151. 一日の始まり
その日の夜はドルドレンが大人しかった。
龍に脇腹をど突かれるという貴重な体験をしたので、夕食後にイーアンをベッドに押し倒した際に、脇に痛みが走って激痛に倒れた。
襲い掛かるドルドレンが勝手に倒れたので、イーアンは謝っても謝りきれない。ひたすら謝るのみ。
しかしドルドレンとしては『きっと説教しすぎて、バチが当たったんだ』と思っていた。龍の目が少し怒っていた気がする。龍に怒られる経験のある人は、この世にどの位いるのだろう、と痛みの中で考えた。今後、要注意事項である。夜に響く。
結局これでは頑張れない・・・と判断し、夜が寂しいが『身から出た錆』と受け入れ、イーアンに寄り添って眠ることにした。
翌朝。ドルドレンの横っ腹は若干腫れており、骨に異常はないと言われているものの、一応大事を取って今日一日を休みとした。
王都に出たのは向こうからの急な要請だったのもあり、翌日休日は使える。
とはいえ、イーアンはすることが山積み。痛そうなドルドレンには申し訳ないが、工房へ行く。ドルドレンが『自分も工房で過ごす』と駄々を捏ねて言い張るため、イーアンはベッドを工房に運ぼうと考えた。
それを言うと、きっとドルドレンは気にすると思い、他の人に頼む事にした。寝室から動いてはいけない、と彼に伝えて、イーアンは執務室へ向かった。
執務室に入ると、用事を聞かれたので『余っているベッドはないでしょうか』と事情を説明する。執務室の騎士は、総長の駄々を知っているので『イーアンの仕事場にまでそんな』と同情していた。
一応、使っていないベッドはあるけれど、布団はないですよ・・・ということで。ベッド本体を借りることが出来た。
倉庫に立てかけてあるのを使ってもらって良い、と聞き、イーアンは『誰かに手伝ってもらおう』と広間へ出た。
広間では朝食の時間なので、誰かに・・・と知り合いを探す。『おはよう』と後ろからハスキーな声がした。ハルテッドは化粧をしておらず、男のままの姿で朝食に来ていた。
「おはようございます。これから朝食ですか」
「そう。一人?」
それが、と言いかけてイーアンは止めた。ドルドレンの駄々に・・・と言われそうで躊躇った。ハルテッドが、イーアンの様子に気がついて『どうかしたの』と聞いたので、手短に『工房にベッドを運ぼうと思って』と小さい声で答えた。
「ベッド」
「はい。ええっと。この先、工房に籠もる夜もあるので、倉庫のベッドを運ぼうと」
「なーんだ。俺が運んであげる」
ハルテッドは『倉庫ね』と言いながら、表に向かって歩き出した。『裏庭口からベッドを入れれば、工房まで近いでしょ』と歩きながら話す。ハルテッドに運んでもらうのは何となく気が引けて、イーアンは『ハルテッドは朝食がまだですから、別の方に』と断ろうとした。
「いいじゃん。ベッドくらいどうってことないよ。イーアンは知らないかもだけど、結構、力あるんだよ」
と言いながら笑った。そうじゃなくて、とイーアンは思うが、断る手が見つからない。
多分、自分が運んであげたベッドに、ドルドレンが休んでいる姿を見たら、きっとハルテッドのことだから何か言うんじゃないかと気がかりだった。
どうしよう、と思っている間に倉庫へ来てしまった。ハルテッドはあっさりベッドを発見し『これなら良いかもね』とひょいと持ち上げ、また喋りながら裏庭口を通り、工房へ運んでくれた。
工房の扉を開け、ベッドを中に入れてもらう。暖炉を熾そうと思うと『やるよ』とハルテッドが炭を手際よく集めて薪を小さく組んで、さっと火をつけてくれた。
「ベッドの布団はどうするの」
