1558. 別行動:命の時間とシャンガマックの新たな力
☆前回までの流れ
ミレイオの存在について焦点が絞られた話が続きました。その頃、別行動中のシャンガマックも、新たな命の時間のために、父・ヨーマイテスと行動に移りました。
今回は、シャンガマックが挑む、生きた状態での『新たな命の時間』その話・・・
「行くぞ。お前の時間を手に入れに」
「うん。大丈夫だ。ヨーマイテスが、俺のために約束したこと。俺が生きて守ろう」
朝食を終えたシャンガマックとヨーマイテスは、お互いの気持ちを短く伝え合うと、気を引き締めて湖に入った。
湖に足を付けたすぐ、水はいつものように二人を引き込み、カワウソを抱っこしたシャンガマックは水底へ。
だが、毎日見ていたファニバスクワンの円盤はなく、ファニバスクワンが一人待つ様子に不思議を感じた二人は、ちょっと目を見合わせてから、どうしたのかと首を傾げた。
カワウソを腕に抱いたまま、シャンガマックは精霊の側へ行くと『ここじゃないんですか』と質問した。魚の顔の精霊は、ゆったりと頷く。
「移動する。一緒に来なさい」
「はい。あの、どうやって移動しますか?俺は父と一緒に泳ぐくらいしか」
「問題ない」
精霊はそう答え、シャンガマックに、しっかり父を抱き締めているように、と伝えた。
ぎゅっと眉を寄せるカワウソ(※何かヤバイ気がする)。シャンガマックは了解して、ぐっと力を込めてカワウソを強く抱き締める。
「少し、ナシャウニットの力を強くするよ。苦しかったら教えてくれ」
「大丈夫だ。この程度」
精霊の界域に入るのかもと察し、二人の間を行き交う精霊の力を増やし、シャンガマックはヨーマイテスを気遣いつつ、精霊に『準備が出来た』と教える。
「それでは行こうか・・・お前たちから、やや距離を持った方が良いのかな。シャンガマック、決して振り返ってはいけない」
「あ、ああ。はい。分か」
『りました。』を、言うまで待たず、精霊の体は一瞬で消える。
驚くと同時、二人も声を出す間もなく、強烈な光の引力に吸い込まれた――
振り返るなとは言われたが。
目を瞑って耐えるだけで精一杯だった、物凄い引力に、シャンガマックは急に放り出された場所でつんのめる。
「振り返る間なんか、なかったな」
投げ出されたカワウソは、つんのめった息子に寄って行って、引っ張って出す(※砂に埋もれてる)。
息子の頭が、柔らかな砂地から出て来て、瞬きしながら『何が起こった』と困惑しているので、ヨーマイテスは周囲を見渡して教える。
「さぁて。ファニバスクワンがいない。聞きようもないが、ここはどうも俺向きじゃなさそうだ」
「精霊の場所か?」
「とも、違うような気がするな。だが、精霊が連れて来たわけで・・・ここは水の中。バニザット、立て」
水の中だが息は出来る。これはいつも通りだし、体はフワフワするから、やはりここは『水』なのだ。砂の入った服を軽く引っ張って、踊るように落ちて行く砂を出すと、シャンガマックはカワウソを抱っこ。
「辛いか?ヨーマイテス向きの場所ではない、と言ったが」
「お前のおかげか、辛くはないけどな。違和感は体中に感じる」
とりあえず抱っこして連れ回ることにし、シャンガマックは父を自分から離さないよう、気を付けながら、ファニバスクワンを探して近くを泳ぐ。
「どこにいるんだろう」
水色の風景は、所々に黒っぽい岩が見える砂地が続くだけで、他に何も見えない。どこから出て来たのかもはっきりしない。
「ここまで来たら。別に振り返っても良いんだよね」
見渡しても、真後ろだけは向かないでおいたシャンガマックに、カワウソは『お前は真面目過ぎる』と笑った。ちょっと恥ずかしそうな息子の顔に手を当てて、ヨーマイテスは『到着したんだぞ』と改めて言う。
「うん。でも。俺には本当にここか、分からないから」
「俺が『俺向きの場所じゃない』とか『精霊の場所とも違う』と言っている時点で、いつもと違うだろ」
そうか、と頷くシャンガマック(※のんびりしているから)。
ファニバスクワンに『ここだ』と言われれば、安心もするが。
とにかく頼れる父がいてくれて良かった、と思い、後ろを向いて確認し、少し先へ進んで左右を見て、これを何度か繰り返した。
暫く、自分たち以外の気配さえ感じないままだったが、ふとヨーマイテスが動く。腕の中で頭を動かしたカワウソは、じっと斜め前を見つめてから『おい』と息子に呼びかける。
「あれだ」
「どれ?何がある?」
いきなり言われても、シャンガマックに何も見えない。見えないと言うべきか、特に何があるわけでもない場所・・・を、父は見つめている。
「ヨーマイテス。俺には分からないが。何だろう」
「近くへ行け。それでか。俺が一緒で何よりだ」
