157. すれ違い。&ウドーラの魔物退治
夜中に起きたイーアンは、自分がドルドレンと離れている事に心底寂しく感じた。ドルドレンは眠りについた格好のままだった。
そっとドルドレンのベッドを出て、自分のベッドに戻った。丸めておいた毛皮を広げ、青い布を掛けて一人で眠りにつく。何となく涙が浮かぶ。でも自分が悪いのだからと反省した。
誰だって伴侶が風呂場で他の異性と出くわした上に、何があったかも分からなかったら、嫌な気持ちになるものだろうと思う。気がつきもしなかった愚かな自分が本当に嫌だった。涙が溢れるけれど、別の意識を奮い立たせて泣き止む。
明日、遠征で魔物を倒すのだから泣き腫らすのはだめだ、と唇を噛んで我慢した。
でも。結局、一睡も出来なかった。
夜明けよりも早い時間に、冷え切った外へ出ることにした。いつまでもここにいても仕方ない。早朝に立つと伝えてあるもの・・・と思って、チュニックとズボン、ベルトに革袋を下げ、革靴の上から防護靴を履き、白いナイフと外套、青い布を羽織った。
部屋に置いてあった紙とペンを見て、習い立てのこの世界の字で『ドルドレン』『ごめんなさい』と書いた。
字が合ってるかどうか分からないけれど、とにかく書き置きを残す。
笛を握り、そっとドルドレンのベッドを見る。よく眠っているので起こさないように部屋を出た。
気持ちを引き締めて、イーアンは裏庭に出て笛を吹いた。冷たい風の吹く暗い空は明るく光り、龍があっという間にやって来た。
イーアンは寂しくて仕方ない気持ちを、龍に抱きついて癒した。龍は何かを感じているように、自分の顔に抱きつくイーアンに目を閉じて、大きな硬い口をイーアンの体にすりすりした。
『ありがとう』小さく呟いてイーアンが龍に上ると、龍はすぐに背鰭を胴体に巻いて浮かび上がった。
「まだ早いから、どこか飛んでも良い?」
浮かび上がる龍にイーアンが声をかけると、龍はゆっくり太陽の登る方向へ進み始めた。
そして上空で、大鐘の声を咆哮で響かせた。その咆哮はこれまでよりもひときわ大きく、長く、ハイザンジェルに教会の鐘が鳴り響いたように轟いた。
大鐘の音に目を覚ましたドルドレンは、自分の傍らにイーアンがいないことに気がついて、慌てて窓に駆け寄った。窓の外、裏庭から東の方角へ向かう小さな何かが飛んでいるのが見えた。
「イーアン」
名前を呼んで、慌ててイーアンの部屋に入る。ベッドに毛皮が置いてあり、そこで眠ったのだと分かった。顔に手を当てて、自分の行動に悔やんだ。もう一度窓の外を見たが、既に何の影も見えなかった。
「ああ」
俺は、と両手で顔を覆う。
イーアンのベッドに腰を下ろし、先ほどまでいただろう、その枕を撫でる。一人でここで眠っていたのか、と思うと胸が苦しくなった。枕が濡れていた。また泣かせて・・・そう思うと、自分の仕打ちが酷く感じた。
昨夜。何だか嫌な思いに蝕まれて、冷たくした自分がいた。イーアンが謝っても答えなかった。抱き締めたい気持ちと、触りにくい気持ちが交錯した。そうした気持ちを抱えたまま、下手に抱き締めるのも良くないと思って触らないでいた。イーアンが悪いわけではないのに、頭では分かっているのに。
ふと机の上に出ている紙を見て、涙が溢れた。イーアンの書いた字。この世界の言葉で習った字が、自分の名前と、短く謝る言葉を紙の上に残していた。
ルシャー・ブラタの工房前で、手紙を見ながら、自分の名前を早く書けるようになりたい、とイーアンは言っていた。つづりがひとつ間違えているが、ちゃんと俺の名前だ、と見つめた。ドルドレンは紙を手に涙がこぼれた。
青い龍はイーアンを乗せて、太陽の上がる方へゆっくり飛んでいた。イーアンは光の移ろう時間の空に感動しながら、冷たい風を縫って空を進む奇跡に感謝した。
体を包む青い布があるおかげで、出ている所以外は寒くなかった。顔が冷たくなると、布を引き寄せて顔を包み、どこまでも続く空を眺めた。自分がこんなに素晴らしい体験をするとは。感激と感謝以外はない。
龍はどこまでも飛ぶ。イーアンと遥か昔に旅したことを覚えているのか。その時はイーアンではない誰かだったことを理解しているのかどうか・・・・・ 龍はそうした細かい事はどうでも良いのかも知れない。
地平線に太陽の最初の光が走る。その圧倒的な壮大さに、こぼれた涙が次々と風の中へ飛ぶ。
そして青い龍の背鰭をぎゅっと抱き締めて『ありがとう』と礼を言った。龍は大量鈴を鳴らす声で答えた。『本当にありがとう。そろそろ昨日の湿地へ行きましょう』イーアンの声に、龍は体を捻って方向を変え、来た道を戻るように、何も遮らない空を加速して駆けた。
