1393. 謝罪の夜・理解
時間は夜。まだ早い夜で、龍族が戻って来たのは8時過ぎ。
親方から連絡を受けた時は、7時半を過ぎていたようで、時計もないイヌァエル・テレンの明るい夜から、地上の夜に戻ると、一気に暗く感じるイーアンとオーリン。
「いつも思うんだけどさ。夜に地上に来ると、上がどんなに明るいかって」
「私も感じます。イヌァエル・テレンで生活したら、きっと地上が暗く感じるようになるなと、それは毎回」
これまで、人間として生きていた時間の方が長い二人だが、少しずつ感覚が、空の住人に馴染みつつある。
サブパメントゥは、地上よりも暗く、もっと闇の濃い世界。
それをぼんやりと思うと、自分たちと彼らが、今こうして関わることは、それぞれの性質も理解して、越えて行かないといけない問題だらけにも見える。
「コルステインは、謝るのかな」
「どうでしょうね・・・優しい方だから、謝ろうとするのか。でも、あの方が悪いわけではないから。謝ろうとしたら、止めたいです。『私はあなたに怒っていない』と言わなきゃ」
「そうだね」
ホーミットも強い立ち位置にいると分かるが、地下の最強と呼ばれるコルステインは、その態度も最強にふさわしいと、イーアンは思う。強さだけではなく、態度も、感覚も揃っている。
それはオーリンも何となく感じるようで、よくミレイオから『コルステインは深く考えてない』と聞いていても、それとこれは違うと思っていた。
「イーアンも、空の最強なんだよな」
呟いた龍の民に、風を切って降下してゆくイーアンはハハッと笑い『何を急に』と返したが、彼の言いたいことは何だか分かる気がして、それ以上は言わなかった。
自分も―― まだ女龍になり立てだけれど、出来るだけ早く、コルステインのようにしっかりしたい、と心から願った。
二人は町を見つけ、宿を見つけ、そして、青い霧が宿の上に広がっているのを見つけた。
「待ってる」
「はい。では、龍を帰しましょう」
イーアンは単体で、オーリンがガルホブラフ。イーアンはオーリンの背中を抱え、ガルホブラフは空に帰した。
それから、少し龍気を抑えて宿の上まで飛び、青い霧がひゅっと消えたのを確認してから、裏庭に降りた。
「お帰り。戻ったな」
「タンクラッドが『戻れ』と言ったのです」
親方がすぐに出て来て、イーアンたちに挨拶。オーリンはイーアンの側を離れず、自分も一緒に話を聞く、と親方に伝えた。
タンクラッドは了解し、コルステインから少し距離を持つように言うと、コルステインを呼んだ。
濃い影に青い霧が浮かび、それは瞬く間に人の姿に変わる。
静かな夜の明かりを受けたコルステインは、ほんの少し、表情に気がかりを浮かべて近づき、クロークを被ったイーアンに話しかけた。
『イーアン。怒る。する。まだ』
『怒っていません。コルステインには、怒りません』
うん、と頷くコルステインは、もう少し近くに来て、小さな女龍を覗き込む。フードを被った女龍の顔に微笑むと、女龍も微笑みを返す。
『ホーミット。ダメ。言う。する。した。ホーミット。分かる。大丈夫』
『あなたが話してくれたのですか。彼は、私に怒ったから』
『コルステイン。知る。する。コルステイン。ホーミット。バニザット。違う。言う。終わる。した』
イーアンは、優しいコルステインに心が温かくなる。その心のじんわりとした嬉しさは、コルステインにも伝わり、大きなコルステインはニッコリ笑った。
鉤爪の背中を向けて、イーアンのフードを撫でる。龍気が強くても、撫でてあげたいから、撫でる。
女龍は大人しく、嬉しそうに笑みを浮かべたまま、コルステインの優しい気持ちを受け入れていた。
『イーアン』
『はい』
夜の守り神は静かに訊ねる。暫しの笑顔の沈黙の後。
『イーアン。ホーミット。話す。する?コルステイン。一緒。お前。一緒。する』
『え。ホーミットと私?話してほしいのですか?』
『そう。コルステイン。イーアン。一緒。大丈夫。良い?する?』
イーアン、コルステインが譲歩してくれているのを理解しつつも、え~・・・と悩む。コルステインは同席するから、ホーミットと話して、と言う。この御方、最強だよ~(※人間的に言うと『人間出来てる』って表現)。
大きな青い瞳が、じっと女龍の顔の側で見つめる。コルステインの半分近い背丈のイーアンに、背を屈め、膝に両手をついて、コルステインは女龍の顔の高さに顔を寄せ、笑顔を向ける。
これには、イーアン折れる(※美しいものに弱い)。はい、と力なく頷くと、コルステインはとても嬉しそうにニコーっと笑って、両手の鉤爪でイーアンを撫でた。
