147. イーアンの龍、登場
翌朝は早かった。6時半には宿を出て、ドルドレンとイーアンは王城へ向かった。
朝食は帰り道で、と話していたので、身支度を整えるだけで朝の準備は済んだ。イーアンの服は、昨日と替えてドルドレンの鎧色の衣服だった。
ドルドレンは自分も鎧を持ってくれば良かった、と思った。そうしたらお揃いだったのに・・・と。 それを言うと、イーアンは笑って『ドルドレンの鎧の色は印象的で皆覚えているから、私の服もそれに倣ったと気がつく』と慰めた。でもやっぱりお揃いが良かった、とドルドレンは寂しげに自分の黒い普段着を眺めた。
王城の門で、門番の前に来ると、ドルドレンが何かを言うよりも早く『仰せ賜っております』と門番は会釈し、通してくれた。
王城の中に入るとすぐ、人が出てきて案内をしてくれた。天井も幅も馬鹿でかい廊下に人は少なく、がらんとした感じもするほどの広さのある城内を案内されるまま二人は歩いていた。
地下1階に連れて行かれ、廊下の絨毯が消えたところで大きな両開きの扉が開かれ、中へ促がされると、そこにはフェイドリッドがいた。フェイドリッドを取り囲むこの部屋は、夥しい量の美術品や骨董品が所狭しと置かれ、大きな美術館の倉庫のようだった。
「おはよう。よく眠れたか」
ドルドレンが返事をし、イーアンは黙って会釈する。イーアンは挨拶の仕方や決まりが分からないので、ドルドレンに任せた。フェイドリッドは、ドルドレンの背後に立つイーアンを覗き込む。
「イーアン。おはよう」
「おはようございます」
フフ、と笑ってフェイドリッドは起きたばかりの目を擦る。『昨晩はいろいろと話してくれたが、朝は緊張が戻るのかな』と少しからかい気味に笑った。
『さて』とさほど広くない通路を歩き出したフェイドリッドは、二人について来るように言い、奥へ奥へと入ってゆく。ぼんやりとした明かりが灯る中、明度の低い光に照らされた無数の美術品は、静かな呼吸を繰り返し、珍客を見守っているようだった。
1分後には、壁際に誂えられた、一つだけ展示物のように見える棚の前に来た。
そこには美しい模様の切り石に乗せられた、不思議な形の小さな笛らしきものが置かれていた。それは『笛』と言われなければ、飾り物のようだった。
イーアンの左の肩が痒いような熱いような感覚に襲われた。昨日の会議の時もそれを感じていたことを思い出す。
「これがその笛だ」
フェイドリッドが小さな笛を丁寧に持ち、イーアンに手を出させて手の平に乗せた。笛は何の変化もない。イーアンの肩だけが、熱を増して焼けるように熱かった。
あまりに肩が熱くて痛いので、笛を一旦、石板に戻して『すみません。ちょっと肩が』と左の肩を右手で掴んだ。
すると、笛がびりびりと振動し始め、(※イーアンが聞いた音は、まるで昔の目覚まし時計のような音)ジリジリジリジリ、異様な音を立てて震えを増している。
左の肩は熱いまま。『これは』とフェイドリッドが笛とイーアンを交互に見る。ドルドレンも眉を寄せてイーアンに何か行動を取るように視線で促がす。
イーアンの羽織る青い布もぼんやり光を放ち始めた。腰に下げた白いナイフもふわっと銀色に光る。フェイドリッドは口に手を当てて、イーアンを凝視した。
イーアンは右手で焼けるような肩を掴みながら、笛に手を伸ばした。笛はイーアンに触れられると甲高い音を勝手に鳴らし、驚く3人のことなど構わず、イーアンの唇に向かって吹き口をぐうっと向けた。
「吹いてみては。イーアン」
フェイドリッドが頷く。ドルドレンも見守っている。笛が意思を持つように動いたことに、全員が心底驚いたが、イーアンは頷いて笛を口に当てて静かに息を吹き込んだ。
息を吹き込むと同時に、遠くの方で鈴が大量に鳴るような音が聞こえる。笛は相変わらず目覚まし時計のようなジリジリと聞こえる音だった。
