1444. ダマーラ・カロ騒動の朝 ~フォラヴの癒し・町の状況とバイラの迷い
☆前回までの流れ。
町を襲った魔物の親玉を探し、採掘場の地下行動で事故にあった騎士二人。
夜明けの町に運ばれ、他の仲間と合流しました。皆に、それぞれの情報・思いがあり……
フォラヴも疲れているが、目も開けない総長の、血が付いた顔には、自分の疲労なんてどうでも良かった。
血は、彼の頭や背中から出たと分かる。髪の毛はべったりとまとまり、背中の服も血が広がり、彼の背面は土まみれで黒ずんでいた。
両手に取った、総長の冷たい手に少しずつ癒しを注ぐ。
これにより総長が治り、起き上がるのを見たら・・・他の人も助けてほしいと言うだろう。それも分かっているが。
誰が見ても、この総長の状態だけは、他の人々の怪我の比ではなく、早く癒さないといけない焦りにかられた。
妖精の力を一度に注ぐと、目立ってしまう。だから、白い光がふんわり見える、本当に微量な癒し方しか出来ないけれど、それでも彼が少しは良くなると思い、フォラヴは急ぐ気持ちを抑えた。
意識を集めて、総長の体に、自分の生命力を流し込む時間。
目を瞑ってひたすら、ちょっとずつ。どうぞ痛みが消えますように、怪我が塞がりますように。その力が実行する現象を知っていても、フォラヴの謙虚な思いはいつも同じで、祈りながら癒し続ける。
「フォラヴは、これ・・・治しているの?」
後で見ているミレイオは、オーリンに訊ねる。以前に見た時より、ずっと『普通』の状態に、オーリンは少し考えてから『多分。助けている』と教えた。
「お祈りしているみたい。朝陽が当たるから、ちょっと神がかった雰囲気あるけど」
「ミレイオ。小さい声でな。恐らく、そのまんまだと思うよ」
フォラヴと総長は、『倒れた男の手を取って、祈る若者』のように見える。
並ぶテントの隙間を縫って差し込む、細い朝陽が二人の一部に当たり、白い靄のような輝きを感じる様子。
傍目には朝の一場面くらいで済んでいるが、オーリンはその白さの質は別ものと判断しているし、ミレイオも勿論、それは分かっていた。
「もっと一気に治してやりたいだろうに。でもそれやると、ここでは目立つからかもね」
「タンクラッドは?いつ出たの。薬って、薬だけ受け取っても」
「分からないけどさ、医者も大忙しだろうしな。病院行って、怪我人の数とか何とか。すぐに受け取って戻るには、そうもいかない面倒はあるだろう」
オーリンの言葉は尤も。眠る赤ちゃんを抱っこしたまま、ミレイオは一、二歩、ドルドレンの側に寄り、フォラヴの邪魔をしないように、倒れた男を見つめる。
町外れの坑道の中で、落石を受けたような話だったが――
怪我の度合いは分からないにしても、骨がひしゃげるほどの恐ろしい落石じゃなくて、本当に良かったと、不幸中の幸いを思う。
頭が凹んでいるように見えた一瞬、ギョッとしたが、血濡れた髪の毛が、段差を作っていただけだった。
肩や背中も、土なのか血なのか、黒く汚れていて、無事なのは『ビルガメス・・・』呟いたミレイオの目に、ドルドレンの首元にある虹色が映る。
男龍の髪の毛を巻いている首だけは、流れた血さえついておらず、それは一目見て、少し奇妙にも思う輝き方をしていた。
助け出したのは、サブパメントゥのリリュー。
ロゼールと一緒に、魔物の親玉を倒しに坑道へ進み、少し遅れて入ったドルドレンとロゼールは、リリューに任せて坑内で待っていた。
リリューは突き当たりの岩盤向こうに、親玉を見つけたようで、中へ入り、倒しにかかったが、魔物が一度抵抗したことで、坑道を包む地面ごと揺れてしまった。抵抗した直後、リリューによって倒された。
