201. あと10日・執務室の会話
朝起きた時には、体の痛みが少しずつ消えかけているのが分かった。
ドルドレンと一緒に眠らず、一人でベッドに寝たイーアン。一緒に寝て、万が一、ドルドレンの手足が体に乗ったら叫びかねないので、そこはお願いして一人で眠らせてもらった。
ドルドレンは非常に寂しそうな顔をしていたが『それもそうだ』と頷きながら、イーアンに布団をたっぷり掛けてくれた。
自分の部屋のベッドに入った頃、ちょっとふんふんすすり泣いていたのが聞こえて可哀相だった。
そのもうちょっと前は、部屋で慰労会の料理を満喫した。
大変美味しくて、健康体ならひっくり返って悶えそうなくらいに美味しかった。これは後日、ヘイズにくれぐれもお礼を伝えなければと誓った。
食べていると、ドルドレンが『痛くなくて触って良い場所』を質問したので教えると、一生懸命お腹を撫でてくれた(?)。お腹のまさぐり方が段々やらしくなってきた時、ノックが聞こえてお腹撫では中断。
仏頂面のドルドレンが扉を開けると、シャンガマックが包みを持ってきていて『イーアンの薬』と渡してくれた。中には入らなかったけれど、ちょっと目が合うと『一緒に食事ができず残念だ』と微笑んだ。彼はドルドレンに無情にも追い払われ、再び二人の空間になった。
薬を塗るという名目で、食事を終えたイーアンの体に、ドルドレンは丁寧に細かく、少々触り過ぎなくらいに薬を塗ってくれた。
全然薬が要らない場所(胴体前と臀部と内腿)にも塗りたがったので、それは断った。もし副作用で肌にカブレなどあっては困る、と教えると、床に倒れそうになるほど力尽きた様子で残念がっていた。
そんなことで、最終的には別々のベッドで眠ることになり、朝が来るまでイーアンはぐっすり眠った。
朝になると、痛みは相当に減ったと知る。薬効宜しく覿面で、シャンガマックにまたお世話になったことに心から感謝した。
着替える前にドルドレンのベッドを見に行くと、ちょっと涙の乾いた後があった。そんなに寂しかったの、と胸が痛む(※一人で解消も出来ない男の辛さ=涙の夜)。
寒い朝なので、そーっとベッドに潜り込んで、ドルドレンの体にぴたっとくっ付いてみる。あったかい・・・・・ 体温が高いのかも、と思いつつ、もうちょっとぴたっと寄せる体。とてもあったかい。ドルドレンの広い胸に顔をくっつけて、安心するイーアン。
長い睫がすうっと上がり、灰色の瞳と目が合うと、睫がパサッパサッと何回か瞬いて、じっとイーアンの瞳を見つめていた。
「イーアン」
逞しい腕がゆっくり回されて、イーアンの腕と横腹の間に滑る。痛くない様にしてくれる気遣いに、イーアンは嬉しかった。裸の筋肉に擦り寄って『ドルドレンおはようございます』と挨拶する。寝ぼけ眼で愛妻(※未婚)を見つめ、怪我のない頬に静かにキスする、嬉しそうな美丈夫。
「やっぱり離れて眠るのは良くない」
満足そうに体を寄せて、暫くの間、朝の温もりに浸る二人だった。
そんな短い朝の時間も過ぎると、起き出したイーアンが着替えると言って隣室へ入った。痣の比較になるとイヤ・・・と話していたので、衣服は落ち着いた組み合わせだった。でも綺麗。
ドルドレンも促がされて着替える。使ってないから(早3日)、朝の股間が痛いくらいに元気になってしまってて、それをちらっと見たイーアンは、何も言わずに少し赤くなって俯いていた。
耳打ちで『大変ですか』と訊かれ、耳にかかる吐息に全身の力があっちへ注がれて、一瞬、眩暈がしたが、どうにか持ち堪える。『ちょっとね』そのう。少し我慢できません状態、を伝えると。
『今日。背中が痛くないようにしてくれたら・・・私が上で。膝も痛いので、持ち上げて・・・・・ 』そこまで耳打ちで言うと恥ずかしそうに言葉が消えた。
