154. 友達と遠征出発
毎朝のように工房へ来るダビに、自分の予定を伝えるイーアン。遠征は午後からで、地域はこの辺り、と地図を指す。地図はディアンタの僧院の地図本で新しい方。
「あれ。ここ前に行った所です」
ドルドレンは執務室なので、イーアンは先ほど聞いた話をした。昨年の魔物被害と同じような内容で、今回も遠征したようだというと、ダビも『そんな感じです』と頷いた。
ダビは彼なりに覚えている事を教えてくれた。
「ここは湿地帯なので、イーアンは靴を替えた方が良いかもしれません。革靴だけだとあっさり濡れます。それと臭いが強いですから、あまり臭いが強くなる場所は気をつけて離れて下さい。立てなくなる者が、1人、2人いました」
「どんな臭いですか」
「湿地全体は生臭い感じでしょ。でもその魔物の活動範囲と思われる場所は、何だか妙に甘ったるい臭いがありました。
最初は何ともありませんが、段々眩暈が始まるような感覚はありました。個人差でしょうが、総長は全く分からなかったと話していましたよ」
ドルドレンは臭いに強いのだろうか・・・・・ ここでは言及するのを控えよう。イーアンは別の質問をした。
「ダビは魔物を切り、触れましたか」
はい、とダビは答えた。
「あの時は、結構な数がいました。100頭くらいだったのでは。
何だかおかしいな、と感じたのは、全ての魔物がある方向から出てきているような気がした事です。確認しようにも切り落とした瞬間、するすると残りの胴体が素早く引いてしまうため、追いつけませんでした。
それと、私は足を引っ張られました。強い力ですが、何が刺さるわけではありません。非常に面倒なべたつきのある毛が生えていて、それに最初は慌てました」
「べたつきに関して教えて下さい。それは素手で誰かが触れましたか」
「そこは総長が言ったままです。誰も素手や肌にその粘液を付けなかったと思います。鎧ですし、足には防護靴を履いていました。手袋も水に強いものを装着していて、顔にはマスクをしています。
魔物に触れられた場所は見て分かるので、それはその場で洗ったり、その辺の葉っぱで拭いました」
あの時は誰も負傷しなかった、とダビは付け加えた。
それでポドリックが30頭くらいだから大丈夫、と言っていたのかとイーアンは思った。
切ってしまえばいなくなるし、粘液は直に触れなければ問題ない。数も30頭ほどであれば、昨年の3分の1だから・・・・・
「イーアン。あなたは何か魔物の見当が付いていますか」
「いいえ、まだ分からないです。実際に見たら分かるでしょう。今は何も」
とりあえず、工房の鍵を渡しておいて『夕方は帰りますから』とイーアンは伝えた。ダビに金属部品で必要なものを聞き出し、問屋に発注しましょう、と提案すると喜んでいた。
ダビが、今後はもっと制作範囲が広がるから、炉も欲しいことを話していたので、ドルドレンに予算を聞いてお願いしてみることにした。
「イオライセオダにはいつ向かいますか」
「それはまだ決まっていないです。そこもドルドレンに話して調整してもらいましょう」
「剣は出来始めていますから、本番じゃなくても顔を出しておく方が良いでしょうね」
「そうですね。ダビも来て下さい。私は金属は・・・この前の問屋でも、ダビがいれば話が楽でした」
そうしましょう、とダビも頷き、イーアンが遠征に出ている間にでも総長に相談する、と話した。彼はこの後、演習に何日も出ていないから出ると言い、工房の鍵を持って出て行った。
昼食の時間になる頃、ドルドレンが迎えに来て、広間でイーアンと昼食を摂った。
ダビが教えてくれた話をすると、ドルドレンも『そうだった』と思い出していた。『苦戦しなかったからあまり印象的ではない』そうだ。
ドルドレンは、ダビの話で思い出して、昼食後にイーアンに防護靴を用意してくれた。少し大きいかもしれないから、普段の革靴の上から履いて良い、ということだった。
