1398. 過去から来た男への助言
この日の夕方。思わぬ空き時間のため、観光名所巡りを終えた旅の一行は、ニーファの店からバサンダを乗せ、町内会館前で、丁度、出て来たバイラと一緒に宿へ戻った。
町の外に、仔牛の影がないかどうかは、特に確認することもなく、シャンガマックとホーミットを除き、旅の仲間は宿屋に集まる。
暗くなった頃合いもあり、コルステイン(※霧状)も外の影の中に来ていて、親方は部屋で待っていてもらうことにした(※霧はフワフワ、部屋に入る)。
そして食事。食事処は向かいの店で、夕食分は宿屋が予約しておいてくれたため、食事処に入ってすぐ、皆は夕食を始める。
夕食を食べながら―― 帰り道の話の続き。
話は幾つかあり、大人数で移動した『観光名所』の話はもちろんだが、その名所で見た『気になる絵・二つ』に、話題は絞られていた。
そして、本日、もっと大切な話が、さらに二つ。一つは、バイラの警護団による保護の話。もう一つは。
「ダメですか?このまま、ニーファに引き取られることは、選べないですか」
バサンダは、横に座ったバイラに、帰り道と同じ質問をする。
――帰り道、バサンダを迎えに行った時。彼と若い面師は、店の戸口で旅の一行を待っていて、ニーファは『バサンダが残る』と告げた。
驚いた総長が確認すると、バサンダも決定している様子。ニーファも『今後の話をした後だ』と言った。
いくら何でも早急では?! 驚く皆に、バサンダは『時間の残りが貴重』と、生き延びたことによる『残りの人生を託す決定』である気持ちを伝えたが、ドルドレンは『一先ず、宿に戻って、今夜中にちゃんと答えを出そう』と頼んだ。
バサンダとしては少し躊躇ったが、助けてくれた人々に、もう一度お礼を言おうと思い、それを受け入れた。
そして、バイラと合流直後、ドルドレンがこの話を彼に急いで教え、バイラもそれは止めた。
荷台に乗るバサンダに『国の手続きをした方が良い』ことを薦め、話がすれ違うので、夕食時へ流れ込んだ次第――
「バサンダの気持ちは分かります。ただ、テイワグナに住むつもりであれば。それもニーファの住まいの世話になるのでしたら、尚の事・・・さっきもちょっと話したけれど、あなたの年齢もあるから」
言い難そうではあるが、警護団員として保護を考えていたバイラにすれば、バサンダが今後の人生をどう生きるにしても、出来るだけ安心してほしいところ。それは、彼の年齢が大きかった。
バサンダの淡い緑色の瞳は、若い頃の顔にあった怯えた不安ではなく、自分の見据える未来が映る。
「年齢。この体だと、身動きが難しいからですか」
「平たく言えば。考えて下さい。今のあなたは、50代も半ば。そう見えないけれど、もしかすると60近いのかも知れません。
私の言葉が過ぎたら済まないけれど、病気にもなりやすい年齢です。食事に気を付けていても、ちょっとしたことで、若い体に比べればケガも老いやすい。
何かあった時、病院や医者を頼りませんか?その時、ニーファが側にいるでしょうが、見るからに外国人のあなたに、相手がお金だけで診てくれるとは限りません。
この診療代、意味は分かりますか?『多く払ったら診てくれる』とも限らない、と話しています」
バサンダの顔に戸惑いが浮かぶ。バイラとしては、あまり言いたくない。でも、これを知らないで、現実を突きつけられたら、傷つく。
そして、心が傷つくだけに終わらず、もしかするとゴタゴタに時間が掛かって、治せるものも治せないかも知れない。そっちの方が無念だろうと、バイラは思う。
戸惑う初老の男の目を、同情的に見つめ直し、バイラは食べていた手を休める。
「よく聞いて下さい、バサンダ。あなたがこの国に来た時と、どのくらい変化があったか。私が知る由ありません。でも言えることがあるとすれば、現在・・・私が見てきたこの20年ほどのテイワグナは、決して褒められるような国じゃないです。
誇りに思う部分は勿論あるけれど、精神的なことではなく、貧富の差も埋まらないし、盗賊も多いんです。
地方は管理不足で、国の手当てを受け取れない場所も少なくありません。今日は笑顔だった人が、明日は知らんぷり、ということもある。治安も良くないのに、魔物まで出ました。今、テイワグナは不安定なんです。
私は警護団に入る前、護衛の仕事をしていました。今から20年ほど前です。護衛は、数人の集まりで移動するから、身元の保証は護衛長がします。
この顔で、生粋のテイワグナ語しか喋れなかった若い私でも、大怪我をした時、病院で一針縫ってもらうことさえ、出来ませんでした。
理由は、私が流れ者だと決めつけられたからです。
流れ者を手当てするのは、犯罪の手伝いで、罰金があるんです。護衛業で傷を負って、護衛長が横にいても、身元保証が最低数の情報しかなかったから、流れ者の疑いを晴らせませんでした。
私は出血で死にかけていたのに、病院は拒否し、結局、町医者に頼って、言い値の代金を渡して傷を塞ぎました。その時、護衛長は若い私に、『稼ぎが消えた』と舌打ちしました。すごい金額だった。
言いたいこと、伝わりますか?今もテイワグナは、そう変わっていません。