もう無理かもしれません。ドルドレンは、即、押し倒しそうな自分を限界ギリギリの精神力で締め上げ、荒い息をどうにか正常に整えつつ、目を閉じて必死に心頭滅却した。
想像が。想像が。愛妻持ち上げて、上に乗せてって。それはすでに滅茶苦茶すごくイイやつ。持ち上げます、何度でも持ち上げる、ガンガン持ち上げるよっ。想像したら無理。そしてこの現状が。真横にくっ付いてる愛妻が(※未婚)。いやもう良いんでないの。もう方法も教えてもらったしそれって今すぐでもね、ほら。
正邪の激突を脳内で繰り広げつつも、顔も赤く俯くイーアンをひょいと抱き上げて『今は』はーはー、息切れしながら、とりあえず噛み付く寸前の理性で訊く。『今夜です』困った顔で恥らう愛妻に、もう今すぐ引ん剥きたい。
がっ。 大人の力で我慢した。愛妻の顔には瘡蓋がある。痣も青から黄色へ変色している。鬼畜はいかん、と決めたのだ。変態で行こう(?)と。
とにかく夜を目一杯楽しみにするっ。今は我慢だ。
ドルドレンは深呼吸し、顔を両手でぐっと拭ってから大きく息を吐き出す。『朝食へ行こうか』イーアンを名残惜しく横に座らせ、服をしっかり着た。抑制レベルの上がった戦いに、勝った自分を誉めるドルドレンだった。
二人は食堂で朝食を受け取り、まだ人気の少ない広間の暖炉側で食べた。全体慰労会だと酔い潰れる者が多いので、かなりの人数が酒による遅い朝を迎えている様子だった。
ドルドレンは朝食を取ってから執務室へ行った。
イーアンは厨房にいたヘイズを見かけ、昨晩の料理を褒め称えてお礼を言った。ヘイズは嬉しそうでもあり、また若干戸惑っているようでもあり、理由は分からなかったが、イーアンは会釈して工房へ向かった。
執務室に入ったドルドレンに、昨日の発言に厳しく制裁を食らった書記が駆け寄り、改めてお詫びの言葉を伝えた。
「もういい。お前の仕事はこの部屋の中が殆どで、故に理解できないことを口にすることもあろう」
蒸し返されてもねとドルドレンは思った。すっかり愛妻の夜に浸っていたのに全く・・・・・ 書記をするっとすり抜けて自分の机へ行き、山積みの資料をげんなりして見つめる。遠征へ行くと、出向中に片付け物が溜まる。あーあ、と溜息をついて片っ端から読むことにした。
「あの、お手伝いします」
いつもは放ったらかしの総長に、なぜか書記はそそそっ・・・と近づいて、書類の山を分け始めた。封筒は差出人の分類別で分け、書類そのものは内容の区分で分けてくれた。
「助かる」
いつもそうしてくれると楽なんだけどな、とは言えず。机の上に並んだ紙の山々に頷いた。こいつなりにお詫びの気持ちでも表しているのだろう。手間が省けたので、礼を伝えて改めてとりかかろうと。
「先に判をついてもらえると、続く仕事が早い紙はこっちに分けました。こっちの封筒は開けてもよければ、同じように分けますから」
机の前で指導されて、総長は複雑な気持ちだったが従うことにする。どうやら今までの仕事の要領悪いダメッぷりをこの機会に修正しようとしているような。仕方なし、封筒を開けて宜しいと許可する。
「イリジャ。これを全て開封して」
「開封したらスーリサムの分を抜いて、後は回す?」
「ありがとう。机に置いておいて。サグマンに残りを見てもらってから、こっち(←総長)に要る分だけ欲しいんだよ」
「分かった。良いよ。そこ(←総長)の紙だと、ぜんぶやっても10分掛からないから」
執務の騎士が、整った無駄ない連係プレーで、ドルドレンの午前中を奪っていた紙の山を手分けしてくれた。気になったのは『10分掛からない』部分だった。俺が日々、3時間使っていたのは何だったんだ。
判をつけ、とまとめられた手前の山に、次々、指で指し示される場所を目指して、素早く判をつくドルドレン。間違えないように、人差し指が突き当たる場所に、鍛え上げた動体視力を使って同時に判を出す。慣れてくるとケチが来る。『インクが薄い』とダメ出しをされ、『ちょっとずれてる』と眉を寄せられた。
