179. ケンカと親子設定
ドルドレンは、イーアンがザッカリアと居るので、理由を尋ねた。イーアンは『彼がまだここを知らないので、自分を最初に見て信用してくれたようです』と答えた。
「ギアッチは?彼が一緒だった思うが」
後でギアッチのところに行くのよね、イーアンはザッカリアに笑う。ザッカリアはドルドレンを見れず、頷いた。
食事へ行こうとイーアンが促がし、ザッカリアの手を取って『お昼食べましょう』と微笑む。ドルドレンの胸中は非常に複雑だった。
食堂へ着くと、ギアッチが後ろから声をかけて『ザッカリア。探しましたよ』と笑顔で並んだ。ザッカリアはギアッチを見上げて『ごめんなさい』と謝ったが、ギアッチは首を振って『大丈夫』と微笑んだ。
ギアッチは彼の背中に手を置いて、一緒に食事をしようと言った。そして、午後は支部の中を案内します、と伝える。ザッカリアは彼に頷いて、イーアンを見てから『また会いに行って良い?』と訊いたので、イーアンはニッコリ笑って『待ってる』と答えた。
食事をしていると、ドルドレンの口数が少ないのでイーアンが理由を訊く。
「イーアンは皆に甘いのだ」
やきもちですか、とイーアンが呆れる。『だって・・・』俺が来る前に二人でいたから、とむくれるドルドレン。『子供ですよ』イーアンは困って笑った。
「ザッカリアは子供。まだ小さいのに、何でやきもちを」
ドルドレンは目を伏せて食べ続ける。しょうがないなーとイーアンは自分の匙に煮込みを取って『ドルドレン、あーん』と声をかける。食べない。ちらっと見るものの、食べない。
「あら。じゃ私が食べます」
そう言うと口を開けるので、イーアンは笑顔で食べさせた。『怒らないの』『でも』『子供なんですから』『だけど』『まだ小さいでしょう』ふーっ・・・ドルドレンが息を吐き出す。
「一緒にお風呂入ったらダメでしょうか」
その一言に目をむくドルドレンと、興奮する周囲が振り返る。
「あの子、お母さんにちゃんと接してもらえなかったんじゃないかと思うのです。きちんと洗ってあげないと」
「イーアン。あのね、言っていいことと悪いことがあるんだよ」
「怒らないで聞いて下さい。あんなに小さいのに辛い生活を強いられてきて、さらに一人ぼっちでここへ来たのです。親代わりにはなれませんが、私はあの子の世話を少しは出来る気がして。・・・・・それでドルドレンも一緒に」
「ダメ」 「どうして」 「絶対ダメ」 「だからなぜですか」 「嫌だから」 「お風呂一緒じゃなければ大丈夫?」 「ダメ」 「じゃ一緒に世話するだけ」 「イーアン。それ以上言ったらもう口利かない」
イーアンは黙った。ドルドレンはイーアンを見ないで、黙々と食べ続ける。
「ドルドレンのバカ。もういいです」
一言そう言うと、すくっと立ってイーアンは食器を下げに行った。ドルドレンはさすがに『バカ』と名指しで食らって傷ついたが、それよりイーアンが席を立って、怒ったことに激しく動揺した。
イーアン、と腕を伸ばすも、怒ってしまったイーアンは振り返らないで、さっさと廊下へ消えてしまった。
残された総長を見つめる騎士たちの視線が痛過ぎる。絶対に誰とも目を合わせないようにして、ドルドレンは慌てて後を追った。
「イーアン、イーアン。ちょっと待って」
イーアンは何も言わずに早足で工房へ向かい、さくっと工房の鍵を開けて、するっと入って鍵をかけてしまった。さくっと、するっとが、あまりに無駄のない動きで感心した。
いや違う、感心している場合ではない。何とか機嫌を直さねばならない。
「イーアン。扉を開けてくれ。話をしよう」 『さっき私と口を利かないと仰いました』
「いや、言い過ぎた。俺が悪かった。開けてくれ」 『いやです』
「頼む。話をしよう。ね。話そう」 『いや。口利かないなんて、心の狭いことを言う人なんて知りません』
うわーーーーーーーーーーーーっっっ どうしよう、どうしよう???どうしたら良いの。イーアン教えて。
