169. 王様訪問日~フェイドリッドの胸中
支部に入った、王を含む7名は医務室にいた。
御者2名は相当な恐怖だったようで、ベッドに座らせるなり横になってしまった。彼らは仮眠しかとっていないこともあり、そのまま休ませるように医者に告げられる。
逃げ出した2名の騎士も、ベッドにいるように言われた。さすがに倒れはしなかったが、見たこともない魔物と対面し、追われた恐れが抜け切らない。誰とも目を合わせようとせず、歯がカチカチ音を立てて震えていた。『重い豪奢な鎧を外して、少し緊張を和らげなさい』と医者に促がされていた。
以前。同じ魔物に追いかけられ、ストレスで倒れたパドリックは、医務室の外で彼らの様子を伺っていた。パドリックは彼らの心境がよく理解できるのもあり、同情の視線を送っていた。
王と一緒に馬車にいた騎士も、王から離れるわけにいかないから側にいたのだが、本音は怖くて馬車から出られなかった。生まれて初めて面と向かった魔物に『殺される』と感じた怖さで、腰が抜けて立てなかった。
それは誰にも言えなかったが、真横にいた王には伝わっていた気がした。
王も衝撃を受けていたが、報告書や空を飛ぶ姿は知っているので、他の者よりは精神的に耐性があった。自分が下手に動いては大変なことになるのを理解はしていたが、馬車から降りてどうこう出来るとも思えなかった。
セダンカも王と同じように、魔物の姿を報告書や、王都の外で見かけたことがあったので、どうにか精神的に耐えることは出来た。しかし普段は王城内の職務に就いている男に、為す術のない恐怖の時間は堪えた。
彼らが医務室へ入って5分も立たない内に、ドルドレンが入ってきて、ベッドに腰掛けた王とセダンカに、負傷した箇所や心の状態を尋ねた。
「世話を掛けた。すまなかった。そなたたちのおかげで、私は何ともない」
開口一番で謝罪する王に、ドルドレンは跪いて首を振り『ご無事で何よりです』そう答えて胸をなで下ろす。セダンカを見ると、セダンカも小刻みに震えながら『迷惑をかけてしまった』とドルドレンに謝った。
セダンカも外傷は見えないので、ドルドレンは少し安心した。怪我をされては一大事なので、心傷は止むを得ないものの、とにかく無事で安堵する。
「帰り道は私が同行します。御者もこちらで馬車隊の者をつけます。見たところ、この人数で視察にいらした様ですので、こちらも数は控え、極力腕の立つ者だけを選抜して王都までお送り致します」
ドルドレンの提案に王は頷き『頼んだ』と短く答えた。
汗のうっすら浮かんだ白い額に手を当て、『少々ここで休んでも構わないか』と言うので、ドルドレンは『大したご用意が出来なく恐縮ですが、このような場所で宜しければどうぞお使い下さい』と促がした。
「総長、申し訳ないのだが、私も休ませて頂いて良いだろうか。昨晩は緊張で眠れなかったのだ」
セダンカも青白い顔で震えが止まっていない。その様子を気の毒に思うドルドレンは、眠って回復するように伝えた。
「御者の者はもちろんですが、お連れの騎士にもここで休める間はお休み頂くようお願いします。
私は一旦下がらせて頂きます。何か御用がありましたら、医者か近くの者に言いつけてお呼び下さい」
王の青紫色の目を見ながら、跪くドルドレンが退出許可を申し出ると、王は頷いて『ありがとう』と礼を言った。
ドルドレンが医務室から出ようとすると、王がその背中に声を掛けた。
振り向くと、王は少し躊躇いがちに『イーアンは』と質問した。外で皮を剥いでいる、と言っていいものか、一瞬戸惑ったドルドレンだったが、嘘を言う気にもならず正直に伝えた。
「何。皮と言ったか」
「そうです。殿下がご覧になった鎧に使われた魔物こそ、今日のあの魔物です。大変貴重な素材ですので、彼女はその皮を集めています」
何も答えられない王は、ドルドレンの灰色の瞳を見つめて小さく息を吐き出し『分かった。下がって良い』そう言いながら、落ち着かない視線の向け先を探すように俯いた。
では失礼します、と返事をしてドルドレンは出て行った。
