1448. 溜め息の夜 ~イーアンの憂い・シャンガマックの遺憾・フォラヴの『続き』
☆前回までの流れ
今回は、別行動中のイーアンと、シャンガマック、フォラヴの話です。
イーアンは龍図を持って、呼び戻された空へ向かい、シャンガマックはヨーマイテスに『魔族の戦闘があった』話を聞かされ、フォラヴは癒しの場で見守られています・・・
星空を見つめて、イーアンはため息をつく。
イヌァエル・テレンの、よく、オーリンと一緒に来る高い場所に一人座って、夜風に吹かれながら物思いに耽る。
横に置いた細長い箱を触りながら、長いようで短かった今日の状況に悩んでいた。
――龍図は、まだ分からないことだらけ。
男龍の髪の毛で作ったのは確かだが、織られた地図はどこなのか・・・それについては、ビルガメスたちの表情に少し違和感があったことも理由なのか、話してもらえなかった。
龍図には、ロデュフォルデンの関わりを予感しているイーアン。きっとその繋がり、とどこかで感じているが、龍図そのものについては返答が切られた。
ザッカリアはどうしたのか。この時も訊いたが、男龍は『ザッカリアは高い空へ』とだけ。
ロデュフォルデンを探し続けるティグラスは?と思えば、質問を口にする前に『ティグラスにはもう話してあることで、彼は自分のすべきことを今日もしている』で、話は終わってしまった。
目の前に広がる雲海を眺める、鳶色の瞳。
風に吹かれる髪の毛が顔を撫でて、痒いからワシっとかき上げる。手つきが荒っぽく、指先が硬い角に当たった(※ちょっと痛い)。
遣り切れない気持ちを抱え、でも、男龍たちの言いたいことも分かるイーアンは、大きな溜息をまた落として、抱え込んだ膝に頭を埋める。
「今日。大変だったはずです。日付が変わるくらいから、あんな状態になったのだから。あれは、シュンディーンと親御さん(←精霊)。
状況は分からないにしても、コルステインらしい力も動いていたし、精霊力(?)も半端じゃありませんでした」
ドルドレンと連絡を取りたいのに、それも止められているイーアンには、何も出来ない歯痒い時間だった。
「ズィーリーはずっと一緒でしたよ。どうして私が一緒ではいけないのか。
『状況が違うから』の一点張り。分からないでもないけれど、あの様子だと、地上に居る時間の方が短くなります。
男龍たちは、卵ちゃんを孵し終わった後は『旅から離しても良くないからな』と言っていたこともある。
龍王の話が明らかになった以降に、また何か少しずつ変化しているのだろうか。それとも、魔族のような相手が出てきたことで、新たに注意するものでもあるのか」
今、イーアンが動けない理由は=シュンディーンの邪魔をしない、それが大きな理由。
ただ・・・事あるごとに呼び戻されては、やれこうしろ、ああだ、と言われ、結果的に『いつも、空にいる』ような具合にも感じる。
「ズィーリーは、私の力よりも少なかったと聞いているけれど。今回は、前回とまた状況が違うのもそうだけど。
う~ん、いつになったら、ずっと地上に居られるのやら。龍気を戻す時と、子供たちに会う時以外は、私だって地上に居たい」
肝心の時に、戦力としてもいられず、普段の生活もままならない、この状況の連続。
ハイザンジェルまで行って、龍図も受け取って来たのに、ロデュフォルデンの動きは一瞬にも思えるほど、呆気なく止まってしまった具合。
水素袋だって、作りたい。谷から持ってきた硫黄で、作るための道具は買ったのだ。
『買ったのに、使う間もないよ~』小さい声で泣きごとを言うイーアンは、ふんふん言いながら、おうちに帰りたい(←馬車)と嘆いた。
「ザッカリアは、私と入れ違いで、彼の行くべき場所へ行ったようだし・・・ザッカリアに関しては、私たちは殆ど知らない。彼も話せない。あの子はいつ戻るのかしら。
オーリンも来ない・・・ガルホブラフに聞いても、オーリンは町に残っているまま、のような。私が降りるまで、人数合わせで居てくれるんだろうけれど、状況だけでも聞きたいです」
『オーリンが少しも離れられないくらい、心配な現状なんだろうな』と想像すると、イーアンはどうして自分が動けないのか、またそこを考えて、うんうん、唸る。
そんな女龍の背中を、じっと見ている男龍が一人。
赤銅色に透明度が上がった体、額に縦に二本の角のあるタムズは、一日、彼女の俯いた顔が気になって、ビルガメスを止めて自分が見守りに来た。
タムズが側にいても、イーアンは気が付けない。タムズは、女龍の一人抱える悩みを聞き終わると、ゆっくりと側へ行った。
*****
「バニザット」
