1384. バサンダの希望・動かない獅子
ミレイオが馬車に戻り、午後の道にいろいろあった今日。
魔物退治はなかったが、慌ただしく午後は過ぎ、あっという間に夕方を迎え、馬車は野営地に到着。
ゆっくり動いても、明日には町に着くことが分かり、夕食時にミレイオが町で仕入れた話を聞き、夕食も無事に済む。
バサンダも夕食まで眠り、皆の食事よりも長く煮込んだ、柔らかな食事をもらった。彼の場合は無理を避けて、夕食に同席させるのは控え、食事をフォラヴが運んで食べさせている。
『洗濯物を頂戴』と、ミレイオが着替えを持って来たので、フォラヴは食べ終わったバサンダに新しい服を渡し、敷布や枕の掛け布を交換してあげた。
バサンダはその間に、自分で服を着替えたのだが、少し動き難そうでも、自分で出来た。
少しずつ日常の動作を始めることにし、今日は早くも、自分で着替えられたことで、バサンダもフォラヴも喜んだ。
洗濯物を引き取ったミレイオは、その汚れ方に驚いたが、彼の場合は排便の類の汚れではなく、循環する体の老廃物が皮膚を通して出て来たものだった。
フォラヴの話では『私が癒している分、少ないのでは』とした話だが、急激に老化してゆく現象の一つとして、手にした洗濯物は、明らかに大きな変化が起こっていることを物語っていた。
皆がそれぞれ、挨拶に来て、状態を見ては『お休み』と戻り、バサンダも就寝時間を迎える。
寝てばかりの一日だったが、眠っている間に体が変わるのは分かったので、出来る限り自然の変化に従う。
長い睡眠時間は、自分の新しい人生への準備を整えてくれている―― バサンダにはそう思えた。
眠くなるまで、ベッド横の小さな窓を開け、僅かに見える星空を眺める一時。
龍に護られ、妖精の力を持つ人に癒されて、バサンダは運命の意味を考える。
――明日に着く町は、お面作りの町と聞いたのもあり、歩き回るのは難しいにしても、立ち寄ることで何か得られるもの―― 今後に繋がる情報 ――を探そうと思った。
ずっと昔、自分が行こうとした町かどうか。それが思い出せない。
バイラさんの話だと、町は稼働しない期間もある。それが、どうだったかなと思い当たらないところで、特徴的な町の性質に覚えがないことが、少しの間、気になった。
保護される先に着くまで、考えることはたくさんある。保護を受けられたら、とにかく体や意識を調え、数十年の歳月を現在に合わせるつもりでいる。
それから仕事。生活費の援助など、警護団で申請できる範囲はどうにかすると、バイラさんは言ってくれた――
バサンダが馬車に世話になる期間、オーリンは毎晩、空に戻ることになった。暫くの間、地上滞在をしていたから、本人もちょっと骨休めのような言い方で、あっさり了承・決定。
寝台馬車は、騎士二人とバイラ、バサンダの4名が眠る。
バサンダのベッド脇、小さな腰掛けの上に、仮面が二つ置かれていた。一つは過去に母国で作った面。もう一つは、昼下がりにイーアンが渡してくれた、集落の面。
イーアンに聞いたら、朝方、面だけが散らばった場所を見たと話し、彼女はその中でバサンダが持っていた面を偶然見つけたから、持ってきたということだった。
『その面を一つ持って、馬車へ戻ろうとしたら、バサンダの声が聞こえて慌て、その後はいろいろあったから渡しそびれた』と話した。
話を聞いて驚いたバサンダは『他にもあるなら集めたい』と伝え、それを聞いたイーアンが、今度は驚いた。
事情を話すと、イーアンの顔に不安の色が浮かび、彼女はすぐに頷き、午後の間に出来る限りの数を回収してくれた。
面の数は置場所に困る多さだったが、町の下見から戻ってきたミレイオが話を聞き、『一時保管場所に(※地下の自宅)預かる』として、引き取った。
あの民族の仮面は、普通の産物の枠を越えたものを含んでいるから、誰かの手に渡るのは危険と、バサンダが伝えた回収理由はそこだったのだが。
「次の町の『面』が似ている・・・ミレイオさんが教えてくれた話は」
夕食時に、次の町の話を聞かせたミレイオの情報によれば、お面を作る面師が自らそう話し、面を付けた状態を見せたという。この話を、夕食を持って来てくれたフォラヴに聞き、バサンダも運命的なものを覚えた。
「明日。明日、到着。この体じゃ、まだ動けないだろうけれど。無理もいけない。でも、少し町で話を聞きたい」
