193. 皆の守り神
龍から降りようとして、イーアンはずり落ちそうになった。龍が体を傾けてずり落ちを防止してくれたので、どうにか落ちなかった。
体が痛すぎる。それを言わなくても龍が気がついた様子で、馬に乗った騎士たちの元へ龍は歩いた。
大きな巨体を静かに進める異形の聖獣に、暗い中で面と向かった騎士たちは、圧倒されて動けなかった。馬は多少、不安げに嘶きを漏らした。
イーアンが背中でグッタリしてる(雹に当たり過ぎ)。先頭にいたドルドレンがそれを見つけて、急いで龍に駆け寄った。『イーアン!!』ウィアドを龍の横につけ、龍に飛び乗るドルドレン。
顔からも手からも、ズボン越しにも血が滲んでいると分かる黒ずみ。イーアン力尽き(年だから意識が飛んでる)。
ドルドレンは肝が潰れるくらいに驚愕して、とにかくそっと抱き上げる。急いで降りてウィアドの背に乗り、龍に『ご苦労だった。イーアンを有難う』と告げると、龍はゆっくり空に帰って行った。
イーアンがグッタリしているので、他の騎士がワッと周りに集まり、夜の僅かな明かりの中で確認した、その痛めつけられ方(←雹)に青くなった。
テントがどのくらい打撃を受けているのか分からないにしても、とりあえず戻ることにして、一行は野営地へ戻った。イーアンは馬車へ移されて、ウィアドを預けたドルドレンは側についた。
「こんなことになるなんて」
銀色の瞳を僅かに涙ぐませるドルドレンは気が気ではなかった。息を少し深く吸い込んだイーアンの目がうっすら開く。『イーアン。イーアン聞こえるか』頬に手を当てて、ドルドレンが囁く。
自分を見つめる銀色に光る優しい瞳に、イーアンは微笑む。微笑んだ瞬間『いてっ』とやや下品な言葉で顔を歪めた。唇の端に血が一筋浮いた。横を向いて、ペッと血を吐き出すイーアンを凝視しつつも、とりあえず意識が戻っていると安心したドルドレン。顔に流れた血を指の背でそっと拭ってやる。
「ごめんなさい。心配かけて」
ドルドレンは小さな声で呟くイーアンの手を取って『君がこんなことに』とぎゅっと握る。イーアンが手を引っ込めて『いてっ』(×2)苦痛に顔を歪める。慌ててドルドレンは謝り、そっとそっと手を撫でた。
イーアンとしても、出来ればちゃんと話したいが、もともと育ちも良くないので、痛いとか辛いとかの限界まで来ると、若干素地が出る。今回はもう限界を超えた。会話は普通に、と思いつつも、咄嗟の反応がついていかないのはお許し下さい・・・と祈った。
はらはらしながらドルドレンはイーアンを見守り、励まし、お礼を言い、イーアンは馬車が揺れると『いてえっ』とこれまで聞いたことのない、男らしい痛がり方をしていた。
どうにかこうにか。馬車は野営地に着き、テントの状態を確認する。
ランタンなどはテントが燃える原因になりかねないので、一斉に消していく。だから火災などはない。
テントは、雹がいくらか損傷を与えたらしいが、ボロボロというほどではなく、幾つか穴や切れ目が出来たテントもある・・・くらいで済んだ。中が濡れてしまったテントの騎士は、今晩は馬車の中で眠ることになった。空き馬車が2台あるので、寝所には困らなかった。
雨量は多かったが、これまでが乾いた日々だったのもあり、水が地面に吸い込まれる速度が速い。足元は不愉快なほどではなかった。氷の塊はまだ転がっていた。ただそれも大して大きくはない。
イーアンとドルドレンのテントは、損傷の後は見られなかった。そのため、中も濡れていなかった。
抱き上げたイーアンを馬車から下ろし、ゆっくりとテントへ運ぶと、ドルドレンは彼女を毛皮に下ろしてからランタンをつけた。火を消して下に置いてあったランタンは、すぐに明かりを広げた。
「なんてことだ」
イーアンを明るい場所で見て、ドルドレンはその大きな手で口を覆った。
痣が広がり始めた顔。唇や額、手指に血の跡があり、ズボンの膝から腿や脛まで血が滲みている。指や手の甲が腫れ始めていて、唇も少し歪に膨らんでいた。目元は守ったのか、目や瞼は無事そうだった。