声をかけても答えてくれない騎士に、獅子はちょっとずつ、這いずりながらじりじりと寄る。距離を縮めると、ちらっと見てまた離れてしまう息子に、獅子は胸が張り裂けそう。
「バニザット」
溜め息を吐いて、獅子は何十回目かの名前を呼ぶ。が、息子は見てもくれない。
「バニザ」
「もう」
一声戻したと思えば、『もう』・・・・・ 昼からこの調子で、食事も風呂も息子の機嫌が直ることはなく、獅子はどうして良いのか分からない。
息子を思い遣ってのことだからと、ドルドレンたちのいる場所に魔族が出た話をしたら。
はーっと大きな溜息と一緒に、息子は体ごと獅子に向けたが、髪をかき上げたその顔は怒っている・・・獅子は目を逸らした。
「ヨーマイテス。俺は騎士なんだ」
「知っている」
「総長たちが全員で戦うなら、俺だって行こうと思う」
「そうだな(※余計なこと言えない)」
「この前みたいな、失態はもうしないと決めていた。別行動中だし、事情は詳しく知らなくても」
「分かってる」
遮ったら睨まれた。さっと目を逸らす獅子に、シャンガマックは顔をぷいと背ける。
ハッとして、獅子は急いで側に寄り『もう遮らない。話せ』と頼む。大きな肉球を、騎士の胡坐に掛けようとして、じっと見られたので、手は浮いたまま固まる。
触ることも出来ない、この苦痛の時間――
「魔族なんて。魔物の大群だって気になるのに。魔族が出ていると知っていて、俺を行かせないとは」
「最初にも(※何度も)話した。お前が毎日疲」
「疲れていたって、疲れているのは俺だけじゃない。皆もそうかも知れない。俺も最初から、そう言っているよ」
「バニザット」
獅子は言葉を失う。何を言っても怒られる。何を答えてほしいのか、どう答えればバニザットが許してくれるのか。ヨーマイテスには分からないため、こんなに怒るなら・・・と、後悔しっぱなし。
シャンガマックは目を閉じ、気持ちの落ち着かない心を宥めるように上を向くと、眉を寄せた辛そうな顔をそのままに、また溜息を吐く。
「見棄ててしまったみたいだ。俺は、前回の旅の誰かのよう」
「そんなことはない。それは違う」
再び遮った獅子に、さっと漆黒の瞳を見開いたシャンガマックは、ドキッとして顔を引いた獅子を見つめ(←『遮らない』って言ったのに)『もう』の言葉を落とした。
それから立ち上がって、じりじりにじり寄っていた(※スフィンクス状態で近寄ってた)獅子の側へ行き、真ん前にしゃがむ。
顔を近づけ、碧の目で困り切った顔をする獅子を、両手で抱え込むと、その大きな頭をぎゅっと抱き締めた。
「バニザット」
「次は。言ってくれよ」
「言う(※誓う)」
「見ていたんだろう?ヨーマイテスは。どうだったんだ、皆は。苦戦したのか」
「・・・・・(※何かそんな気がするから言いにくい)」
沈黙した後、言葉を探す獅子から手を解くシャンガマックに、獅子は慌てて『でも退治はした』と教える。詳しいことはヨーマイテスも知らない。一ヶ所を見ることは出来ても、何か所も同時に見れるわけではない。
腕を解いた手をそのままにした息子を見て『怒っているのか』と小声で訊くと、騎士はちょっとだけ微笑んで首を振った。
「怒って・・・いないよ。もう大丈夫だ」
心配そうな獅子にそう言って、シャンガマックは手をもう一度伸ばすと、獅子の鬣の横に座り直して、鬣に片腕をかける。
獅子はじっとしていて、自分に腕を回して凭れかかった息子が、もう離れないだろうかと、ドキドキして様子を窺う(※最初に比べると立場逆転)。
「ファニバスクワンの絵から、俺が受け取った魔法」
徐に、下を見たまま話し出した息子に、獅子は黙って聞く。
ぽつりと落とした続きに、シャンガマックはまた溜息をついて『あれだけ出来れば。相当戦力になると思った』この数日でそれを実感したと言う。
「なるだろうな」
「俺は疲れても、体力には自信があるんだ。総長と同じくらいは粘れる。だから」
「今度は起こす」
三度目に遮って、獅子は『しまった』といった顔をしたが、シャンガマックは笑って『いいよ』と鬣を撫でた。
「俺の学びの時間、そうだったのかも知れない。今回、ヨーマイテスが俺を気遣って、行かせなかったこと。
ファニバスクワンの絵を取り込んで、力試ししていた数日。『行くべきではなかった』から『行かなかった』わけではないにしても、『今は行かなくて良い』とした意味だったのかも」
呟くように話す息子に、ちょっと顔を向け、獅子は彼を見つめる。獅子の目を見つめ返し、シャンガマックは少し頷く。
「思ったんだ。嫌でも放り込まれることはある。思いがけず、助ける場合も。そうしたことがあるなら、逆もある。だろう?」
