170. 王様訪問日~話が変わる
セダンカと王が医務室で寛いでいるのは、間もなく支部の噂になった。本当に間もなく。
イーアンがお茶を人数分運び、それが、医務室へ運び込まれた御一行のためと誰もが知っていたので、彼らの身は無事なのか誰もが案じていた。
相手が相手なので、医務室に詰め掛けるわけにも行かず、わざとらしく医務室近くに来ては様子を見た輩が、覗き見をした内容を仲間に広めて、それはすぐに支部内に広まった。
御一行は無事であり、御者は眠っていること。騎士団の3人は、医者の机横にあるベッドに、座って動かないこと。
奥にいる王とホーズ(※セダンカ)は機嫌が良いこと。イーアンは王を名前で呼び、3人は和やかに談話をしていること。
イーアンが楽しそうにしているため、総長に知れたらまた煩い、と騎士たちは気を揉んだが。
考えてみれば相手が王なのだから、総長も何も言えないのではないか・・・と意見は一致し、そうなると『ちょっとイイ気味』のような感覚になる(※日々いちゃつき過ぎ)。
もちろんこれは仲間内の話しで、総長の直下にいる騎士たちにあまり聞かれたくはない。なので、総長直下でも無害そうなアティクやダビのいるところで、彼らは思うことを話していた。
そこら辺に聞き耳を立てるベルやハイルは、『王様と仲良しイーアン』に驚きもするが、そもそも王都から戻ってきて龍を呼び出したわけだから、多分、王とは何かしら提携関係を持ったのだろう、と察した。
そんな具合に、外で噂されていることを特に気もしない、王とセダンカ。噂なんてどこでもされている人々なので、気にするものではないと言った方が良い。イーアンと話し続ける彼らは大声でこそないが、普通に会話を続けていた。
「では。フェイドリッドは今夜は・・・こちらにお泊りになるのですか?」
「そうした方が良いであろう。視察が済んで帰るにしても、出発の時間が日中ではまた夜にかかってしまう」
そうですねぇ・・・・・イーアンは考えながら答える。 ――自分が抜けた森の道は、王都から支部まで、8時間ちょっとだった気がする。街道の道は、ほぼ10時間くらいかかったような。
「ただ。お部屋が。その」
「そなたが使う部屋と同じ部屋か」
「部屋は全て同じ形だと思います。私も、ここの皆さんと同じ部屋です。フェイドリッドがお休みになられるのでしたら、支部ではなくて宿の方が良い気も致します」
その方が少しでも気持ちが楽に思えます、とイーアンは繋げる。
セダンカもイーアンの意見には頷く。セダンカがどこかの騎士修道会支部の世話になったことはないが、民泊以下の部屋と風呂であろうことは想像に難くないのだ。
「お食事はそうしたもの、と捉えて頂けるにしても。お風呂や寝室が心配です」
「そなたは?女性の身で、男たちと同じ風呂を使うわけではなかろう」
「いいえ。私は保護して頂いた身の上ですので、皆様と同じお風呂を使っております。入浴時間は一番早くをお願いしている我儘を通させて頂いていますが」
恥ずかしそうに苦笑するイーアンに、セダンカも王も『何と』の一言で絶句した。両者は顔を見合わせて頭を振り、イーアンに『何もされないのか』と、驚きのあまり、一番気がかりな質問を投げる。
「最初から今日まで、私の入浴時間は、いつでもドルドレンが脱衣所の前で見張って下さいます。ですが、ここの方たちは紳士ですので、いつの時でも私は何かされたことはありません」
私が若くもなく、女性らしくないからでしょう、とイーアンは冗談を言って笑った。
王は、自分の目の前にいる、小柄な女性の肝の据わり方に驚くばかりだった。
王やセダンカが思うほど、イーアンは肝が据わっているわけではないし、イーアンだって始めは心配と不安しかなかったのだが、支部で生活して2ヶ月も経つと、最初の頃の話などそれはそれ、としか思わなくなっていた。
その部分を、たった今、話を聞いている高貴な身分の二人は想像もできなければ知りもしない。ひたすら、驚くだけだった。
ニコニコしている女性を不安な眼差しで見つめ、王は溜息をついた。
「イーアン。そなたの気質は遠慮がちであろう。それは僅かな会話からもよく分かる。だが、その現状はいかがなものか。
そなたは保護されたことを恩に、こんな過酷な環境で文句一つ言わずに生活している。女性なのだから、女性用の扱いを受けるべきだ」
あら?イーアンは思いもしない展開を示唆する言葉に、何やらまずい感じを覚える。
セダンカも渋い顔で、『いくらなんでも女性なのだから。荒っぽい騎士と生活を共にしているとは言え、もう少し女性扱いをされていると思っていたが・・・・・ 』などと哀れみの気持ちを口にした。
イーアンの菓子を一つ、また摘み上げた王は、戸惑う表情のままそれをそっと口に入れた。解けてゆく儚い菓子を味わいながら、ほっと息をつく。
