149. 支部に帰って
泉に下りた龍は、水際にびしゃっと足を入れた。
イーアンとしては乾いたところに着地してほしかったが、わがままは言えないので(※さんざん龍にワガママといった手前)、渋々足を濡らす場所に滑り降りた。
龍は少し満足したようにイーアンに首を向け、イーアンが顔を撫でると体を浮かせた。
「もう行くの」
少し早くない?と思いながら訊いてみると、龍は天を見上げてからもう一度イーアンを見て、そのまま浮上した。青い龍は、空を散歩でもするようにゆっくり足を動かしながら、どんどん空へと上がって行った。
そのドライな態度に、イーアンは『何となく自分に合っている龍』という認識をした。
あれぐらいドライでワガママなほうが付き合いやすいかもしれない、と思う。ウエットでワガママは既に一人いるので、龍はドライでいて。
龍が消えた空を見上げていると、その『ウエットでワガママ』(←ドルドレン)がやって来て、イーアンを見つけて馬に乗せた。ウエットなドルドレンは、馬に乗せたイーアンに早速頬ずりする。
「さあ帰ろう」
一人で待っていたイーアンを見て、微笑んだドルドレン。『龍がいたら別行動』と思ってビクビクしていたので、一安心。
イーアンは、ウィアドの荷袋が大型になっているのが気の毒だったが、ウィアドは気にしないで歩いていくので、一安心。
「腹が空いただろう。王が食事を持たせてくれたから」
ドルドレンに促がされて、王城からもらった食事を馬上で味わう。すぐに食べることが出来るようにと加工された、焼いた腸詰と大きなブレズ・包み焼きの野菜を大変美味しく満喫した。
ドルドレンは森を進む道で、あの後に王が自分に話したことを伝え、『多分今週中には書類が来るのではないか』と教えた。イーアンは昨日の夜に話したことが、どこまで本当になるのか心配だ、とドルドレンに言った。
「俺も王と話したことは少ない。だから彼が、どのくらいの影響力を政治にもたらすかは分からない。王の一声で、どうにかなる事ばかりではないから」
そうね、とイーアンも思った。一声でどうにかなる王様と言うと、独裁政治になってしまう。決定権や指導権はあるだろうけれど、彼一人が考えた事をさくさくと政治に移すわけはないと思えた。
あれこれと話しながら、森の中を進む。行く道も帰る道も、魔物に遭わない。
こうしたことは最近、自分たちだけではなく度々起こるようなので、『もしかしたら魔物の状況にも変化が起こっているのかもしれないね』とドルドレンは呟いた。
「ちょっと思いましたが、他の国は一切出ていないのでしょうか」
「そう聞いている。しかしヨライデ辺りは出てもおかしくない気もする。・・・・・あそこが原因なのだろう?」
「私が見た夢ではそうです。でも自分で魔物とつながっておいて、自分の国に魔物を呼ぶ王様がいたら、そんなの変ですものね。ハイザンジェルに魔物を出した理由でもあるのかしら」
「何とも言えない。他国の情報は限られているから。ハイザンジェルがここまで魔物尽くしになる前は、国交も普通だった。現在は、被害を減らすために必要最小限に減少したのだ」
しばらく進んで、そろそろお昼の時間となった頃。最初に休憩した、木漏れ日落ちる木々の空間に到着した。
二人とも朝食がゆっくりの上、量も質も満足な食事だったのでお昼はそれほど必要ではなかったが、ドルドレンが少しウィアドを休ませよう、と提案して、馬を下りた。
「ここで最初の時。ドルドレンのお昼を分けてもらいましたね」
イーアンがその時に座った場所に腰かけて、思い出している。ドルドレンも『俺はここかな』と近くに腰かけた。水筒を出して、二人で分けて飲む。顔を見合わせて笑い合う。
「まさかこんなに仲良くなるなんて」
