140. 吹く風
ドルドレンとイーアンは工房にいた。 この日の朝は早かった。朝食はまだ調理中の時間。
ドルドレンは普段のシャツとズボンだが、イーアンはきちんと上着からきっちり着込んでいた。
「この手袋と。今日作って仕上がる可能性の高い鎧。それを見せるのか」
「はい。シャンガマックの鎧はダビに手伝ってもらえれば、恐らく午前中に仕上がります。
先に、これらで示しになれば良いのですが。ルシャー・ブラタで見てもらった最初の試作4点も一応添えて」
イーアンの並べた試作品をドルドレンは一つずつ手にして、自分の分かる範囲で確認した。イーアンの目の動きから、シャンガマックの鎧が一番安心策であることは分かる。その安心策が、まだ未完。
「イーアン。大丈夫だよ。セダンカは、イーアンやダビのような判断基準がない。イーアンがどのような動きで仕事をしているのか、シャンガマックの鎧を見れば一発で理解するだろうが、それ以外の試作品でも大丈夫だろう。俺はそう思う」
ドルドレンはイーアンの肩を抱いて『気にし過ぎてはいけない』と微笑んだ。そうですね、とイーアンは不安そうに頷いた。そして、ちょっと顔に手を当ててから、首を傾げる。
「どうしてホーズさんは、こんなに急にいらっしゃるのでしょう」
ドルドレンの目を見上げて、イーアンは困り顔で質問した。黒い髪を掻きながら、ドルドレンも首を傾げた。
「俺には全く。・・・理由が思い当たらない。王都に魔物が出た話も特にないし、『近いうち』とあの日に言ってはいたが、あれからしばらく経つし。
今日の訪問は、早馬で聞かされなければ、こちらが用意も出来ないような急だ」
うーん、と唸るイーアンも、ドルドレンの胴体に両腕を回して、頭を凭れさせ、ホーズにあった日の細かい内容を思い出す。ドルドレンはイーアンの頭を撫で『そんなに考えないで』と気にしないように言った。
「だけど、もう直ぐいらっしゃるのでしょう? お一人?」
「そういう知らせだな。さすがにあの本部のアホ共は連れないだろう」
二人は『うーん』と唸りつつ、目を見合わせて『やっぱり分からないね』と頷き合った。どうして、こんなに朝早くから・・・とイーアンは疑問が拭えない様子。ドルドレンも、そうだな、と。セダンカが夜明けもすぐに馬車を出した理由を考えた。
「もう朝食が出来上がるかもしれない。とりあえず食事を摂ろう」
くっつくイーアンの髪を撫でながら、ドルドレンは朝食へ促がす。イーアンも『そうですね』と疑問符を残した様子で返事をした。
昨晩。ドルドレンは報われた。離れた町の報告が上がっていたので、偵察がてら、家財店へ向かって布団一式を買い込みウィアドに積んで戻った午後。
魔物被害一歩手前くらいの報告内容を確認し、緊急ではないと判断して『状況経過待機』と紙に書く。
ちゃんと仕事もした、と納得しながら、執務室から戻り、そそくさ自室のベッドに新着布団をきっちり敷き、よく振るって羽毛を均一に均してから上掛けを置いた。
夕方。イーアンに見せると大変好評で、風呂に入る前に(ギリギリの段階まで)いちゃつけた。
続きが風呂に入ってから、と言われたので、大急ぎで風呂へ連れて行き、お互いが風呂に入ってから、夕食もそっちのけで自室へ戻った。急いだ甲斐あり、そこからは実に幸せな時間を過ごした。
営みに没頭しすぎて、イーアンに夕食を摂らせていない事だけは気がかりだったが、一通り落ち着いてから、イーアンが『厨房で二人分だけ作れたら』と提案したので、喜んで厨房へ連れて行った。
イーアンはきちんと片付いた夜の厨房で、あんまり汚さないように・・・と、材料を最小限にした料理を一皿仕上げた。調理時間は10分程度だった。
ブレズを賽の目に切って高温の脂で表面を焼き付けた後、皿に取り出した。同じ鍋に薄く切った香味野菜と乳製品を煮立てると、ナイフで叩いて潰した香辛料と塩を加え、焼いたブレズを鍋にざっと混ぜて、ヘラで皿によそった。
夜食は厨房のカウンターで二人で食べた。
イーアンが匙で自分の口に運ぶので、ドルドレンは口を開けて食べる雛鳥の状態で終わった。イーアンの料理は馴染みがないものが多いが、ドルドレンには何でも、どれも美味しいと思える。不思議な美味しさだ。これが幸せな手料理か、としみじみ感じ入る。
食事を終えるとさっさと洗い物を済ませ、イーアンはドルドレンの顔を両手で包んで『戻りましょう』と意味有り気に微笑んだ(※ドルドレン視線)。イーアンを抱き上げて自室へ足早に戻り、即、明かりを消して。そこから先は、大変満足な時間が再び訪れた。アレもコレも、一回はしてみたかったことが、この夜は一杯出来た。