「普段はゆっくりですから気にしないと思いますが。手早く仕事をする際は、ゆっくりを早回しにするだけで、雑になっては駄目なんです」
なぜか注意を受けた。総長が。 頑張ったのに『雑』と言い切られたことにやや衝撃を受けた。
だが、衝撃に戸惑う余裕は許されず、ほら判をつけ、と指を置かれる。必死になってタンタンタンタン押し続けると、何だかおかしな薬でも吸ったような脳の限界がやってくる。壊れ気味になりかけた頃、『お疲れ(←気さく)』と終礼がかかった。
「もう良いですよ。年末までもう残すところ10日だから、先方もこっちも、年内に片付ける用事が多いんです。そうか。昨年は前総長がやっていたから、思えば初めてこの作業入ったんですね」
ドルドレンは書記の言うことが理解できなかった。どうやら、自分が日々行なっていた書類整理とは異なった内容が、今日は入っていたらしい。ひたすら判をつけと命じられていたから、内容なんて見てなかった(※危ない)。
自分の前任の総長と、彼の跡継ぎの副総長の二人が消えてしまうまでは、彼らはこの作業を分担していたのかもしれない。紙の山は多いが、いつもも多いと思っていたから気がつかなかった。内容が違うのだろう。
「ベリスラブ前総長とチェスティミール副総長。どうされてるでしょうね」
書記のスーリサムは、ふと思い出して呟いた。ドルドレンも同じように思い出していたので首を振った。『彼らは肝の据わり方が常人と違う。どこかで無事でいる』そう答えるのが精一杯だった。
二人で西の壁を見に行って、帰らなかったあの時。
一人は30年間、騎士修道会を本部の外から守り続けた男。ベリスラブ総長。もう一人は国防局推薦で上がったものの、東の支部の切れ者で、強い意志の男だったチェスティミール副総長。
ベリスラブが退任したら、若いチェスティミールに総長をと、用意された副総長の座だった。彼らは北西の支部で顔を合わせてから意気投合し、いつも一緒に行動する静と動の存在だった。
魔物が出てからも彼らは共に戦闘に参加していたが、あまりに激しくなる魔物の勢いに、とうとう二人が『西の壁を直に調べる』と決意した。その発表の翌日。二人は誰も付けずに行ってしまった。
「総長。今年の年末・・・って。もうすぐですけど。イーアンとデナハ・バスでも行ってきたらどうですか。向こうからせっつく手紙が届いてますよ。え・・・っと。なんだっけ。あの鎧の」
沈黙が流れた部屋に、気分を変える切り口を出したのは、執務のサグマンだった。会計経理の騎士も来て『ああ。契約金の話しね』と頷いていた。
「ルシャー・ブラタ?」
「そう、そうです。オークロイさんか。総長が遠征中だから、2日前だ。手紙が来て」
「契約金を持って来いとでも書いてきたのか」
「いえそうではなくて。契約金は、出来を見てそれで購入すれば良い、とかそうした内容でした。契約金も利益も要らないってことかな」
「? なんで利益が要らんのだ。出来高が契約金とは。すでにそれは契約金ではないだろう」
「そうじゃないと思います。オークロイさんは多分、契約金自体が要らないんですよ。
出来高はオークロイさんと交渉で決める額ですが、利益の意味は恐らく、彼の工房での話ではなく、完成後の鎧をこちらが販売した利益に関して『口出さないからどうぞ』って感じではないですか」
なぁにそれ。ドルドレンはよく分からない。
――利益もへったくれもない。持ち込んだ魔物の材料を、こちらの企画に沿って向こうの工房が作って販売してほしい、と話したんだ。
書類もそういう内容だっただろうに。しばらくは騎士修道会が購入者だと言ったよなぁ。騎士修道会が販売するなんて言っていない。後々、国が買うだろうとは話してるけれど、それは工房から直に国が買うと・・・いや。話したぞ。じゃ、これではないのか。これは勘繰りかな?
