200. 全体慰労会のご馳走
お風呂上り。あまり綺麗な服だと顔の酷さが浮くと、イーアンはできるだけ大人しい色を着替えに選んだ。
それでも一つ一つのものが良いので、自分の瘡蓋や痣がとても目立つ気がした。
光沢のある柔らかい生地で作られた、藍色の襟の広いブラウス。全体に織で蔓模様が入った、生成りのぴたりとしたズボン。脹脛まで丈のある、折り返しの付いた革の靴。
コルセットは背中に触れると痛いから使えず、ベルト代わりに薄い紫色の布(※クローハル・プレゼンツ)を腰に結んだ。長い布を腰に巻くと、海賊みたいに見える。服が良いから、上品な海賊・・・・・
「組み合わせで上品な海賊セットもあるのね」
それはそれで・・・とイーアンは頷く。これで良いの。いつもとても華やかだから。
脱衣所を出ると、ドルドレンは首を振りながら悩ましく顔を赤らめて、そーっと抱きしめる。そーっと両腕に抱え込んで、そーっと痛くなさそうな頭の部分を選んでキスした。
「痛くない?」 「はい。あなたは、痛くないようにして下さいました」
ドルドレンがニッコリ笑って『君は綺麗だ』とイーアンに言う。イーアンも頭を下げてお礼を言う。
今日は。『ザッカリアは爺と風呂に入るそうだ』ドルドレンが廊下を歩きながら教えてくれた。いつの間にギアッチは『爺』に呼び名が変わったの?イーアンはちょっと不思議に思ったが、ドルドレンは全く気にしていない様子だった。
ドルドレンは鍛錬所のオシーンにイーアンを預け、すぐ戻るといって風呂へ行った。
オシーンは、風呂上りで小ざっぱりしたイーアンを見て、笑いを堪えられずフフフと下を向いて笑った。
「お前は。何て、じゃじゃ馬なんだ」
じゃじゃ馬って懐かしい表現。いえ、ここで感動じゃない。
イーアンはちょっと目を閉じ、微笑んで頷いた。『ここまでなるとは思いませんでした』ちらっとオシーンを見ると、白い髭をたくわえた口元が、歯を見せて笑い顔になっていた。
「男の方が良かった」
何がですかと訊ねると、『お前が男なら気にしなくて済んだのに』オシーンは苦笑いで頭を振って、片づけを続けた。
そうですね・・・イーアンは認める。この年の女の人が痣だらけって危険ですものね。自覚はあるの。でもここは魔物の世界だから、暴力ではなくて魔物相手の怪我で何より(?)。ご心配掛けて申し訳ありませんと心の中で呟いた。
「もうちょっと男に仕事をさせろ。お前は男の分まで分捕る。お前があいつらを守ってるだろう。あいつらがお前を守らないと立つ瀬もない」
オシーンの言葉に少し考える。
――そうなのね。そういう部分は気にしなければいけなかったのね。そうかー・・・・・誰も怪我をさせないと決めていたイーアンは、騎士の面子を忘れていたことを教えられる。
「それで守られてしまう騎士も情けないがな」
アハハハ、とオシーンが愉快げに声を立てて笑った。
ドルドレンが戻ってきて、笑うオシーンに驚いている。オシーンは一頻り笑って『お前の女は騎士より働く。どうにかしろ』ちょっと傷つくお言葉をドルドレンに投げた。
ぐっさり胸を突かれたドルドレンは渋い顔になって『イーアンは優しいのだ』と言い訳をした。
オシーンに次の爆弾を貰う前に、イーアンの背に手を添えてそっと歩くように促がし、オシーンを振り返らず礼だけ告げると、二人は広前へ足早に向かった。
広間は賑わっていて、全ての机にご馳走が並び、酒の瓶が幾つも置かれていた。騎士たちの笑い声と話し声で、もう始まっているのかと思うくらいに広間は騒がしい。
真ん中より少し、暖炉に近い席を貰ったイーアンは、有難く暖かい席に落ち着いた。ドルドレンが横に来て、椅子に座る前に慌しく挨拶をした。毎度の通りの無骨な挨拶を全員に伝える。『では好きに飲んで、好きに食べるが良い』この一言と同時に、広間はワッと湧いた。
綺麗で美味しそうな料理が並んでいる。