「何のこと?」
とりあえず行け、とカワウソが見上げるので、シャンガマックは示される方に泳ぐ。
薄っすらと明るさがあるだけの、海底なのか、湖底なのか。
精霊の力が働いている環境と似ているから、目に水が沁みることもなければ、呼吸も水に影響されないため、体が浮くだけで本当に水なのかどうか、分かり難い。
ただ。シャンガマックも感じ始める。首と両腕に着いた金の加護が、徐々に熱を持ち始め、それは抱っこしているカワウソも気づき、その体を浮かす。
「熱いか?大丈夫?」
「熱いと言うほどじゃない。だがこれ以上、強まると俺が触れているのも」
そう言いながら、カワウソはぴゅっと息子の腕をすり抜け、彼の頭の横に並んだ。目を合わせた二人は『もう始まる』と互いに感じ、呟く。
「良いか。バニザット。お前の目には映っていないようだが、俺には見え始めた。ここに『戸』がある。ただの戸じゃない。ファニバスクワンの円盤だ。俺はここから先は近づけない。お前だけがこの先へ」
ここ、と指差した前方に何も見えていないシャンガマックは、目を凝らしてみる。
だがそれは意味もなく、戸惑いながらも父の言葉に頷いて『待っていてくれ』と頼み、息を吸い込むと、何があるわけでもない場所に向かって泳いだ。
そして理解する。泳いだ先に、揺れた不思議な透明の線を見て、目を丸くしたその後。
円盤らしい影に放射状の線が走り、中から一瞬溢れた光は、近づいた騎士を吸い込んだ。後で見守っていたカワウソは『バニザット』と、小さな声で名を呼んだが、息子は消えた。
「お前が・・・これまでもそうだったが。なぜ、見えないのか、と思っていた理由(※1152話参照)。お前に『制限』があったのかもな」
ここ最近は、少しは良くなったと思っていた。とは言えそれも、感覚的な鍛錬によるような印象であり、バニザット自体の能力の解放とは異なる。
呟くヨーマイテスは、一人残った場所で座り、目の前で出たり消えたりしている円盤を見つめ続けた。
*****
吸い込まれた場所は、随分と古びた遺跡の中。
シャンガマックに理解出来るのは、それくらいで、他は全く理解出来ない状態だった。非常に古いと思われる遺跡の空間に、敷き詰めるように小さな絵が掛かっている。
よく見れば、それは『掛かっている』というより、空間の何もない場所に張り巡らせた具合で、浮いているし、揺れているため、シャンガマックに少し怖れを抱かせる。
ヨーマイテスに最初に連れられた、あの遺跡の中のよう。先祖の絵が沢山あって、どこもかしこも、彼の絵ばかりの不思議な空間を思い出した。
だがあの空間では、絵の中身が動いていたが、ここは絵の中は静止しており、描かれた対象は、自分――
「俺だ。俺の過去」
鳥肌が立つ、言いようのない怖れを抱えたが、呟いた後にふっと体が軽くなった。柔らかな朝焼けのような灯りが空間を照らし、それは水中に差す光に似て、揺れ続けながら騎士を染める。
『絵の終わりに立ちなさい』
どこからともなく聞こえた、精霊の声。ファニバスクワンの声にも聞こえるし、ナシャウニットのようにも聞こえた。
自分の首と両腕を守る加護は、ずっと熱を持ったままで、シャンガマックは早くなる鼓動を感じる。
言われた通りに、ずらっと並んだ小さな絵の終わり―― 子供の頃から続き、少年、青年、そして最近の自分の絵を辿って、一番端の絵の前に立つ騎士。
その絵は、自分とヨーマイテスが一緒にいる絵で、先ほどの『戸を通過する手前』だった。
並ぶ絵の特徴。要所を押さえたような、絵の印象で・・・普段を少しずつ切り取った場面ではなく、何かこう、決定的だったり、自分では意識していなかったけれど、後々に影響を及ぼした場面が絵になっていた。
最後の絵の前で、しげしげと眺めたシャンガマックは、小さな絵の意味に気がつく。
「もしや。この続きは・・・なかったのか」
『次の絵の続きは短かっただろう』
ゾクッとする気付きを無視するように、精霊の感情のない声が響く。胃を押し上げるような苦しさを覚え、シャンガマックは思わず口に手を当てた。
『しかしお前はここで、新しい続きを得る。今、古い道を切る』
「古い・・・新しい続き」
精霊の言葉を繰り返した、褐色の騎士の腰袋が勝手に開き、中からゆっくりと浮かび上がる、鷲の羽(※1133話最後参照)。
「あ。これは」
南の墳墓で魔物を倒した後、傷ついた体を治癒場で治した時。その治癒場で手に入れた、骨製の羽が今、ゆらゆらとシャンガマックの顔の高さまで浮かび、キラリと光って額に何か当たる。
わっ、と目を瞑って一歩下がった反応に、精霊の声が突然大きく響き出した。
