19. 遠征同行決定
「一睡も出来なかったな・・・・・」
長い紺碧の夜から、徐々に空を白く染める夜明けの時間。もう少ししたら窓の向こうの山脈から日が昇る頃。
はー・・・と肺の中の空気を全部吐き出すように、ドルドレンは溜息をつく。
思ったとおりのしつこい野獣をせっせと撃退しながら(野獣も見張りも音は立てない)、僅かな仮眠の余地もなく無情にも夜は明けた。
普段にないおかしな緊張感に身を削られて、よいしょとドルドレンは立ち上がる。ちょっと早いけれど、イーアンを起こすか、と。
今日はほとんど日中一緒にいられないので、朝食までの時間でいろいろと説明をしないとならない。可哀相だが早起きしてもらおう、と扉をノックし周囲をさっと見渡して安全確認後、中へ入った。
きっちり扉を閉めて鍵を下ろしてから、「おはよう・・・・・」と小さく挨拶をする。
ベッドを見るとイーアンは、黒い螺旋の髪の毛を白いシーツに広げて、横向きに死んだように眠っていた。ちょっと心配になり、近づいてもう一度「おはよう」と囁く。
挨拶には無反応で、静かな寝息を立てて上下するお腹。 ――生きてるな、良かった。
何の警戒心もなく、ぐっすり眠るイーアンの横顔を覗き込み、ふと微笑が、ドルドレンの疲労した表情に浮かぶ。眠る顔にかかった髪の毛をそっとどかし、すぐ側にある柔らかな頬を人差し指の背で撫でる。 昨晩のことを思い出した。
『安心して過ごす権利があるんだ』
イーアンにかけた、その言葉の続き。言おうとして引っ込めた言葉。本当は勢いで言ってしまっても良かったのか、と考えた。
――『それに、イーアンは綺麗だよ』と。 『だから俺は心配しているんだ』と。
彼女は自虐的だからきっと信じないだろうな、と思った。自分が言っても同情だと思うかも。もしくは、会ったばかりの相手に何を言うんだ、と軽率に思われるかもしれない。いろんなことが頭に一斉に浮かんで、言うのをやめた。
小さく溜息をついて、ドルドレンはイーアンのベッドの端に腰を下ろした。
「・・・・・?」
その時、ベッドが沈んだからかイーアンの目がすうっと開いた。ボーっとしているようで、ゆっくりと視線を動かしドルドレンと目が合った途端、寝ぼけ眼を丸くした。
「おはよう」
ドルドレンが微笑む。 イーアンが目を瞬かせて、慌てて体を起こして「おはようございます」と髪をかき上げ、ふさふさと広がった黒い螺旋を撫で付ける。
「早く起こしてすまない。そのままで良いからちょっと聞いてくれるか」
「あ、いえ、起きますから」
掛けていた上掛けを勢いよく取り除いて、慌てながらベッドから降りようとしたイーアンを、今度はドルドレンが目を丸くして止めた。イーアンはチュニックしか着ていない。足が、ナマ足が・・・・・
急いで上掛けを引き寄せたドルドレンは、イーアンが気がつく前に彼女の足元に上掛けを被せた。
イーアンも気がついてまた焦り、すまなそうに俯く。顔が少し赤い。
「朝っぱらから驚かせて悪かった。話をしたらすぐに出るから、その後ゆっくり着替えてくれ」
ドルドレンも赤くなりながら、バツが悪そうに咳き込んだ。そうか、眠るんだから下は脱いでるよな。思い出すと不純な何かがワサワサ増えそうで、額を手で覆って溜息をつく。
「 ・・・・・あの。だな。 そう、今日は午前も午後も俺は仕事で側にいない、ということを伝えたかったんだ。
朝食は一緒にと考えているが、その後はすぐ会議だ。昼食は時間が曖昧で、多分一緒には過ごせないだろう。午後は明後日からの遠征の準備で、俺だけではなく支部全体が慌しいと思う」
「ドルドレン、すみません。遠征と言いましたか? 遠くへ行くのですか?」
息を呑んだイーアンが、話を遮った。
「ん・・・・・ そうだ。今回は『西の壁』付近までだから、早ければ5日で戻る予定だ」
