206. 町で楽しむ午後
部屋に案内されて荷物を置くと、夕方前の散歩をしよう、とドルドレンが提案した。ウィブエアハで、デナハ・バスのおばさんに手土産を購入したらと言われて、イーアンは喜んだ。
「でもどんなお土産が喜ばれますか。どんなものが一般的な礼儀に適うのでしょうか」
それを知りません、とイーアンは訊ねる。ドルドレンもあまり考えて言ってないので、そう言われると考えた。とりあえず外に出て、夕方前の町を歩く。
「土産にどうかと店で訊けば良い」
もし土産向きではないとすれば、それを店員が教えてくれるはず・・・・・
なるほど。イーアンはドルドレンは頭が良いと誉めた。ドルドレンはちょっと嬉しくなった。イーアンの方がずっと賢いが、お利口さん的な評価は齢をとっても喜ばしい。
屋台が出ているので、まずはとドルドレンがイーアンを見る。イーアンは嬉しそうに微笑み返す。この前とは違う屋台を見て、一つ良さそうなものを購入した。
「まあ」
大きな魚が丸焼き。紙の硬い皿に乗っている。頭から尾まで40cmほどの焼き魚は、皿に乗せられてからナイフで横にざっくり1回、縦に5回、胴体を切られて、そのまま渡される。
太い突き匙が2本添えられていて、一本をドルドレンが手に取って魚を刺し、歩きながらイーアンの口に運んだ。大きな塊で一口で食べるのは必死だったが、頬張って『熱い熱い』言いながら噛む。
笑顔のドルドレンが自分にも一つ、魚を頬張った。『熱いな。いやこうして食べるのも美味いな』イーアンよりも口が大きいからか、喋る余裕があるドルドレンに、イーアンはまだハフハフ言いながら、両手で口を押さえて一生懸命食べていた。
「美味いか」
「はい。魚だけではなかったので驚いています」
ごくっと飲み込んでからイーアンは答えた。ドルドレンの手に持っている皿を覗き込んで、腹に詰められた詰め物を不思議そうに見る。
「これか。これはこいつのワタだ。こいつのワタを、挽いた豆と粉で潰した野菜と混ぜて、腹に詰め込んで焼くのだ」
「だから一まとまりになって。中に入っているのに、崩れないから何かなって。それと大きな魚なのに、骨があまり硬くはありませんね」
「塩漬けではない。本体の魚が酢漬けだ。鮮度の良いうちに取ったワタは、塩に挟まれて貯蔵する。ワタの練り物は焼く前に作るのだ。だからこの料理は、作る時に塩が要らん。簡単なのだ」
「どこのお料理?」
これは東側の海に近い地域のものだろう、とドルドレンは話した。この前、遠征で話したエビヤン・チェオという騎士の出身地から輸入する食材を、東の地域が郷土料理に使うという。
ハイザンジェルは海がない。海に続く川はあるが、海自体はない国だ。
東の地域は川が多く流れていて、そこそこ温暖な場所もあるので、古くから貿易が盛んだった。その一つに海産があり、川魚以外に海の魚がよく使われている料理が多い。
「ベルに聞いてみると良い。ベルもハイルも、北西で慣れたら東の支部に移動したがっている。彼らは東が最後の居留地だったのだろう。東の民を守るんだと話していた」
ベルもハルテッドも、ドルドレンの警戒対象だと思っていたので、微笑みながらそんなことを言うドルドレンに意外な面を見たイーアン。やっぱり友達なんだわ、と微笑んだ。
大きな魚を食べながら幾つかの通りを回ってみて、2つ3つ気になった店を二人は思い出す。3つめは違ったが2つが重なったので、顔を見合わせて微笑み、魚を食べ終えてからその店へ向かった。
一つは砂糖菓子の店だった。市場の中にザルで大山に詰まれた砂糖菓子。もう一つは市場の先にある服屋で、大判の肩掛け布が人気の店だった。
砂糖菓子の店へ行き、ドルドレンが美味しいと思う砂糖菓子を幾つか教える。イーアンが山積みの菓子を見ながら嬉しく悩んでいると、店員の女性が『家でも手土産でも良いのよ』と一つ食べさせてくれた。
必死になって悶えるのを我慢する。
「これとこれはね。見た目が大振りで綺麗でしょう。だからお土産にいいわよ」
イーアンの顔が見慣れないからか、すぐに土産として向いている品を教えてくれた。女性は別のザルに詰まれた菓子もイーアンにくれた。