火をつけながらハルテッドに訊かれ、『毛皮があるので、何枚かそれを敷き詰めます』と答えた。そこにあった犬型の毛皮と、赤い毛皮を2枚引っ張りベッドに乗せると『ああ、良いじゃん』とハルテッドも笑顔で言う。
「ここで寝るの?」
「すぐではないですが、そうした忙しい日もあると思うので」
そっか、とハルテッドは毛皮のベッドを見下ろしてニコッと笑った。じゃあさ、と言ったかと思うと、イーアンを抱き上げて一緒に毛皮のベッドへ倒れこんだ。
「ハルテッド」
「ちょっと寝心地知りたいでしょ」
「いえいえ。ハルテッド、何を言っているの。離して下さい」
「ちょっとだから。変なことしない」
ハルテッド・・・困惑したイーアンは腕に抱き締められたまま、どうにか出ようともがく。腕の中のイーアンにハルテッドは苦笑し、『そんなに嫌がられると傷つくね』と囁いた。
「嫌がるというより、友達同士が朝からベッドに横たわるこの状況はおかしいのです」
「そう、実況中継しないでよ」
『お願いします、離して下さい』イーアンはびくともしないハルテッドの腕に懇願する。見上げるハルテッドの顔が寂しそうに微笑んで『好きなんだよ、俺』とイーアンに伝えた。
「私も好きですが、この状況は違います。これは違う方向の出来事です」
「イーアンは・・・・・ 」
ハハハ、と笑ったハルテッドは腕を解いた。急いで起き上がったイーアンが、作業机の向こうへ逃げる。『真面目なんだね』とハルテッドがベッドから立ち上がって、縮こまるイーアンを見つめた。
「嫌いになっちゃった?」
「いいえ。驚いたので、少し警戒していますが、嫌いにはなりません」
「だから・・・丸ごと実況中継は」
顔を押さえて笑うハルテッド。少し笑った後、やれやれ、と溜息をついて『ちょっとふざけたんだよ。また来ても大丈夫?』ケロッとした顔で訊ねた。
「ベッドに私を倒さないで下さい。それならいらして下さっても大丈夫です」
イーアンの言い方が・・・と可笑しそうにしつつ、頭を振って『良かった。じゃまたね』とハルテッドは工房を出て行った。
嵐か旋風か。そんなハルテッドに翻弄されるが、根は良い人なので、イーアンは友達でいようと思う。
「ああ。ビックリした。本当にあの人は明るいというか、冗談好きというか」
落ち着きを取り戻したイーアンは、とにかくベッドは用意した、とドルドレンを呼びに行った。ドルドレンは部屋でちゃんとベッドにいた。『なかなか戻ってこなかった』とふてくされているが、さっさと立たせて工房へ連れて行く。
「ちゃんと待っていてくれましたから、こちらでも休めるように出来ました」
そういって工房に通すと『ベッドが』と驚いていた。ハルテッドに運んでもらった事を伝えると、何となく嫌そうな顔をしているが、とにかくベッドに横にならせて、イーアンは朝食を取りに出た。『食事は誰かに』とドルドレンが言うのを無視する。
そうしょっちゅう、手の空いている人に食事を運ばせるなんて、とイーアンは思う。食堂へ行って、二枚のお盆に二人の朝食をよそって、よいしょと片手に一枚ずつ盆を持つ。
フォラヴが丁度食器を片付けにきていて『私が持ちましょう』と涼しい微笑で一枚盆を取ってくれた。
「イーアン。総長が工房にいるのですか」 「そうです。彼は昨日ちょっと打ち身が」
「バチが当たったのです。楽しむあなたを叱るから」 「フォラヴ・・・バチではありませんよ」
「いいえ。バチです。龍は聖なる生物ですから、龍に攻撃を受けるとはバチ以外の何でもないです」
イーアンは自分が悪かったことを伝えたが、フォラヴは取り合わなかった。工房までの距離で彼は聞きたいことを訊いてきた。
「もし宜しければ。王都で何があったのかを私にもお聞かせ願えませんか」