ハッと気がつけば、廊下の離れた所で、野次馬がひそひそ言い合っている。一喝して追い払うが、すぐに戻ってくる。ぐぅっ、こいつらにかまけている場合ではないのだ。一大事だ。
廊下の向こうからフォラヴが歩いてきて、取り乱す総長に怪訝な顔をした。『どうしたのです』と訊かれ、イーアンが怒って・・・・・まで言うと、フォラヴはちょっと哀れみを湛えた瞳で総長を見た。
「イーアンは優しいし、世話焼きです。理由もなく、ザッカリアを遠ざけようとでもしましたか」
理由はある!声を大にして言いたかったが読まれていそうで黙った。お手伝いしましょう、とフォラヴは首を振りながら総長の前に立ち、扉をノックする。
「フォラヴです」
あっさり扉が開く。フォラヴが微笑んだ瞬間、イーアンの手がフォラヴの腕に伸びて、中へ引っ張り込んだ。全く抵抗する気のないフォラヴはさらりと中へ入り、再び扉は閉じられた。
呆然とするドルドレン。我に返って、扉を叩く。
「イーアン。開けてくれ。なんでフォラヴを入れたんだ」
『口を利かないんでしょ』
向こうからダビが来て、必死の形相のドルドレンに『何してるんですか』と抑揚のない声で訊ねる。そしてすぐ『あ、怒らせたんだ』と呟いた。心臓に突き刺さる一言にドルドレンが胸を押さえて、一歩後ろへ下がる。
ダビはちらとも見ずに、扉の前からどいた総長の前に立ち、『すみません、ダビです』と言うと、扉はなんなく開いてダビも中へ入った。すぐさま扉は閉じられ、『かちゃっ』小さな音を立てて鍵がかかる。
膝を着きそうな胸の痛みに顔を歪めるドルドレン。ふと思い出す。そうだ、窓。窓なら、絶対に中を見ることができる。
急いで裏庭口から走り出て工房前を見ると、男姿のハイルがまさに窓の前で笑って話している。
「退け、ハイル」
ドルドレンは怒鳴って走り出す。ハルテッドがドルドレンを振り向くと同時に、窓からイーアンがすっと顔を見せて、『ハルテッド。上がって下さい』と声をかけた。ハルテッドはニヤッと笑って、中へさっさと上がりこんだ。
ドルドレンが到着すると窓は閉められ、イーアンがこっちを見ていた。
「イーアン。開けてくれ。冷たくしないで」
イーアンはぷいっと顔を逸らし、中の3人に何かをお願いした。ハルテッドがニッコリ笑って、赤い毛皮を掴み、窓に寄った。『よう。また後でな』冷笑を向けたハルテッドは毛皮を窓にかけた。
愕然とするドルドレンは、打つ手を失う。
ブラスケッドが呼びに来て『探したぞ。演習だ』むんずとドルドレンの腕を掴んで裏庭へ引っ張って歩く。力なく連れて行かれるドルドレンの呼吸は荒く、血の気の引いた顔は深い苦悩を浮かべていたが、そんなことは誰も気にせず、演習は無情に始まった。
工房の中では、ダビがいるので、フォラヴもハルテッドも調子が狂っていた。
あまり見たことがない光景で、初めてその不思議な空間を味わうことになった。イーアンとダビは非常に卓越した、彼らにしか分からない言語を操る。フォラヴ&ハルテッドは、自分たちの居場所が見つからなくなった(※蚊帳の外)。
「イーアン。私はそろそろお暇しましょう。ではギアッチのペンを失礼」
フォラヴが微笑みながら、ペンを持って退出する。ハルテッドはもう少し粘りたかったが、話が続かないと理解し次の機会に賭け、『じゃあね』と笑って出て行った。
イーアンはダビにこれから取り掛かる鎧と剣の話をし、民間向けの道具を一緒に考案してもらえるよう相談した。
『仮定を立てましょう』とダビは言った。民間用の魔物製品に対しては、望む効果のある魔物の材料を入手したとして、こうした物は使い道がこう・・・といった具合に案を書いてみよう、と。イーアンもそれは良いと賛成した。
一旦演習に戻ると話していたダビが工房を出る際。『総長に伝言はありますか』と振り返った。
ダビはこういうところが優しいのよね、と思いながらイーアンは微笑み、『夕食は一緒に、と』伝言をお願いする。イーアンの含みのある視線にちょっと笑って『かしこまりました・・・』うん、良かった、とダビが呟きながら出て行った。