『食べてごらんなさい。好きなほうを買うといいのよ。だって相手は好きじゃなければ誰かに回すし、好きなら食べるでしょ。どっちみち受け取るんだから、あなたが好みの味を覚えておいたら良いわよ』そう言ってカラカラ笑う女性に、イーアンはとても好意的に感じ、二つの菓子を土産用に購入した。
お土産だから、と言うまでもなく、砂糖菓子の納まった紙の箱を、女性は色の鮮やかな薄い紙で包んでくれた。
「また来てね。今度は自分用に買いなさい」
「年末はいつまで」
「年末最後の日まではやってるの。だからおいでなさい」
女性は小さな紙袋に他の種類の菓子を一つずつ、ぽんぽんと入れて、『旅路でお食べ』と持たせてくれた。嬉しくて嬉しくて、イーアンは深々頭を下げてお礼を言った。
「優しい人です。私にも分けて下さいました」
ドルドレンは頷く。
――イーアンはなぜか、どこでもいつでも何か貰っている。もちろん渡される品は、与える彼らの許容範囲でしかないが、全ての客にそれをしなくても済むわけで。なのにイーアンは当たりくじを引く。
おそらく俺が売り子でも・・・・・ イーアンに・・・・・ 食べさせて、喜んだらもっと食べさせ。いや、泊まって行けと言うかもしれない。そして一緒に寝ようと迫る気がする。風呂も一緒に・・・・・
そんなぼんやりしたドルドレンの妄想世界を引きちぎるように『早く次へ』と追い立て、イーアンは次の店へ心を躍らせながら向かった。
服屋は近く、市場の終わりから1分くらいの場所だった。
夕方でも店じまいする気配はなく、意外にも混雑していた。大量に購入する客のために、馬車まで待機している。
表に出ている大判の肩掛けを見ながら、人を分けて店内へ進む。少し広いがさほど大きな店ではない。しかし品数が半端なくあった。
壁に広げられて掛かっている大きな布は、織りも見事で色も素晴らしかった。イーアンはおばさんの印象と、彼女が着用していた服装と、彼女の家や室内を思い出していた。彼女が植えたと思われる玄関脇の植物、彼女の娘さん、室内にあった調度品などを思い起こす。
ドルドレンは、黄色とオレンジ色の明るい元気な色で、青い模様が四辺を囲む布を手にしていた。イーアンは白が基調で赤い細かい刺繍が施されている布を手にした。イーアンの布には房飾りが四辺に施されていて、ドルドレンの布には二辺に長い編んだ房がついていた。
値段を見てからドルドレンは少し考えて、両方を手にしながら店員の男性と何やら話した。店員が眉根を寄せて困った様子で、背の高いドルドレンを見上げ、ドルドレンの冷たい無表情に負けたようだった。
ドルドレンが手招きしたので、イーアンはすぐに行った。
「どちらも好きだな。イーアン」
「はい。大変魅力的です。とてもきれい」
微笑むイーアンに、見慣れぬ顔をじっと見入った店員は『あのう。あなたなら、こうしたものはどうでしょう』と少し奥へ行ってから、3枚ほどの布を持ってきた。
細部まで全てに、細かく模様が織られている素晴らしい布を色違いで3枚、店員が見せて、イーアンの肩に掛けた。ドルドレンが『ほう』と目を丸くして見つめる。
「なんて綺麗なの。信じられないくらいに技術の高い品だわ」
肩に掛かる布に感心して、イーアンは布を撫でた。でも、とそっと布を取って『こんなに高価なものは私にはとても』と店員にお礼を言って手渡す。
「その先の2枚は、お年上の方の手土産と聞きましたが。あなたにも必要ではと思いました」
そう言うと店員は紙に値を書き始めて、しばらく棒線2本で消したり、また書いたりしながら、ドルドレンに見せた。
「3枚。先の2枚と、この方の一枚を購入されるのでしたら、この金額ではいかがでしょう。大変お安くしてお渡しします」
3枚目など頼んでないだろう、とドルドレンは思った。恩着せか、と値段を見るが、2枚に支払う硬貨の釣り銭で、3枚目を買えると理解した。
「イーアン。もし3枚の内で好きなものがあれば購入できる」
イーアンは断ったが、気にしなくて良いと押され(←店員にも押され)赤が基調の布を購入することになった。
「あなたならと思いました。お客様が選ぶ買い物ですが、品がお客様を待つこともあります」