「それは俺の言葉だ。運命とは分からないものだ」
泉を見た時も、イーアンが一人でいた姿も、あの時を思い出した、とドルドレンは嬉しそうに言う。『わずか2ヶ月経つ程度で、王と話して龍に乗るなど、想像もしないな』とおかしそうに話した。イーアンも笑顔で頷いていた。
「私、ずぶ濡れで。こんな意味の分からない女を馬に乗せてくれるなんて、何て親切な人だろうと思いました」
ドルドレンが笑う。『確かに、なぜこの女性は、落ちる場所もない泉に落ちたと言いながら、嫌そうに水を絞っているのかと不思議だった』と言うので、イーアンは腹を抱えて笑った。『好きで落ちたわけではないけれど、落ちたとしか言い訳を思いつかなかった』と答えた。
「だが。置いていくなんて出来なかった。それに森の道も楽しかった。それまでは笑うことさえ遠のいていたのに、出会った後から今まで・・・イーアンと出会ってから笑いっぱなしだ」
『あ』とイーアンは思い出す。ドルドレンが視線を合わせると『名前』とイーアンが言った。
「発音が、と。ほら。ドルドレンの目の色が素敵だと誉めて、その後は黙りこくっていたでしょう。そうしたらドルドレンは話しのきっかけみたいに、『名前をもう一度』と訊きましたね」
ドルドレンは思いがけず、イーアンの名前の件に触れて瞬きをした。『イーアン。自分からそれを教えてくれるのか』とちょっと聞き返した。
「はい。発音は心配ですが。名前はミコです」
「ミコ」
イーアンは微笑んだ。『でももう、イーアンの名の方が好きです』と付け加えた。ドルドレンは初めて名前を聞いた。イーアンはミコという名前を持っていたのか、と思うと、馴染んだ名前と不思議にずれている気がした。
「ミコ。でも・・・そうだな。俺のイーアンだ。イーアンとこれからも呼びたい」
「もちろんです。今更名前で呼ばれても困るもの」
二人は笑った。『ドルドレンが与えてくれた名前ですから』その方が良い、とイーアンはドルドレンの頬にキスをした。ドルドレンはイーアンを抱き寄せて、膝に乗せた。
「イーアン」 「ドルドレン」
二人はどちらともなく笑う。ウィアドが草を食べるだけ食べて帰ってきたので、そろそろ行こう、と馬に乗った。
二人とも、最初の時は魔物を警戒して、笑い声を出さないようにしていたことを思い出した。
「今は例え魔物が出ても、イーアンの材料になるだけだ」
「何て言い方するんですか」
「怒るな。笑って騒がしくしていれば、材料が手に入るかもしれない」
ドルドレンは笑いながら、イーアンの頭に口付けした。イーアンは『もう』と笑う。ドルドレンが咳払いして、はぁっと一息つく。
「俺はあの日まで。この国はもう、間もなく魔物の天下になるだけだろう、と諦めに入っていた。どれほど戦っても、どれほど仲間が死んでも、魔物は減らないどころか被害が増える速度が増していた。
死ぬまで戦うだけだと決めたのも、泉に来る前の夜のことだ。俺はいつか魔物にやられて死ぬんだろう、と覚悟をしていた。
だが。イーアンが来てから変わった。遠征に連れて行くまでの間は、笑うことを思い出した。
誰かを守りたいと思う気持ちが一つに絞れた。遠征に連れて行ってからは、魔物を倒すことに嫌気よりも面白さが生まれた。
最初は、魔物で苦しむ地域が他にもあるのに、何で自分はこんな事を考えてしまうのか、と悪いことのように思った。
しかし戦うたびに、イーアンが間違いなく自分を支え、自分を理解し、自分を守ってくれる人だと思うごとに・・・魔物との形勢が逆転している気がして、そうなると挑む事に面白さが出来た。
人には言えないが、これまで苦しめられてきた分、魔物に今後は一泡吹かせてやろう、と思えるようになっていた。