湿地に着くまでに太陽は上がり、山脈の上に丁度太陽が乗った時。イーアンは野営地に到着した。
テントが見える上空へ行くと、下に落ちた龍の影に気がついた数人が手を振った。イーアンはそこから少し離れた場所に龍を降ろし、龍に待っているように頼んでから騎士たちに挨拶に行った。
彼らは朝食を済ませた後だったようで、ポドリックがイーアンに朝食を食べたかどうかを訊ねた。まだだ、と答えると、待っている間に食べるよう干し肉をくれた。
「イーアンは昨日、案があると言ったな」
焦げ茶色の髪を撫で付けながら、あくびをする大男に、イーアンは自分が上から魔物に打撃を与えられる可能性があることを伝えた。
「真上からであれば、多分特に危害もないと思うのです。それで命中すれば、その後の作業が楽になるのでは」
「何をする気だ」
「はい。ディドンが剣を使った時の話を聞いたので、剣に塗った毒を上から落としてみましょう」
コーニスが横で聞いていて『あれか。切ったらすぐ、引き攣れていたからね』と頷いた。ポドリックとコーニスに了承を得ると、ポドリックが『じゃ、もうやって来ていいぞ』と言った。
「もう良いですか」
「そうだ。早く帰ろう。ウドーラは湿気ぽくて体が気持ち悪い」
ポドリックが夜、眠りにくかったことをこぼしたら、ハハハ、とコーニスが笑い『ここは西境だから、川も多いしね』と言う。地域の名前を知らないままだったイーアンは『ウドーラ』と繰り返す。
『何だったら、イーアンが止めさしてくれて構わないですよ』とコーニスはほとんど本気で言っていた。『それが可能そうであれば、そうします』イーアンも答えて笑った。
待たせた龍に乗って、イーアンは朝日の中を森の上に飛ぶ。『昨日見た、あの変な生物の真上に行きたいの』そう言うと龍は、つるつる~と進んで宙で止まった。真下に魔物の中心が見えた。
少し高度を下げてもらうと、中心がはっきり見えた。特に穴があるわけでも何でもない。単に伸びている葉の付け根。ただ。妙に膨らんでいる。
「あれ。もしかして水でも入っているのかしら」
イーアンが思い出せる限りで、ああした植物の動きは確か・・・水分が行ったり来たりすることで行なわれている気がした。後は何だったっけ。植物のストレスで、耐性誘導ホルモンの移動が信号で送られるみたいな話だったような(記憶曖昧)。
「 ・・・・・だとして。そうすると」
えーっと。これが植物系統の魔物、とした場合。【とりあえず傷を付ける⇒傷口に毒を落とす】のが良いのかしら?イーアンはこの方法で行くことにした。違ったら、もう焼いちゃおう(対処が極端で適当)。
「うーん。どうやってあの真ん中に大きな傷をつけようかしらね」
イーアンが顎に手を当てて考える。龍がイーアンを振り返った。イーアンはその金色の目を見て『何?』と訊いてみた。龍は首をゆらゆら振りながら、もう一度イーアンを見た。
「お前。何かしようと思っているの」
その言葉を聞いた龍は、一度真上へすっと上がり、それから急降下した。あららっ、とイーアンが背鰭に慌てて抱きつくと、真っ逆さまに突っ込んでいく龍は前脚を突き出して、植物のど真ん中を切り裂いて真上に急上昇した。
魔物が妙な動きを始めたのが見える。龍が真上に上がって止まったのでそこから下を眺める。伸ばしていた葉っぱは、次々に動いて、妙な形にくねり、水を分ける音が聞こえた。
「すごく助かったけれど、お前の手は大丈夫?」
イーアンがちょっと心配になって龍に訊くと、龍は全然関係ない方向を向いて無視。前脚を覗いて見るが、特別何ともなさそうである。
このくらいは影響がないのかな、と思って、とりあえず積極的な行動にお礼を言うと、龍は嬉しそう鳴いた。
「では、次は私ね」
イーアンはツィーレインの毒袋を取り出し、2つ落とす事にした。この魔物がどのくらい大きいかは上空から見て理解している。2つで効くかなぁと思いつつ、毒袋にナイフの先で小さな穴を開けて、ぽーい・・・と中心の傷に向けて放った。
効果がありそう。暫く見ていたら、5分も立たない内に反応が見えた。
少しずつだが、色が変わってきたのが最初の変化だった。周囲を見ていると、伸ばした葉が縮んで戻ってきている。1本、2本、3本、4本、5本・・・・・ あちこちから、どんどん葉っぱは中心に向かって集まってきて、100以上の葉が奇妙な収縮を起こした。
葉脈で先まで繋がっているとしたら、大本の水分調整で伸びたり縮んだりさせている分、その水分に毒が入ったら回りが良さそうに思える。
そこから先は、何とも言えない光景だった。除草剤を散布した空き地の一週間を、早送りで見ている気分だった。