呟いたバサンダの頭の中では、まだ夢見心地に近い。囚われの年月が長過ぎて麻痺した頭に『もう終わった』と言い聞かせるのを繰り返している。
ここからが現実だ、と微笑むバサンダ。これまでは、自分の望んだ現実じゃない。ここからが、自分の望む現実の続きなんだ。
――それは、遥か前、数十年前の若い頃の自分が、たくさんの計画や希望を持って旅をしていた続き。
手や首を触り、服の袖から見える腕を見つめ、顔の皮膚のたるみ、着替えた時に目に入った胴体などをもう一度そっと見てから『これが普通なんだ』とバサンダは嬉しそうに、涙を浮かべて頷いた。
*****
「ヨーマイテス」
シャンガマックは小さい声で呼びかける。夕食は一人で食べた今日。獅子は動かない。
心配するほど、弱くない―― そう思いたいけれど。目を開けない獅子に寄り添って、シャンガマックは深い毛を丁寧に撫でる。
「ヨーマイテス。大丈夫か?」
うんともすんとも言わない獅子に、こうして今日、何十回呼びかけたのか。父は体温がないから、熱を測るわけでもないし、何がどうなっているのか、見た目に変化もない。
呼吸しているので、それは安心出来るけれど、シャンガマックは心配で仕方ない一日を過ごした。
「ミレイオに話した方が良いだろうか・・・でも、もう。この時間じゃ、ミレイオも地下へ戻ってしまっただろうし。
コルステインに相談してみようか。コルステインなら、タンクラッドさんのところにいる」
どうしちゃったんだろう・・・気になって、サブパメントゥに連れて行った方が良いのか、悩むだけ悩んだ。
父なら絶対に『要らない』と言う。必要ない、と言い切るのは分かっている。だけど、ここにいる以上、このままなのではとも思う。
精霊の力のことだったら、シャンガマックは何度も調整した。父の両腕が光るのを見ながら、様子をつぶさに観察し、弱めたり流したりを繰り返してみたのだ。
ナシャウニットの力の、強弱を操るのは自分の仕事なので、シャンガマックに出来ることは、しつこいくらい行って終わらせている。
身動きしない獅子の顔に、自分の顔を凭れかけさせ『ムリしたんだ』と眉を寄せて呟く騎士。
――父は強いけれど。その強さの限界も、範囲も、俺は知っているようで知らない。
きっと、あの異界から出るのにすごく疲れたに違いない。
イーアンの龍気は、彼女が気遣って抑えてくれていたが、同じ結界にこの二人が入った時間は短くなかった。その中で、父の力を使い続けて脱出したから・・・・・
「ヨーマイテス!」
獅子の顔に頬を付けたまま、両腕に大きな首を抱え込んで抱き締める。
「ごめん。俺がもっと見ていれば良かった。もっと気にするべきだった。こんなになるなんて!」
父が眠そうにしたのは、数えるほどしか見たことがない。一番記憶にあるのは、両腕の至宝の謎解き前だった。
至宝は、『生きた精霊の力』を宿していたから、強靭とは言え、純粋なサブパメントゥの体に無理があった。だから、自分が操るようにして、調整する方法を探したのだ。
「だけど。今度は・・・龍気なのか。それともまた、別の消耗か。両方か」
ヨーマイテスが眠っているのを見たのは朝。馬車が出発するまで、シャンガマックは外で話していた。
昨日までの説明と、イーアンが連れ戻ったバサンダのことで掛かり切りになり、彼の話しやすい母国語で幾つか訊ねたり、母国語と同等に、訛りのある共通語を話す確認までを行い、それから残しておいた食事を持って戻ったら。
「眠っていたから。ただ、普通に疲れたのかな、と思ったのに」
鬣に手を潜り込ませ、根元から梳いてやる。騎士の悲しそうな目に、いつもなら見つめ返す碧の目が開かない。
「そっとしておこうと思ったのは、間違いだったのか。昼も起きなかったし、夜もだ。シュンディーンのお風呂のことは訊かれなかったが、皆もどうしたかと思っているに違いない」
獅子の鼻に口付けて、そっと顔を離す。シャンガマックはこれ以上、放っておくのはよそう、と決める。
「『要らない』と言うだろう。元気なヨーマイテスなら。でも俺は、今あなたがここまで動かないのを、見ていられない。コルステインに話すよ」
そう言うと、もう一度、獅子の広い鼻に口付けし『間に合ってくれ』と呟いて、騎士は夜の外へ出た。
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