「5日。 遠征というからには、ドルドレンはもしかして戦うのですか?」
「ああ、そうだ。これまでも遠征で戦闘ばかりだ。 ・・・・・魔物が出るまでは形だけの剣隊だったのに」
そう言うと、ドルドレンは苦笑して腰に帯びた剣の柄を撫でた。そしてふと気がつく。イーアンの言葉は、魔物を知らない者の反応か?と。
剣の柄からイーアンに視線を移すと、イーアンが不安げにドルドレンを見つめている。
「イーアン」
「はい」
「魔物、知っているか?」
言葉より先に、イーアンは頭を横に振る。魔物って何?というように、ますます不安そうな顔をした。
もう少し確認しよう、と質問を続ける。
「昨日森で静かにするように俺が言ったことを覚えてる?」
「覚えています」
「あの森は魔物が棲みついてるから、刺激しないためだったんだ」
「魔・・・ え、棲みついている?」
イーアンは恐れと驚きが混ざった様子で、言葉を反芻した。
イーアンの反応を見て確定した。 ――彼女は魔物を知らない。ということは。
ドルドレンは素早く昨日の内容を思い出す。
フットボードにかかったイーアンが最初に着ていた服の形、道中のイーアンが全く怯えていなかったことや、支部の武器や防具を珍しそうに見ていたこと。
――この世界の人間であれば、ハイザンジェルに2年前から魔物が出没するのは誰でも知っているはずだ。魔物が現れない国でも、ハイザンジェルの被害から逃げた民が話し続けて噂になっている。王都にだけは出ない、そのことを知らないにしても、ハイザンジェル自体には魔物がいることは知れ渡っている。自分たち騎士修道会が戦い続けていることも、だ。彼女は騎士修道会も何も知らなかった。
ドルドレンは一度目を閉じ、すぐにまた開けた。自分の反応を伺う鳶色の瞳に目を合わせる。
「イーアン。 昨日の今日で、俺は君のことをほとんど知らない。だが探ろうとも思っていない。」
唐突に話が変わったことにイーアンは困惑しているが、ドルドレンは先を続けた。
「イーアンが話してくれる時まで待とう、と思っている。
でも俺はそうでも、他の者は君のことを調べようとする行動に出てくるだろう。その時、俺が側にいるとは限らない。そして、イーアンがやむを得ず話すことが、この世界の誰かには良からぬ思想を抱かせるかもしれない。」
『世界』という言葉に、イーアンの表情が微妙にさっと変わった。ドルドレンはそれを見逃さなかった。
「そう、だから。 今後イーアンが独りで無事に自立するその時まで、いつでもどこでも、俺と一緒に行動するよう提案する」
ドルドレンの力強い静かな言葉に、イーアンの鼓動が早くなる。
窓の外はもう朝日が差して、燃えるような赤い色に山脈が染まっていた。ドルドレンの灰色の瞳は、朝焼けの光を映して宝石のように煌く。何かを言おうとしては口をつぐむイーアン。
ドルドレンは何も答えないイーアンの鳶色の瞳から目を離さず、彼女の手に自分の手を重ねた。
「俺が守る。大丈夫だ」
「朝食が済んだら会議だ。昼食後は遠征の打ち合わせと準備。夕食が終わったら俺の部屋で休む。明後日からはウィアドに乗って遠征だ。それでいいか?」
イーアンの目が細められ、朝日を受けた目元が薄っすら光った。溢れる寸前の涙を目に浮かべたイーアンは、微笑んで頷いた。「ありがとう・・・」消え入るような声が震える唇からこぼれる。
ドルドレンも微笑み、イーアンの涙をそっと指で拭う。
「頑張ります」
イーアンは濡れた睫を伏せて、自分の手に重ねられたままの大きな手の指を握った。
書いている最中、Your Guardian Angel の曲が流れていて、まさに今回の内容のBGMにぴったり・・・と一人で感動していました。
いつもお読み頂きありがとうございます。




