142. セダンカと北西支部~午前
セダンカが来てから、朝の工房は慌しかった。
ダビが消えてドルドレンに何かをイーアンに伝えてから。ドルドレンは『少々外す』と一言残して、工房を出て行った。
すぐに扉を叩く音がし、挨拶も適当に(※『おはよう』のみ)全く笑わないアティクが入ってきた。アティクは客人はほとんど気にせず、イーアンにだけ話しかけ、イーアンと毛皮の状態を少し喋ると、大きな赤い毛皮を肩に羽織って出て行った。
「彼もダビと同じように、私の作業の面倒を見てくれる方です」
笑顔でアティクを見送った後、イーアンはセダンカに教えた。セダンカが暇であろう、と配慮したイーアンは『古い本で、扱いには慎重さが必要ですが』と僧院から持ってきた本を紹介した。面白そうなので、地図の本を借りて、机の端でセダンカは本を見始めた。
間もなく、扉が控えめなノックを受けて『イーアン。お勉強ですよ』とギアッチの声がした。ああ、はいはい、とイーアンが戸を開けると、ギアッチとフォラヴがいた。
「彼もここで暖炉と勉強を望みましたから」
ギアッチが笑う。ギアッチはセダンカに『私は彼女に勉強を教えていてね』とちょっと笑いかけると普通に入ってきた。フォラヴはセダンカに不思議そうな眼差しを向け『お邪魔します』と口元だけ微笑んだ。
「ああ。イーアン、あなたは今日もとても美しいです。私の勉強にはちょっと遅れが出そうですよ」
クラクラしながら、嬉しそうに顔を赤らめるフォラヴに『ありがとう』と至って普通にお礼を言うイーアンは、お茶を2人分淹れて、彼らと勉強を始めた。
ギアッチは客がいるので、イーアンに読み書きを教えるのを控え、今日は地理の勉強をさせた。フォラヴはそれについては何も言わず、一緒に地理を学んでいた。イーアンは説明されるままに何やら書き取っていた。
1時間もすると彼らは『ではまた明日ね』と出て行った。
「毎朝ですか?」 「そうです。休みと遠征以外はお願いしています」
イーアンの年齢で勉強を教わる事に、セダンカは意外な気もしたが、彼女の風貌が見慣れないのもあるから、もしかすると一般的な学びを得る必要があるのかもしれない、と理解した。
勉強を終えたイーアンは、鎧の胴体を前に、工具を出してあれこれ始める。しばらくその作業を見つめていたが、何をしているのかは見当もつかないセダンカ。再び本に目をやる。少しの間、工具を使う音と鎧に加工する動作の音が続いた。
そのうち、窓を誰かが叩いた。今度は何だ、とセダンカが窓を見ると、窓の外にクローハルがいた。
イーアンが窓を開けて挨拶すると、クローハルが珍客をちらっと見て『またこの人』と鼻で笑った。すぐにイーアンに向き直る。
「イーアン。ここにあいつが来ていないかい?」
笑うイーアンに窓越しでクローハルも笑う。『来ていませんよ、今日はまだ』とイーアンが答える。『どこ行ったんだか』と笑いながら窓枠に手をついたクローハルが頭を振る。
「でもイーアンに会えて嬉しいよ。あいつが抜け出すと心配でね。君の取り巻きは一人でも減らしたい」
鳶色の瞳をじっと伺うように見つめるクローハルに、イーアンは困ったように笑う。『取り巻きがいるなんて知りませんでした』と茶器を出して『クローハルさんはすぐ戻られますか。お茶を淹れましょうか』と訊ねる。
「頂こう。でもここで良いよ。イーアン、今日も綺麗だ。俺の服も着てくれよ。それとシンリグだ」
「それ止めましょうって、この前言いました」
イーアンがお茶を差し出すと、その手ごと受け取るクローハルは『もうちょっと自然体で呼んでくれよ』と腕を引き寄せた。笑顔を消さないまま、腕をゆっくり抜くイーアンは『うっかりそのうち呼ぶ日が来るかもしれませんね』と返事をした。
やれやれ、とクローハルが面白くなさそうに茶を飲むと、本を見ているセダンカを見て『どうして』と訊いた。セダンカは『私は明日彼女を王都へ連れて行くので』と答えた。