布団万歳。愛妻(※未婚)の意見は、極力素早く的確に、やり過ぎに思うくらいで叶えるのが良い、と学ぶ。
実際にドルドレンはそれで満ち足りた夜を過ごせた。自分にとっては、布団はやや暑かったが、イーアンが幸せそうにぐっすり裸で眠る姿に、自分は布団からはみ出てれば良いだけ、と思えた。
・・・・・こうした夜を過ごしたのに。夜明けも前に扉を叩かれ、不機嫌な寝起きで嫌々、報告を聞けば。なんとセダンカが来るという。それももうすぐだ、とふざけたことを。
厨房さえ朝食準備を始めた時間に、眠るイーアンを起こし、受けたばかりのバカバカしい(※営みの邪魔)報告内容を伝えた。イーアンは急いで起きて、出来るだけきちんとした格好をと着替える。
『良いの良いの、セダンカにそんな気を遣わないで』と言ってみたが、『もしかしたら試作の話が出来るかも』とイーアンは仕事モードに切り替わっていた。
着替えたイーアンはとびきり綺麗だった。もちろん裸が一番綺麗だがそれは自分のみの特権である。
早朝、無礼にも勝手に来るセダンカに勿体無い・・・と思うほど綺麗だ。見せる気にさえならない。イーアンを隠しても良い。しかしこれを伝えては、イーアンに『何言ってるの』と一蹴されそうで、ただ誉めるに徹した。
工房で試作品を用意し、朝食後に来るダビに手伝ってもらう内容を、思いつく限りで書きつけたイーアン。
とにかくセダンカの用事が分からない以上、心配しても仕方ないので、そろそろ朝食へと広間へ向かった。
厨房は少しずつ料理が上がってきていたので、二人は出来立てを食べた。食べながらセダンカの用事を考えて、イーアンは一人で何やらぶつぶつ言っていた。
朝食を終えて、工房へ戻り、暖炉の火をもう少し大きく・・・と薪をくべて鍋に湯を沸かす。その時、門番担当の騎士が来てセダンカ到着を伝えた。
『セダンカの用が工房ではなく、執務室で話す内容かもしれないから』と言い、『そうではなく、イーアンに用であれば工房へ招く』とドルドレンは続けた。そしてドルドレンが玄関に迎えに行き、セダンカを連れてきた。
「おはよう。イーアン」
亜麻色の光の糸のような長い髪をさらりと垂らして会釈したセダンカ。高価そうなきっちりとした生地で仕立てた、立ち襟の白い長衣を来たセダンカは、どことなく人間離れした雰囲気を持っている。
「おはようございます。ホーズさん。寒くはありませんか」
イーアンは、セダンカに暖炉に近い椅子を勧め、茶を淹れた。セダンカは『いや。充分にここは暖かだ』と微笑んで首を振り、茶を受け取るまで何も言わずに、工房内を見渡していた。
茶を出したイーアンを上から下まで見つめて『早朝から気を遣わせた』と言った。ドルドレンは『急な用ですか』と単刀直入に横から口を挟んだ。
「そうだな。急といえば急だ。私も夜中に馬車に乗るのは、魔物との遭遇を思えば避けたかった」
言い方は落ち着いているが、セダンカの表情から本当に嫌だった事は伺えた。そして今日はこちらに宿泊する予定で、明日の朝に立とうと考えていることも話した。用件より早く、自分の滞在を伝えるセダンカにドルドレンが訝しんだ。
「何があったのです」
「少しゆっくりさせてくれ。本当に緊張したのだ。馬車の者も休ませてやってくれ」
セダンカはその整った顔に疲労を浮かべ、気弱な微笑をドルドレンに向けた。ドルドレンが何かを言おうとしたので、イーアンはちょっと手を動かして止めた。
「まず、お茶を飲みましょう。ドルドレンもお掛けになって下さい。
ホーズさん。その様子ではお食事がまだでしょう?厨房の方が美味しい朝食を作って下さっています。宜しかったら、ホーズさんも御者の方もお召しになりませんか」
ホーズはイーアンの提案に嬉しそうに頷き、『突然来て申し訳ないが、そのようにして頂けると安心も早いだろう』と答えた。イーアンはニッコリ笑って『御者の方にもこちらへいらして頂きましょう。朝食をご一緒に』と伝えた。
お茶を飲んでから、広間へ出てセダンカと御者に朝食を渡すと、二人はようやくホッとしたような笑顔で食事を食べ始めた。食事をしながら、夜は危険だから心配だった、と二人は話していた。
御者は食べ終わると執務室へ案内され、セダンカはドルドレンとイーアンと一緒に工房へ戻った。
イーアンはもう一度お茶を淹れて、3人は椅子に掛けた。ドルドレンは何も喋らなかったが、来客の扱いをイーアンに任せて見守っていた。
セダンカはお茶を一口飲み、ようやくといった調子で微笑む。『では』と二人を見た。
「私はイーアンを迎えに来たのだ。今日、イーアンの仕事を見てから、明日王都へ連れて帰る。明後日、王都で王族参加の会議だ」




