158. 戻ると忙しい
騎士の待つ場所へ戻ると、連れ去られた隊長を心配した部下が駆け寄ってきた(距離は遠い)。ポドリックが降り、イーアンは乗ったままで会話をする。
「まだこちらにいらっしゃいます?」
「もう充分だろう。あの火はいつ消える?森が燃える可能性はあるのだろうか」
「そんなにはならないでしょう。でも念のため、10分ほどは様子を見て頂いて良いでしょうか」
「分かった。これから中へ入って、遠くからでも火が消えたか確認できれば良いな?」
はい、とイーアンは頷いた。『では私は戻ります』そう言ってポドリックから黒丸入りの荷物を受け取り、『皆さん。気をつけてお戻り下さい。また後で』を最後の挨拶に、イーアンは龍と共に空に飛んで行った。
コーニスたちが心配して、ポドリックの身の上に何があったのかを質問した。そしてポドリックが勇ましく龍に乗った事を誉めてくれた。ポドリックは生返事で答えた。
一昨日の夕方にドルドレンが来て『イーアンの回収に注意するように』と言っていたのを思い出していた。今回は自分だけが疲労したが、部下が無事で、それは幸運だったのかと思うようにした。
この後、全体で森の中へ入り、炎の痕跡がないことを確認した。野営地を貸してくれた地主にお礼を伝え、一行は帰路に着いた。
イーアンは支部に戻る道(空中)すがら、ドルドレンに何て喋りかければいいのかを考えていた。でもどれほど考えても、あまり名案は浮かばなかった。
「きっとまだ・・・・・」
ドルドレンの自分を嫌がった態度を思い出すと、イーアンはまた泣きそうになった。しょげても泣いても、何にも解決しない。どうしたら良いのか分からなかった。
魔物のことを考えている間は、結構忘れていられた。自分はそういう所はストイックなのか。もしかして薄情なのかも。でも仕事に打ち込むと、少し悲しみから距離を置けるのは助かった。
とにかく工房へ戻ったら仕事をしよう、と決める。ダビに鍵を預けてあるから、ダビを探すのが最初。そう考えていると、あっという間に支部へ着いた。イーアンは龍を降り、お礼を言って帰した。
上空から見て裏庭演習が始まっているのを見たため、イーアンは裏庭門の外に降りたが、すぐに迎えが来てくれた。迎えは有難いことにダビだった。
昨晩イーアンを探したがいなかったから、と、ダビは鍵を渡しながら『後で工房行きます』と短く用件を伝え、演習に戻った。
イーアンは他の誰かに話しかけられる前に、足早に工房へ向かってすぐに中へ入った。今はあまり人と話したくなかった。ドルドレンは執務室かもしれない。会いたいけれど会えない。
黒丸の包みを机に置いて、暖炉を熾す。外から水を汲んで、鍋を暖炉の鉄の棒に引っ掛けた。暖炉の炎が強くなるまでの間、イーアンは貰った干し肉を食べる事にした。
赤い毛皮のベッドに腰かけて防護靴を脱ぎ、手袋を外して、肉を齧る。時間はまだ10時前だった。
ぼんやりしていると、扉が叩かれた。ダビではない、と判断したが、ギアッチかなとも思う。
はぁ・・・と息を吐き出して立ち上がり、声のしない扉に『はい』と一言だけ投げた。名乗らない。誰だろう、と思って『どなたです』ともう一度、聞こえるように大きめの声で言うと、『ごめん』と低い声が聞こえた。
急いで扉を開けるとドルドレンが立っていた。ドルドレンが辛そうな表情で自分を見て『ごめん』と呟いた。イーアンは抱きつきたかったが、どうして良いか分からないで、工房の中へ促がした。
灰色の瞳が自分を見ているのは分かるが、イーアンは目を伏せた。ドルドレンが中へ入ったので、扉を閉めると、後ろからドルドレンがイーアンを抱き寄せた。
「ごめん。イーアン。ごめん」
イーアンの涙が床に少し落ちた。ドルドレンの腕の中で向きを変えて、温かい胸に顔をつけた。『俺を抱き締められる?』不安そうなドルドレンの声が小さく聞こえる。
そっと腕を回して、イーアンはドルドレンを抱き締めた。ドルドレンが腕に力をこめてイーアンを抱き締め返す。イーアンがすすり泣く中、ドルドレンはイーアンの髪に顔を埋めて『本当にごめんなさい』と謝った。
