180. お父さんの資格
夕食時。ドルドレンは工房へ来た。
扉をノックしようか。どうしたら良いのか。かなり参っている脳で悩んだ。
あの後、嫌々演習指導をしていたドルドレンは身が入らず、何度も部下に『ちゃんとやってほしい』と愚痴られた。ブラスケッドにも『いろいろあるんだろうが』と理解ある前置きをされて、本題の厳しい一言=仕事はやれ、と命じられた。
ダビが来て『イーアンが夕食を一緒にと言ってました』と告げ、それで生き返った。が。
その1時間後に演習でもないギアッチが来て、『イーアンに母親役を頼んだ』と聞いた時には腰が抜けるかと思った。怒りをすっ飛ばして愕然とする。ギアッチの言い方から、父親役は間違いなく自分ではないと知った。
それを引き受けられてしまったと知れば、ドルドレンは為す術もなかった。
「イーアンが。イーアンは、母親役?それで良いと言ったのか」
「そうです。彼女は自分も力に成りたいと打ち明けてましたよ。私は父親役は出来るけど、女性がイーアンしかいないから、母親的な存在をお願いしたらダメか、と相談したら引き受けてくれました」
「そんな。ばかな」
ギアッチは眉をひそめる。はーっ、と溜息をついたギアッチに『あなた、しっかりしなさいよ。子供一人に翻弄されて。イーアン大好きでも良いけど、総長たる者、そんな狭量じゃ嫌われる』がっつり叱られた。ついで、畳み掛けるようにお叱りは下る。
「イーアンの方がよほど肝が据わっていますよ。気の毒な子供に率先して力になりたいと、なったこともない母親役を買って出るんだから。
あなたは人間的にも実力的にも頼もしい総長ですけど、男たる度量がなさ過ぎる。優しいイーアンも苦労します。彼女を奥さんにしたいなら、甘えてばかりを止めて、ちょっとは頑張んなさい」
先生の言葉の破壊力が酷く、あまりにざっくり胸を傷を付けたので、ドルドレンは何も言えずに壁に凭れかかった。
ギアッチは言いたいだけ言うと、『じゃ、そういうことですからね。イーアンの補佐をしてあげて下さいよ』そう言ってすたすたと中へ戻って行った。
この流れで、ドルドレンは白髪が増えるかと思った。
しかしギアッチの説教に傷ついた自分がいるとなると、それは図星という意味だと解釈した。
――とはいえ。頭で分かっていても、朝に結婚決意をした相手が、夕方には他の男のかみさん状態を許諾したと知れば、息も絶え絶えになるというもの。
死ぬかと思った。昨日は王で、今日は部下。もう何なんだこの地獄の苦しみは。俺が何をした。俺は奥さん(※未婚)に布団を買ったり、連れ去りから守ったり、いろいろ良いことしてただけなのに。
扉の前でノックをしようとしたドルドレンは、その格好のまま固まっていた。突然扉が開き、イーアンが目の前に現れた。
「ドルドレン」
「イーアン・・・・・ 」
イーアンは少しすまなそうにして、『入って下さい』と促がした。ドルドレンも頷いて入った。工房に入ったドルドレンは、自分から言おうと決めた。
「ギアッチから聞いたよ」
じっと見つめるイーアン。ドルドレンは言い出しにくい気持ちで一杯だった。『ザッカリアの母親役なんだってね』そこまで言うと息が詰まりそうだった。もうイーアンの目も直視できなかった。
「ドルドレンがお父さん役だったら良かったのですが。ドルドレンが怒ったから嫌なんだと分かりました」
――え? 俺がお父さん。お父さん役・・・・・
イーアンの黒い螺旋の髪が、俯く顔にかかって表情が見えなくなる。小さな声でイーアンは続けた。
「今朝。ギアッチはあの子が親に捨てられたと知ってすぐ、『自分はこれから父親代わり』と言い切りました。先生だったからでしょうが、すごい器の広さに驚きました。
私も何か、あの子の役に立てたらなと。そう考えたら、自分は女性だから、必然的にお母さん的な立場だろう、と思いました。でもそこで、ドルドレンがお父さん役を買って出てくれたらと少し思いました。一緒にあの子の保護者みたいになってくれたらって。――だけど。ドルドレンは。」
そこでイーアンの打ち明ける気持ちは蓋が閉じた。続きを飲み込んだイーアンは『私が勝手にそう思ったから、だからお昼に怒ってしまって』と謝った。
口を手で覆って、ドルドレンは目を瞑った。
――俺は。 だからか。ギアッチがああ言ったのは。もし、俺が父親役になりたいと言ったら、きっとギアッチは受けてくれた。だが俺が一人で傷ついていたから、自分で気がつかない男にそんな大役を譲ろうとはしなかったんだ。この程度の度量の男に、父親役なんて出来ないから。
黙りこくるイーアンに腕を回し、ドルドレンはゆっくり深呼吸した。
「俺はまだ父親役には遠い男かもしれないけど。
イーアンの母親姿を手伝うことは出来る。そのうち、俺が父親役になれるまで、俺を側にいさせてくれ。出来るだけ早く、父親役を交代してもらえるようになるから」
そっとイーアンは体を離した。不安になりそうな気持ちを抑えてイーアンを見つめると、イーアンは微笑んで両手をドルドレンの頬に伸ばして、少しずつ引き寄せる。
引き寄せられるまま、イーアンに近づいてゆっくりキスをした。
「ドルドレン。優しいドルドレン。私の大事な旦那様です。力を貸して下さい」
当たり前だ・・・イーアンにもう一度キスをして抱き締める。細い背中をしっかり抱いて、ふわふわした髪の毛に顔を埋め『早くギアッチに認めさせないと』と呟いた。
イーアンが笑って『彼は本当に良い先生だったんでしょう。今回は私の父親代わりとして、あなたに喝を入れに行ったのでしょうね』ドルドレンが娘婿みたいな・・・・・灰色の瞳が苦笑いを含む。
「俺はしっかりしないと」
「充分しっかり者です。だけどちょっと甘えん坊ですね」
ドルドレンは苦笑してイーアンにキスしてから、夕食へ行こうと促がした。
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