青い布は光をどんどん増して白く変わり、白いナイフも銀色の光の玉のように輝く。笛を口から離し、フェイドリッドに笛を渡したイーアンは『外です』と突然言った。
ドルドレンとイーアンは目を見合わせて、外へ向かって走り出した。フェイドリッドも笛を握ったまま、二人について走って行った。
王城の門を出ると、大量の鈴が鳴る音は空に響き渡り、まだ暗さを残す朝の空に、鐘が振られるような音が加わった。
空の一点から柔らかい光がふわーっと拡がり、見る見る間にその光は空を覆う。呆気に取られる3人。他、その光景を見ている全ての人が空に釘付けになる。
光の生まれた場所から何かが出てきた。
それはどんどん大きさを増し、ほんの数秒後には目の前に来た。イーアンは満面の笑みで両手を広げる。
「おいで!」
真っ青に輝く体をうねらせ、大きな巨体を滑らかに空気に滑らせる一頭の龍は、イーアンの両腕に向かって降りてきた。
龍は口を開け、大鐘のような咆哮を上げながら、イーアンのすぐ上まで来て浮いて止まった。羽織った青い布も白いナイフも、再会を喜ぶ友のように光を増して輝く。
イーアンの肩の焼けるような熱さも引いていた。龍はイーアンを懐かしそうに眺め、口を一旦閉じて、もう一度小さく口を開け、響きの良いたくさんの鈴を鳴らしたような音を出した。
「おお・・・・・ 」
「これはイーアンの龍か」
フェイドリッドは感嘆の息を漏らし、ドルドレンも驚きの言葉を漏らしたが、かつて自分の目でこの龍を見た気がしていた。
『かつてのあなたを支えた私の化身が、再び、あなたの需により天から降り、地を割って飛ぶ。その姿は、既にあなたの魂と共に在る。私の化身を需め、強大な力に立ち向かう、あなたの翼とし、あなたの牙にしなさい』
イーアンの耳に、あの夢で聞いた声が蘇る。この言葉はイーアンの耳だけではなく、近くにいた者たちにも聞こえていた。
青い龍は浮いていた体を静かに着地させ、長い尾をぐるりと体に巻いた。
翼はなく、棘のように長く突き出た幾つもの背鰭が揺れていた。長い首と長い四肢、筋肉質な大きな体、爬虫類に似た顔、大きな捻れて突き出る角、長い2本の髭、細かい鱗に覆われた神々しい全身に、イーアンは堪らなく嬉しくて涙がこぼれた。
「やっと会えた」
イーアンが近寄ってその足に触れると、龍は首を下げて頭をイーアンに擦りつけた。イーアンが龍の顔に両腕を回す。龍は目を閉じてイーアンを懐かしむように息をした。
「お前に会いたかったのよ。お前がどこかに必ずいる、と信じていました」
涙を浮かべて、イーアンは龍の顔に口付けた。龍も静かにそれを聞いている。『良かった。本当に良かった』そう言いながら、イーアンは龍を撫でた。
龍はイーアンの肩を口で突いて、背中へ促がす。足を曲げてイーアンに乗るように訴えている。
イーアンはドルドレンを呼んで、『乗れと言われている』と教えると『ウィアドがいるから、乗れないだろう』とドルドレンは困った。
「乗るのは、今だけよね」
イーアンが龍に訊ねると、龍は微妙そうな顔でイーアンを見ていた。その顔を見つめて『また呼びます』とイーアンがあっさり乗るのを辞退すると、龍は明らかに嫌そうな顔を向けた。長い太い尻尾の先を地面に叩きつけている。
「イーアン。多分この龍は、イーアンに乗ってほしいのだ」
ドルドレンが複雑な気持ちで伝えると、龍はドルドレンを見てから、イーアンを見つめた。『私もそうしたいけれど』とイーアンは、獅子のような鉤爪のついた足を撫でながら言う。
「お前に乗ると、ウィアドを置いていく事になるの。かと言って、ドルドレンと別に戻るのも出来ないし」
イーアンも龍に乗りたかったが、もう安心していた。龍は私を見つけ、私も龍を見つけた。今後はいつでも会えるだろう、と確信していた。
『お前。また呼ぶから今日は戻りなさい』とイーアンが頭を鱗に凭れかけながら言うと、龍は目を細めて尻尾の先を派手に打ちつけた。イ・ヤ・ダッ といったふうに見える。
