18. 長い一日の終わり
夕食後はドルドレンがイーアンを浴室に連れて行った。
相変わらず叱られても脅されても懲りずについてくる輩がいる。取り巻きがうるさくてドルドレンの無表情に険しさが浮かぶ。 ――アホは嫌だ。戦場では優秀な仲間だが、人としては未熟だとしみじみ理解した。
本心は、イーアンを部屋から出したくなかったが、ドルドレンとしては『保護者は、被保護者を初日に安心させる義務がある』と考えており、これまでの被保護者と同様、イーアンにも風呂を案内することにした。
イーアンには部屋を出る前に『俺以外と決して口を利いてはいけない』と約束させているので、彼女は俯きがちに黙秘?を実行している。廊下を歩く時は自分がイーアンの肩に手を置いて、はぐれないようにしていないと野獣に連れ去られてしまうのではないか、と気が気でならなかった。
とはいえ、それが理由でつい早足で歩いてしまったから、イーアンに小走り気味にさせてしまって申し訳なかった。 毎日これでは俺もイーアンも心臓に良くない。浴室をイーアンの部屋の側に作る必要があるだろう・・・・・
浴室に着き、取り巻きを一喝して追い払った後、イーアンと共に脱衣所に入ったドルドレンは丁重に鍵をかけて脱衣所と、続く浴室を密閉した。
「すまないが、俺はここにいる。扉の番をするためだ。決して見ることはないから安心して入ってくれ」
扉前に引き寄せた椅子に腰掛け、大真面目な顔で手短に伝えてみたが、やはりイーアンは戸惑っているらしい。
しかし俺が扉の外にいては、もしも浴室の壁に穴を開けるような奴がいたら気がつけないし守れないのだ。 ――そんな奴は騎士剥奪だ。が、その前にイーアンの風呂の安全を守らないといけない。
イーアンは少しの間、悩んでいる様子だったが、何とか自己納得したのか「わかりました」と了承した。泉で全身濡れたのだから、やはり寝る前に風呂には入りたいだろうと思う。
「うん、では。あの、お風呂入らせてもらいますね」
「ゆっくりしてくれ。イーアンが良しというまで俺は目を閉じている」
ドルドレンは瞼を下ろして、下を向いた。椅子にどかっと座り、腕を組み、長い足を組んで目を瞑る男の前で、急いで服を脱ぎ浴室へ駆け込むイーアン。脱衣所の籠に衣服を粗方たたんでほうりこみ、浴室の扉を閉めた・・・・・
浴室から水の音が聞こえる中。
背後の扉からも、『見たい』『ずるい』と無礼な囁きが嫌でも耳に入ってくる。 騎士とは一体、何だったか。こいつらは全員思春期か。 眉間の皺が深くなるドルドレンの今後の予定に、被保護者に安全な浴室改築計画が加わる。
ふと、水の音が静まったと思うと、奥から儚い音楽が聞こえてきた。 ・・・・・? ハッと気がつく。イーアンが歌っているのだ。
耳を澄ませてよく聴くと、話している時の声とは違う少し高い音で、穏やかな音色を出していることが分かった。
歌は甘く優しい。子守唄のようだ。 ドルドレンはこの歌声が自分だけに聴こえている優越感に浸った。
それから少しして、イーアンが風呂を出たらしい音がした。体を拭いている音、扉を少し開けた音(多分、見られていないか確認している)、籠を引き寄せる音。脱衣所に ・・・・・入り込む湯気と石鹸の香り。
いつも自分たちだって使っている石鹸なのに、なぜか気になって仕方ない。
ドルドレンが必死に心頭滅却していると、衣服を手早く身に付ける音がして、ようやく「ありがとうございました。もう良いですよ」と聞こえた。
目を開けると、蝋燭の明かりに照らされた風呂上りのイーアン。風呂に入ったんだから当たり前だが。さっぱりした様子で、嬉しそうに微笑んでいた。やはり風呂に入れて良かった、とドルドレンも頷いた。
イーアンは体を拭いた布を抱え、鍵を開けたドルドレンと一緒に脱衣所を出た。
西の11に戻った二人は、しっかりと扉に鍵をかけてから、目を見合わせて笑った。
イーアンが腕に持っていた布は、廊下に屯した人たちに奪われそうになり、それをドルドレンが叱り飛ばして、それを繰り返して部屋に着いた。
「ご苦労様」
ドルドレンが笑いながら労う。イーアンも吹き出して「ドルドレンがお疲れ様です」と答えながら、体を拭いた布をフックにかける。
一息ついたドルドレンは黒い髪をかき上げ、机にあった酒の瓶を取り、瓶からそのまま少し飲んだ。そしてベッドに視線を動かし、しばらく黙って考えている様子だった。
「どうするかな」
何のこと?とイーアンが首を傾げた。
「うん、見張りのことだ。 今日は疲れただろう、イーアンはもう眠ると良い」
「ドルドレンは本当に私の部屋を見張る気ですか?」
「思っているよりも野獣が多かったからな。本音を言えば、ここまでひどいとやはり俺の部屋で」
「いえいえ。大丈夫です、この部屋で充分有難いです」
「とは言ってもだ、イーアン。俺が扉の外で見張りをしても、窓から侵入されては手が出せないぞ」
「まどからしんにゅうですか」
目を丸くしたイーアンは驚きが棒読みになって出てきている。さすがに夜這いは考えていなかったらしい。
そうか・・・と困ったように呟くイーアンをドルドレンは見つめる。
イーアン自身は中年とか、女性らしくないとか、顔がどうとか。そうしたことで、寂しいかな『自分は男性からは気にされない安全枠』と決め込んでいるところがあるが、それはイーアンが決めることではないのだ。
現に、あの無礼者たちの好き放題いう言葉を思い出せば、中にはイーアンの見た目を気に入った奴も少なくない。殺してやる。いや、私情に走ってしまった。殺すのは駄目だ、埋めよう。
そう、だから夜這いの可能性は滅法上がってしまった。不快だが、右肩上がりだな。危険極まりない事態であると言える。
「そうですよね。私は一応、体の作りは女の人ですから、それだけでも良い人っていますよね」
「なんてこと言うんだ」
ボソッと寂しげに漏らした言葉はあまりにも自虐的で、また痛烈で、ドルドレンは慌てて大きな声を出した。
『でも』と悲しそうな顔で考え込むイーアンの前に立ち、自分を見上げる彼女の肩に手を置き、鳶色の瞳をしっかり見据えて伝えた。
「イーアン。今日はいろんなことがあった。長い一日だった。イーアンはゆっくり休む必要があるんだよ。それに俺の保護下に来たからには、安心して過ごす権利があるんだ」
鳶色の瞳にかかる黒い螺旋を描く髪の毛を、ドルドレンは指でそっと耳にかけてやった。ふと、言おうとしたことを一旦飲み込み、頭を掻いて言葉を探す。
「 ・・・・・今日のところは、俺が扉の外で見張る。鍵はかけないでくれ。椅子を一つ借りるよ」
大きく息を吸って一気に吐き出したと思うと、ドルドレンはニコッと笑って椅子を引っ張った。イーアンが何かを言う前に「おやすみ」と声をかけて、そのまま廊下へ椅子と一緒に出て行った。
イーアンはしばし、閉じた扉の前に立ち尽くしたが、小さな声で「おやすみなさい」と扉に向けて挨拶し、諦めたように蝋燭を消してベッドにそっと入った。
長い一日の ――非現実的・非日常の長い時間から一時退出・・・・・
疲れた意識を枕に乗せると、あっという間にイーアンは眠りに引きずり込まれていった。
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