173. 王様訪問日~午後の後半
その間にダビが工房に戻ってきて、イーアンに爪の残りと仕上がった柄の部品を渡した。
イーアンはお礼を言い、鞘の木型も、時間のある時に作ってほしいことを伝えると、『今日は大丈夫です』と引き受けてくれた。
暖炉側の会話に、ダビがふとイーアンの目を見る。イーアンはちょっと口角を上げる。ダビも少しだけ笑って『罪ですね』と言いながら帰って行った。
王とセダンカの会話に花が咲いている中。イーアンは黙々と作業をする。
とりあえず、ハルテッドから預かったベルの手袋を縫ってしまう。右手の小指側の縫い目が切れて、指の付け根くらいまで開いているので、これは糸を取って縫い目を確認しながら新しい糸で閉じる。
左手は縫い目ではなく、拳の辺りが・・・切れるというよりも破けていた。これは当て革を入れてから、手袋の中に板を置いて縫い穴を開け、板を取り出してその穴どおりに掬い針で縫った。
次が楽しい剣の作業。柄を持ってきてもらえれば、ほとんど出来たも同じ。
ダビは一応、鍔のような形のガードも用意してくれたので、これを剣身にきちっと重ねて、その後に遊びのないよう芯に柄を当てる。ダビのセンスと器用さ、正確さは、真似できないかも・・・部品の出来の良さに、イーアンはつくづく感心する。
柄に開いた穴の印を芯に目打ちで付けて、芯にも小さめの穴を開けてから、柄の部品を前後に嵌めてリベットで叩いて留めた。リベットはダビに相談したらあっさり大量に作ってくれたもので、これがあるだけで実に幸せな作業だった。
鍔の真下くらい、柄側に細かく編んだ革をきつく巻きつけ、終わりを熱した樹脂で焼き付けて留めた。黒い角の剣は、まるでシャムシャー(※細身でトラの爪のように反った剣)のような見た目になった。
金属ナシの剣、としたものの、留め具のリベットは装飾品みたいな存在。この程度ならありね、と思う。
剣本体が出来たので、鞘へ作業が進む。その前にお茶で休憩しよう、と暖炉の湯を振り返ると。
王とセダンカが自分を見ていた。
「お茶を。淹れますね」
なぜじっと見ているのか、いつから見ていたのか気がつかなかったので、すぐにお茶を淹れた。どうぞ、と二人に差し出すと、王は『イーアンも休憩を』と微笑んだ。イーアンは頷いて、椅子に腰を下ろす。
「そなたは本当に夢中になるのだな」
イーアンが返事をしないで笑みで答えると、フェイドリッドが『何度かそなたに話を振ったが、気が付かなかった』と言うので、大急ぎで平謝りした。
謝るイーアンのお茶時間に、工房の扉がノックされた。『はい』と返事をして戸を開けるイーアンを見ながら、王は『彼女は人気者か』とセダンカに耳打ちした。セダンカは頷いて『とても』と答えた。
扉の外にはトゥートリクスがいて、黒い髪越しに大きな緑色の瞳をきょろっとイーアンに向け『これ食べて』と丸い小さな焦げ茶色の菓子を見せた。菓子は甘い香りで艶々していた。
「これは何?」
イーアンは嬉しそうにトゥートリクスに訊ねる。へへへ、と笑うトゥートリクスが『ヘイズが教えてくれたんです。ちょっと焦げた感じの匂いがして甘いって』と教えてくれた。
「あなたが作ったの?」
緑色の目を恥ずかしそうに細めて頷く。イーアンはトゥートリクスの言い方が気になって、もしかしてと『トゥートリクス、食べたの?』と訊くと、これから、と言う。
イーアンは一つ摘んで『はい。口開けて。食べましょ』と笑った。顔を真っ赤にしたトゥートリクスが、目を瞑って諦めたように口を開けたので、イーアンが口に入れてあげた。その後、自分も一つ取って口に入れる。
「美味しい。焦げた匂いの意味が分かる。大人の味だわ」
う~ん、美味しいっ イーアンの顔が喜びで溶けかかる。トゥートリクスが溶けるイーアンを見つめながら、ちょっとポワンとした表情で頷いた。
『ホント。美味しいですね・・・・・ ヘイズにも言っておきます』そう言うと、王様たちにもあげて、と名残惜しそうに微笑んで帰って行った。
有難う~ トゥートリクスに叫んでから、工房にイーアンは引っ込み、トゥートリクスという騎士がお菓子を作ってくれたことを、王とセダンカに話して、『一緒に食べましょう』・・・と、誘った。
セダンカが毒見をする前に、ちらっとセダンカを見たフェイドリッドが先に手を伸ばし『一つ頂こう』と口に運んだ。セダンカも王に遠慮しつつ、そっと隙を見て一つ取って食べる。