その後、イーアンを執務室へ連れて行き、ドルドレンは地図を見せ、部屋の中から方角を指し示した。
「この方向に進むと、森と丘を越えて徐々に川が見えてくるだろう。川は丘を取り巻くように流れている。川を越えてから左を見ると、川の水が幾つにも分かれ始めている場所が見えるはずだ。
街道はないが、畜産を営む民家が点々とあるので、それらが目に付いたらすぐ近くに森と細い農道があるのが分かるだろう。その辺りにポドリックたちがいる」
イーアンは地図を頭に入れて、ドルドレンの指し示した方向と、地図に置かれた指の地点を見つめた。
龍で飛べば、もしかするとほんのわずかな距離かもしれない・・・・・
「もう出てみます。それで間違っていたら、戻ってきてもう一度場所を確認します」
ふむ、とドルドレンは賛成し、イーアンが旅支度を整えたら見送ると伝えた。執務室の騎士たちは二人の話を聞いていて『自分たちも一緒に見たい』と言うので、イーアンは早々に支度を整えた。
イオライの石と酸、ツィーレインの毒、新しい剣と自分用の手袋、青い布と白いナイフを身に着ける。
用意が済んだので、皆で裏庭へ出た。
ふと、思い出して、回収用の空き袋を持っていこうとすると『ポドリックが馬車に積んだ』とドルドレンが教えてくれた。
「イーアンが行くなら何か採るかもしれない、と言っておいた」
人前なので抱きついたりはしなかったが、イーアンは笑顔でお礼を言った。ドルドレンは人前(執務室の騎士の前)でもイーアンを抱き寄せて頭にキスをしていた。皆、すでに普通の光景として見ていた。
「気をつけて行くんだよ」
「はい。間違えたら戻ります。合っていたらそのまま向こうに行きます」
ドルドレンはもう一度イーアンを抱き寄せて頬擦りすると、名残惜しそうに『本当に気をつけて、すぐ帰りなさい』と任務が、あって、ないような言い方をして送り出した。
イーアンは微笑んで『では行ってきます』と手を振り、笛を吹いた。ジリジリ鳴る笛を吹いた途端、遠くの空から呼応するように大鐘の音が鳴り響き、空は光を宿して、あれよあれよという間に龍が飛んできた。
目の前に降り立つ龍に、イーアンは『もうちょっと屈んで』と命令しながらよじ登る。ちくちく煩い注文をつけられても龍はケロッとしていて、イーアンが乗ったのを確認すると、背鰭を一本、イーアンの胴体に巻きつけた。
『はい。出発』イーアンが青い体をぽんと叩くと、龍は浮かび上がり上昇した。
「気をつけるんだよ」 「はい。じゃあまた夕方ね、ドルドレン」
地上から叫ぶドルドレンにイーアンは手を振りながら、青い龍に乗って空へ舞い上がり、あっさりと行ってしまった。
見送りながら執務室の騎士たちは呟く。
「あの人が初めてここへ来た時。ちょっと変わっているな、としか思いませんでしたが」
「ちょっとじゃなかったですね」
「あんな人、いるんですね」
騎士たちの胸中が手に取るように分かるドルドレンは、苦笑しながら『中へ入るぞ』と彼らに声をかけた。
龍と一緒に向かう先を、イーアンは頭の中で思い出していた。地図を描く人はすごいなぁといつも思うが、今回もしみじみ思う。どうやって上から見たふうに絵に出来るのか。
眼下に広がる風景を、記憶の中の地図に照らし合わせて飛ぶ。
「川の付近に森と湿地があるようだけど、上からでも見えるのかしら」
お前、知ってる?と龍に訊ねると、龍は首をちょっと動かして、少し方角を変えた。あれ、と思ったイーアンだったが、とりあえず龍に任せてみようと放っておいた。
龍が向かった先は、地図で見た風景と若干違ったが、確かに川と森がある場所まで来た。左右を見てイーアンは気が付いた。龍が反対側から回ってきたということに。これで川を中心にした周辺全体像が見えた。
「すごいわ。細かいことも知っているのね」
イーアンに誉められた龍は嬉しそうに声を出して、飛ぶ速度を落とした。