だから出来るだけ・・・あなたに、今後の人生を安心して過ごせるよう願っています。その方が、実質、あなたを支えるニーファのためにもなると思います」
食事の場は、水を打ったように静まる。バイラたちから離れた席では、タンクラッドやミレイオたちは、別の話を小声で続けていたが、バイラの大真面目な説得の内容に黙り、彼を見た。
バイラは、自分の身の上に起こったことを、バサンダへの『冷静に考えて』の訴えに用い、初老の面師に『少しでも有利に、テイワグナ在住を』と薦めた。
イーアンはこの話を聞きながら、自分もバイラの立場なら、同じように言うだろうと思う。
バイラも分かっているが、目の前の男は、見た目こそ50代だが。
その半分以上の年月を、若者の体で時の止まった次元に生きた人。
彼は失った人生の時間を取り戻し、残りの人生は、急に増えた年齢のよる体で過ごすのだ。
新たな兆しに心を躍らせるからこそ急ぐ、時間の使い方。保護施設に世話になる時間は、勿体なく感じるだろう。でも、バイラの言うように、バサンダのここからは『老後』。
それに対して、実感がわかなくても仕方ない。
だからこちらも、老後への実感を教えることは難しくても、取り巻く環境の状況を教えることは出来るとなれば、バイラのように現実に何が起こるか、の体験談を話して聞かせるのが、一番かも知れない――
イーアンが思うことは、子供のザッカリア以外が感じるところ。
そして、今。バサンダの思いを少なからず、一番身近に聞けるのはオーリンだけだった。
バイラの切実な説得に、少なからず考えさせられていると見えるバサンダだが、まだ即答できない。その様子に、オーリンは話しかける。
「あのさ。バサンダ。ちょっと、俺の話を聞いてくれるか」
「はい、あの。あなたは」
「俺と話、あまりしなかったもんな。俺はオーリン。人間に見えるが、空の一族だ。でもイーアンとは、全然違う。この体に特別な力はない。単に『空の住人』ってだけ」
オーリンは食べ終わっており、反対側の席に座る彼を見て、『あのね』と静かに、自分の身の上話をした。搔い摘んだ身の上話はあっという間に終わったが、バサンダは彼の半生に心を惹かれた。
「全然、関係なく感じるかも知れないけど。俺は近く思うんだよ。
俺は空を知らないで、この地上で、この年まで生活していたからさ、当たり前に皆と同じ年の取り方だろ?・・・イーアン、タンクラッドとかな。年齢が近い。
でも、空に行ったら。俺の親の方が、ずっと若いわけだ。空で生まれて、空で死ぬ彼らは、長寿だから。
バサンダの話で思ったが、ニーファが俺の親の状態で、バサンダは俺。これから生活する場所、バサンダの『現在の時間』俺で言う『空』。違うか?」
「いいえ・・・違いません。そうです。これまでと大きく違う生活の覚悟はありますし、ニーファの方が私よりも年上・・・あ、いや。実は違うけれど」
「分かるよ。そうなんだ。そうなるんだよ。混乱する。見た目、経験、時間の流れ、年齢、過ごす場所。空に実家のある俺は、毎回それを感じている。
実際のズレなんて、気にしてられないくらいあるぜ。何のかんの言ったって、体が動いているうちは良いけどな・・・・・
今ね。新しい人生の幕開けで、バサンダは注ぎ込もうとしているだろ?でも、バイラが言うみたいに、どうにかなるなら、ある程度、準備を固めておいた方が良いんじゃないのか?」
オーリンは彼を見て、黄色い瞳を向けられたバサンダは、息を吞む。オーリンは少し笑って、面師の気持ちを汲みながら、続ける。
「一分一秒、惜しいかも知れないが。話を聞けば、何年もかかって作る仮面の制作を、一緒にやろうってんだろ?
何年もかかることを、前提に考えてるなら。ここで数ヶ月、保護施設に世話になったり、今後に通用する手段を手に入れる時間は、『現在のこれから』に慣れるためとしては短い月日だと思うよ」
境遇は違うのに、心につっかえず流れ込む、龍の民の話。じっと見つめるバサンダに、オーリンは頷く。
「俺もね。探したんだよ。空と俺の帳尻をさ。でも、まだ見つからない。
もし誰かが先に・・・いや、もし。俺と同じ境遇の誰かがいてくれたら、それだけでも気持ちが違うのにって、何度も思う。
バサンダは、バイラに提供されているんだ。俺が欲しいものの、『バサンダ用』ってところかな。俺なら・・・貰っておくだろうな」
「はい」
「うん」
ニコッと笑った龍の民に、バサンダは少しだけ黙って考えた。
この胸に持つ熱は、決して『若者の勢いではない』と思うが、残り時間を焦る気持ちに、現実味が伴わないのは、オーリンの言う通りかもしれない。
今は目に留まらないだけで、この先、いくらも対応しなければいけないズレに出くわすのだと思えば。
少しずつ。自分が『最初にやるべきこと』として、助かってすぐに考えた内容が浮かぶ。それらが現状に当てはまりながら、バサンダの感覚に現在の自覚が生まれる。
誰も何も言わずに、バサンダの言葉を待っていた。バサンダは、小さく頷くと、オーリンを見て微笑み、横の心配そうなバイラに顔を向けて『分かりました』と答えた。
お読み頂き有難うございます。




