207. 一足先にルシャー・ブラタ
明くる朝にイーアンは、着替えをチュニックではない姿に替える。
出発時点ではチュニックだったが、これからはドルドレンに買ってもらった服を着よう、と決めていた。人様のところへ行くのだし、化粧もしない自分だから・・・きちんとした格好をする。
青い布をブラウスの上に羽織ってから、購入して初めて袖を通す毛皮の上着を着てみた。ツィーレインの町の服屋の奥さんが、『この毛皮があれば、一冬大丈夫』と太鼓判を押した上着。それに合わせる靴用の毛皮。
魔物製もあるのだけど、ここは普通に。普通の人と同じように。
奥さんが教えてくれたように、とても暖かな上着。普通の生き物でもこうした生き物がいるのだな、ということと、北の地域は毛皮の需要がある、ということの二つを思う。
イーアンは一方的に毛皮を嫌うことはない。飼育して皮を剥ぐことを無残と嫌うことも出来るのだが、それは食べることと同じように、人がその地域で生活してきた文化の場合は、口を出すのも違うような気がしていた。デリケートな問題でもあるため、そうしたことは口にしない。賛否両論は無論理解の上。
自分を包む暖かさに心から感謝して。この暖かさのおかげで、自分が病気にならず、体調を崩さずに過ごす時間を受け取ることに感謝して。有難く着用する。
一旦上着を脱いでから、ドルドレンを起こして着替えさせる。股間の朝は特に話題にせず、やり過ごす。
若干寂しそうなドルドレンに、丁寧によしよししてから、ちゅーっとキスをして『朝食を頂きましょう』微笑むと、少し笑みが戻って頷いた。
朝食もしっかりとした量を出してくれる、モイラの宿の良心的で素敵な美味しさに感動して、お礼を言ってから早々に出発する。今夜の宿はデナハ・バスでと決めていたので、モイラの宿に帰るのは明後日。
「気をつけてね!」
モイラが見送りで手を振ってくれる。『気をつけます。また明後日』馬上でイーアンが叫んで手を振り返した。
しかし出発してすぐ、気になって仕方ないことが起こった。ウィアドに気の毒なくらいの荷物が山積み。さすがに歩きにくそうで可哀相・・・・・
「ドルドレン。この荷物は、ウィアドに厳しいのでは」
そうかもね、とドルドレンも認める。町を出て5分もしないうちに、イーアンはウィアドを下りた。
「やはり龍を呼びます。私は馬に乗れないけれど、私は龍と一緒です。皆さんと同じ」
絶対違う、とドルドレンは心の中で全否定するが、イーアンが荷物を運びたい意思であることは理解する。
出来るだけ牧草地を避けて工房へ降りる、と約束してからイーアンは笛を吹いた(←許可を取る前)。
晴れ渡る朝の空にふわっと広がる、太陽よりさらに明るい光の隙間は、あっという間に空を覆い、一粒の点が見えた。
点はぐんぐん大きくなり、数十秒後には街道に青い大きな龍が着地した。
イーアンが背に上ってから、下でドルドレンが渡す、白い皮の塊と鎧の試作が入った袋を紐で結んだ荷物を、龍の背鰭を挟んでかける。
「渡したら戻ると思います」
「その。戻ると思う、という不確かな意味は何」
「万が一、向こうで何かあったら、きっと言い訳しますからすぐ戻れません」
そうね、それあるね、とドルドレンは納得する。わかったと返事をすると、イーアンはドルドレンに笛を渡した。
「私は龍と一緒です。これを持って進んで下さい。とりあえず工房へ荷物を預けたら、ドルドレンの元へ戻ります」
じゃあ後でね、と言い残して、イーアンは青い龍と一緒に空へ消えて行った。手に握った小さな笛を握り締め、愛妻が龍と共に消えたことを寂しく思う旦那。馬でぽくぽく進む道は異様に長く感じた。
数日空いた龍との飛行。龍が少しゆっくり飛んでいるのが、もしかして気を遣っているのかなと感じたイーアン。『この前はお前が大活躍でした。本当に有難う』私乗る必要なかったわね・・・お礼と反省を笑って付け足した。
龍は静かに首を揺らして、鼻先をふんふん上に向けて匂いでも嗅いでいるようだった。
「お前がいてくれたから。みんなが無事だったのよ。お前がいないで勝てる気がしないの。でも頼ってばかりじゃ駄目よね。私、何か考え付かなければ」
打ち明け話を龍にして、イーアンの言葉は切れる。瘡蓋は落ち着きつつあるし、痣も少しは引いてきた。だけど龍がいなかったら、こんな程度ですまなかったかも知れないと思うと。
鈴がたくさん振られるような声をちょっと出して、龍がイーアンに何かを伝えている。
「私たち。これからしばらく一緒なのよね。頼らないなんて、それも失礼なのかしらね」
難しいわ、とイーアンは思う。龍はうんうん頷くように首を揺らす。もっときちんと気を遣えて、皆が笑顔でいられるようにしたい・・・・・ 心からそれを願うイーアンだった。
空から見下ろすと、街道はずっと先まで伸びているのが見える。当然なんだけど、新鮮な眺めである。
この街道をしばらーく・・・上のほうから、見失わない程度の高さ(加齢による視力の低下)で見つめると、放牧地が多い高原地帯に入り、民家や農家が転々と見える。
青い草もまだあれば、冬なので枯れてきた草もある。民家の散らばりが段々まとまってきて、集落が増え始めた先に、一本の川を抱えた町が見えてきた。デナハ・バスだ。
「上から全体を見たら、きっとドルドレンも驚くわ」