「君は。こんなになるまで・・・・・ 」
ドルドレンは泣きたくなった。涙が出そうだった。でもイーアンはもっと辛い(痛い)。これだけ酷い状態になっていたら、イーアンが『いて』と言うのも分かる(昔荒れてた人)。
イーアンはそっと手を伸ばす。ドルドレンの泣きそうな顔に触れ『しばらく不細工ですが』と笑った。笑いながら血が口から出て、チュニックに向かって血を吐き出した。毛皮の上ではさすがに吐けず。
『何か洗面器でも。持ってくる。待っていて』ドルドレンは血を吐くための洗面器と、水と布を馬車に取りに行った。
テントで待っていると、帰って来るには早い時間で入り口が開いた。起き上がれない(痛くて起き上がりたくない)イーアンはその人が誰か分からなかった。
「イーアン。何て姿ですか」
白金の髪をふわりと垂らして、悲しそうな表情の妖精のような騎士が膝を着いて屈みこむ。横にザッカリアとギアッチがいて、彼らも跪いて『何があったの?どうして』と苦しそうに顔をゆがめて訊ねた。
ザッカリアは、さっきまで無傷で笑顔だったイーアンが、変わり果てた姿(言い過ぎ)で横たわっていることで涙を浮かべて『イーアン、大丈夫』と一生懸命話しかけた。
フォラヴは痛々しさがたまらないらしく、目を閉じてからもう一度目を開き、大きく溜息をついた。痛がらせないように額に掛かる黒い髪をゆっくりずらし、血の滲む擦り傷に涙ぐむ。『可哀相に』空色の瞳が涙でキラキラしている。
喋って説明したいけれど、話すと血を吐かないといけなくなるので、血を飲み込みながら黙って彼らを見つめるイーアン。ひたすら微笑むのみ(口開けると切れる)。
「大丈夫?」
ハスキーな声がして、ゆっくり遠慮がちにハルテッドが入ってきた。クローハルも一緒。クローハルは一目見て『なんてこった』と額に手を当てた。ハルテッドの目が見開いて、慌ててイーアンに駆け寄る。
「何した?何で?誰?誰がこんな酷いこと」
ハルテッドはフォラヴを押し退けて、イーアンの顔の傷に目を走らせる。体・・・手やズボンの血を見てハルテッドに怒りの色が浮かぶ。
「許さん」
違います・・・・・ 誰も。これは氷で。イーアンはそれを言いたい。でも言うと血が。どうしよう~
どうにかイーアンは苦痛に顔を引き攣らせつつ。ハルテッドに手を伸ばす。震えながら伸ばされる手をそっと取るハルテッド。オレンジ色の瞳に怒りと悲しみが混ざって注がれている。
ゆっくり。ハルテッドの手を自分に寄せて、顔を近くまで下げてもらう。
「 ・・・・・ハイル。誰も。私、勝手に」
そこまで言うと映画のように言葉が切れ(正確には口が切れた)血をブッと吹き出した(溜まってた)。
「イーアン。喋んないで。野郎、殺してやる」
「あなた。子供の前で憎しみはいけませんよ。分かるけど」
ハルテッドの燃え上がる怒りに、ギアッチが教育。女装していないハルテッドの怖さにザッカリアが震える。クローハルの顔にも苛立ちが浮かび『俺のイーアンに』と見当違いな怒りをここぞとばかり露にする。
そうじゃない。そうじゃなかった。ドルドレン早く戻ってきて~
「おい。何だそのザマ。いくらなんでも」 「イーアン。何した」
どうしてブラスケッドが。どうして大型のポドリックが。ダビもいる(ここでちょっと安心)。
「あっこれ。口とか痛いんじゃないですか。イーアン」
そうそう、それよそれ。さすが私の相棒!ささやかに頷くイーアン。これぞ無駄のない会話。
「ですよね。口も痛けりゃ。うわ。手も腫れてる。こっちも。足もか。ああなるほどね。雹ね」
一呼吸置いて、ダビはいつも通りにイーアンの目を見る。イーアンは否定しないのでダビは頷く。
「同じ傷。同じような大きさと衝撃。あの魔物じゃないです。この寸法と皮膚の損傷は、彼女が雹を受け続けた30分以上の時間の結果です」
あんた最高だよ、本当にあんたはマブダチっ(※古風な表現)。それそれ。皆さんにどうぞ広めてーっ