『お前。優しい。イーアン。コルステイン。好き。お前。守る。する。大事』
『うえ~・・・何て嬉しいこと言ってくれるんですか~ 前も言ってくれたけど~』
コルステインは、受け入れてくれた女龍に、頬ずりは出来なくても、精一杯の愛情表現をする。頭を離した状態で、頑張って抱き寄せると、丁寧にそっと、フードの頭と続く背中を撫でてやった。
その行為が嬉しくて、イーアンは急いでグィードの皮製ミトンを腰袋から出し(※常時所持)コルステインを抱き締めて『有難う』とお礼を言った。
コルステインも、抱きつく女龍の気持ちが筒抜けに伝わるので、笑顔でよしよし・・・を繰り返す。
『ホーミット。そこ。いる。コルステイン。お前。一緒。守る。大丈夫。行く?』
『はい。ちょっと嫌な気持ちもあります。でもコルステインが一緒だから』
『大丈夫。一緒。ホーミット。悪い。する。それ。消す』
『え』
ホーミットが悪いことをしたら消してやる、というコルステインに、イーアンはギョッとして『そこまでしないで良い!』と頼んだ。コルステインはきょとんとしたが、すぐに受け入れてくれた(※一安心)。
イーアンは思い出す。コルステインは、過去の旅路で女龍ズィーリーに、とても嫌われていたことを。
だから、自分には良くしてあげようと思うのだろうと、そう考えると、コルステインの真摯な気持ちが痛いくらいだった。
コルステインには言葉よりも、感情の流れの方が早く伝わる。イーアンが言葉にしない思いも流れるので、コルステインの微笑みは深くなった。
『お前。一緒。行く』
そう言うと、タンクラッドとオーリンを見ずに、コルステインはイーアンを掴んで(※女龍ぶらーん)翼を広げて飛んだ。
「飛んでっちまった。イーアンが翼を出すわけに行かないから、ああして」
「だろうな。あの手だから、文字通り鷲掴みだが、イーアンは頑丈だから(?)コルステインの鉤爪で傷つきはしないだろう」
「両肩に、あの爪が食い込むと思うと。普通、肉避けるよね」
「それで済めばいいが。イーアンは痛ければ、遠慮なく叫ぶ(※知ってる)。叫んでないから平気だ」
弓職人と剣職人は、夜の空にすぐに消えた二人の最強を見送り、鉤爪の話題で少し盛り上がり、オーリンが空腹であることから、二人はまだ客のいる食事処へ出かけた(※親方は幾らでも食べられる)。
飛んですぐさま、あっさりと町の外に移動したイーアン。
そっと、持ってくれているのは分かったが。
計8本の鉤爪の先っちょで固定された、両肩に掛かった自分の体重と、夜風に揺れることにより、グィードのクロークには穴が開いたが、微妙に痛い状態でも耐えた(※痛いには痛かった)。
傷つかない体の恩恵に心から感謝しつつ、それでもあんまりにもピンポイントな支えには、じくじくと気になる痛さを思い、これは人間時代の記憶から痛みを再現しているのかと・・・大真面目に考えていた(※結局よく分からない)。
それはさておき。町の壁沿いに佇む仔牛を見て、何となく身構える。降りた場所は仔牛の真横で、コルステインはイーアンを地面に下ろすなり、『開ける。する』とウシに命じた。
仔牛の横っ腹はぱかーんと開いて上がる。中から、潔く出て来た褐色の騎士。イヤそうにノロノロと出て来た獅子を前に、コルステインとイーアンは、二人がこちらを見るのを待った。
『イーアン。来る。した。お前。話す。する』
コルステインは獅子を見て命じる。シャンガマックにもイーアンにも聞こえているので、獅子は息子と女龍に顔を向け、それから心配そうな息子に視線を戻した。コルステインは首を傾げる。
『ホーミット。話す』
『コルステイン、父は』
命令したコルステインに、シャンガマックが間に入ろうとしたが、コルステインは騎士に顔を向けて睨んだ。その睨み方は、少し前に獅子に向けた顔と同じで、有無を言わせない、見開いた目による威嚇だった。
一瞬で恐怖を感じたシャンガマックは黙る。獅子が急いで『俺が話す』と前に出て、自分を守ろうとした息子を少し押し退けた。
「お前は黙っていて良い。相手がこいつじゃ、言い訳なんて聞かない」
「でも。俺が怒ったのが理由だから」
「お前じゃないんだ。俺がお前に間違った経緯を伝えただけだ」
『ホーミット。言う。する。コルステイン。待つ。まだ?』
二人が言葉で会話をしているのを許さないコルステインは、イーアンを連れて来た手前、早くしろと迫る。
獅子は仕方なさそうに首を振って『今、話す』と答えると、前に出て女龍を見た。フードを被った女龍は、影の中の表情が問うように見える。
『俺は知らないままだった。言い訳じゃないぞ。事実だ。俺の話を聞くか』
