148. 龍とイーアン
森へ向かう空の上。
イーアンは龍の名前を思い出せなかった。でも、これはそれほど大きな問題ではない気もした。
「追々、思い出せるわね」
独り言を呟くと、大量鈴の鳴る声が答えた。『私だって、今はイーアンだもの。私の名前は前と違うんでしょ?』とイーアンが訊くと、龍は首を揺らして、どうでも良さそうに振舞った。
イーアンがフフフと笑うと、龍は大きな吼え声で大鐘の音を鳴り響かせ、一気に上昇した。
振り落とされないよう、背鰭に抱きつく。龍が喜んでいるのが分かる。雲を突き抜け、雲の地面を水面を滑るみたいに飛翔する青い龍。
背もたれにしていた背鰭が、イーアンの胴体に巻きついて、どうにかシートベルトらしい安全を感じる。気が利く龍でよかった。
「森から離れては駄目よ。森に戻るの」
イーアンが大きな声で言うと、龍は分かってるのか分かっていないのか、吼え声を轟かせながら体をくねらせて戻り始めた。
遊びながら戻っているのが伝わるので、イーアンは背鰭にしがみ付きながら、きゃあきゃあ言って笑っていた。龍が自分と一緒にいることが本当に楽しかった。
「落ちたら死ぬから、落ちる前に拾ってね」
一応声をかけておく。そんなこと気にもしない龍は、ぐるぐる体を回しながら宙を駆け抜けた。
――龍を呼ぶ笛を吹いた時。頭の中に映像が見えた。空の向こうから青い影が飛んでくるのを見た。外だ、と気がついて、急いで宝物庫から飛び出した。
外へ出ると、龍は来た。それは自分の遠いどこかで、その姿を懐かしんでいる出会いだった。初めて会うはずで、以前の世界にいたらきっと出会う日は来なかった。
そう分かっていても、今この世界で巡り会えたことは決して偶然ではない、と理解していた。
龍は自分に気がついた。姿形が似ているとはいえ、どれほどの時間を超えたのか分からない、遥か昔から飛んできた龍が、自分に向かって真っ直ぐに疑いもせずに降りてきた。
これで充分だ、と思えた。もう、後は信じて進むだけだ、と。
龍は会話が出来ないけれど、そんなものがなくても考えていることは分かる気がした。笛を二つに分けたのも、笛がそうした作り・・・と龍が知っているから行った。
任せておけば大丈夫なことも、今後いくらも出てくるだろう。私が龍の気持ちに寄り添っていれば、龍は私の知らないことも促がしてくれる。私が促がせば、龍は理解してくれる――
「でもね。お前、昔はこんなに強引だったのかしらね」
ワガママな龍ねぇ、とイーアンは先ほどのやり取りを思い出した。夢で見たときの龍は、もう少し穏やかで聞き分け良い印象だった。
背に乗ってほしいのは嬉しいけれど。馬がいる、と言っても聞かなければ、ドルドレンも一緒だ、と言っても聞こうとしなかった。尻尾もわざとらしく大振りに地面を叩いていたし。
「久しぶりだから、ちょっとワガママなのかな」
イーアンは、うん、と一人納得した。龍はイーアンの言葉を無視しながら、しばらく宙で遊んだ後、森を目掛けて急降下した。
降りる先には小さな水溜りが見え、それはどんどん大きくなり、イーアンが初めてこの世界に来た場所・泉であることが分かった。
森の中で青白い輝きを見たので、ウィアドが近くにいることも分かった。
「空から見えると便利ね」
イーアンはしみじみ、この境遇に感謝した。龍は大鐘の声を上げて泉に一気に滑空した。
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