171. 王様訪問日~午前の流れ
ドルドレンが呼ばれ、医務室に来た。簡単にその後のことを説明すると。
ドルドレンは王の話を聞く段階で、まず医務室から執務室へ移るように願った。
願いは受け入れられ、王とセダンカ、ドルドレンとイーアンが執務室へ移動した。残りの5名は医務室で待機するよう命じられた。
執務室に他の騎士もいたが、一時的な人払いをして王からドルドレンに提案を告げられた。
ドルドレンはイーアンの肩を引き寄せ、静かにその提案は不要であることを答えた。
どれほど王とセダンカが、状況への懸念・今後の仕事上の関わりにも影響することを伝えても、総長は頑として頷かなかった。
話が平行線であることと、総長の指摘を覆せない王とセダンカは、一時休戦の形をとって、まず視察を実行することに決めた。
総長の指摘。
この視察目的に必要な事は、イーアンの風呂や遠征などの不遇さや、今後の取引に必要な身分環境の向上ではなく、事業の拡大のみが視点であり、それは『王都に居を移して、魔物の状況への認識が強まるとは思えず、安全を守られた場所では、問題の全てが机上の論理に変わる』ことで、提案された意向が、事業の拡大を促がすものではなく、縮小を齎しかねない結論であることだった。
数時間前に、身に染みて味わったばかりの恐怖をなぞると、彼の指摘には王もセダンカも言い返す言葉がなかった。
そこで、彼女の仕事にこの場所では制限があるか・ないか・・・そこへ話の基点を移した。それ自体は、王城内の新規機関設立にも大きな影響として反映するため、仕事の環境に不自由が伺える場合は、改善をこちらも計画して検討する必要がある・・・と意見した(←セダンカが)。
強引な運びだが、その辺りのことはイーアン本人に任せた。
ドルドレンには作業効率云々は分からない。そこはイーアンが自分で対処できそうだ、と判断して。彼女は仕事に関しては、誰かに丸め込まれることはない。自分で仕事をしていた人だから、大丈夫とドルドレンは信じた。
こうしたことで、時刻を見れば10時半前。
ドルドレンはイーアンに『任せた。くれぐれも気をつけるように』と抱き締めて、再び山積みの職務に戻った。
この人達と取り残されたイーアンは少し不安だったが、ドルドレンが信じてくれたということは、何が何でもドルドレンの信頼に応える自分でなければならない、と気持ちを引き締める。
弱気になってはいけない。相手が王様でも、大事なことだけをちゃんと伝えないと。王様相手にきちんと指摘した伴侶のように、自分も遠慮することはないと決心した。
工房へ王とセダンカを連れて行き、自分の普段の作業を見ていてもらうことになった。
結局、視察なんだからこれで良いのだろう・・・とイーアンは思う。最初から調子を狂わされている感じだったが、彼らの目的は『真夜中に馬車を出してまで、早急に物事を運ぼうとする』ことに意味があるので、自分は彼らの視察がきちんと完了するように、動けば良いだけ。そう改めて理解した。
工房へ足を踏み入れ、異様な空間を見渡す王と、既に体験済みのセダンカには、暖炉側の椅子に掛けるように促がして、お茶だけ出しておいた。
朝の魔物の皮は、工房の入り口付近に積んでもらっていたので、作業はそれから始めることにした。
一応生もののため、脂を肉面に擦り込んでおく。この魔物の皮は、他の獣亜類と質が異なるので、処理する内容が少ない。それで大丈夫だからそういうものとする。
最初に皮を一枚ずつ机に置き、表の白い硬い虹色に光る板を、丁寧に布で拭く。継ぎ目もきちんと粗布を詰めて拭く。これを10枚全部に済ませる。次に皮を裏に返して、肉面の黒い粒ツブした皮に、手に取った脂を薄く伸ばして擦り込む。これも10枚全てに行なった。
いろいろと質問されると構えていたが、フェイドリッドもセダンカもただ見守っていた。集中すると、彼らが居ることを忘れかねない自分なので、先に本の案内をしておく。
「この前の続きも読みたいですからね」
セダンカが一冊の本を選んで、『では私は読書しましょう。寝たら起こして』と言うので、いつ眠っても良いよう、どうぞベッドに予め居てほしい・・・イーアンはそう頼んだ。
真っ赤な毛皮と青白い銀色の毛皮が敷き詰められたベッドを、真顔でじっと見つめたセダンカは『これは魔物』と呟いたが、意を決したように、そこに腰を下ろして本を読み始めた。
「フェイドリッドも、退屈な時は本を読んでいらして下さい。私は集中すると話が切れてしまうのです」
微笑んだイーアンがそう言うと、フェイドリッドは『そなたの作業の間。話しかけてはいけないか』と質問した。
意外な質問に、彼が遠慮して黙っていたことを知り、『何でも聞いて下さい。分かる範囲でお伝えします』そう、ニコッと笑って、質問を歓迎する意思を伝えた。
少し嬉しそうに微笑んだフェイドリッドは、机の側に椅子を引き寄せ『その皮について知りたい』と言った。
イーアンは自分が、この皮の持つ力にとても驚いたことと、幾らかの試作品を通して実感した性能を話した。体の皮だけではなく、落とされた頭の皮も剥いできたので、それを見せた。フェイドリッドの表情が少し困惑した。
