1. 騎士修道会総長の苦悩
真っ赤な空が桃色の雲で埋め尽くされるように飾られている。窓際に立つには少し肌寒いくらいの夕方。しばらく黙って空を見ていたが、ふいに吹き込んだ冷たい風に意識が戻り、溜息をついた。
外を見つめていた亜麻色の髪の男は、窓の引き手をそっと押して天井近くまで伸びる大きな窓をとじる。窓が閉まると、その音だけが静かな室内に響いた。
「もう・・・・・ 時間の問題だと思います。」
橙色の光が差す場所以外がぼんやりと黒く染まり始めた大きな室内に、感情を殺しきれない震える呟きが吸い込まれる。繊細な螺鈿が隙間なくはめ込まれた、豪華な天板のテーブルに両肘をついて顔の前で手を組む男は続けて言う。
「死者が多すぎるんだ。それに」
「それに、早すぎる。」
窓に背を向けた亜麻色の髪の男は振り向いて、今にも叫びだしかねない男の言葉を攫った。そして返事の戻らない会話相手、目の前にいる頭を抱えた男に視点を合わせる。黒い髪の毛に白髪がどさっと混じって年齢よりも老けて見え、目鼻立ちの通った品の良い面は、眉間に皺を寄せ続ける日々のせいで病魔にでも憑かれたかのような険しい表情だ。目を合わせれば大抵の者が動きを止めるほどに美しい淡い灰色の瞳は、生気を失った疲労で曇り充血している。彼の顔の前に組まれた両手の指は骨ばり、力のこもった指先が白く見えるくらいに震えていた。
「ここまで勢いづくとは誰も予想できなかった。私たちだけではない。そして・・・・・ お前が自分に責を背負うことでもない。」
亜麻色の髪の男は言いにくそうに言葉を選んだ。それを聞く黒髪の男は感情を必死に抑え、息継ぎさえ苦しそうに溜息を繰り返し、両目をきつく瞑る。
黒髪の男、ドルドレン・ダヴァートは、ハイザンジェル王国の騎士修道会に所属する総長だ。30代半ばで総長に任命された理由は、優秀な功績を称え、と表立っては知られているが、実際は、前総長と国防局推薦副総長が半年前に出向いた『西の壁』から戻らなかったためだった。
賢く、強く、忠誠も篤く、人一倍正義感の強いドルドレンはそれまで隊長だったが、『西の壁』の偵察から戻らなかった指揮官の代行として、急遽一定期間のみの総長役に任命された。
総長となった半年間、来る日も来る日も作戦を練り、わずかな情報でも回収し、注意を張り詰めて指示を出し、ひたすら戦い、状況を有利にするため、必死に駆け抜けた。
しかし犠牲者の数は日を追うにつれ増え、そのことはドルドレンの心を蝕んだ。終わることのない精神的な打撃に苛まれる彼は、いつの間にか、どうにか意識を保つことに全力を傾ける毎日を過ごしていた。
亜麻色の髪の男は、同胞の命を抱えて孤立無援の戦いを続けるこの男を、微塵も助けることの出来ない自分に苛立った。ドルドレンは震えているが、怯えているのではない。突き抜ける、彷徨う怒りに精神が限界なのだ。ドルドレンが戦い、倒し続ける相手は、絵物語以外でこの世界に存在したことのなかった数多の魔物の群れである。
魔物は何によって退治できるか決定打のないままの相手で、ある時から突然に湧いて出てきて、倒しても倒しても減る様子もなく、その数は増える一方。
倒すことは出来ても、魔物によっては倒した後に息を吹き返すこともあり、日夜関係なく人を襲うため、前線で戦う者たちは気の休まる暇がない。魔物の勢力が増したこの半年、騎士の戦死理由は、魔物に負けて命を落とすほかにも、過労死も少なくなかった。
魔物が現れ始めた当初、一部地域の問題として取り扱われたこともドルドレンの悩みだった。
魔物対策は出現率の高い限られた地域での優先事項として進められただけ。地方で対策に前線で当たっていたドルドレンは事態が非常に危険であることを王城に伝えていたが、その意見は常に「次回」へ回されてきた。
そして必死の攻防も空しく、ついに国の中心部付近にも魔物が出現し始めたことで王都がざわめき、ようやく自分たちの身の危険に対策が緊急に必要、と議会が立ち上がったのはごく最近のことだった。
最初の魔物出現から地方の魔物対策に取り組んでいたのは、王都外に支部を持つ騎士修道会だけだった。騎士修道会はハイザンジェル王国の第二の権力を持つ教会に専属しているが、本部こそ城内にあるものの、基本は王都外の地域に支部が点々とあり、連携をとって国内全域の安全をカバーする。そうした業務形態もあって、騎士修道会に任せて当然といった流れだった。
王都直属騎士団もあるが、これはあくまで王都内が管轄であり、それ以外の地域は偵察や派遣任務で動くのみ。一般職とは異なり、生涯保証が手厚く、退職金も長く受け取れて、勤務期間の手当も桁違いのため、貴族で爵位を継がない立場の子供も騎士として入隊する例は少なくはない。したがって安全第一が優先され、危険な任務は王都外の適役 ―騎士修道会― に自然と回される。
こうした経緯があり、『西の壁』で惨事の火蓋が切って落とされてから、ずっと戦い続けていたドルドレンは今になって王都直属騎士団にも「念のために」と前置きを付けられ、魔物の情報を議会で発表するよう呼び出された。
亜麻色の髪の男、セダンカ・ホーズは、ドルドレンの幾度となく送ってきた手紙を重く受け止めた一人で、国防局の防衛大臣補佐官である。セダンカは、この1年で勢いを増していく魔物個体数について王国の未来を懸念し、議会が行なわれるたび魔物対策問題への早期取り組みを支持していた。
しかしセダンカの声もまた、「次回以降で」と閉ざされるばかりで、どれほど粘ってみても成果は実らないままだった。
ドルドレンの白髪の混じった黒い髪が、茜色の光に撫でられる。光を受けると銀色に輝く淡い灰色の瞳が、映り込んだ夕焼けの色に炎の如く赤く燃えて見える。今日の議会は王国用の魔物対策を話し合う場だったが、その目的は身勝手で国民の打撃を無視するような方向性であった。茶番のような議会の後、セダンカは震えるドルドレンを別室に入れ、セダンカ自身が指揮する緊急事態案を秘かに伝えた。
ドルドレンは静かだったが、「もう時間の問題です」を繰り返し呟きながら目を合わせることはなかった。話は堂々巡りで終わらないと判断し、セダンカは小さく息を吐いてドルドレンに言った。
「引き止めてすまなかった、ドルドレンよ。今日は王都内に宿を手配したからそこで休むと良い。城門の受付に宿案内を任せてある。明日の夜明けに立つのであれば、そのとき見送りに行こう」
セダンカが言い終わらないうちに、黒い髪を揺らした男は立ち上がって扉を開けた。そして振り返ることなく「御礼申し上げます」と一言告げると、音もなく廊下へ出て行った。
セダンカは戦いに疲れた男の背を見送るしか出来なかった。
誤字脱字などお気づきの際には、お手数をお掛けして申し訳ありませんが、どうぞ教え下さいますと大変助かります。お読み頂いてありがとうございます。