150. 龍と一緒に
「龍だ」
口々に声が上がる。
ドルドレンの笑い声が響いたので、誰もその龍が危険だとは思わなかったが、まさか本当に、この世に龍がいるなんて思いもしなかった騎士たちは、顎が落ちんばかりに口を開けて見ていた。
窓から見ていたアエドック(伝説が好きな小僧)、演習に出ていたノーシュ(間男)も、龍とイーアンを見て、間違いなく彼女が魔封師だと認めた。しかし認めたところで、今更何がどう自分たちに関係しているか。そんな展開は費えていた。
目の前の光景を見て、もう既にその人はいて―― 総長が、伝説の旅人の生まれ変わりで ―― 彼女は彼を支える魔封師だ・・・と見せ付けられた気がした。
ほんのちょっとの望みで、自分に伝説が被っているのでは、と思っていた気持ちは吹き飛んでしまった。
ポドリックが出てきて、ドルドレンに『お前これどこで』と尋ねた。『いや、俺のではない』とドルドレンは答える。クローハルも来て『龍をここで飼う気か』と目を皿にして龍を見ているので『あれは空にいる』と教えておいた。
龍と仲良しなイーアンを、皆が口を開けっ放しにして見ている状態で、イーアンはトゥートリクスを呼んだ。
「乗る?」
近くまで来たトゥートリクスは固まる。目の前の巨大な生物に乗るなんて。微笑むイーアンが、おいでおいでしている。
「大丈夫ですよ。噛まないから」
――犬じゃないんだから。 ドルドレンの中で、イーアンに言いたい事がたくさんあった。
それ、犬じゃないんだよ。君が手を添えている顔は、部屋一つ分くらいの大きさがあるんだ。
分かるかい?イーアン。そのサイズの口に噛まれたら死ぬんだ。体が千切れて死ぬしか思いつかない。そいつが飲むとは思えないよ。きっと噛むと思う。牙がびっしりあるし。見えてる?そういう口をしているんだよ。
『噛まないから』と笑顔で言うけれど。ご覧、トゥートリクスを。ちょっと涙目になって返答に詰まっているだろう。これは正常な反応なんだ。俺だってイヤだ、そんな顔の真ん前で『乗れ』と言われる仕打ちは――
「トゥートリクス。ほら。大丈夫、怖くないですよ」
トゥートリクスが可愛いイーアンは、あの空の宙返りなんかを是非楽しんでほしいと思って、トゥートリクスにジェットコースターを勧めるお祖母ちゃんみたいに、彼の気持ちなど考えもせずに積極的に誘う。
「絶対楽しいから」
ちっとも動かないトゥートリクスに、仕方なし自分が先に乗る。龍を『ちょっと屈んで』とぺちっと叩いて屈ませると、よいしょっ、と婆くさく、首の辺りにぞんざいに足を掛けてよじ登る。
「ね。大丈夫でしょう? 乗れば楽しいから」
腕を伸ばされて、大きな泉を湛える緑色の瞳でじっと見つめるトゥートリクスは、少し鼻をすすり上げて覚悟を決め、おずおずと龍に近づき、そっとイーアンの腕を掴む。
そこに足を掛けろ、とか、そのヒレ掴んで良い、とか、恐ろしい案内を受けながら、トゥートリクスは嫌々龍に乗った。
イーアンの後ろに乗り『背鰭を掴むように』と最後の指示を受け、痛くしないように刺激しないように、冷や冷やしつつ背鰭を掴んだ。
「はい。良いですよ。飛んで頂戴」
ぽんぽんと青い背中を叩くイーアン。龍は大量鈴を鳴らす声を出して答え、ぶわーっと浮かび上がった。
龍は見る見るうちに加速して、天空へ駆け上る。とんでもない速度で疾走しながら雲の間に飛び込み、陽光を受けて光り輝き、雲から出て降下している。急降下急上昇急旋回を繰り返して、空を駆け回っている龍。
空から悲鳴が聞こえる。あー、とか、わー、とか。
「あれで良かったのか」
ブラスケッドが真上を見ながら呟いた。ドルドレンは何も答えない。
「総長。トゥートリクスが降りたがっていませんか」
ギアッチが悲鳴のするほうを見つめている。ドルドレンは『そうだな』と答える。
「イーアンは無事なんですよね」
フォラヴは少し心配そうにぽそっと言った。ドルドレンも頷いて『思うに、全く無事であろう』と答えた。
「あれ。どうやって降ろしてあげるんですか」
ロゼールは友の悲鳴が掠れていくことを気にしている。ドルドレンが『知らない』と呟いた。