普段にも食べるブレズや塩漬け肉も、山盛りで長机の左右にどさりと積んである。手の込んだ料理はもちろんあるけれど、よく見ると。普段の食材にソースをたくさん用意したり、一度の茹で鍋や焼き釜で、一気に過熱しただけの色とりどりの野菜の皿も多い。
ソースなんて感心してしまう。赤いソース。桃色のソース。黄色がかった白いソース。緑色のソース。透き通った金色の油のソース。
赤いのは香辛料で辛い。桃色のは円やかで酸味と野菜の香りが強い。黄色がかった白いソースは卵のソース。緑色は葉野菜と種子のすり潰し。透き通ったソースは、焼き釜で焼いた肉汁を漉したものに、香草が沈んでいた。
料理も卵の料理から肉も魚も粉料理まで、同時進行で段取りよく組まれた料理の選択が分かる。
「ヘイズだわ。本当に彼は、とても素晴らしい料理人なのね」
うーん、と感心して、取り皿にせっせと料理を盛るイーアン。早く取らないと酔っ払いの唾が入る・・・と最初にドルドレンに言われたことが脳裏に過ぎるので、出来るだけ皿に入れておいた。
食べつつ、溶け始めるイーアン(フンフン言ってる)を、どぎまぎしながら見守るドルドレン。
『口が痛むのだから、少しずつ出来るだけ小さくして、ちょっとずつお食べ』ドルドレンはイーアンに注意する。ちょっとずつ食べているつもり、と反論するイーアン。『でも美味しいんですもの』ほわっと溶けながら笑うイーアンが痣だらけだろうが瘡蓋があろうが。赤くなりつつ、ドロドロに溶ける旦那。
――いけない。美味しい料理にイーアンが溶けるのを見たい自分がいる。お預け状態(夜)だから、ついつい欲望が勝る。料理でイッちゃってる愛妻(※未婚)を見たい。もっと食べさせてしまえ、と囁く俺がいる。しかし俺だけが見たいのに――
ぐるっと周囲を見渡すと、案の定360度がこっちを見てる。視線が『イーアン溶け放題』だ。さっきまで『凄い傷』とか『痣が酷いね』とか言ってた奴らが、愛妻(※未婚)が一口食べるごとに感激して、ヘロヘロになる姿を生唾飲んで見ている。
だが、ふむ。あれ。そうだよな。
ドルドレンは気がつく。以前の遠征慰労会の料理をはたと思い出した。こんなに豪勢だったっけ。確かに大盤振る舞いで、そこそこ小綺麗な料理も並んだが、こんなに?ここまで?だった?
もしや・・・と思って厨房に目をやる。ヘイズがいる。ヘイズが時々こっちを見て伺っている。
――ぬっ・・・・・ これはもしや。あいつの仕業か。あいつの料理は確かに美味いが、ここまで料理の腕を振るうなど男共にしたことはなかった気がする。
そして気がつく。クローハルとブラスケッドが厨房に入っていったのを見る。なぜかスウィーニーもいる。あれ。フォラヴもいる。はて?トゥートリクスもいる。
うぬっ、シャンガマックがなぜそこに。むっ?奴らの行動を、近くの席に移動したロゼールが見ているではないか。その顔は、何かを怖れているように不安一色。
ぬぬっ。何やら嫌な予感がする。何か大掛かりな罠が振りかかっているような・・・・・ 普段、頭を使わない奴らが、なぜこぞって厨房に集まってコソコソしているのだ。
「んんっ美味しい~」
愛妻の色気で振り返るドルドレン。匙に載せたゆで卵にソースを掛けて味わい、イッてしまっている。目もイッてる。ちゅるっとゆで卵の半熟の黄味を飲み込んで、思わせぶりに唇をゆっくり開いたと思ったら、ぱくっと匙にしゃぶりついた(※ご本人には、ただの丁寧な味わいである行為)。
――ぐおっ。摩擦を思い出す(R18部分)。やばい。これは危険だ。一瞬、男のど真ん中に、一気に力が流れ込んでしまった。
イーアンはとろんとした目つきで唇を滑らせて取り出した匙を、潤む鳶色の瞳でじっと見つめる。ドキドキしながら続きを見守る旦那(※未婚)&周囲。
匙に残った僅かな半熟の黄味に、名残惜しそうに舌を出して、舌先でペロンと舐めた。
――この場で押し倒していいですかっっっ!!!(←駄目)押し倒して××××××したいっ!!したい、したいっ、させてくれっ(変態)