『聞いても構いません』
コルステインが獅子の言い方に不愉快そうな顔をしたので、イーアンはコルステインを見上げて、大丈夫と教えた。コルステインが疑問を見せる表情を向け、イーアンはニッコリ笑う。それから、獅子に手短に話せ、と伝えた。
側に立って見ているシャンガマックが、じっとイーアンを見つめていたが、イーアンはそちらを見ない。
――家族愛だ親子愛だは、この際、関係ない。伴侶にはそこまで言わなかったにしても、イーアンは最初からそれは思う。
仲間同士で攻撃し合った意味も無様なら、そんなつまらないことを選ぶ感情の不安定さも、不要だと感じた。
今回、『冷静ではなかった』と伴侶に代弁されたような立場のシャンガマックだが、イーアンはそんなことは理由にならないと思っている。冷静さを欠くような、内容じゃない。
相手が魔物なら。
いきり立って攻撃するのも問題ないが、相手が仲間でもそうした行動を選択し、尚且つ優先したシャンガマックは、イーアンの中では既に論外だった。
これは後々、はっきり本人に言う必要があると考えているし、伴侶にも相談して、皆の前で『ちゃんと話し合うべき問題の種』に映っていた。
自分たちは、仲間への理解を深めながら、一緒に旅をするが、目的はそこじゃないのだ。
目的は世界が掛かった旅。
個人的な感情に溺れて、仲間を危険にさらすなんて、とんでもないこと――
獅子から目を離さないイーアンに、シャンガマックも気がつく。自分は彼女の眼中にないことを。
獅子は、コルステインに睨まれているので、少しずつ、自分の誤解を話し、女龍を攻撃するに至ったまでを伝えた。
それから、黙り続ける女龍に『コルステインから聞いた』と、先ほどの話も続け、鎖を見せる。
『コルステインは、俺がサブパメントゥに戻らなくても回復できるよう、これを与えた。これがあると、暫くは力を消費しても戻る。コルステインはこれを探して、その間、俺を回復の場に閉ざしていた』
横に立つシャンガマックが顔を俯かせたので、イーアンは二人の心境を察する。一方的な誤解の攻撃の後、自分たちへの思い遣りだったと知らされた時、彼らはどんな気持ちだったかな、と想像する。
言い難そうに、獅子はコルステインを見上げ、威嚇の顔を止めない地下の主に『コルステインが。俺とバニザットを一緒に居られるように。配慮していた』と最後に言った。
それが話しの終わりの言葉、と知ったコルステインは、首をカクッと傾げ、まだ続けろと促す。獅子は溜息。息子が背中を撫でるのを励みに、女龍に碧の目を向けた。
『お前が。コルステインに頼まれたこと。俺を守ったのを知らなかった。悪かったよ』
『その、最後の悪かったよの部分。ものすごく頑張って謝っているの、分かります』
『茶化すな』
『事実でしょう。シャンガマックを許してほしいのですね。そのために謝っている』
息子のため―― お前の気持ちはどうなんだ、と畳みかけたいが、イーアンはそれは『まぁ、良いでしょう』で済ませた。コルステインがここまで、この男を詰めてくれたのかと思えば。
コルステインの胸の内。その大きさの方が、女龍には感動する部分だった。こんな感動を受け取れば、それで充分。
女龍の返事と感覚を受け取っているコルステインは、ちょんちょんと女龍の肩を突いて、見上げた女龍に『どう?』と訊ねた。女龍はニッコリ笑って『有難う。もう大丈夫』と答える。
嬉しそうなコルステインは、ニコーっと笑って頷き『うん』と答え、用は済んだとばかりに、女龍の両肩を鷲掴み(※早い)。
イーアンは大急ぎで『帰りは自分で』と止め(※食い込む)それからシャンガマックを見ると『朝食は来なさい』と短く命じた。
「宿で朝食です。私があなたのことで、話すこともあります」
さっと獅子が顔を息子に向け、慌てるように女龍に言葉で返す。騎士は驚いたような顔を向ける。
「イーアン。許したんだろ?バニザットは」
「黙っていなさい。ホーミットはホーミットです。あなたのこれまでの生き方、性格から、あなたのことは理解します。
今回、問題が残るのは、彼の方。シャンガマック、良いですね。朝食に来なさい」
シャンガマックは答えられない。だが、女龍もコルステインも、自分を見つめる目が鋭く、逃げられないことだけは分かるので、ぎこちなく頷いた。
「絶対ですよ。朝7時前には、宿の扉が開いています。朝食は7時過ぎ。お出でなさい」
それだけ言うと、イーアンは頭の中でコルステインに話しかけ、少し離れたところで翼を出して飛んで帰った。コルステインも、残す二人を振り返らず、すっと姿を消して夜に溶けた。
お読み頂き有難うございます。




