16. ドルドレンの決心と、二人の夕食
(※視点を通常に戻します)
ドルドレンはちらっとイーアンの状態を確認し、すぐノーシュへ視線を戻した。
圧倒的な気迫を放ちながら近づくドルドレンの存在に、部屋の重力が増したように感じる。
「土に埋めると言ったが。この場で死ぬ方法もあるぞ」
ノーシュは、自分とイーアンとの間に滑り込んだ剣からゆっくり離れて、両手をあげて降参を示す。顔は笑っているので反省はしていない様子。
「俺がここに来た理由も聞かずに、その剣で終わらせる気かい?」
「アホに理由など聞くだけ無駄だ」
ドルドレンは怒りを灰色の目にたぎらせ、切先をノーシュに向けたまま、イーアンに腕を伸ばして即抱き寄せた。イーアンの大きな溜息が聞こえた。
寄り添った体から、安心したように震えが収まっていくのを感じ取り、ドルドレンはノーシュを一層冷ややかに睨んだ。
「謝れ。そして出て行け。今後二度と彼女に近づくな」
笑顔をひくつかせたノーシュは、ドルドレンの怒り様に怖気づいたのか、容赦なく突き出されそうな切先を見つめながら扉へ移動した。 ――驚かして悪かったね、と言った後に、またね、と言いかけて口ごもる。ドルドレンの目が見開かれたのを見て、開いたままの扉を伝ってそそくさ廊下に消えた。
ノーシュの消えた扉の鍵を間髪入れずに閉め、ドルドレンは片腕に抱いたイーアンを急いで覗き込んだ。
「イーアン」
「大丈夫です」
「震えていただろう、大丈夫なもんか」
イーアンは泣き出しそうな笑顔で首を横に振った。大丈夫ですともう一度言いかけて、声にならないまま鳶色の瞳に涙が溢れた。歯を食いしばって涙を堪えようとしたイーアンに、ドルドレンはたまらなくなって抱きしめた。
ドルドレンの大きな体に抱きしめられて、イーアンは歯をカチカチ鳴らしながら再び震えて静かに泣いていた。ドルドレンは恐れに震えるイーアンがただただ気の毒で、しっかりと両腕に抱いて頭を撫で続けた。
「すまない。俺が一人にしなければ良かったんだ」
搾り出すように苦しげな声でドルドレンが後悔する。イーアンは抱きしめられながら、頭を横に振った。そして何度か鼻をすすって、濡れた顔を両手で押さえて体を起こした。
「イーアン・・・・・ 」
涙を拭ったイーアンの睫が濡れて、蝋燭の明かりに光る。潤んだ目はまだ泣きそうにも見えるが、イーアンは自分を心配する黒髪の男を見上げて微笑んだ。その柔らかい微笑に、ドルドレンの心臓がドクンと音を立てた。
「もう、大丈夫です。驚いちゃって」
年甲斐もなく怯えました・・・ と、疲れたように呟くイーアン。そして言葉もなく心配そうに見つめ続けるドルドレンの腕をそっと掴んで、ベッドに一緒に腰を下ろした。
「何を言われたんだ?」
「はい。・・・・・彼が私に関心を持った、という内容です」
眉を寄せたドルドレンに、イーアンはノーシュの話していたことを伝えた。
――惹かれる、という表現。 どこから来たのか、この世界の顔じゃない、と言っていたこと。 特別送り込まれたのではないか、と妙な言葉を残したこと。 『手に入れる』の部分は言わなかった。ドルドレンはその部分を聞いていたから。
ドルドレンは目を細めて静かに聞いていたが、イーアンの話が終わってからも口に手を当てて何かを考え込んでいた。
「ノーシュには後日話をしよう。早いほうがいいと思うが、今夜は俺がここから離れないほうが良いだろう」
決定、とばかりに大きく溜息をついてドルドレンは立ち上がった。一緒に立ち上がろうとしたイーアンの肩を押さえ、灰色の瞳で真っ直ぐに見つめて微笑む。
「食事にするか。・・・・・少し待つことになると思うが」
イーアンをベッドに座らせたまま、ドルドレンは扉を開けて人を呼び、何か言いつけてまた扉を閉めた。振り向いて困ったふうに笑ったドルドレンは、食事を途中で人に預けたことを打ち明けた。
「食堂で二人分の食事を用意した後、2階に上がったところでこの部屋の明かりが廊下に漏れていることに気がついた。嫌な予感がして、側にいたやつに食事を預け、すぐこの部屋へ入ったのだ」
