご存知?」
「親戚の家はすぐそこよ。ルシャーブラタの先なんだけど、道から右側の広い牧地は、全部うちの親戚のところなの。確かに親戚の持つ牛は多いけれど、だからって毎日3頭、4頭やられたら、年始までにどれだけいなくなっちゃうか。あの辺の牧場も被害に遭ってるからねぇ。
あたしは見たことないの。でも牛が食べられてるって。夜なのに地面に大きな影があったとか、家畜が小屋で襲われて、見に行ったら消えたとか、いろいろ聞くけど」
イーアンは少し考えてから、ドルドレンに振り向いた。『ドルドレン。南の支部は遠いですか』超嬉しい総長は満面の笑みで、いいえ、と首を横に振る。笑みを無視したイーアンは、静かに呟いた。『行きましょう。今から』そう言うと、おばさんに微笑む。
「お役に立てたら良いけれど。南の支部の方にもお話を伺います。早く対処して頂けるようにお願いして参ります」
有難うね、とおばさんはイーアンの肩を撫でた。さっき怪我をした理由を聞いたようで、同情の眼差しを向けつつ『あんたは怪我しちゃ駄目よ』と、イーアンの頬を撫でた。
娘もイーアンに、『せっかくここまで来たのにごめんなさい』と謝った。イーアンは首を振る。『これが仕事なの。気にしないで』娘を労わるように微笑んで、それでは、と来た道を戻った。
ウィアドに乗り(自分で乗った)イーアンは考え込む。ドルドレンを度外視したまま、牧地を見つめていた。
「イーアン」 「何ですか」
「まだ怒ってる?」 「何についてですか」
何について。それは複数の理由?そう?どれ?ドルドレンは薮蛇を踏んだことを知る。
「その。工房で挨拶させなかったこと」 「それはもう良いです。年始に私の失礼を謝ります」
「イーアンは失礼では」 「いいえ。仕事をお願いしたのに、別れの挨拶もしないなんて失礼です」
「・・・・・」 「他には」
他っ?他って何?何だ、何した。俺は何をした。イーアンは振り向かない。『イーアン』ちょっと屈みこんで、イーアンの顔を見る。前方に意識を注いでいるのか、実に見事な無視。あれか?もしかしてあれ。
「もしかして」 「何でしょう」
「さっき。娘が俺を見たときの」 「彼女があなたを見るのは良いです。仕方ない」
言葉が将軍様みたいで怖い。上から目線の言葉遣いが妙にはまる怖いイーアン。
「でも何で。分からない」 「あなた。彼女のこと可愛かったでしょ」
――やっぱり焼きもちだ。やっぱり。そうだ、イーアンが焼いてる。そら少しは『食事に誘う若い娘は可愛いね』くらいの、若々しさに可愛いとは思ったけれど、イーアンの言う可愛いではない。
でも。何だろう。怖過ぎるくらい怖いのに。何でかちょっと嬉しい。名前で呼んでくれないくらい、やきもち焼いてる。そんなイーアンは初めてだ。
ハイルが来た時は、前の女(気持ちワル)だと思い込んで泣いたけれど、焼きもちで怒るというより、悲しむ感じだったよなぁ。
複雑な心境のドルドレン。怒らせるのは望んでいない。でも焼きもちを焼くイーアンが、悲しんで泣くイーアンより近くなった気がした。大人のイーアンが、大人の我慢より正直な心に沿ったみたいに感じる。
「イーアンが思うような、可愛いではないと思う」 「可愛いに種別があるのですか」
「トゥートリクスが可愛いとイーアンが思うのと似ている」 「見た目の」
「そうではなくて。若さからとる行動や表情が、若々しくて可愛い、という」
イーアンは黙っていた。自分も散々思い当たるので、これに答えが出ないイーアン。トゥートリクスは子供みたいで可愛い。ザッカリアは子供そのものだから可愛い。目が大きいとか、思い遣りが男性らしさより子供の素直さみたいで、それで可愛い。
「分かりました」
――変な嫉妬をしたのかな、イーアンは落ち込む。娘さんがドルドレンを気に入ってるのは知っている。でも前回、二人が夫婦と言い切ったドルドレンがいる。それでも娘さんはドルドレンを見ると顔を赤らめて、話したがる。
自分とドルドレンの差を時々考える。
彼は見た目も中身も最高に素敵な人だ。本当に格好良くて、美しくて、強くて、真面目で、誠実で、優しくて、温かくて、理解力があって、寛容で。 対して――自分はどうなのだろう、と思う。
性格は変わってると自覚がある。丁寧に接しているつもりでも、粗も出る。見た目なんか自信の一つもない。見た目で好きな部分は髪の毛くらい。でも顔とか体つきとか、年齢。どうにもならない年齢がある。自分がドルドレンの女版くらいに素敵だったら、自信も違ったのかなと思うこともある。
こんなの言い訳だ。言い訳だ。言い訳なんだ。自分は嫉妬しても良い、って理由を探してるだけ。嫌な気持ちは誰だって一緒なのに――
遠征の怪我(※無駄)の件から、他の人の言葉や意見を聞いて、自分の戦法や行動に少しずつ疑問を重ねていたイーアンは、知らない間に、こんな小さなことさえ釘のような傷みに変える。わざわざ自分で追い込んでいる気がした。
気がつけば、沈黙の間に支部が見えていた。ルシャー・ブラタの、どのくらい先だったのか。後で地図を見て確認しなければ。イーアンは溜め息をつく。
街道沿いにあるのは南西の支部と一緒。建物はどこも似ている。午後の日差しに変わっていたが、デナハ・バスの町の外れから1時間も掛からない場所のように思えた。
近づく支部をぼんやり見ていると、手綱を離したドルドレンの両腕が、イーアンの胴体を包んだ。イーアンの頭にドルドレンの頭が乗る。
「いつだってイーアンだけが好きだ。いつだって愛してるよ」
「ありがとう」
イーアンはそれしか言えなかった。その言葉もドルドレンの温かさもすごく嬉しいのに、反対の気持ちの、自分が若くないことや綺麗でもないことへの苦しい僻みに似たものが消せなかった。
『見た目なんてどうでもいいですよ』
ダビの言葉が頭に過ぎった。そう思えれば良いのに、そう思えたらもっと堂々と。頭を振って息を飲み込んだ。
そうだ。見た目で負けてるって気持ちが僻み根性みたいに付いて回るなら、それはもう受け入れてしまえ。とことん知恵を使って、とことん無駄でも何でも納得行くまで怪我しても何しても、魔物を倒すことに全部の力を注ぎ込もう。顔が悪かろうが体型が男みたいだろうが、傷だらけだろうが、腕と技術と異常な集中力だけはある。それだけ磨こう。惑うハルテッドに、自分は自分だと言い切ったくせに。私は自分にそれを言わないのか――
馬鹿馬鹿しくなったイーアンは、突然笑い出す。カラカラ笑って、自分も笑い飛ばせない人間に何が出来る、と愚かな自分を笑い飛ばした。
支部が目の前なので、豪快な笑い声に何人か騎士が出てきた。ドルドレンもびっくりして、ちょっと躊躇いがちに『イーアン、着いた』とだけ伝えた。
一頻り笑ったイーアンは、はーっと息を吐いてニヤッと笑う。『そうよ。私にしか出来ない』言い切るイーアンは、イオライ・カパスの亀裂を見つけた時と同じ顔をしていた。
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