もう一頭、リリューの話では奥にいたようで、それを消そうとしたところで、それは逃げ、リリューはロゼールの悲鳴を受け取って戻った。
土に埋もれたロゼールとドルドレンに慌て、リリューは二人に被った土を消し、騎士二人を腕に抱えて外へ出た。
だが出ても、どうして良いか分からないため、コルステインを呼んで事情を話し、二人を預けた。
驚いたコルステインはドルドレンを抱きかかえ、タンクラッドを探して彼に渡し、ロゼールに話を聞くように頼んだ。ここまでが、夜明け前の出来事。
タンクラッドとオーリンは馬で移動していたが、ドルドレンの負傷状態が酷いと判断し、近くの避難場所へ連れて行った。
そこで、移動しようとしていたバイラに会い、慌てたバイラと一緒にタンクラッドが薬を取りに出かけた・・・という話――
「ミレイオ」
オーリンに呼ばれ、顔を向けると、敷地にバイラの黒馬が見えた。側に馬を下りた背の高い男もいて、ハッとしたミレイオは彼らがこちらへ来るのを待つ。
バイラとタンクラッドは、ミレイオとフォラヴも来たことを知り、お互いの無事と動きを簡単に労い、すぐにドルドレンと、他の負傷者の側へ移動した。
彼らが持ち帰ったものは、薬や包帯、清潔な布や綿などで、『怪我人の気休め程度にしかならない』と不安げに話していたが、町の負傷者たちには、持ち込まれた箱で充分だった。
そして今回、実に幸いなことに、魔物に直に受ける被害は本当になかった様子で、これは奇跡的だとミレイオたちは感じた。こんなことは初めてかも知れない、と皆は小さな声で伝え合った。
フォラヴが付き添ったドルドレンは、目を開けることはなかったが、消毒と傷の保護のため、手当てを始めたタンクラッドが血を拭きにかかると、彼の傷口があったと思われる、大きな血の塊の下は皮膚が戻っていた。
体格の良いドルドレンを片腕で持ち上げるのは難しいので、ミレイオとオーリンも支えてやり、ゆっくりと服を脱がせると、背中の毛穴に血は付いているものの、やはり傷を負ったであろう箇所に傷口は見えなかった。
「フォラヴ・・・見て。あんたの」
おかげよ、と言いかけて振り向いたミレイオは、今度はフォラヴに悲鳴を上げる。
ぐったり倒れた妖精の騎士に驚いて、ドルドレンから手を離し(※オーリンが急いで手を添える)静かに横に倒れた騎士を抱き起した。
「こんなになるまで!あんたったら!」
胸元に寝ていた赤ちゃんは、妖精の気配にビクッとして起きる。これにもまた慌て、ミレイオはわぁわぁ騒ぎ、総長の頭を支えていたロゼールが大急ぎで、フォラヴを支えに回る。
ロゼールは、ドルドレンばかり見ていたので、フォラヴがゆっくりと、後ろに体を落としたことに気がつかず、それをとても済まなく思った。友達の背中を抱えたロゼールは、フォラヴを担当することに。
「フォラヴは、このまま休ませましょう。俺も総長の側に居たいけれど」
「ロゼール、お前はフォラヴを寝かせて側で待て。俺とオーリンで、ドルドレンの様子を見るから」
タンクラッドも、この状態では身動きに制限が掛かる。今すべきは、ドルドレンの回復を待つこと。
それぞれに指示を出して、ばらけないように気を付けるしかない。宿屋までも距離があるし、バイラは忙しく、すぐに他の避難場所へ向かった。
ミレイオはオロオロしているが、胸元にシュンディーンを抱えているので、下手に他の誰かに触ることも出来ないため、何かを任せるにも範囲がある。
「ドルドレンの傷は、フォラヴが癒したのか。赤く線は残っているが・・・裂傷だったんだな。塞がって、瘡蓋が外れた痕みたいだ」
打ち身は腫れがあるように見えるが、傷口は見えない。完全に治すには、フォラヴも相当だろうと思う。
ちらと妖精の騎士に目を向けるタンクラッドは、ただでさえ、白磁のような肌の男が、青白い顔で瞼を閉じている様子に同情した。