イーアンは次の作業に取り掛かった。図案を描いて、大体の大きさを書いた紙を用意してから、材料を用意した。次は防具。マスクや脛当ての類を作ろうと考えていた。マスクは、破損鎧の置いてあった倉庫に幾つもあったので、それらを取ってきて補修がてらマスクの作りを学びながらの作業。
マスクに使える材料と、加工の仕方をさらに細かく紙に書く。
時間を見るとまだ2時。ちょっとドルドレンに意地悪した気持ちはあるけれど、後で謝ろうと思い、今は仕事を優先した。思いつくことはほとんど書いて、いざ。
ノック。そう。訪問者。これからなんだけどなぁと思いつつ、『はい』と言って扉を開ける。ドルドレンでもOKということで。
開けるとギアッチとザッカリアがいた。『仕事中にすみません。彼があなたの話をずっとしているからね』ギアッチはニッコリ笑う。ザッカリアはじっとイーアンを見ていた。2人を中へ入れて、お茶を出す。
「すみませんねぇ。手を止めさせて。でもね。彼はあなたが気に入ったみたいで」
「仕事してるのにごめんね」
ザッカリアが謝るので、イーアンは笑顔で首を振って『謝らないで』とお願いした。
ギアッチから、顕著な表現にはならないものの、ザッカリアの身の上を聞いたことを告げられた。
イーアンは途中でギアッチの話をちょっと遮り、ザッカリアに材料や試作の手袋を渡して、紙を何枚かとインクとペンを置いて『ここに好きなこと書いていて』と笑顔で頼む。ザッカリアも笑顔で『うん』と頷いて、何やら楽しそうに書き始めた。
『ギアッチ。どうぞお話して』イーアンが席について続きを促がした。ギアッチもザッカリアの様子を見ながら、口を開いた。
「・・・・・あのね。イーアンはこの支部で唯一の女性でしょ。だから私と一緒に、彼の力に成ってもらえないかなって」
ギアッチは金色の髪を撫で付けながら、言い難そうに目を反らして用件を話した。イーアンもそうしようと思っていたので、何も言わないで微笑み、続く言葉を待つだけだった。
「ダメかな。私はほら、男なので父親役は出来るけど。ホントは総長がね。この場合、父親役の方がしっくり来ると分かってますが。でもまぁね、向き不向きあるんで。
それで父親役はまぁ私で良いにしても。やっぱり母親役というか・・・その。いや、そんな意味じゃないんですけど」
言葉を難しそうに選ぶ、少し赤くなるギアッチを見て、イーアンはちょっと笑う。ギアッチが茶色い目でイーアンをすがるように見たので、イーアンは頷いた。
「私。お母さん役が務まるような立派な人間ではないのですが。でも彼のために力にはなりたいのです。私でもお母さんに成れる?お父さん役から見て大丈夫かしら」
なぜか赤くなったギアッチは『もちろんじゃないですか。彼は親の愛情が必要なんですから』と鳶色の瞳を見つめて、しっかりした言葉で言う。
お母さん役。この一言を聞いていたザッカリアが顔を上げて『イーアンは俺のお母さんなの』と言うので『私でも良い?』とイーアンは微笑んで聞き返す。ザッカリアは嬉しそうに頷いた。
「お母さんはイーアン。お父さんがギアッチだね」
そうね、とイーアンは笑った。ギアッチは嬉しそうでもあり恥ずかしそうでもあり、真っ直ぐな金髪を撫でつけながら『宜しくお願いしますね』と照れながら何度も言っていた。
「ただ。あの方がね」
イーアンの一抹の不安。呟きサイズの音量で言葉にした途端、ギアッチが真顔になった。
「心配しないで良いですよ。私から言いますので」
茶色い賢そうな瞳をきらっと輝かせ、イーアンに『大丈夫』と笑いかけた。『奥さん困らせるような旦那はダメですから』と続けたので、それドルドレンのこと?とイーアンは視線で訊ね返した。
ギアッチは笑って『また報告しますよ』といつも通りの態度になり、ザッカリアを促がしてから、また後で・・・と工房を出て行った。
お読み頂き有難うございます。