二人ともうんうんと頷きながら『これは菓子屋でも売っていそうだ』と美味しそうに口を動かした。
「ところでイーアン。イーアンは先ほどの若い騎士とはどのような間柄だ」
どんな意味?イーアンは少し止まる。セダンカがちらちらとイーアンを見ているが、ちっとも分からない。王は少し困った顔で『さきほど、彼に菓子を食べさせていた』と青紫の瞳を向けた。
ああ・・・イーアンは気が付く。あれ。あれか、うちの伴侶によくやっているから。全然気にしていなかった。
「そうですね。特に間柄はないのです。私に子供がいたら、彼くらいの年齢だろうかと思ったことがありました。それで、気が付かないうちに彼を子供扱いしているかもしれません」
そうなんだ、とセダンカはあっさり納得した。フェイドリッドは複雑そうな顔で首を傾げている。
「イーアンは彼が赤くなったことに気が付かなかったのか」
「赤くなっていましたか。それは分からなかったです」
こうしたことは気にする人もいるから言えないけれど。トゥートリクスやアティク、シャンガマックの肌の色は、褐色がかり、シャンガマックは少し赤みがかっている。素敵な肌の色で好きだけれど、赤面はあまり分からないかもと思う。
『そうか』フェイドリッドは残念そうに呟いた。
もしかして王様は、そんなこと(※あーん行為)をする人は、品が悪いと思っているのかもしれない。イーアンはあまり、作法や仕草に気をつけたことがないので、こういう時は粗が出るな・・・と反省した。
二人のやり取りを横目で見つつ、窓の外を見たセダンカの視線が時計に向いた。
「殿下。そろそろ宿の手配をされないと。夕方になりそうです」
日の入りが早い冬だけに、まだそれほど夕方近くはないはずの時間でも、山陰に太陽が近づいている。
イーアンはハッとした。自分が話し合わないといけない時間が来たことに。
フェイドリッドは『イーアン。そなたの寝室と、ここの風呂をもし良ければ案内してもらうことは出来るか』と訊ねた。
――風呂は良いけど。寝室って。見せない方が良い(伴侶同室)とは思うが、それ以前の話しで。女性の部屋を見るってどうなのかな~・・・・・
私の寝室ではなくて、同じ造りの空き部屋ではダメですか、とイーアンは訊いてみる。その言葉にセダンカは、『そうですね。女性の寝室を見せてほしいとは少々』と小さな声で、聞こえるように独り言を言う。
ああ・・・それもそうか、と気付くフェイドリッドも強引な失礼を詫びて、空き部屋で良いことになった。
3人は執務室へ行き、ドルドレンに会うと、空き部屋と風呂への案内を伝えた。ドルドレンは納得いかない顔をしていたが、已む無しといったところか、空き部屋の鍵を持って案内した。
近い場所にある空き部屋と、湯の入っていない掃除後の風呂場を見せると、王もセダンカも言葉が少なくなった。特に彼らが何も言わないので、ドルドレンは執務室へ促がし、4人は執務室へ戻った。
執務室の中に入り、4名が応接間(※書庫付属)の椅子に座る。
王はセダンカに補足を頼み、自分がイーアンの仕事ぶりを見た感想を、総長に伝えた。それは好ましいものであり、彼女が他の者に馴染み、尊重されている場面や、慕われている様子、彼女に仕事をしやすい環境が整っている、といった感想だった。
「だが。生活環境を知ると、果たして彼女にここで良いのか悩むのが本音だ」
セダンカもそれについては意見しなかった。先ほど見た部屋は暖も取れず、簡素なベッドに薄い布団と上掛けしかない。窓も、いつ誰が侵入するか心配になるような大きさ。風呂はといえば『論外であろう』と溜息をつくフェイドリッド。
「仮に総長が見張りをしている日々にしても、彼女の後にも男がその湯を使い、同じ風呂を共有するなど気の毒でならん」
――彼女の後は俺です、と言ったところで、きっと反応は変わらんな・・・・・ ドルドレンは言葉を探した。
これは、しつこそうである。下手に育ちが良いと(←王様)頭で理解するのが、無理なのかもしれない。イーアンを心配するのは構わないが、手を出すとなると話は別だ。連れ去る正義をかまされては迷惑以外の何物でもない。
ベッドは俺と一緒で、毎晩素肌で温まっているからご心配なく、と言ってしまいたいが。それは言語道断だろうから(自覚はある)言うわけにもいかん。言ったら、朝の救出も忘れて、首吊り台に吊るされそうだ。