それで多分、とドルドレンは続けた。その食事は誰かが食べてしまっただろう、と。
「今、この状況を覗き見したくてウロチョロしている奴等が外にいるから、そいつらに食堂へ行って二人分持ってくるように頼んだ」
ハハハと笑ったドルドレンは、イーアンの横に腰を下ろした。イーアンもにっこり笑って、お手数かけます、と頭を下げた。
離れてはいけない。――ドルドレンは表情こそ笑顔だったが、内心、固く誓っていた。
イーアンは遠征に連れて行こう。俺の側にいさせる方が安心だ。魔物のいる場に連れて行くことに懸念はあるが、初っ端からこんなことが起こるようでは、とてもじゃないが置いていくなんて出来ない。
魔物にも他の男にも指一本触れさせるものか、と決心した。
しばらくして扉の外から『持って参りました』の声がかかり、ドルドレンが扉を開け、運んできたものに礼を告げて盆を受け取った。
食事の盆を机に乗せ、お互い席についてから酒を木製の容器に注ぐ。
イーアンは酒の容器を手に持って差し出し、乾杯をしようとすると、ドルドレンは不思議そうな顔で容器とイーアンを交互に見た。
「もしかして、乾杯しないのですか」
「かんぱい?」
ああ、とイーアンは容器を一旦引っ込めた。乾杯の習慣がないことに気がついて、乾杯のことを簡単に説明する。ドルドレンはふんふんと頷き自分の容器を手に持ち、前に差し出した。
「イーアンとの出会いに乾杯だ」
「ドルドレンとの出会いに感謝して」
二人の笑顔を、揺れる明かりが照らす。カツンと容器の当たる音がして、一口ずつ酒を飲み込み、容器を置いてどちらともなく笑い声がこぼれる。
さて、と一声かけて、ドルドレンが食事の内容を一つずつ説明してくれた。
平たく固めて焼いた、穀物の風味が詰まった主食。汁物は固い植物を時間をかけて煮てあり、肉は草に包んで焼いたもの、と。ヘラに乗せてある白い塊は脂で、肉を加熱した際に草に残った脂を料理につけて食べるという。
イーアンは嬉しそうに、目の前の料理を少しずつ味わう。お腹がまだ鳴っています、と笑いながら。
一口ごとにドルドレンに『おいしい』と伝え、それを確認するたびにドルドレンも嬉しそうに目を細め、自分はこれが好きだとか、自分が子供の頃はこういった食べ物があってとか、話し続けた。
「私の過ごしていた場所と料理が似ていますね。だけどここの食事の方が食材の味わいが深くて好きです」
「そうか、良かった」
ドルドレンは安心したように笑顔をほころばせた。イーアンはその顔を見てピタリと手が止まった。手元の止まったイーアンが少し赤らんだ顔をしていることに気がついて、ドルドレンは『どうした』と訊ねた。
「いいえ、何でもないです。 ・・・・・ドルドレンの笑顔が温かくて素敵でしたので、つい」
「え」
イーアンの素直な誉め言葉は、ドルドレンには抵抗力が無い。ドルドレンも顔が熱を持つのを感じながら、恥ずかしさに俯いて『ああそうだったのか』ともごつきながら、忙しく食事を口に運んだ。
「あの、イーアンもだ。 イーアンの笑顔も優しくて好きだぞ」
料理を口にほおばり俯いたまま、ドルドレンはイーアンを一日見ていて感じたことを伝えた。少し恥ずかしくはあったが、彼女を誉めたかったことが口に出せて嬉しかった。
目を合わせようとしない黒髪の男を見つめたまま、イーアンは固まった。反応のないことに気がついたドルドレンが見たイーアンは、顔が赤くなって、自分と目を合わせた途端に下を向いて料理を食べ始めた。
フフ、とドルドレンの笑い声が漏れる。イーアンが照れたのか、と。
つられてイーアンも笑う。
「今日、こんなに美味しい夕食を食べることが出来るとは思いませんでした」
「良かった。俺もこんなに楽しい食事の時間が来るとは思わなかった」
食事を終えるまで、食事の話に専念しましょう、とイーアンが提案したので、ドルドレンは受け入れた。
誉めると食事が止まる、と笑って。