「あーそうか。ええっと。って、良いんですよね?私が説明するの」
ダビがイーアンの目を見る。イーアンが瞬きを一度だけすると、ダビは『だよね』と普通に流す。あんたは最高ダーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
「思うにですけど、イーアンは誰にも攻撃されていません。だからハルテッドは怒らないで良いです。
彼女は多分、この性格ですからやらなくていいことやったんでしょう。ですよね」
それはイタイ。でもそうです。きっと判断間違えた。イーアンが目を閉じると、ダビは頷いて続ける。
「本人認めてますから、間違えて怪我してます(あいたた)。きっと龍の背中でいつも通り乗っかって、龍一人で行かせられないとか思ったんでしょう。それで魔物の群れを大破する気で雹と土砂降りの雨の中を突っ込んでったんじゃないかな。
龍と皮膚の厚さが違うのは本人絶対分かってますから、こういう無謀な状態を引き起こしたのは、単に責任感です。イーアンらしいと言えば、イーアンらしいです。
でも待ってれば良いのにね。どうせ龍が戦うんだから。イーアン、こんなに怪我することなかったはずです」
いやん。それ言わないで。自覚はあるの~ ダビの解説に心を抉られて、図星な痛みに悲しそうに眉を寄せるイーアン。あんたは最高だけど辛口。そこが良い所だけど。ダビ痛め。
「本人が私の説明で納得していますので、これで当たりですよ。皆さん泣かないで良いです。怒る必要もありません。彼女は自分の責任感という形を実行して怪我してるだけなんで」
異様に突き刺さる辛口な説明に、少し涙がにじみそう。でもそうです。それが真実、有難うダビ。
「ってことです。私は彼女のこうした無駄に責任感のある部分。無駄過ぎて好きですね」
ちょびっとだけ笑った口元で、人間に関心のないダビが似合わない言葉を言う。全員ビックリで止まる。『さて。イーアン。明日はイオライセオダですよ。楽しみですね』そう笑いかけると、イーアンの肩にぽんと手を置いて『見た目なんてどうでもいいですよ』と微笑んで。一言残すと、テントを出て行った。
狭いテントの中で多すぎる人数がぽかんとしている間に、ドルドレンが帰ってきて不審な顔をする。
「何だ、お前たちは。なぜイーアンを」
そこまで言うと、黙る。水の入った洗面器と布をイーアンの枕元に置いて、溜息をつく。
『心配なのは分かる。だが彼女は龍と共に魔物に突っ込んだ。雹の降る中を。優しさから、龍だけに任せられなかったんだ』と水に浸けた布を絞りながら言った。
総長がダビと同じことを言うのを聞いて、そこにいた者たちは感慨深げに立ち上がり、『明日、また』『休んで』と言いながら出て行った。
ドルドレンはイーアンをそっと拭きながら、微笑む。『早く良くおなり』同情をこめた眼差しで丁寧に血を取ってくれた。
イーアンは彼が一番自分を知っていることに(ダビ二番手)感謝して、ほんの少し微笑んだ。
「君は。イーアン、何度も使う言葉ですまないが。俺の守り神だ。
・・・・・いや、皆の守り神だな。ありがとう。本当に有難う」
銀色の瞳に少しだけ涙を浮かべて、痛くなさそうな頬にドルドレンはそっとキスした。イーアンはただただ、嬉しかった。
お読み頂き有難うございます。
実際に雹と雨が混在する現象はない場合のが多いのですが、今回の場合は龍が掻き乱した空の高さの温度や湿度による状況でした。龍は私たちの世界に生物として登場していませんが、ドルドレンたちの世界で生物として登場しているので、今回の行為はちょっと表現が変ですけど『作為的』です。
でも。科学や気象を学ばれた方がこれを読んだら『うーん、こりゃないな』と思うかもです。そこはどうぞ、何だか違う世界だからありなのかね、と温かく遠くから流してやって下さい。この先もこの手の話が登場します。そのように見つめて頂けましたら、大変有難い限りです。