「イーアンは・・・お前が勇敢だと。誰より男らしい、と話していたことがある。俺もそう思う」
倒れたフォラヴには聞こえないが、親方も、彼の献身的で顧みない逞しさには、見上げたものだと言うよりなかった。
タンクラッドは、ドルドレンや町の人間たちが、もっと深刻な状態だったら、妖精に貰った『癒しの雨(※1143話参照)』を使おうと考えていた。
あの時、3本の瓶を受け取ったが、既に一本はオロノゴ・カンガに使った(※1252話参照)。魔族の影響を懸念したフォラヴが、カンガを癒すために使ったのだ。
今回も、そうしたことが起こる心配があっただけに、タンクラッドは戦闘後のことも考えていたが、どうもそこまでは必要ない状況に、胸を撫で下ろす。
だがタンクラッドの中では、町を怖れの騒動に変えたことも、ドルドレンの負傷もフォラヴの憔悴も、後悔の続きを紡ぐばかりだった。
*****
顔を合わせた順に、避難場所を分担して回る警護団員の中で、バイラも手伝っていた。
分団長のサイザードは、一番人口の多い通りにある、緊急避難所を担当していて、学校と教育施設の共通敷地に町民を集めていた。
町中を回ることはとても出来ないが、通りがかった場所や、呼ばれて動いたところで見ている限りでは、町民の怪我は、馬車の仲間が話しているように『奇跡的に』魔物によるものはなかった。
家も特に壊されたわけではなく、ギールッフの町のように、家屋の下からも出てくるという恐ろしいことがなかった様子に、バイラは何とも言えない・・・不謹慎かもしれないが、一種の有難さを感じていた。
警護団員は、こんな時でも割れているのかと思いきや、『魔物対応慎重派』的な団員たちの仕事をしている姿もあり、これについては『当たり前か』と、ホッとする。
町民は家に戻ることも出来るし、家から出なかった人も少なくないため、一時的な避難状態だろうと思う。
井戸水の水質などを調べる必要はあるにしても、今のところ、水の被害は聞こえてこない。ただ、こうした数々の安心を知っても、バイラにとって『ただ有難い』と片付けるには至らなかった。
警戒するのは、本当にこれだけで済んだのかどうかを疑うから。だが『これまでの魔物の被害を経験しての比較だから、こうしたこともある』と、今は捉えて馬を進める。
着いた先の庭は、魔物が出た翌朝には思えない花々に飾られて、バイラは馬を下りると、施設の中へ入った。
「バサンダはいますか」
施設の職員も、ちらほら来ていて、朝早くに交代した夜勤の人がまだ残っていた。バイラに挨拶した職員は、バサンダの部屋へ案内し、一緒に扉を叩く。彼は起きていて、すぐに戸は開いた。
職員にお礼を言って戻ってもらい、職員はその足で他の入居者の確認に向かう。
「バイラさん。魔物が」
「はい。でも大丈夫です。もう、終わりました。町が少し慌ただしいですが、今日はこのまま・・・多分、手続きも数日先延ばしになるかも」
律儀に教えてくれるバイラに、バサンダは驚いて首を振り『私のことなんて良いんです』と遮った。
「誰も怪我していませんか。魔物が相手では」
面師の問いかけに、一瞬『総長が』と言いそうになって、バイラは黙り『いえ』それだけを答えて微笑み、バサンダが無事で良かったと伝えた。
バサンダは表情が曇り、少し下を向いた。それからすぐに顔を上げて『面を使ってもらえば良かった』と言う。何かと思えば――
「使っても効果のない人もいるでしょうが・・・こんなことなら、あの面の幾つかを、こんな時のために」
「あなたが持ち込んだ、集落の面?ダメですよ、バサンダ」
バイラの戸惑った表情から、誰かが怪我をしていると察したバサンダは、特殊な力を持った面の存在を『人助け』に使えたらと伝えたが、バイラはそれを否定した。