これはどうしたものか。このままだと、もしかすれば今夜でも連れ去られる気がしてくる。いや絶対にそれはさせるものか。なぜ急に来た男(王様)に奥さんを拉致られなければいけないのだ――
「イーアン。ちょっと工房で待っていてもらえるか」
ドルドレンがイーアンを促がす。イーアンは立ち上がったが、フェイドリッドとセダンカが不審な顔つきで総長を見る。
「後で迎えに行く」
王に何も止められないので、3人に会釈してイーアンは退出した。
工房へ戻ると、扉の前にダビが来ていて鞘の木型を渡した。『王様たちはどうしました』と聞かれ、ダビを工房に入れて、鞘のお礼を始めに伝えてから大体の内容を話した。
ダビは珍しく顔色を変えて、少し怒っているような言い方で『イーアンは外へ出ないと言ったんでしょ?』と質問した。イーアンは頷いて『それをドルドレンも今話している』・・・はず、と答えた。
「どこの誰か知りませんが(←王様)、突然来て内情も理解せずに、こちらの意見も無視してイーアンを連れて行くなんて。そんなの無茶があります」
ダビの人間味溢れる態度を見て、イーアンは驚いた。普通ならここは嬉しがるところだが、本当にこの人に関しては、滅多にないというか、感情的な言い方が想像出来なかったので、驚くばかり。
ダビが大きな溜息を吐いて、腰に手を当ててイラついている中。扉がノックされて、イーアンが開けると、女装のハルテッドがいた。
「手袋、もう出来てる?」
艶やかな赤い唇をニコリとさせて、中を見た。ハルテッドは『あれ』と一言こぼす。ダビが怒っていることに気が付いたらしい。見た目的には、ダビは怒っているのも分かりにくいのだが、ハルテッドは敏感なのかすぐに感づいた。
「彼。どうしたの?」
イーアンはダビをちょっと見て、縫い上がった手袋をハルテッドに持たせて説明しようとした。ダビがそれを遮り、ハルテッドのオレンジ色の目に視線を向けた。
「イーアンは連れて行かれそうです。たった今、王と総長がそれを話し合っています」
「え。なんで? 何でイーアンを王様が連れてくの?」
「ここの生活が女性向きではなく、不憫だとかいう理由で」
はぁーーーーーーーーー???
素に戻るハルテッド。白い頬がカーッと真っ赤になって『何言ってんの?バカじゃねーの(←王様相手)』と下品な美女に変化。焚き付けたはずのダビは、何かを怖れて一歩引いた。
ハルテッドはイーアンの両肩を引き寄せて『行かないって、ちゃんと言ったんでしょ?』と鳶色の瞳に不安そうに尋ねた。イーアンは『ずっとそう話しています・・・』困って答えるのみ。
でかい声を察知したクローハルが、ハルテッドを探知して工房へ来た。『お前、またここにっ』言いかけて場の空気にピタリと止まる。
「何だ?」
「イーアンが王都に」
ハルテッドが口にしかけると、クローハルの胡桃色の瞳が怒りの色を浮かべる。険しい表情でイーアンを見て『行くのか』と短く確認する。
「行きません。ずっとそう伝えていますが・・・・・ ドルドレンが今、話してくれています」
「当たり前だ。イーアンは北西支部の騎士同然だ。絶対行っちゃ駄目だ。どこだ?」
何が?と聞き返すイーアンに、クローハルが『ドルドレンだ。執務室か?』と訊く。そうですと答えると、クローハルはイーアンをちょっとだけ抱き締めてから離れた。気を遣ったその抱き締めかたはハグのようだった。
「今の、あいつに言わないでくれ。絶対に行かせない」
大真面目な顔で言い切ったクローハルは、執務室に向かって走り出した。隊長の背中を見て、ハルテッドは手袋をベルトにぐっと押し込む。『イーアン。ここにいな』にこっと笑みを浮かべ、茶色い髪をかき上げて出て行った。
「抗議したらイケそうですね」
冷めた目つきに戻ったダビは、少し笑ってからそう言う。イーアンを見て『あなたの家はここ、って私言いましたね。ホントですよ』ぽんとイーアンの肩を叩いた。そして『鞘でも作って待ってて下さい』そう言って扉を閉める。廊下を歩く音が遠ざかっていく。
彼らが自分のために怒ってくれること。本当に大切にしてもらっていること。閉じた扉に額をつけて、感謝の言葉を何度も呟く。イーアンの頬に涙が静かに流れた。
お読み頂き有難うございます。