「湿地にね。先に来ている騎士たちがいるのよ。その人達と合流して魔物を倒すのだけど、どこだろう」
龍はじっと下方を見るように頭を下に向けた。イーアンがその視線を追って下を見ると、緑色のこんもりした森の隙間が見える。
「もう少し、降りてくれる?」
遠くが見えないイーアンは龍にお願いして、高度を下げてもらう。
確認できるのは、少し離れた場所に流れる幾つもの川の筋。小さな細い道。放牧されている牛の背と民家。湿地と思われる、水を跳ね返す地面の光り方。その湿地と、水に茂る森の中に・・・奇妙な植物みたいなものが見えた。
それは可視出来て、真上から見ると、大きなタンポポの葉っぱのような広がり方をしていた。ただ、葉っぱだけだし、その葉っぱは全て細い。葉の中心は、太陽の光りが当たる湿地の中にある。
広がる細い葉っぱは森の四方に伸びていて、先を見ようとして顔を上げると、離れた道の先に馬と騎士が近くに来ている姿を見つけた。
「ポドリック」
イーアンはとりあえず、ポドリックの隊が通る道まで向かった。隊が森に着くまでにまだ距離がある。今見たものを伝えようと考えた。
龍に頼んでポドリック隊の前に着地してもらう。あんまり近いと馬が怯える。
青い龍が道の先に降りたのを見つけたポドリックたちは、わっと歓声を上げた。馬は嫌そうだった。イーアンは近づきたくても、馬の動きが不安そうなので近づけない。『ちょっと待ってて』と龍に声を掛けてから降りる。
「まだ帰らないで。そこにいて待ってて」
イーアンが足を撫でると、龍は地面に腰を下ろして尻尾を体に巻きつけた。待ちの姿勢だと理解したイーアンが、ポドリックたちの方へ走って手を振ると、ポドリックも少し馬を早めて近くに来た。
「もう来たのか。早かったな」
「さっき出ました。空だから早いのです」
ポドリックが笑い、全体に向けて手を上げた。隊は止まり、道の脇に一度馬をずらした。コーニスも来て『イーアン。これじゃ私たちが徒労じゃありませんか』と笑っていた。
「でも一緒に乗りませんか、と訊いたらイヤでしょ?」
イーアンが返すと、二人とも『馬で良い』と即答して笑った。巨大な青い龍を遠めに眺めて、ポドリックが『どうだ?』と空を指差して様子を訊く。
「上から見ると全体像が見えました。今日、戦わないでテントを張るのでしたら、明日ゆっくり倒しましょう」
戦闘にも余裕が出るもんだな、とポドリックが笑う。そしてイーアンに、時間はどれくらいで倒せると思うか?と質問した。
イーアンは、先ほど上から見た魔物らしい姿の話をした。ポドリックとコーニスが真面目な顔で聞いていて、途中少し心配そうに顔を見合わせていた。
「ちょっと訊くけれど、30頭くらいと見当をつけていたのは、もしかして一部ですか?」
コーニスの質問にイーアンは頷いた。『恐らく、そうではないかと思います』とだけ答えた。ポドリックはしばらく黙っていたが、『イーアン』と相談に入った。
「今日中には倒せないと思うか」
「例え、倒せても夜までかかります。全滅させますよね」
最後の言葉に引っかかって、コーニスが続きを促がした。
「はい。私の想像ですけれど、昨年の魔物の『根っこ』は生きていたのではないかと思うのです。
今年、全滅・・・正確に言うと全滅と言う表現ではないのですけれど、もし丸ごと片付けるのでしたら、半日はかかると思います」
「今からどれくらい、何が出来ると思う」
「今からでしたら、最初に、疲れる前にテントを張っておくこと。次に、明日の本番に備えて、少しでも多くの蛇モドキを切ってしまうこと。出来れば民家とテント側の魔物を集中的に切ってしまえば、安眠出来そうでしょうか」
フフフ、とポドリックが笑う。『分かった。その理由はテントで聞こう。それくらいの時間はあるな?』と言われ、イーアンは『もちろんです』と笑って答えた。
お読み頂き有難うございます。