「もう。忘れて良いんです。ね。バサンダの知る『集落の面』は、本来なら疾うに存在を失っているものです。使ってはいけません。
今後も、万が一、魔物に襲われる時がこの町にあっても・・・バサンダは新しく作る面以外に触れないでほしいです」
薄緑色の瞳に、若干の恥じらいが見え、バイラは微笑んで『そんなつもりではないことも分かっている』と添えると、彼の思い遣りに感謝し、バサンダに『また明日来ます』と伝えて、施設を出た。
馬に乗って向かう次の場所は、宿屋。怪我を負った総長の着替えや、馬車の状況を確認しなければいけない。
町民たちに、魔物から直に受ける被害がなかった雰囲気から、とりあえず自分の仕事である『派遣団体担当』の業務に入る。派遣された旅人たちの、無事なテイワグナ巡行を促すのが、バイラの務め。
宿屋へ向かう道では、既に帰宅し始める人々も見られ、炊き出しを始めている避難所はそう多く見られなかった。
「ギールッフに比べれば・・・と言ってはいけないかも知れないが。地面が割られたわけでもないし、水も汚れていなさそうだ。
これはこれで、本当に良かったと言うべきなんだろうが」
バイラは少し、複雑な心境を抱える。
総長たちと旅をしていて、魔物退治を続けているが。どこにでも魔物が出るにせよ、自分が参加してから見ている光景に、『旅の一行が入った町が被害を受ける』印象がある。
勿論、旅の一行が来る前に、既に魔物被害を受けている町もあるのだが。
大型の被害・・・今回もそうだが、魔族まで出てくるのは『狙いが彼ら』呟くバイラの声は、誰に届くこともない。
何とも言えない気持ちを抱え、バイラが宿に到着する頃、朝の時間も中ほどまで過ぎた時分。
宿屋の裏庭に繋がれた馬車と、馬たちには問題もなく、派手な旅の馬車の壁を手でそっと撫でると、バイラは小さな溜息をついた。
「もし・・・もし。魔族の種が、町民や家畜たちに憑りついていたら。彼らはどうするつもりだったんだろう」
彼ら―― 総長たち一行。バイラは稀有な『海の水』の恩恵に与ったので、魔族の種が自分につくことはないと分かっているが。
もしも、町民や町の生き物たちに、魔族が憑りついてしまったら、その時は殺すしかない。
訪れた町で、魔物・魔族を呼び寄せると知っているなら、町に入るのを遠慮することが必要なのではないか。
魔物に殺されるのも冗談じゃないが。魔族の犠牲になって、数分まで人生を歩んでいた普通の人が、『正義の剣にかかって』殺されなければいけないとは・・・・・
「魔物が言ったのも、丸ごと間違いってわけじゃ」
呟く声。馬にも届かないくらい、小さな声で、バイラは前を向きながら、その目に違うものを映す。
――町の人を逃がすために狼煙を上げ、その後は馬で走り回って、方々に散った警護団員を捉まえては、『龍の鱗』を持たせた。
その時、町の壁に近い場所で、魔物が出て来た。剣を抜いて切ろうとした途端、そいつは喋りかけた。
『勇者と一緒の人間。変だな。人間じゃないのか』
ギョッとしたバイラを気にもせず、魔物はどんどん体を変えて、布を被った棒きれのような姿を取り、何処も顔らしい顔がないのに、笑い声を立てた。
『恨むなら勇者だ。お前たちが守るものは、お前たちが叩き落している』
声とも思えない音に、全身の毛穴から汗が噴き出したバイラは、思わず剣を振り上げたが、その腕は凍り付いたように動かず、焦ったのも一瞬。
なぜかその魔物は『お前はそこまで』と言うと、あっという間に土中に消えた――
バイラの胸中に、国民を守りたい気持ちが強くなる。
しかしそれは、どうすればよいのか、結論もなく、取れる動きも思いつかなかった。
お読み頂き有難うございます。