黄味が一度で取れなかったか、その後もペロペロしてる。匙を返して裏面も丁寧にペロペロする。さも美味しそうに『うぅ~ん』食べ終わるのが惜しそうに呻く(ゆで卵でイケる人そんなにいないはず)姿に、旦那(※未婚)玉砕。
周囲が涎でも垂らしそうな顔で見ている中、耐えられないドルドレンはイーアンの手をそっと押さえて、興奮気味の荒い息を何とか抑制し、イーアンの瞳に語りかける。
『イーアン。怪我に障るから部屋で食べよう』いいね、と圧力大目に押し付ける。ビックリして素に戻ったイーアンは、『はい』と素直に答えた。
「盆だ。盆を2枚ここへ持って来い」
席から離れては危険、と判断し、総長は厨房に叫ぶ。企みを見抜かれた厨房暗躍部隊(←116話)が舌打ちする。
ロゼールが暗躍部隊の裏切りを買って出て、盆を2枚掏り抜くと、ささっと暖炉際まで走ってきた。
「どうぞ」
ははーっと差し出すロゼール。こいつは許そう、恐らくとばっちりだな・・・ドルドレンは『うむ』の一言で労い、盆を受け取り、そこにてんこ盛り料理を盛り付けて(ソース系多め)匙をきちんと添えてから、酒の瓶を脇に挟んでイーアンを促がした。
「おいで。部屋で休みながら食べなさい」
盆に盛られた料理の続きで、下半身が盛り上がりつつある姿を隠すように、ドルドレンはイーアンをさっさと歩かせて(少々前屈み気味に)彼女を労う姿勢で広間を出て行った。
二人を見送るロゼール。
――良かった、これで良かったんだ・・・・・ 良心に従った自分を誉めた。彼ら(暗躍部隊)に後から何を言われるか分からないけど。
遠征初日の夜。イーアンが傷だらけになったのを見て可哀相だった。死にはしないと思ったけれど、様子を見に行ったフォラヴが、泣きそうに沈んでテントから出てきたから様子を聞いた。
イーアンの状態が想像したくないほど酷いみたいで、どうしてここに騎士が70人もいて、女性のあの人が一人で傷つくのかと悲しくなった。俺たちが無傷であの人が傷つくなんておかしい、と思った。
総長も辛そうだったけど、総長だし、彼氏なんだから。もう少し守れるように動いても良いのでは、と思ってしまう。
クローハル隊長やブラスケッド隊長まで、『あんなになるなんて』と本当に心配そうだった。
ブラスケッド隊長のところにヘイズがいるから、遠征から帰ったら、ヘイズにご馳走を作ってもらえば、イーアンを元気付けられるかも、と考えた。
翌朝に起きないイーアンが馬車に移されたのを見て、正直な気持ち、本当に打ち所でも悪かったのかと怖くなった。
出発前にヘイズに相談に行き、イーアンのために慰労会の料理を好きそうなもので元気にしたい、と言うとヘイズは二つ返事で引き受けてくれた。
馬車で休んでる間に酷い腫れが引いただけでもホッとした。イオライセオダで、少しずつ昼も食べている様子や、買い物をしたり、揚げ菓子を食べたりしてるから、彼女は大丈夫かもと思った。
野営地でも多めに料理を作っておいて、元気そうなら食べさせようと思っていた(←飛び入りシャンガマックが食べた)。早く支部に帰って、早く慰労会のご馳走で元気になれば良いな、と思ったら、それだけでも早く帰りたくて仕方なかった。
それを。あの人達は――
「なんでお前は裏切ったんだ」 「見なかったのか、匙ペロを」 「今日はこれで夜がイケる予定(?)だったんだぞ」 「こんな機会は滅多になかった」 「ああ。朝一で仕込から頑張った料理が」
この人達・・・・・ ヘイズまで、何だかちょっと怒ってる気がする。トゥートリクスとフォラヴは。大丈夫そうだな、彼らは疾しくないから。シャンガマックも疾しくないはずなんだけど・・・・・
「ロゼール」
降り注ぐ威圧力。疾しい人達の生贄を選んだ自分に悔いはない。ここは男色&両刀がいないから、それだけでも助かった(お尻は無事)。後は、天からもらった身のこなしで逃げるだけ。
「神様のお計らいです」
一言告げて、ロゼールはひゅっと跳躍し、その場から身を翻すと、うんと離れた机の上に立って、幾らかの料理を盆に素早く集め、そそくさ自室へ逃げた。
お読み頂き有難うございます。




