172. 王様訪問日~午後前半
王の言葉に、イーアンは何か深い意味がありそうな気がしたが、それは聞かなかった。ただ『私もそう思います』とだけ答えた。実際、ドルドレンに愛されていることは、人生の祝福以外の何でもないと知っていた。
扉を閉めようとすると、廊下の向こうでダビの声がした。『イーアン、ちょっと良いですか』そういって小走りに近づいたダビは、王の姿を見て少し驚いた様子で会釈した。
「失礼致します。イーアンに相談があります」
イーアンは、彼が自分の作業をよく手伝う騎士『ミリヴォイ・ダビ』であることを紹介した。ダビは会釈をゆっくり戻して自分でも名乗った。
「彼がいなければ、私の作業の結果は、もっと稚拙であったでしょうし、たとえ完成するにしても時間が倍以上かかるでしょう」
微笑むイーアンの紹介に、ダビは頭を振りながら『とんでもないです』と否定した。王は頷いて『良い出会いであり、良い仲間だな』そう言ってダビに笑顔を向けた。それから、ダビにイーアンへの用件を話すように促がした。
ダビは黒い剣をどうするかと聞いてきたので、工房に入ってもらって、イーアンは爪の塊を指差した。
引き鋸の挟まる円柱と、炭で書かれた線と型紙を見て『借りれたら切り出します』とダビは引き受けた。
イーアンは嬉しそうに笑みを深めて、何も言わずに鋸を外し、型紙に点を打って『留め穴を』と見せた。頷いたダビは指を立てて何かの数を示し、イーアンが頷くと、王に会釈をして、型紙と円柱を持って出て行った。
「今。彼に何を指示したのだ」
不思議そうに質問されたので、ダビにどこまで仕上げてほしいのか、加工したものはどう使うのかを説明した、と答えた。
王は眉根を寄せて『説明とは言うが。ほとんど会話をしていなかったではないか』と疑問を口にした。『あの紙にも線が引いてあるだけで、そこに穴を少し開けただけであろう?』鳶色の瞳を覗き込む王に、イーアンが返事をしようとする。
うーんと伸びをしたセダンカがベッドに体を起こし『失礼致しました。すっかり眠りました』と詫びた。王は『構わない。休めて結構だ』と労った。起きたセダンカは、イーアンを見て、フフ、と笑った。
「眠っておりましたが、少しは聞こえておりました。先ほどのダビという騎士と、イーアンのことでしたら、私からご説明しましょう」
「セダンカは何か理解できたのか」
「いいえ。全く理解できません。しかしこの前ここで同じ光景を何度も見て、知ったことがあります。
ダビとイーアンのみ通じるようですが、彼らは1を以って10を話します。言葉は非常に少なく、指や目つきで会話は成立し、そこにある作業中の物体と図案を見ただけでお互いの意思疎通が成り立っているようです。
それらは数に至るまでも正確であり、傍目から見ると不思議でしかないのですが、彼らは全てをほぼ完璧に理解し合います。なぜなら結果に一つとして誤りが発生しないからです」
「そんなことが出来るのか?職人業などに就いたことでもあるのか?」
驚いて自分を振り返るフェイドリッドに、いいえ、とイーアンは答える。ダビも騎士で、職人の下についたことはないと思う、と付け加えた。
「これはまた。何とした関係だろうか。いつからそのような会話ができるのだ」
「いつからだったか・・・・・ ドルドレンの隊の遠征に同行した後でしたから、一月と少し前にダビと話すようになったような。作業の話題はその後です」
「まるで夫婦のようだ。それも長い歳月を超えて連れ添った夫婦の」
いえいえ、とイーアンは恥ずかしそうに笑い『ダビは気が利く人なので、私の拙い説明に察しをつけてくれるのです』そう言って、彼が描いた武器の考案資料を見せた。
自分の資料は文字の問題があるので見せられないが、ダビのものは問題ない。
フェイドリッドとセダンカは、渡された資料の何枚かに目を通し『こんなことを四六時中考えている騎士とは』と素直に驚いていた。
話を変えて、セダンカに厨房で食事をするかどうかを訊ねると『この前も私は来ているので、きっと一人でも大丈夫でしょう』お腹が空いてしまって、と言いつつ出て行った。