「あれかしら。干しワカメと同じで、あれも水分を取ってしまえば、基本のサイズは小さいものなのかしらね」
もしそうなら、毒袋2つは魔物の体に良い量だったのかもしれない。イーアンは観察しながら、出来るだけ細かい変化を覚えておこうと思った。帰ったら記録に付けないといけない。
森の向こうで、騎士たちの声が聞こえてきた。何やら自分に向かって叫んでいる様子。魔物をちょっと見てから、イーアンは龍を騎士たちの方へ動かした。
既にテントも焚き火跡も片付けられている野営地跡に、イーアンは龍を降ろした。ポドリックが近づいてきて『どうだ』と訊いたので『いっそ、龍に乗って見てみませんか』と誘った。
ポドリックは一瞬嫌そうな顔をしたが、『今回は自分が全隊長だから、止むを得ないのか』とブツブツ言いつつ、割りと潔く?龍に上ってきた。
ポドリックが男らしく騎(龍)乗したことに満足し、ヒレに掴まるよう指示して、イーアンは龍を飛び立たせた。
下方で『隊長』『連れてかれた』『やられた』と人聞きの悪い声が聞こえたが、自分の目で見たほうが早い、とイーアンは思っていたので、ポドリックを連れてそのまま魔物の上空へ進んだ。
ポドリックは後ろで何やら言っている(※怖くない、高くない、落ちないetc)様子だったけれど、『下にいます』とイーアンに指差された方を見て『あ』と黙った。
「どうでしょうか」
「 ・・・・・あれ、もう死んでるよな。黄色いし枯れてそうだ」
「さて。近づいてみませんとそこまで断言できません」
「イーアン。近づくのか」
お嫌でなければ行きましょう、とイーアンが振り向くと、ポドリックは眉根を寄せて非常に嫌がっている顔で溜息をついた。
「ポドリックは嫌ですか」
「なぜイーアンは嫌じゃないんだ」
笑ったイーアンが『まあ、とにかく降りましょう』と龍を叩くと、龍はつるる~と下降した。ポドリックが小さな悲鳴を上げたが、彼は男性だから黙っててほしいだろう、と思ったイーアンは何も言わないでおいた。
「着水しなくて良いの。近くまでで止まってくれたら」
イーアンの声に応じ、龍は巨大な中心の上に留まった。
龍が切り裂いた傷は、後の毒投下により既に大きく捲れて広がり、膨れていた葉沈的な物も崩れ、周囲は咽るような甘ったるい臭いが充満していた。放射状に伸びていた葉も縮まって、水にプカプカしていた。粘液が水に溶けているのか、湿地の水にとろみがついていそうな感じだった。片栗粉を溶いた料理のきらり、と似たものが見える。
「これは間違いなく死んでいる気がする」
「だと良いですね。ちょっと降りれそうな場所に降りますか」
「いいじゃないか、降りなくても。何でイーアンは行きたがるんだ」
「ポドリックがついていてくれますから、安心なのです」
ぐぅっ、と呻くポドリック。そう言われては一緒に降りないわけに行かない。湿地の水から浮いている地面を見つけ、龍に着地してもらい、イーアンは地面に降りた。ポドリックも嫌がりつつ降りる。
渋るポドリックに剣で葉を突いてもらうが、葉はぐったりしてもう動きはしなかった。もう行こう、とポドリックが帰りたがるのを待たせ、イーアンは周囲を見つめる。
「あった」
イーアンが足が濡れるのも気にせず、ざぶざぶ湿地に入る。防護靴があるから余裕なイーアンは、水に浮かんでいる、クルミ大の黒い丸い何かを集めた。一旦戻ってきて、ポドリックにそれを持ってもらう。ポドリックは怪訝な顔で手に乗せられた妙な黒い丸を見つめたが、イーアンは再び水の中へ行ってしまった。
これを何度か繰り返すと、イーアンは満足したのか、一抱え分の黒丸(※命名)を持ち帰ると言い始めた。自分の外套を脱いでそれに包むと言うので、仕方なしポドリックは手足のように働いて黒い丸を包んでやった。
イーアンが火打石を求めたので、こんな水辺で無理だろう、と言いながらポドリックが火打石を渡してやると、イーアンは水辺に広がる粘液の膜に、何やら垂らしてからそれを放る。それから急いで火打石を打つと、炎が水面を滑った。
「包みを持って龍に乗って下さい」
荷物係りに自動的に任命されたポドリックは、急かすイーアンの指示に刃向かうことなくよじ登った。イーアンは龍に『乗せて』と頼むと、龍はイーアンを大きな口で摘み上げて首元に乗っけた。
「飛んで頂戴」
龍が飛び上がると、イーアンは革袋からいくつかの石を出して放り投げた。龍にさらに上へ飛ぶよう頼んだすぐ、湿地の魔物の中心は勢いよく燃えた。
「さあ。帰りましょう」
荷物を持たせたポドリックに微笑み、イーアンは騎士たちの待つ場所へ龍を向けた。
お読み頂き有難うございます。