ドルドレンは朝っぱらのこの件のせいで、今日の業務が一気に山積みになった。大急ぎで一連の書類を作って、大急ぎで遠征状況整理と、送りの隊の組み合わせを作らないといけない。昨日の午後にすっぽかした仕事もあるので、小走りに執務室へ向かった。
医務室に残された王とセダンカは、二人だけで聞こえる声で少し話をした。従者の騎士たちに聞かせる気がないのもあった。
「セダンカ。そなたには迷惑を掛けた。寝ずの番をしていてくれた上に、このような恐ろしい目に」
「殿下が気にされることは何もありません。私は緊張で眠れなかっただけです。魔物に襲われるとは思わず、回避する道を考えることも出来ませんでしたことをお許し下さい」
「あんなものがうろついているのか。よくこんな状況で生活など出来るものだ。いつ殺されるか分からないというのに」
「その通りです。・・・・・この二年で。どれほどの国民がここを離れたでしょう。離れる前に、どれほどの命が犠牲になったでしょう。それを思うと私は」
「言わないでくれ。それはセダンカが常に気にしていた。そなたは議会でも国民を救うために、魔物被害を慎重に考える必要があることを、いつも話していたではないか。
私はもっと早く、そなたの言葉を理解し、行動する必要があったのだ。身を以って知るまで理解しないとは、一国の王としてどれほど情けないことか・・・・・」
「殿下がこのような目に遭われてはいけないのです。殿下は国そのものなのです。どうぞ、そのようにご自分を責めないで下さい」
「私の立場は理解しているが、『国』である前に、私も一人の国民だ。それなのに」
セダンカは目の前で衝撃に打ちのめされた若い王を見つめ、ただ気の毒に思うしかなかった。王は苦悶の表情で額に手を当て、項垂れている。
王とセダンカは、小声でお互いの思うことを少しずつ伝える。従者の騎士たちとはベッドの距離が離れていたので、二人の会話は暫く続いた。
「大変な目に遭ったが、命は助かった。誰も犠牲にならずにも済んだ。不幸中の幸い以外の何物でもない。メーデ神のご加護によるものだろう。この教訓を生かさねば」
「メーデ神が、私たちの使命をより良く理解させるために、お取り計らいになったのかも知れません。
私たちが魔物に襲われても、運の良いことに支部のすぐ近くでした。
彼らは私たちの危機に即駆けつけ、助けてくれたのです。民間人であったら、助けようにも手も足も出なかったはずです」
「そうだな。不幸中の幸い、とは正に今日のことだ。本当に・・・・・とんでもないことに出遭った。
彼らが来る前の馬車の中。魔物が馬車に体当たりした音と揺れで、私はもう死ぬのではないかと過ぎった。あんなに大きく、気持ち悪い生き物が何頭も我々を囲んで、生きた心地がしなかった。
しかしここへ来たことを悔やんではいなかった。今もそう思わない。むしろ来るべきだったのだ、と頭のどこかで分かっている。騎士たちの生き様の片鱗を、私こそが知るべきだったと。王たるこの身がこそ」
「殿下。あなたは大したお方です」
セダンカの目に涙が浮かんだ。王とはこうした人がなるのだ、と心から感じた。ちょっとワガママで世間知らずで甘ちゃんだが(本音)、やはり王となる器を持っている。それをしみじみ感じた。
二人が魔物対面の衝撃による意気消沈を超え、再び気持ちを取り戻そうと理解を深めていると。
「こちらにフェイドリッドはいますか」
王の所在を尋ねる、中性的な声が離れた場所から聞こえてきた。王とセダンカは顔を見合わせ、立ち上がる。
それと同時に、戸口に近い位置のベッドにいた騎士団の一人が立って『お前などが何の用だ』と廊下に向かって苛立ちを露にした声をぶつけた。
もう一人の騎士も廊下に向かって『自分の身分が分からないのか。王の名を呼ぶなど不届き者が』と言い捨てた。
フェイドリッドは入り口に駆け寄り、イーアンが廊下にいるのを確認した。罵った従者の騎士2人に向き直って睨みつける。『お前たちの方が自分を知れ。この恥知らずの役立たずめ』怒りをこめた言葉を吐いて黙らせた。
「イーアン。来てくれたのか」
「ご無事でしたか、フェイドリッド」
青紫色の瞳に優しい笑みを湛えて、フェイドリッドはイーアンに手を伸ばす。イーアンは覚えた作法の一つとして、頷いて(※頷く必要はない)自分の手をフェイドリッドの手に置いた。