「ねぇ。あの子、心肺停止とかなったらどうすんのよ」
ハルテッドが側に来て、気の毒そうに空を見る。ドルドレンには『俺には何も出来ない』としか言えなかった。
シャンガマックは、本当に龍を導いたイーアンに絶句していた。
イーアンが見せた、肩の黒い絵のままの龍が、目の前に現れてイーアン(&トゥートリクス)を乗せて空を駆けている。自分が凄い時代に生まれ、自分がその伝説の一部に関わっていることを胸に刻んだ。
龍が飛んで5分が経過する頃。
アティクが総長の横に立ち、『総長。そろそろ降ろさないと死ぬかもしれない』とトゥートリクスを案じた。黒髪をかき上げて『イーアンを呼んでも聞こえないだろう』と溜息をつく。
何も言わないアティクは一歩前に出て、懐から鏡を出し、飛び続ける龍に向かって光を跳ね返した。
何度か光を跳ねていると、龍が近づいてきた。アティクは真っ先に逃げた。ドルドレンも逃げたかったが、愛する人が乗っている(それと部下)ので、逃げずに立つ。
すぐ前まで青い龍は迫ってきたと思うと、音もなく巨大な体を宙にぴたりと止めて、静かに地面に足をつけた。
ロゼールが駆け寄る(けどちょっと離れてる)。トゥートリクスが背鰭に巻きつかれており、体はぐったり前の背鰭に凭れていた。
「ありがとう。降ろしてね」
イーアンの言葉に龍は背鰭を解いた。トゥートリクスの体が滑る。慌ててロゼールが支えに行き、イーアンも驚いて腕を掴んで落ちるのを止めた。
イーアンはトゥートリクスと一緒に降りて、『ごめんなさい。気持ち悪くなっちゃった?』と顔を覗き込んでいた。
トゥートリクスは目も半開きで、うんうん唸っている。数人が来て、トゥートリクスを支えて建物の中に連れて行った。
「イーアン」
ドルドレンが少し怒っていた。『楽しいのは分かるが、はしゃぎ過ぎだ』とイーアンを注意する。
イーアンに注意している総長なんて、初めて見た騎士たちは『おお』と総長を少し見直した。そう。いくら龍が楽しいと彼女が思っても、トゥートリクスは悲鳴を上げていたのだ。それは叱らないと。
注意されて、イーアンも俯き『ごめんなさい』としょげて謝っている。
「なぜトゥートリクスと二人きりで、こんなに長い時間(※5分)を」
これを聞いた部下全員はガッカリした。この後も違う方向で、ドルドレンはくどくどと説教を続け、イーアンは謝りっぱなしだった。
あまりにイーアンがしょげているので、見かねた龍がドルドレンに首を伸ばし、鼻先でドンと押した。押しただけだが、部屋サイズの頭にど突かれたドルドレンは『ぐわっ』と声を上げた。
慌ててイーアンが龍を止め、『違うのよ。彼は正しいの』と龍を宥め、『二度も呼んで疲れたね。今日はお帰り』と龍に声をかけた。
青い龍は不服そうな目つきで、壁に寄りかかったドルドレンを見てから、イーアンをもう一度見て空へ戻って行った。
「今日は鎧着てないのに」
ドルドレンが脇腹を押さえて壁に凭れているのを、イーアンは必死になって謝り、医務室へ連れて行った。
演習の時間は終わりかけていたので、誰からともなく『今日は終了』と建物へ入り始めた。
それぞれの話題は『龍』一色だった。イーアンがいる以上、あの龍も今後は一緒だ、と全員が理解した。
「もう遠征で負ける気がしない」
どんな遠征でもイーアン連れて行こう、と各々の心の中で決定していた。北西の支部に龍がいる、この話はそれほど時間もかけずに広がっていく。
医務室にはトゥートリクスとドルドレンがいて、イーアンは二人に『本当に悪かった』と謝っていた。
特にトゥートリクスには、『最初はちょっと怖くても、乗っているうちに、喜んでいると勘違いしてしまった』と自分の思い込みを詫びていた。
「もう二度と龍には乗せません。本当にごめんなさい」
トゥートリクスは枕から頭を動かせないくらい疲労していたので、イーアンは反省し、それ以上喋りかけるのを止めた。
ドルドレンは医者に湿布を貼ってもらい、イーアンの肩を借りて脇を押さえながら部屋へ戻った。
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