「こんなに繊細で優しい菓子を作るイーアン・・・・・ そなたの想いがそのまま、菓子になったようだ」
嬉しいけど、その誉め言葉は微妙です。イーアンは何とも言えない気持ちでいる。多分、この一言は前置きで、続きに来る言葉はあまり聞きたくない言葉だろう、と見当をつけた。言い返しにくいタイプの言葉。
「これは提案というよりは、私の気持ちだが。そなたはもっと相応な生活を手に入れるべきだ」
・・・・・ほらー。ほらね。これは支部改築しなさい、って話ではない。もっと手っ取り早く、『違う住居で快適生活しなさい』って言い方だわよ。そりゃ、お風呂はお一人様が良いけど。お風呂だけよ、解決したいのは。
イーアンは困り顔。もろに困り顔。返事が出来ず、お茶を飲む手も止まる。戸惑いの表情を隠せないイーアンに、セダンカは、王の言葉の意味を解説し始めた。
「イーアン。王は女性が普通、女性として何不自由なく暮らせることが大切だと仰っておられる。つまりそれは、女性を尊重した住環境が当然で、それはここにはない、と」
「セダンカ。私から言おう。これは今後の問題でもある」
そんな大袈裟な・・・・・ どうして見も知らぬ女性の生活環境を、一国の王が悩むのやら。
そこで悩むより、何よりも最速で取り組むべき、国民の安全に全力で挑むほうが先。フェイドリッドが言いたいことは分かるので、どうやって(その小さい事を)回避するか、イーアンは考え始めた。
フェイドリッドはイーアンの手に自分の手を重ねる。幻想的な青紫色の瞳が、鳶色の瞳を捉まえて覗き込む。
「素直に言おう。私は心配なのだ。そなたはこの国において、いずれは大きな力となる存在だ。その存在が男所帯で風呂さえ別もなく、寝室も男並みの生活をしていると知って、どうして黙っていられよう」
黙ってても大丈夫・・・イーアンは思うが、言えない。育ちが良い人だから、放っておけないのかもしれない。私一人で回避できる相手か分からない。ドルドレン来てー。
「私は問題ないのです。皆さんは本当に紳士的で、常に良くして下さいます。ドルドレンが常に私を守って下さるので、私は何も困ることはありません」
「そなたは知らないのだ。この世・・・この国では、女性は生活の全てを尊重される。どんなに身分が低くても、女性は女性のための部屋と生活環境を与えられている。あっ。もしや遠征は」
「遠征はテントです」
――もう良いや。言ってしまえ。やや投げやりなイーアン。
遠征だもの。テントだもの。お風呂ないもん。川で水浴びするわよ。川があれば。冬じゃなければ。だって遠征なんだもの。そういうものでしょう。
あああっ・・・・・ 目の前で絶望的な声を出して、頭を抱える王様。両瞼に手をあてがって仰天するセダンカ。
ちょっと気になって後ろを振り返れば、耳を大きくして会話を盗聞きする騎士の一人と目が合い、その騎士も『うへ』みたいな顔をしていた。お医者さんは『あ、ダメだったんだね』くらいの反応でイーアンに目つきで返事した。
「どうぞ気にされないで下さい。私は問題ありません。テントでも支部でも、お風呂でも、ドルドレンがいつでも守って下さるし、一度だって、身に危害はありませんでした。今後もありませんでしょう。
ここの支部の方たちは、工房も用意して下さる心の広い親切な騎士ですから、本当にご心配には及びません」
だから元気出して、とイーアンは無言で微笑む。どうか微笑み返してと願いつつ。
フェイドリッドは再びイーアンの手を握り、何かを決心した様子で顔を上げた。セダンカを一回振り返り、セダンカも以心伝心のように『うん』と力強く頷く。 ――やめて。二人の決定。
「イーアン。そなたを思うからこそだ。心して聞くが良い。今日。これから、私はそなたの工房と仕事の一部始終を見ていよう。昼食時も、夕食も同伴させてもらおう。そなたが暮らす環境をこの目で確かめ、ふさわしいと認めれば支部で活動することを支援する」
「認めて頂けない時は」
「そなたを連れて帰る。今夜の宿を早急に・・・王都付近でも良い。ここよりも当たり前に、女性が危惧することなく休める場を探し、私たちと共に宿泊するのだ。
王城には工房を作らせよう。何も支部から引き離そうというのではない。遠征時には、龍で立つが良い。しかしどこに出ても、その日の内に帰宅するように命じることになるであろう」
ドルドレン来てー。ドルドレン今すぐ来てー。この人も無理かもー。勝手に決めるのよ、王様だから。早く来てー。
セダンカも『そうした方が良い』なんて他人事だから、うんうん頷いている。手を握られ、見つめられ、説得されるイーアンは小さく頭を横に振りながら、受け入れられない意思表示だけは続けた。
王は、話を聞いていたと思われる医者に、ドルドレンを呼ぶように命じた。