「そなたに会うには、少々時間がかかったな」
「お越し頂いたのに大変なことに遭遇されましたことを、心から申し訳なく思います」
「なぜそなたが謝る。そなたは助けてくれたではないか」
イーアンは、自分が助けたのではなく、ドルドレンや仲間や龍の力だ、と伝えた。
「そなたは本当に遠慮がちだ。そうだ、こんなところに立っていては話せない。人の場所だが、こちらへ来るか」
奥のベッドに促がされ、セダンカが微笑んでいるのを見つけ、イーアンは会釈した。
「お疲れでしょう。お休みのところをお邪魔して申し訳ありません」
セダンカは疲れた笑顔を向けながら『疲れた。だが無事にこうしてまた挨拶できたことを嬉しく思う』と話した。
あのう、とイーアンは片手に持った包み紙に視線を落とす。
フェイドリッドとセダンカがその視線を追い、包みを見つめてからイーアンの顔を見る。
「魔物が出たので、朝のお食事の時間が過ぎてしまいました。お昼までもう少しかかります。もし宜しかったら・・・・・ほんの僅かですけれど、お菓子を作ったので召し上がりませんか」
セダンカは王を見る。王もセダンカの意思を確認する。王が口を開く前に、セダンカは『私が先に頂こう。信用していないわけではないが』とイーアンに伝えた。イーアンは、それは尤もだ、と分かっていたので差し出した。
フェイドリッドが困惑した表情でセダンカを見つめたが、セダンカは視線をビシバシ受けながらも、毒見役として、白い砂糖の振られた菓子を摘み上げて口に入れた。
食べてすぐ、目をすぅっと開き、不安そうなイーアンの鳶色の瞳を見つめた。
「これは何とも。イーアンが作ったのか」
はい、とイーアンは答えた。昨晩。もてなす方法を知らない自分は、このような菓子を作るしか思い浮かばず、と理由を話した。
「もう良いだろう。私も頂こう」
セダンカを睨んで、フェイドリッドも菓子に手を伸ばして口に入れた。セダンカの感想を聞いていないまま(※中途半端な感想)のイーアンは、高貴な人達の味覚に合うのか、それだけが心配だった。
フェイドリッドの眉根が寄る。うっ・・・と声が漏れ、セダンカもイーアンも危険を察知して慌てる。
フェイドリッドは二人の反応に、さっと手を上げ『違う。誤解するな』と反応を待つよう、短く注意した。
そして目を閉じて、ゆっくり口を動かす。緊張に包まれる時間の長さに、イーアンは具合が悪くなりそうだった。味わった王は、ごくっと飲み込んだ音と共に、長い睫をふっと上げて微笑んだ。
「何と。こんなに美味な菓子とは。なぜ口に入れた途端、繋いだ手を解く女性のように・・・菓子が解けて消えてしまうのかと驚いた。
香ばしい木の実の香り、繊細な口解け、爽やかな芳香と舌に思い出を残すような香辛料、優しく包み込むような甘さ。何と美味な菓子だろうか。イーアン、これをもう一つ頂けるだろうか」
――なんて詩的なの。さすが王様。支部にも詩的表現が出来る人はいるけれど、王様が言うと御伽噺みたいに聞こえるものなのね・・・・・
感動するイーアンは、お菓子を作って良かった~と心から自分の判断に拍手した。そして包みを差し出して『これはフェイドリッドと皆様のための分ですので、どうぞ召し上がって下さい』と渡した。
「今。お茶を淹れて参ります。お腹が空いていらっしゃるでしょうから、先に食べていらして下さい」
イーアンは微笑んで、厨房へお茶を取りに行った。
フェイドリッドはイーアンの背中を見送って、手渡された菓子をもう一つ口に運ぶ。セダンカも一つ手を伸ばし、ちょっと手前で止めて、王の表情を確かめると『食べるが良い。イーアンは皆のためにと言っていた』そう不満そうに呟いて、菓子を差し出した。
「あいつらは要らないでしょう」
解ける菓子の儚さに恍惚の表情を浮かべるセダンカは、素で【役立たずな騎士】をあいつら呼ばわりする。
「無論だ。あれらはイーアンを追い払うところだった。とんでもない馬鹿共だ」
王城に戻ったら解雇する、と断言したフェイドリッドに、セダンカは丁寧に頷いて同意した。
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