それもう。何を言っているのか分からないほどの速さで、聞いたこともない言葉ではあったが、精霊の言葉が加速する中でも、指にある龍の指輪の効果で内容は理解出来る。
空間を木霊して駆け巡る、精霊の声。シャンガマックのこれまでに終止符を打ち、一度、その使命を越えたことにされる、と知る。
鷲の羽が浮かんでいた場所には金色の宝石がくるくると回り、額には貫くような、それでいて爽快な浮遊感を得た。
何かが自分を通り過ぎ、小さな肉体を粉々に掻き消した後にも思う、非常に恍惚とした、身軽で自由そのものの感覚に酔う。
――俺は。死んだのだろうか。
過った『思い出』は、それくらい。しかし怖さも恐れも消えた意識は、漠然として混沌、混沌として明快な光の中にあり、息をしているのかどうかさえ、何も気にならない。
精霊の言葉は聞こえるのに、体は疾うに失ったように感じる。
失った殻に未練もない。この自由な状態をひたすら喜び、魂の解放に賛美するシャンガマック。
暫くこの、無限の光に溶け込んだ状態だったが、不意に何か引っ張られるような感覚が生まれ、慌てて目を開ける。目が・・・目。体がないと自覚した後の、『目を開ける』感覚に驚く。
眩しい光はどんどん明度を下げ、暗さに焦る自分の内側から、次の衝撃が弾けた。
「ぐおっ」
思わず呻いた、体を破壊する如く溢れた力。煌々とした光が皮膚の下から突き上げる。
「おお・・・う、うおおお!」
焚かれた炎の中で白熱する金属のように、前腕と首の加護が白く輝き、体中が発光する、その漲る怒涛の力に、シャンガマックの命の鼓動が昂り、ガァァと獅子のような雄叫びを上げた。
シャンガマックに新たな命の時間が入り、肉体は交換され、精霊の声が止んだのは、シャンガマックが床に倒れた時だった。
意識はすぐに戻り、それははっきりとして、息切れをしながら体を起こす。
『この後は戻りなさい。私も後から出る』
聴こえたファニバスクワンの声・・・その続きは、シャンガマックが声にならない声で『はい』と『感謝します』を答えている間に行われ、二度目の瞬きの前には、自分を見つめるカワウソの姿があった。
*****
戻って来た息子を見るなり、カワウソは目を閉じた。
その反応の意味が分からず、シャンガマックは少し不安そうに『帰ったよ』と先に言い、喜んでくれると思っていた分、どうしたのかと躊躇う。
近づいてこない上に、凝視する父。シャンガマックは息切れしながらも、包括した力の脈動を感じながら、ゆっくり進んだ。
「ヨーマイテス。受け取った・・・俺の命の」
「お前は、これまで以上の存在に変わった。命の時間だけでも、特別なのに」
父の言葉に、触れようとした手を止め、じっと碧の目を見つめるシャンガマックは、自分に漲った不思議な感覚のことを、父が感付いたのかと考える。
「ファニバスクワンは」
「もう少ししたら来ると思う。後から出る、と言っていたから。地上へ戻してくれるよ」
そうかと頷くカワウソの声が、耳に届くと同じくらいで、『父を抱えなさい』と水の振動が聞こえる。ハッとして、急いでカワウソを抱き寄せた騎士は、次の一瞬で、目が眩む光の中に引っ張り込まれた。そして。
――バシャッ! 水を撥ね上げる音。
「うわ!」
「またか」
ポーンと水中から吹っ飛ばされる二人。
慌てるシャンガマックの服の裾を、カワウソはパクっと銜え、水に落ちるや否や、水中に沈む暇も与えずに泳ぎ出し、あっという間に、見えていた波打ち際へ引き上げた。
びしょ濡れで立ち上がった息子にお礼を言われ、カワウソは水から上がった息子の水気を飛ばしてやる。
「ああ。有難う。今日は風呂はいいや」
ハハッと笑った騎士に、カワウソは『温度が違うだろ』と指摘(※正しい)。夕暮れ時の少し前。カワウソは獅子に変わり、息子を乗せて風呂へ走る。
「寝るなよ」
「寝そうだ」
疲れた、と笑う息子の声は、いつもと一緒。獅子の背中にぐったりとくっ付いて『ああ、緊張した』と何度も言う。
そんな、素朴な感じは・・・これまでの彼と同じだけれど。ヨーマイテスには、息子が大きく変化したことが伝わる。その変化は、過去のバニザットと同じくらいの強さを得て、もしかするとそれを越える領域を手に入れたような。
息子の話を聞くまでは、余計なことを言わずにおこうと決め、獅子は無口なまま、疲れ切った息子を温泉へ連れて行った。
彼の言葉で。彼の感覚で。何を受け取り、何が変わったのか。
それを教えてもらう時間は、ヨーマイテスにとって、誇らしくも感動の至りでしかない。自分が迎えた息子の命の時間を取り戻し、尚も大きな恩恵を得た、新たな生き方。
感動に打ちのめされそうな獅子は、感じ入れば入るほどに、どんどん口数が減り、温泉に着くまでに、息子にかえって心配された。