「これだけ見ますとおぞましく思えるでしょう。しかしこれを加工すると、他の体の皮よりも厚みがあり、非常に貴重な部位と認識することになるのです」
頭の皮を横に置き、イーアンはソカと剣、手袋を出して、これらにも同じ皮が使われていること・加工にはダビという騎士が関わっており、彼がほとんどの素材加工を行なう、と話した。
フェイドリッドが納得したようなので、イーアンは続く作業に入った。
黒い角を剣に仕立てるため、膠が完全にくっ付いたことを確認し、柄の部分を作る。剣身から突き出した20cmほどの芯を紙の上に置いて外側の線を書き写した。
書いた線を元に大まかな柄の形を書き出して、それを型紙に切り取る。地下から持ってきた奇妙な大きさの円柱を机に置いて、炭で粗方必要な大きさを印すと、イーアンはそれを引き鋸で切り始めた。
「これは何か」
目の前の、黒い線と生々しい透明色の黄色が混ざる円柱に、フェイドリッドは正体を尋ねた。イーアンはこれが魔物の爪であることを教えた。
「以前、この支部の裏庭に大きな魔物が2頭現れました。それらは毒で倒しましたが、大き過ぎて庭から運べないため、ドルドレンを始めとする隊長たちが切り分けて外へ出したのです。
私はその時、回収しに行き、毛皮を少しだけ手に入れましたが、その時に切り分けられていた爪の欠片も一つだけ袋に入れてありました。それがこれです」
自分が回収しに門外へ出て、夜にかかる頃、魔物に襲われかけて危うかったことは黙っておいた。
翌日朝にクローハルたちが犬的魔物の屍骸を集めた時、外に置きっ放しだった、大型魔物の毛皮を入れた袋も運んでくれていた。
「こんなに大きな。これが爪の一部。元はどの位大きかったのだろうか」
この位でした・・・思い出す大きさを両手を広げて伝えると、フェイドリッドはイーアンの目を見て『そなたは怖くないのか』と聞いた。フェイドリッドはずっと、そのことを聞きたかった。
「魔物は怖いと私も思います。でも倒せれば使えるものもあります。死んでしまえば・・・使い勝手にも寄りますが、こうしたものは怖いと思いません。」
自分はおかしいヤツだと思われているだろうな、とイーアンは寂しそうに小さく笑った。そして一度フェイドリッドを見てから、爪に視線を戻して作業を続けた。王はその手元を見つめるだけだった。
爪を切り出している最中に、昼の銅鑼が鳴り、イーアンは作業を止めた。
「ドルドレンがいつも迎えに来てくれます」
そう言ったか言わないかの時に、扉が叩かれて『ドルドレンだ』と向こうから声がした。セダンカが眠っていたので、工房の鍵は開けたままにして扉を閉め、3人は広間へ向かった。
王が同伴して広間で昼食を摂るなど、前代未聞の出来事で、厨房には当番ではないはずのヘイズが入って料理をしていた。ヘイズなりに、王の口に合う料理を出そうとしていたようだった。
昼食を受け取ってから、暖炉の側の机で食事を始める3人。側には誰も近寄らず、静かな昼食時間だった。
フェイドリッドは『食事はいつもこうしたものか』とイーアンとドルドレンに質問した。
イーアンは、今回は王様用です、と答えようとしたが、ドルドレンが先に『大方はこの食事です』と返事をした。
フェイドリッドは興味深そうに料理を眺め、丁寧に少しずつ味見をして、『どれも塩が良い加減だ。限られた食材の持ち味を引き出した、素朴で力強い味わいであり、良い腕の料理人の業だ』と誉めた。そして全ての料理をきちんと残さずに食べ切った。
ヘイズが厨房から心配そうに顔を出していたので、イーアンはちょっと振り向いて笑いかけた。距離はあるが、イーアンの笑顔で安心したヘイズは、嬉しそうに笑顔を返し厨房に引っ込んだ。
毒見をしなかったな、とイーアンは気が付いたが、王がそれを望まなかったのかもしれないと思った。彼は自分たちと同じ視点で同じ状態で、出来るだけ理解しようと努めてくれているのが分かった。
厨房に食器を戻した時、王がヘイズに礼を伝えていた。ヘイズは、頭が膝につくんじゃないかと思うくらいに腰を折り、ひたすら感謝の言葉を唱えていた。
工房に戻る廊下で、フェイドリッドが『イーアンは毎日美味しい食事を食べているのだな』と微笑んだ。ドルドレンがイーアンに笑いかけたので、イーアンも王に『そうなのです。大変恵まれています』と嬉しそうに答えた。
「そうであろう。男所帯で男が料理し、それを美味しく味わえる環境はそうはない」
フェイドリッドは、食事にはOKを出したと分かった。風呂と寝室の話題は避けたが、工房環境もそれほどマイナスの印象はない様に感じていた。
工房まで来て、ドルドレンは廊下でイーアンを抱き寄せてから頭にキスをして(誰がいてもする)『それではまた後で』と挨拶をして仕事に戻って行った。
それを見ていた王は『そなたはあれほどの強い男に大変に愛されている。羨ましい』と呟いた。その顔に笑みはなく、本当に羨ましそうに見えた。
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