ふむ。出来高と、もし言われたら。契約金なしで出来高?それ、純利益どのくらいで考えているんだろう。経費は?出来高の前に、諸材料とか工賃とか経費がかかるだろうに。
だから『年間契約金扱いで、1年間の生産に必要な材料の額を先に出す』って言ったのだ。あれ。親父は違う解釈だったのか?でも書面を読めば分かると思うのだが。
何だかオークロイが、昨日の剣工房の親父と重なる。作ったらそれはそれ。で、『売るのは、あんた』そりゃ、営業はするけども。せいぜい騎士修道会内で。イーアンありきの話しだからそれはする。国にも営業はかける。うん、でも王が買う気満々だから、営業もう不要の気がするが。
職人の『売る』の意味が分からん。こちらは、彼らの工房で売ってほしいのだ。俺たち騎士や国を相手に。じゃないと、国のために回らないだろう。
しかし出来高とは。工房はあくまで下請け意識なのかな。委託って言ったのに。下請け意識じゃ損しそうだ。感覚で言えば『金じゃないんだよ分かる?』そんな職人魂なのか。うーん分からない。
・・・・・職人魂。それは俺じゃないな、イーアンに対してだ。イーアン様様。ふうむ。そういうものなのか。男の魂を揺さぶる奥さん。お。まずい。違う方向へ向きそうだ。話を戻そう。
「それは出向いて、決めてきた方が良いわけだな」
そうですね、と執務の騎士は答える。『一旦預かった契約金の紙の内容を変えるんだから、それは総長とイーアンで話し合って頂かないと』そう言われるとそう思う。
「あれですよね。昨日の会議の話だと、年始にルシャー・ブラタに鎧を委託するんですよね。オークロイさんが『いつでも』って書いていますので、この数日で出かけても早すぎないと思いますよ」
ここでドルドレンは気がついた。彼らは自分に休暇を与えようとしていることを。
先日イーアンも怪我して帰ってきたわけで、仲良し夫婦(※そこまで思ってない)が年末年始を水入らずで楽しんでおいで、と・・・・・
それで仕事を片付ける手伝いをしてくれたのか(反省ではなかった)。思い遣りだなぁと感動するドルドレン。
「私たちも年末年始は実家に戻るので、執務室は2週間近く起動しません。だから早く仕事を終わらせたいんです。年内の起動日は後3日ですから」
『ということですので』と執務室の騎士は、鎧工房に来訪日程の手紙を一通書け・・・と紙を出す。今日出しておくから、と言う。
言われるままに総長は内容を書き、署名して日付を入れた。鎧工房行きの手紙は、すんなり封筒に納まり、ドルドレンたちは3日後に出発することになった。つまり執務室年内起動の最後の日。
暫く帰って来るなとでも言うように、必要な路銀と書類一式と手荷物をすごいてきぱき用意された。もう部屋に持って帰っておけと言われている気持ちだった。
・・・・・・・・・・・・・自分たちも。そう。それで。うん、でもいい。とりあえず俺とイーアンがどっかに出向する書類を今日作ってしまえ、とそういうことだな。仕事絡めて休めば良いじゃないの、とな。
で、俺が判をつく書類が増える年末だから、とっとと手伝って、さっさと終わろうと。
自分の仕事以外は何だか蚊帳の外が多いなぁ。ドルドレンはちょっと寂しく思う。でも部下が何の理由であれ、おまけであれ、序であれ。自分とイーアンに、用を持たせて出そうと考えてくれたんだから。
「頑張ろう」
うん、と頷く総長に、執務室の仕事が『では』を合図に、雪崩のように振りかかった午前。
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