店員はイーアンの肩に赤い布を掛けると『またお越し下さい』と笑顔で見送ってくれた。
ドルドレンは、喜びに跳ねながら歩く少女のような、年上の女性を眺めつつ。これはイーアンに授けられた力の一つ、と理解する。
素晴らしいお土産も買えた上に、自分にも素敵な布を買ってもらえたイーアンは大喜びで宿に帰った。
夕食の時間には、モイラが目ざとく、買ったばかりの布を見抜き『これあそこの服屋でしょ』と叫び声に近い歓声を上げて褒めちぎった。
「一年間のご褒美ね!こんな高価な肩掛けを買ってもらうなんて!」
カウンターにいた主人が困惑した顔で、そっと厨房へ戻るのを見たドルドレンは、何となく主人にすまない気がした。きっと主人は妻に買ってやりたいと考えているだろうと想像した。
モイラの話では、この肩掛けを見たことがあって、その時はもう絶対自分で買えない・・・と思ったという。そんなにするの?と言いかけて、イーアンはどうにか話をはぐらかした。
「でも分かる。私ね、あなたが気にすると思ったから聞かないけど。
イーアン、きっと魔物か何かに襲われて怪我したんでしょ。こんな痣とか瘡蓋作って、見た時は驚いたのよ。いいの、言わないで。聞くつもりじゃないから。
それで。だから、旦那さんがイーアンに少しでも綺麗にって、こんな素敵な贈り物をしてくれたのね」
同情の籠もった眼差しで、モイラは躊躇いがちにイーアンの手の痣を撫でた。イーアンもドルドレンも何も言えなかったが、イーアンは優しいモイラに心からお礼を伝えた。
たっぷりとした野菜と肉の夕食を食べて、モイラの大好きなお菓子を頂いて、二人は部屋に戻った。
「そんなに高級なものだったなんて」
部屋の鍵を閉めてから、イーアンが申し訳なさそうにドルドレンを見た。ドルドレンは首を横に振って否定する。
「俺だってそこまでの品だとは。確かに何も知らない俺でも、その肩掛けが群を抜いて目を引くくらいは分かるが、店員が出した金額はそんな凄くなかったんだ」
イーアンにあまり言わないほうがいい、と思っていたがとドルドレンは言う。
「おばさんに買う布をまけろと交渉した。店員は出来ないと最初は粘ったが、俺はもっと安い場所を知っていたから、それを話すと、非常に悩んだ末、彼は仕方なし、いくらか値を下げようと言った。
そこでイーアンを呼ぶ前に、俺がただの値切りではなく、彼女のためにそうしたいと伝えた。あまり高い金額だとイーアンが手土産に困るのだ、と話したら。
なぜか店員は、購入額を変更しないのなら、支払いの硬貨の釣り銭でその・・・肩に今掛けている布を付ける、と提案した」
値切らないでも1枚でも良かったのでは、とイーアンは思ったが、ドルドレンの気遣いと優しさと真面目さに有難く感謝して、その話に頷いた。
有難いお話です、とイーアンはしみじみ思うことを答えた。自分はとてもここでは優遇されていて、本当にこの町が大好きです、と。誰も偏見も差別もなく。親切で心が温かいから、嬉しいと話した。
モイラと友達になったから、彼女にも会いたいと思ってここへ来れる。町も好きだから、何度でも来たいと言うと、灰色の瞳を優しく細める黒髪の騎士はイーアンをそっと抱き寄せて『何度でもここへ出かけよう』そう囁いて額にキスをした。
寝ましょうか。イーアンが蝋燭を一つ消す。ドルドレンがじっと見ているが、イーアンは気が付かない振りをする。
全ての蝋燭を消し終えて、ベッドに入って『おやすみなさい』と挨拶をする。
何も言わずに眠ろうとするイーアン。
ドルドレンはちょっとだけ、分かるんだけどちょっとだけ訊くことにした。
「イーアン。痛い?」
イーアンは静かに笑って『そうしたことをすれば痛いかも』と答えた。今は痛くないという意味か、と解釈し、ドルドレンは我慢した。一昨日、あまりにもやり過ぎたのか。だって我慢出来なかったんだもの、と思いつつ。
向き合うイーアンの体に腕を回して、その温もりを大切に。そうだった、俺は純愛組だったんじゃなかったっけと思い出す。自分には無理そうな気がしてもイーアンが眠ってしまったので、強制的に純愛状態で耐える宿の夜だった。
お読み頂き有難うございます。
 