フェイドリッドと自分用にお茶を要れて、イーアンの作業は再び開始した。柄が出来次第、柄を取り付けに入るので、次にダビが来たら鞘の木型を作ってもらうつもりで、図案を起こして型紙を作る。
窓がコンコン叩かれ、今度は誰、と王が笑いながらイーアンを見た。イーアンも首を傾げて笑いながら窓を開ける。
窓を開けると女装したハルテッドが立っていて、『ごめんね、窓から』と微笑んだ。ちょっと中を見て『王様いるの?』と小声で聞くのでイーアンは頷いた。ちょっとだけ良い?ハルテッドは手袋を出した。
「これ。ベルが返すって。貸してくれて有難う。それでね、手袋縫ってもらう時間ある?」
2つの手袋を渡すハルテッドに、イーアンは切れたほうを引き取って夕方までには戻す、と約束した。
「こっちは?これ借りたやつ」 「私が縫い終わるまで、それを使って下さいと伝えてくれますか」
二人のやり取りを聞いていた王が立ち上がって、男の声か女の声か分からないので、窓の外のハルテッドを見た。
背の高い綺麗な顔の女が、騎士と同じ鎧をつけて立っているのを見て、随分と美人な騎士がいるものだ・・・と目を丸くして驚いた。
王の驚いた顔を見て、ハイルはちょっといたずらっぽく笑って『ハルテッド・クズネツォワです。失礼しました』そうざっくり挨拶し、イーアンの腕をぽんと叩いて『じゃ。夕方また来るね』と戻って行った。
「あんな・・・・・ 女性が。ここにはいるのか」
「あのう。ええ。そのですね。はい、ご兄弟で最近入隊されました」
そうか、兄弟で。とは呟いたものの。兄弟の意味は、深く考えていない王だった。あれが貴族だったら、さぞ縁組で忙しかろう・・・頭を振りながら、何やら幸せな想像に浸る王に、イーアンは真実が言えない。
「彼女はまた夕方に来るのか」
「はい。お兄さんの手袋の修理を頼まれましたので、彼が来ると思います」
? 『すまない。兄ではなく、彼女が来るのか』耳に入った言葉を確認する王に、イーアンはちゃんと目を見て『はい。お兄さんではなく、彼がいらっしゃると思います』と答えた。
「イーアン。今なんと申したか、何度もすまないが訊いても良いか」
「もちろんです。彼がもう一度ここへ来て、お兄さんの手袋を引き取られると思います」
「まさか。そなたはあれが」
「はい。私も最初は全く分かりませんでした。あの方は、あの姿が潜入などの際に役立つと仰いまして、時折あのように振舞われております。それにつきましては、本部でも了承されています」
何と面妖な・・・・・ 王は苦笑した。
イーアンは、目の前で額を押さえて笑いを堪えるこの王様が、ハルテッドの趣味に怒ったり、差別する人ではなくて良かった、と嬉しく思った。
セダンカが手に包みを持って帰ってきて、『お昼の時間が終わったからと、特別にブレズに挟んだ食事を渡された』そう言いながら、肉と野菜がたくさん入った加工ブレズ(※要はサンドイッチ)を見せた。
珍しい料理に、王は面白そうに包みを覗き込んだが、すぐにセダンカに今の話を振った。
イーアンが鞘用の革や部品を用意している横で、王は『ここに大変美しい女性騎士がいるのを知っているか』と意地悪な質問をしていた。
セダンカは『それを知っている』と驚き、彼女は恐ろしく美しい上に、とんでもなく強いのだ、と興奮気味に話していた。
イーアンは笑わないように必死で顔を作りながら、時々体を震わせて笑うのを堪えた。イーアンが笑いを堪えているのを見て、王も可笑しそうに含み笑いをしつつ、セダンカの知らない様子から『美人騎士』の話を引っ張っていた。
セダンカは王に弄ばれているとは知らず。この前、自分の見た美人のあまりの美しさと、実力の凄まじさを細々と説明していた。
その後も王は面白がって、何てことない顔をしながら、セダンカに『美人騎士』をどう思うかを聞き出していた。
昼食を食べ、茶を飲みながら、セダンカはかなり執心の様子で熱っぽく語っていた。よほど気になっていたと分かる『美人騎士』への、のめりこみ方だった。
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