ああ、それはもちろん、とイーアンは頷いた。今後一緒に動いてくれる人たちには知っていてほしい、とイーアンは言った。フォラヴは『では、恐らく総長の機嫌宜しくありませんでしょうが、このままお邪魔させて頂きましょう』と微笑んだ。
工房へ入り、案の定のドルドレンだったが、食事中はフォラヴは話しかけなかった。食事が済んでから、フォラヴは『私が帰りがてらに、食器を片付けます』と言い、イーアンに王都の話を訊ねた。
ある程度の内容を聞いたフォラヴが『この話は他言無用ではない?』と訊いたので、『特に言われてはいません』とイーアンは答えたが、やはり内容が決定ではない以上、こちらが配慮する必要はある、と伝えた。
「シャンガマックにも伝えたいと思います。彼は私同様、ヨライデへ同行する一人ですから」
イーアンは最もと思って、頷いた。ドルドレンも何も意見を言わずにいた。
「しかしイーアン。あなたは王を名前で呼び、王に仕事の範囲を広げる提案を自発的にさせ、王城の宝物庫から宝を得て、龍と共にいるのですか」
フォラヴがイーアンの目を見つめながら笑顔で言う。そう言われれば、イーアンも『ああ・・・』と答えに詰まる。短縮されて内容を聞くまで、自分が何をしたのか理解できていないところがある。
「意地悪でしたね。謝ります。でもあなたは大したお方だと思って、つい」
いいえ、とイーアンは微笑む。フォラヴの言葉通りだ、と思った。『ちょっと厚かましい私ですが、どうぞ今後も宜しくお願いします』とイーアンはフォラヴに頭を下げた。
「そんな。そんなことを言わせたかったのではありません。イーアン、申し訳ありません」
フォラヴが慌ててイーアンの肩を掴んで顔を上げさせた。ドルドレンの目が光る。フォラヴは総長を無視してイーアンを覗き込み、『ごめんなさい。本当にそんなつもりでは』と空色の瞳を狭めて首を横に振った。
困るフォラヴに遠慮しながら微笑んで、『いえ。私は自分をあまりよく分かっていませんから』とイーアンは答えた。溜息をついたフォラヴがイーアンの両肩を掴んだまま『気になさらないで下さい。あなたをよく理解しているつもりです』と困った表情で眉を寄せて伝えた。
――この。疎外感。ダビ以外にもあるのか。フォラヴは純愛取り巻き型だから、【要注意】に入るのだが。純愛だから枠は緩めているものの・・・・・
俺がいないではないか、この空間。フォラヴは始めから俺を無視することに長けているからな。ぬぅ。
イーアン、もうちょっと気がつきなさい。肩、肩触られてるから。鈍感な部分があるのは知っているが、ちょっと、両肩掴まれて鈍感はないだろう。これ、気がつけ。愛する旦那さんが横にいるんだから――
イーアンが頷いて、フォラヴに『また授業で一緒でしょうから』と一時的に外に出す。フォラヴも自然な流れで『ええ。ではまた後で』とイーアンに微笑み、ついでにドルドレンを見て『ごゆっくり』と短く声をかけて出て行った。
「イーアン。お茶をもらっても良いだろうか」
ちょっとふてくされたドルドレンがイーアンを見ないで言うと、イーアンが寄って来て『今すぐ淹れます』と頬を撫でた。
「怒っていらっしゃる?」
遠慮がちに頬に触れた手を引いたので、ドルドレンはその手を掴んで『イーアンが好きだからだ』と引き寄せた。
「今日は一日ここです。心臓に良くないかも」
それどういう意味?と思いつつも、ドルドレンはイーアンの言いたい事を理解していた。小さく溜息をついて『知っている』と答えた。
一日が始まった。
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