腕に抱いたイーアンを少しずつ誘導して、ドルドレンはベッドに腰かけた。抱いたまま膝に乗せて、泣き止むのを待つ。ちょっと顔を見ようと、体を離して螺旋を描く髪の毛を耳にかけてやると、イーアンは俯いてしまった。
「イーアン。こっち見て」
ドルドレンが覗き込む。イーアンが泣き顔で睫をびっしり濡らしたまま、ドルドレンの顔を見つめた。その顔がもう、可哀相で仕方なく、ドルドレンは彼女の頭をぐっと自分の胸に抱いた。
「俺が悪かった。酷いことを」
ううん、とイーアンが頭を振った。『ドルドレンが私を嫌いになったと思った』と呟いて、また涙を目に浮かべる。涙に口付けしてドルドレンが謝る。『そんなこと言わないで。嫌いになんてならない』何度も頭を撫でながら『イーアン。ごめんね、愛してるよ』とドルドレンは言い続けた。
ドルドレンはイーアンの書置きを持っていて、それを見せた。『俺の名前だ。それに謝ってる』と言うと、イーアンは頷いた。
「俺の名前はちょっと綴りが面倒でね」
それで紙を見せながら指差して、この部分にもう一つ同じ字が入るよ、と教えた。
イーアンが涙目で見つめているので、イーアンを腕に抱いたままペンとインクを引き寄せて、紙の下の方にもう一つ書き足す。
「これが『イーアン』だ。それで」
続きにもう一つ書く。
「これが『愛してる』だ」
ペンを置いて、イーアンの鳶色の瞳を覗き込んだ。イーアンは紙を見つめて小さく頷いた。ドルドレンが『キスして良い?』と訊くと、イーアンは微笑んだ。ドルドレンも微笑み返して、大事そうにイーアンにキスをした。こんなに大切なのに、と唇にも頬にも目にも口付ける。こんなに大切な人を、俺は何であんな酷いことしたんだろう、そう思いながらイーアンをぎゅっと抱き締めた。
落ち着いたイーアンが、鼻をすすってドルドレンに話し始める。
話の内容は遠征報告だった。『後で会議で話すと思いますが』と言いながら粗筋だけを伝えたので、ドルドレンは静かに聞いていた。そして『今日もよく頑張ってくれた』と頭を撫でた。
ドルドレンは昨日話したかったことを伝えた。ダビが金属を発注することや、炉がほしいと話していたから予算を立てること、イオライセオダの日程。
「それと。今度ここのベッドを買おうと思う。二人で眠れる大きさのを」
イーアンがちょっと笑ったので、ドルドレンは嬉しかった。ここは仮眠だから、とイーアンは言ったが、『二人で眠るんだから大きいほうが良い』と譲らなかった。
少しずつお互いの思うことを話していると、イーアンのお腹が鳴った。イーアンが恥ずかしそうに笑って、それを見たドルドレンは『広間へ昼食を早めに摂りに行こう』と言った。
「泣き顔ですから、ちょっと」
ああ、そうか・・・と思い、ドルドレンはここに持ってくる、と言うとすぐに出て行った。
ふと、イーアンは午前中にギアッチの授業がなかった理由は、自分が遠征だからかな、と思った。遠征と言うほど出かけてもいないけれど、疲労はある。今日はゆっくり作業をしようと決めた。
しばらくしてドルドレンが戻り、一緒に工房で昼食を摂った。
ドルドレンが食事をしながら『イーアンに手紙が』と盆の上に置いた封筒を渡した。誰から?と思ったら『モイラだ』とドルドレンが微笑んだ。
「まだ字が読みにくいな」
勉強していても、喋るのと書くのは違う。頷くと、ドルドレンは『良ければ俺が後で読もう』と言ってくれた。モイラが本当に手紙を書いてくれたことは、イーアンにはとても嬉しかった。
食事を終え、ドルドレンが食器を下げるついでに執務室へ寄ってくるというので、イーアンは今日は作業をゆっくり行なうと話した。ドルドレンは『イーアンは昨日も遠征で出てるから今日は休んで良い』と答えた。
イーアンの場合、休んでいても工房が居場所なので、休みか仕事かは作業密度によるだけだった。
「ポドリックたちが戻り次第、イーアンも会議だから。休んでおいで」