町は立派で、とても大きく感じた。以前の世界のような工場地帯の雰囲気ではないけれど、昔の職人の町といった印象で、統一感のある町。屋根の色や石畳や通りの並びは、地区別に分かれていて、ブロックの色が少し変化したら続きは民家、その手前は商業通り。そんなふうになっていたのかと感心した。
民家の向こう、この前魔物退治した家のずっと先には、緩い上がりの丘陵が見える。道の左側は丘陵が少しずつ山の裾野に入るところが目立ち、一軒だけ、手前に小さな柵を作った横長の建物があった。
「オークロイさんの家」
後ろに山を背負うような印象があったが、正確には裾野にあるので、真正面から見ると背負っているふうに見えたと知る。上から見ると、建物のある位置は山の傾斜がまだ始まったばかり。
斜面を均した、段々牧地みたいな感じだろうか。
少し高度を下げて見つめると、工房の裏には支流が脇にあり、大きな木々の影にかまぼこ台がある。それを見つけてイーアンは嬉しくなった。
周辺の農家や民家の人がいないことを確認し、一人二人いた人影が牧舎に入るのを見届けてから、工房の裏庭に一気に龍を降ろした。
裏庭はそこそこ広くて、龍が隠れるには充分の木立があり、背の高い常緑樹が丁度良く影を作っていた。
龍から荷物と一緒に急いで降り、工房の裏の扉を叩く。何度か叩くと、オークロイさんの息子が裏庭沿いの壁にある窓から外を見て、ぎょっとした顔をした。
「オークロイさん。私です。騎士修道会のイーアンです」
息子が家の中を振り返って見た先に人影が動いて、すぐに近づいてきた。『オークロイさん。おはようございます。イーアンです』扉を小さくコンコンコンコン叩いて、あまり驚かさないようにと焦ってしまう。
扉の鍵が開いた音と共に、銀色の頭髪と髭を生やしたオークロイが、渋い顔でイーアンを見た。
「おはよう、って。お前。何だそれは。何だ、龍?」
「あれは安全ですから気にされないで下さい。裏庭から失礼してすみませんが、どうぞ先に荷物を受け取って頂けませんか」
あれは安全。何を言うんだとオークロイが真後ろの青い巨体を見て首を振る。イーアンは話題にならないよう(無理)あまり見せないために自分の体を盾にする。
「本当に安全です。あの。牛とか家畜は食べませんもの。誰も食べません。あれは私の馬のようなものです。それはとにかく」
「イーアン。急に来て裏庭に馬鹿でかい龍がいたら、あれは大丈夫と言われても」
「驚かしてごめんなさい。でも馬に乗せるには可哀想な量の荷でした。だから龍で先に運んだのです。とにかくあれは大丈夫です。また後で、ええっと4時間後くらいには来ますので、ドルドレンと。だから先に荷物をお願いします」
何とか用件を伝えて、イーアンは足元に置いた皮の塊と、荷袋に入れた鎧等の荷に、不審げな職人の視線を向けさせた。
「あまりここにいますと、私たちご迷惑でしょうからもう行きます。近隣の方たちも気づいたら、きっと不安ですもの。では」
「では、って。ちょっと待て、イーアン」
荷物だけ預かって~ イーアンの心の声は職人に聞こえない。龍をじっと見た後。先ほどから、ちらちらと見ていたイーアンの顔と手に目を留める。
「何で怪我をしたんだ」
「仕事です。この前、遠征でした」
それ以上聞くな、それは鎧と関係ないから、とイーアンは思う。職人は分かりやすい、呆れたため息をついてから、イーアンの額の瘡蓋を触った。『いてっ』思わず素地が出る。びくっとしたオークロイが手を引っ込めて『すまん。痛かったか』と謝った。
「お前は男勝りだと思っていたが。総長は何をしているんだ」
ドルドレンは無事です。つい安否を口にしてしまったが、それが間違った答えとすぐに気がついた。オークロイの顔が険しい。そうじゃなくて・・・と言葉を探すイーアン。『これは私が勝手にこうなって』もう、この話イヤ。
「後でお話しますから。まだ、朝にウィブエアハを出て時間が経っていません。馬で来ますから、デナハ・バスの町を抜けてここへ到着するのは4時間くらいかかるでしょう」
「町に用があるのか。なければ抜け道で来れば良いのに」
抜け道なんてあったかしら? イーアンがオークロイに視線でその存在を促すと、銀色の眉をひょっと上げて『なんだ。知らないのか』そう言って戸の前に立つイーアンを避けて、龍に警戒しながら横を通り、裏山を指差す。
「見えるか。ここに降りてくる道がある。ウィブエアハとデナハ・バスの街道途中に左に上がる道がある。私有地の私道に見えるが、地元の共通路だからそこを進んで来い。南西の騎士もよく使うから」
抜け道は山の中を通るが、馬車も通れるくらいの均し方はしてあるし、そこを通れば2時間程度というので、イーアンはお礼を言って『では急いでドルドレンに伝えます』と龍に乗った。
「はい。飛んで。ドルドレンを見つけるのよ」
龍の背をぽんと叩いて、龍がぐらっと浮き上がる。『他の方の目がありますから、急いで上昇します。何か聞かれたら、後で説明しますとお伝え下さい』イーアンはオークロイに頼んで、龍に『すぐに上へ』と合図をした。
龍は一気に真上の空へ突き抜ける。あまりに勢いよく真上に飛んで行ってしまったので、オークロイ親子は唖然として空をしばらく見上げていた。
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活動報告にも少し書いたのですが、今朝PCがログインできず、どうにかこうにか、ここへたどり着くまでに2時間かかりました。それで出だしが遅れてしまったのが残念です~
 