そうしたらどうだ、イーアンは魔物を使って魔物を倒すと言い始めるじゃないか。その着眼点には正直驚いた。それも躊躇なく手で触るとか、腹を切るとか。本当に魔物を使って道具を作り出してしまった」
「人に言われると、自分じゃないみたいに聞こえます。そうした流れを知って改めて思えば、私の行動は、やや常人離れしているふうに思えたでしょうね」
打ち明け話を聞きながら。イーアンは失笑していた。
ドルドレンはイーアンの顔を覗き込んで、『イーアン。大好きだ。愛してるよ』と鳶色の瞳に微笑んだ。イーアンも微笑んで、覗き込んだ灰色の瞳に『あなたの目の色は本当に綺麗です。愛しています。ドルドレン』と答えた。
森の道は終わり、あの日と同じように金色に波打つ草原に入った。草原が綺麗だ、とドルドレンがのんびりした気持ちで呟いた。イーアンも頷いた。
もう一回。出会いを繰り返したような、そんな帰り道だった。
「イーアン」
草原に大きな声で響く自分の名前を聞き、イーアンはドルドレンを見上げた。ドルドレンもさっと草原を見渡し、『お』と片腕を上げた。
「トゥートリクスだ」
ドルドレンが笑って言う。遠目が利かないイーアンは目を細めて『え。どこ』と探す。『すぐ来る』そう言うとドルドレンが笑った。その言葉通り、馬が駆ける音が聞こえ、あっという間に視界に黄茶色の鎧が見えた。
「イーアン、お帰りなさい」
「トゥートリクス。ただいま」
「総長もお帰りなさい」
「なぜ俺が後なのだ」
トゥートリクスはドルドレンの据わった目に反応せず、褐色の肌を嬉しそうに上気させて、イーアンに笑顔を向けた。俺は無視か、とドルドレンはぼやく。
「急にいなくなってビックリしたけど、王都へ出かけて今日戻ると聞いたから」
「お土産がないの。ごめんなさい。でもね」
「お土産なんて要りません。無事に帰ってきたから。王都に閉じ込められたらどうしよう、と思った」
トゥートリクス、とイーアンがちょっと遮った。ドルドレンを見上げるイーアンは、ドルドレンが『やってご覧』と含み笑いで頷いたので、ニコッと笑って返した。トゥートリクスが二人のやり取りを見つめる。
「私は友達を連れて帰ってきたのです。会いますか」
どこに?とトゥートリクスが見回す。ドルドレンは『どうせなら、裏庭に出てる連中、皆に紹介したらどうだ?』と可笑しそうに笑った。
それじゃ、裏庭近くまで、とイーアンも頷いて『お土産ではないけれど、北西の支部の名物になるかも』と大きな緑色の瞳に微笑んだ。
裏庭が近づくと、夕方前で演習に出てる騎士たちが大勢いた。イーアンは笛を取り出した。
「ドルドレン。ウィアドが驚くと可哀相だから」
そう言って、イーアンは馬を下り、トゥートリクスとドルドレンに裏庭近くまで下がってもらった。
「彼女は友達を紹介するんですよね?」
「そうだ。すぐに会うだろう」
ドルドレンとトゥートリクスの姿を見つけた、他の騎士たちの動きが止まる。草原に立つイーアンが笛を吹く。
空が不思議な光を放ち、その中から小さな点が生まれた。『あれ』とトゥートリクスが目を丸くした。『総長、あれ』指差す先をドルドレンは笑顔のまま見つめる。
後ろで騒いでいる声が大きくなる中、真っ青な龍が陽光に体を輝かせて、猛烈な勢いでイーアンの横に降りた。
イーアンが龍の頭を抱えて頬ずりし、『一緒にいらっしゃい』と言う。龍は嬉しそうに尻尾をばたつかせて歩き出した。
「トゥートリクス。友達です」
「それ、龍ですよ」
ハハハハ、とドルドレンが声を上げて笑った。イーアンも笑った。頭を揺らしながら、龍は口をゆっくり開けて大鐘のような吼え声を響かせた。
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