「困ったわね。こんなにワガママだったかしら」
体を撫でながら、土埃の舞う尻尾の叩きを眺めるイーアン。『それ。お止しなさい』顔をしかめたイーアンがちょっと咳き込むが、何と言われようが尻尾を地面に叩きつける龍。
周囲の人数はあっという間に増え、この異常な光景が朝の王城を賑やかにしていることを、フェイドリッドは少し気にし始めた。ドルドレンに『どうにかしないと』と小声で言う。
ドルドレンも、これ以上目立つと困る気がして、イーアンに『とりあえず森まで行ってくれても良い』と、すぐにウィアドと森へ向かう事を約束し、龍をここから引き上げさせるよう提案した。
龍はその言葉を拾ったようで、フェイドリッドの手に首を伸ばした。フェイドリッドは驚いたが、周りで剣を抜きかける騎士団を制し、『もしかしてこれを?』と笛を見せた。
龍は大きな口でその笛を器用につまみ上げ、力を入れた。
笛は二つに割れ、殻と中身のような形になった。手の平で行なわれた技にフェイドリッドは目を丸くし、言葉を失う。龍はその中身の方をつまみ、殻を手の平に残して、首をイーアンに向けた。
イーアンが手を差し出すと、手の平に笛の中身を置いた。『お前がこれで良いというなら』とイーアンは龍の口を撫でた。
「フェイドリッドの手に残った笛の一部も、この中身と同じ働きをするはずです。今後、私は中身を使いますが、そちらの入れ物もこれまでと同じようにここを守ると思います」
驚いて青紫の目を瞬かせるフェイドリッドに微笑んで、イーアンは龍を見つめ『そういうことなんでしょ?』と言う。何も言わない龍は、首を回して何てことなさそうに振舞った。
「ドルドレン。すみませんが、これはワガママなので私は先に森へ行きます。泉の近くで待ちます」
イーアンは困り顔で謝ると、よいしょと龍に足を掛けてよじ登った。
『年かしらね。ちょっと上りにくい』とこぼしつつ、首の辺りに座り、突き出た背鰭の間に落ち着くと『では申し訳ないのですが、ここで失礼致します。また連絡致します。フェイドリッド、お世話をお掛けしました』とイーアンは王に声をかけて、『さあ、良いですよ』と龍をぽんと叩いた。
――これって言った。龍に馴染むのが早すぎる。馬じゃないんだから。再会を喜んでいたようだったが、出会うのは初めてなんではないの? 何でそんなに普通なの。
ドルドレンの複雑な状態の顔を見ながら、浮き上がった背の上でイーアンは『ごめんなさい、荷物お願いします』と謝る。『じゃあ、後でねドルドレン』手を振りながら、飛び立つ青い龍に跨ってイーアンは行ってしまった。
残された人々は小さくなる龍の姿を見送った。
「ドルドレン。彼女はいつもああなのか」
フェイドリッドは点となって消えてゆく姿を見つめながら訊ねる。
「いいえ・・・いや、そうかも。いえ、何とも」
フェイドリッドは苦笑して頭を振った。ドルドレンの肩を叩き『早く帰らないと置いていかれるな』と王城へ促がした。昨日イーアンと話した件について、後々書類にしたら送ろう、と王は言ってくれた。
ドルドレンは荷物をウィアドに積んで、王が持たせてくれた食料を受け取り、お礼を言った。
「多忙な中を遠くまで来てくれたことに礼を言う。近く、この度の結果を報告するであろうから、支部で待て。しかし総長。そなたは面白い人物と出会ったな」
「そう思います」
ドルドレンはウィアドに跨って笑った。『次にここへ来る時は、そなたたちは有名であろう。取り巻きに気をつけよ』とフェイドリッドは笑って、ドルドレンを送り出した。
フェイドリッドの手の平に、笛の殻が残っていた。それを握り締めながら、生きていると不思議なこともあるものだと身に染みて感じていた。
ドルドレンは急いで王都を抜け、森の泉へウィアドを走らせた。
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