「ある」
「運命の妨げ、と大袈裟な言い方はしないが、俺の今回は近いものがあったのかな」
息子の問いに、『そうだ』とは言いにくいヨーマイテスは黙っていた。シャンガマックは自分の気持ちを話して、理解を深めたようで、そこからは表情も穏やか。いつもの顔に戻った。
シャンガマックは思い出していた。総長も、自分たちがテルムゾの村で戦っていた時に、倒れたままだったこと。
動けるようになった彼の口から、『全部聞こえていたし、意識はあった』と教えられた時、総長は自分を盾に戦おうとする男なのに、どんなに我慢しただろうと感じた。
「だから。俺も。今はそうなのかも」
総長の学びの時間に比べれば―― 俺の学びの時間は、体も動けば意思も通せる。側には頼もしい父もいて・・・・・
独り言も耳を傾ける獅子に、シャンガマックは少し笑みを浮かべて、その大きなフカフカの耳をそっと撫でると『そんなに心配そうな顔をしないで』と伝えた。
「バニザット。俺は」
「うん。分かるよ。怒ってごめん」
謝った息子に何も言えないヨーマイテスは、彼をじーっと見ているだけ。
息子は『少し怒り過ぎた』と反省した様に言うと、振り向いている獅子の顔に手を添えて、短い金茶色の毛が、滑らかに生える広い鼻に口付けした。
獅子はやっと幸せ。でも、今回はやはり済まなく思った。
その済まなさは息子も同じなのか。同じような感覚が流れ込んで、目を合わせる。
息子は鼻に口付けたまま、ハハッと笑う。獅子は息子の頭を押さえこんで、暫くそのままくっ付けた(※寂しさ裏返しの強制)。
息子はくっ付けられている間、困ったように笑って、何度も『離して、苦しい』と訴えたが、獅子は大きな両手でがっちり押さえこんで、聞かなかった。
*****
長い白金の睫毛がピクリとも動かず、死んだように眠る騎士を置いた、白い台。
側の泉から流れ込む、縁に円を描いた白い石の台は、僅かに温もりを持った日差しのおかげで、触れていても冷たくはない。
蝶々が飛んできて眠る騎士の額に止まり、赤紫色の大きな翅をゆっくり動かし、また飛び立つ。
騎士が横になる石の床の周囲、囲む溝に流れる泉の水は、光に煌めいて香りを立て、薄っすら上がる霧は更に香気を含む。
妖精の騎士の体が横たわる、その頭の近く。女性の姿の妖精が、場所を囲んだ大樹から、垂れる蔓の上に腰掛け、静かに彼を見守っていた。
「私と交代する手前で、長引いてしまったあなたは。いや、そうではないのか。
私が早くに下げられたのかも。魔族が来てしまったから・・・私の時間は断ち切られて、あなたの時間が続いている。
あなたは、『無念のアレハミィ』を、以前の自分の立場と思いこんだか・・・追い始めた。皮肉にも反応したアレハミィの念が、今日のあなたを守っていたけれど、あなたは気がつくことさえ出来ない。
アレハミィの念を受け取るのは、あなたではないのよ。私なの。あなたは違う役目がある。
あなたは、あなたの兄弟を助けるために、魔族の世界へ行くはずだった」
黒目が抜けた瞳を持った女性は、待ちくたびれた人のように、独り言を続け、それは若干の苛つきもあるのか、重そうな溜息も落ちる。
「私の目。アレハミィの魂を受け取るために、もう一度、この場所へ戻された私には、あなたたちの目に映るものは見えない。アレハミィを制御する、失った光。
でも、まだなのね。フォラヴの時間はまだ続く。幾つも引き出されてゆくのは、これも大いなる力の計らい・・・魔族を魔族の世界から減らすためなのかしら」
夜の来ない『精霊の庭』の一画。
女性の姿の妖精は、ニッコリと微笑んで、開いていても見えていない目で、『彼がそこにいる』と観えている舞台を見守る。
それから少し顔を動かして、『あの子は元気だろうか』と呟いた。下半身が蛇の姿のサブパメントゥ。神殿で待っているのかしら、と微笑むと『あの子にも伝えたい』この声だけでも先に・・・そう、頷いて。
立ち上がった、センダラ。
瞼を開けない妖精の騎士に屈みこみ、薄っすら口を開けると、ふわっと口から花びらが降りる。
ひらひらと、風のない二人の間を踊りながら降りた、瑞々しい花びら一片。
フォラヴの眉間にそっと乗った、薄淡い赤い花びらは、そのままフォラヴに吸い込まれ、妖精の騎士はゆっくりと目を開けた。
それと同時に、センダラは細腕と思えない勢いで、フォラヴを乱暴に抱え上げて、一歩前に出る。
センダラの足が次の土を踏んだ時、大樹の暗がりがメキメキと割れ、次の一歩でテイワグナの夜空の下、森林の中にフォラヴは置かれた。




