183. 子育てその3~お母さんだから
工房に駆けつけた(文字通り)隊長たちは、扉が開いていて誰もいない工房に戸惑った。
「早くイーアンを止めろ」
ドルドレンが叫ぶ。『言われなくたって』『イーアン』『何する気だ』と口々に焦りをこぼしながら、窓の外や、来た廊下を戻る面々。
「裏だ、裏庭にいる」
コーニスが廊下にある少ない窓から、何かを見つけて教える。『火が』続いた言葉に全員が固まる。大急ぎで裏庭口へ走り、裏庭口から外へ出て立ち止まった。
裏庭の土ばかりの場所にはイーアンが立っていて、イーアンの前に炎が轟々と上がっていた。中から人の叫び声がするが、それがハドロウの声であることは誰もが理解した。
「あれなに」
ハイルが仰天しながら炎を見つめる。同じ言葉をそこにいた全員が思う。
後ろからギアッチが来て、ザッカリアが走り出そうとするのを止めた。『イーアンです。ザッカリア。あなたのお母さんは、あなたのために動いたんです。見なさい』と一目見て何かを理解した様子で炎に体を向けた。
ブラスケッドはその炎に見覚えがあり、ゆっくりと火の輪に近づいていく。ドルドレンもブラスケッドの後ろに続いた。クローハルは眉根を寄せたまま、裏庭口に立ち尽くす。
「お前は魔女か。俺にこんなことしてただで、あちっ!この女、火を消せ!殺す気か」
ハドロウが喚き続ける炎の輪の中。イーアンは腕を組んで見つめ続ける。
「出せと言ってるんだ、熱いっ、あちあちっ!焼け死んじまう!訴えてやる、人攫いの上に人殺しまで」
イーアンが無表情に男を見ていた。そして普通の音量で声をかけた。
「熱いなら動かなきゃ良いじゃない。・・・・・よく喚くわね。そんなに叫んだら、酸素足りなくなって死んじゃわないかしら」
声が聞こえるギアッチは『ああ、ホント』と納得する。そうだねぇと呟いて頷いている。クローハルは目一杯、横の教師を凝視する。ザッカリアが『あの人、サンソで死ぬの』とギアッチに不安そうに聞いていた。
ドルドレンは立ち止まる。充分、イーアンの声が聞こえる距離。あまり近づくと心臓に悪い気がした。
ブラスケッドはイーアンのすぐ近くまで寄って、炎の輪を見ている。
「この野郎、早く出せ!」
ゲホゲホ咳き込みながら、熱いと叫ぶハドロウ。
イーアンは汚いものを嫌そうに見る目つきで『煩い』と吐き捨てる。
「人攫いって、あなたでしょう。ザッカリアとあなたはまるで違う人種だわ。隔世遺伝でも出てこないくらい違うのに、あなた本当にバカでしょう。信じてもらえると思い込んでるなんて。調べるから覚悟なさい。
それにねぇ・・・・・ あなたは私を魔女とか人殺しとか言うけれど。
魔法じゃないでしょ、見たら分かりそうなものなのに。火がついたの、燃えやすいものがあったから。
そこに勝手にあなたがいただけ。勝手に入って、勝手に炎に巻かれて、バカ丸出しで『訴える』と叫んでいるの。炎が酸素をそれだけ使う中で、咳き込みながら。本当にバカな男だこと。
訴えても良いけれど、訴えるのお金掛かるのよ。知らないでしょ。負けるんだから余計に負担になるだけ。貧乏なんでしょ、あなた」
イーアンの真後ろに立つブラスケッドが身動きしない。
ドルドレンも小刻みに震えながら身動きが取れない。
無論、聞こえている全員が、イーアンの言葉に金縛りに合っている。窓から見ている騎士たちも、窓を開けて声を聞きながら固まる。
「バカ女。早く・・・・・ 死ぬ・・・・・ 殺す気か。出せ」