ドルドレンは執務室で用が済んだら戻ってくると言い、キスをして出て行った。嬉しそうなドルドレンを見送り、昨晩の冷たいドルドレンの記憶を重ねる。思い出したら辛過ぎて、頭を振って意識を戻す。
もうあんなドルドレンを見たくない。絶対に嫌われたくない、気をつけなきゃ・・・とイーアンはしみじみ思った。
午後も早く。ダビが来た。
ダビは昨日、自分が総長に相談した内容を伝える。先ほどドルドレンにも聞いたことを答えると、ダビは表情こそ分かりにくいが喜んでいた。
イオライセオダはもう少し先になるかもしれない、とダビが言う。
「大型遠征が入るのですか」
イーアンが訊ねると、ダビが笑って『そうじゃなくて。イーアンは知らないのかな』と目を合わせた。何のことかな、と思っていると、『やっぱり知らないのか』とダビは話した。
「もうじき年末ですから。この支部でも実家や家族と過ごす騎士が何人かいます。それで人手が減るから」
ああ・・・そうなんだ。イーアンがぽかんとしたので、ダビは少し笑って『私はここにいますけれど、イーアンもかな』と言った。自分に戻る場所はないので、それを伝えると、ダビはちょっとだけ神妙な顔つきになった。
「あまり深くは訊きませんが。イーアンは北西の支部が家ですよ」
ダビの言葉が思い遣りに溢れていたので、イーアンは頭を下げてお礼を言った。ダビもなぜか頭を下げる。『これからも宜しくお願いします』そう言うと、午後は演習に出る予定ということで出て行った。
イーアンは遠征から持ち帰った黒玉を思い出し、外套を解いて出した。一抱えあるので、大きめの容器に移す。
あの時、水面に浮かんでいたこれを見て『種子』ではないかと思った。種子ならもしかすると毒性があるかもしれない。なければ片付けるつもりでいる。残った種子が芽を出すのも困るから、水面にあるものは一応焼いてきた。
この種子のテストは明日。とりあえず芽吹かれても困るため、冷えた地下に運んだ。
地下から上がって、お茶を淹れて、ダビ棚から黒い角を一本取り出した。もう一回、別の剣を作ろうと決めていた。ダビが『部族的な見た目が好きな人もいるかも』と言っていたので、金属の補強がないものを作ってみることにした。
下準備を始めて少し経つ頃、ドルドレンが戻ってきた。ドルドレンは少し困った顔をしていたので、視線で話すように促がす。
「イーアン。また忙しいかもしれない」
一つの大きな封筒を出した。何だかいろいろ続くのね・・・と思いながら、封筒を両手で受け取る。が、読めないイーアンはドルドレンを見つめるだけ。
「王がここに来るかも」
何それ。何でフェイドリッドはここに? 言葉にはしなかったが、イーアンの顔を見て読み取ったドルドレンが何度か頷く。
封筒から中身の書類を引っ張り出し、椅子に掛けたドルドレンは、横にイーアンを座らせて、紙の上に指を滑らせて書いてあることを読んだ。
「ということでね。イーアンと話したことが議会で通ったから、一度ここへ視察に来ると。簡単に言えばそういうことだ」
まぁ・・・一声漏れたのがそれなので、他に言うことはないと分かってもらえた。イーアンはドルドレンにもお茶を淹れて、自分の様子を見ている灰色の瞳に視線を返す。
「私はどうすれば良いのでしょう」
「どうするも何も。視察と言っているんだから、ありのままを見せるだけで良い」
「いつお越しになる予定でしたっけ」
「明後日だな」
んまー・・・・・・ イーアンの中に、緊張がちょっとだけ蘇った。
お読み頂き有難うございます。
ドルドレンの複雑な気持ちを書いていて流れていた曲が『Let’s Hurt Tonight』(~OneRepublic)という曲だったのですが、何となく似ているなぁと思っていました。
男の人からすると、女の人の感覚が分からない部分があって、女の人からすると、男の人の態度にどうして良いのか分からない。というの、古今東西ありますね。でもどうやってもお互い好きなんですね。