「なんだと」
クローハルがいきり立つ。その反応に、イーアンは急いで『工房の話をしてきます』と短く説明を付け、ドルドレンも一緒である事を教えた。クローハルの表情が険しかったので『翌日には戻ります』とイーアンは微笑んだ。
「王都なんて長居するところではない。早く帰っておいで」
クローハルが空の茶器を渡して、イーアンに約束させた。『俺も行こうかな』と不穏なことを呟きながら、彼は手を振って裏庭へ帰って行った。
「イーアンは保護されている、と聞いていたが」
ページを捲る手を止めて、セダンカが笑みを浮かべながら言う。『はい』とイーアンが答えると、セダンカは少し笑った。
「保護され過ぎているな」
イーアンも笑って『皆さんは本当に良くして下さいます』と認めた。全員と話したことはないし、名前を全員知っているわけではないけれど、と前置きし『でも。ここで私を雑に扱う方は一人もいません。皆さんは本当に親切です』とイーアンは言う。
セダンカも頷きながら『そんな気がする』と同意した。よく知らないが、彼女が浸透しているのは分かる。
再び作業を再開し、30分経つ頃にダビが戻ってきた。部品を作り直してみた、とイーアンに見せ、そこからは二人の会話に花が咲く。セダンカは気にしないで本を読み続けたが、耳だけは彼らの会話を聞いていた。
――全く分からない。ドルドレンの心境を少し理解する。彼の切なそうな顔が何となく心を掠める。二人の会話は専門用語だらけ、ではない。
単に、二人がお互いの言いたいことの半分以上を言葉以外で理解しているので、会話の内容が読めないのだ。専門用語は時々出るが、それよりも言葉の使い方の特有さが印象的だった。
全体が無駄なく、非常にテキパキと進行する会話をしている。1を言えば10を知る間柄で、常にその1を連発して会話が成立するらしいので、恐らく互いに理解している内容は膨大な量なのだ。
彼らはその特殊な会話をしながら、鎧をいじり始め、鎧は次々に手を加えられて形が変化していく。その様子が初めて見る光景で、セダンカは『これだけでも面白い』と思えた。
昼の銅鑼が鳴り、午前は終わった。ダビが終わっていない部分がまだある、と指摘し、午後も続ける事になった。午後一でシャンガマックとロゼールを連れてくる話になり、ダビは先に昼食へ行った。
入れ替わりでドルドレンが来て、イーアンとセダンカを昼食へ連れて行った。セダンカは、イーアンと他の騎士との様子は興味深い、と、自分が見た午前中の出来事をドルドレンに話した。
クローハルが来た話の部分でドルドレンは嫌そうな顔をしたが、淡々と頷いて『いつもこんな具合だ』と答えた。
「イーアンは厄介なヤツを追い払うことや、無視することが出来ない。だから輩は甘えるのだ」
そう言うドルドレンはどうなのだろう、とセダンカは見つめたが、甘えん坊の自覚がない総長に何も言わないでおいた。きっとバカ可愛がりしていて、全く自分の行いは棚に上げているのだと認識した。
会話が少しでも途切れると、横に座るイーアンに食べさせて欲しがっている総長の状態を見ているのは微妙だった。別に二人がくっ付いていても自分は関係ないから、それはどうでも良いのだが。
イーアンは何にも気にしない様子で、自分の皿から食事を分けている。総長が彼女の食事を横取りしていると気がついていないのは問題である事を、誰か注意はしないのだろうか。
丸っきり周囲の反応が普通なので、これが日常茶飯事であるとは思うが、いつからこんなに(※あーん行為が)溶け込んでいるのかも不思議だった。後で他の騎士にひっそり尋ねると、『遠征もですよ』とあっさり返事が来た。
命を懸けて戦う遠征でも、あーん・・・・・ 苦悩しながら戦うイメージと違う、とセダンカは思った。
お読み頂き有難うございます。