炎の輪の中で膝を着いて、咳き込む頻度が増えるハドロウは、悪態をつきながら、熱さと恐れで声が小さくなる。
イーアンは黒い螺旋の髪の毛をかき上げて、見下しながら舌打ちした。
「バカはあなた。本当になんて愚かなの。あなたなんて殺して、私に何の得があるの。勝手に死のうとしてるんでしょう。
皆さんに謝んなさいな。もう二度とここへ来ないって書面に書いて、どこへでもお帰り。
交渉する知恵さえないなんて。そんな空っぽの頭でよく生きてこれたこと・・・・・
それで、あなたね。二度とあの子に近づくんじゃないよ。騎士修道会にもよ。私はここの騎士じゃないから、彼らに八つ当たりしたら罰せられるわ。それら全て書くの。約束するの。バカに分かるかしら?」
ハドロウが火の輪の中でかすかに頷いたように見える。
「イーアン。そろそろ出さないと本当に」 「約束がまだです」
ブラスケッドがイーアンの肩に手を置こうとして、躊躇う。イーアンの顔が無表情で、その顔の奥で怒り心頭であることが伝わる。
「ここで死なないで。迷惑よ。どうするの、そんな下らない生き方でもまだ死にたくないなら、早く交渉なさい」
『出して・・・・・くれ。 書く・・・書くから』ハドロウの声が小さくなり、両腕を地面についた。
「人に物を頼む言い方じゃないわ」
イーアンは呆れたように首を振り、腰に下げていた革の鞭で、炎の輪を土から打ち始めた。
鞭で打たれた土は削れ、立ち上がる炎を押さえ始める。それと同じようにイーアンの怒りも少しずつ静まる。振るう鞭が土をえぐり、火の立ち上がる線を削るうちに、炎が小さくなっていった。
人が跨げるほどに小さくなり、輪に隙間が出来たとき、ブラスケッドが男を引っ張り出した。ハドロウは震えていて、息が荒く、服も熱くなっていた。
目を薄っすら開くハドロウを見下ろしたイーアン。『約束は守りなさい』冷たく吐き捨てて、裏庭口へ歩いた。
ドルドレンを見上げて『私は騎士ではありませんから、大丈夫でしょう』と微笑んだ。ドルドレンは細かく何度も頷いた。裏庭口に、隊長やハイルやギアッチ、ザッカリアが集まっていたので、イーアンはニコリと笑った。
「ご迷惑じゃないと思いますが。後であの人が字を書けるようになったら、自分の字で書面に、私が先ほど話したことを書かせて下さい。
そして出来れば、彼の身の上を調べて、彼の元で働かされている子供との親子関係を確認して下さい」
良いですか、とイーアンが訊ねた。誰ともなく、言葉もなく頷く。何度も頷く。
驚いているザッカリアに目を留め、イーアンは屈んで微笑んだ。
「もう大丈夫よ。二度と来ないって。あなたにも二度と近づかないの。ね、人生が良い方向へ動いたと思わない?」
「イーアン。自分の力で人生を変えるんだね」
そうよ、とイーアンは微笑んでザッカリアを抱き寄せる。『だからここで強くなるの。皆優しくてとても強い人達ばかりだから、皆の言葉を信じて頑張ってごらんなさい』そう言って頭を撫でた。
「ギアッチ。私はお母さんとしてはちょっと乱暴でしょうか」
ザッカリアと自分を見つめる茶色い瞳に、イーアンは笑いかけた。ギアッチは苦笑して首を振る。
「頼もしいですよ。素晴らしいお母さんだ」
レモン色の透き通った目で、ザッカリアはイーアンを見つめて『イーアンお母さん』と呼んだ。イーアンは頷いて『お母さんだもの。守らないとね』と微笑んだ。
ハルテッドもクローハルも、コーニスもパドリックも。恐怖を交えた眼差しで、微笑ましいお母さん(※イーアン)を複雑そうに見つめていた。




