1382. 次の町下見
遠くに薄く、町影は見える距離に入ったが、まだ到着まではかかるとした話で、バイラは『今日は普通に進んでも』と言った。
急いでもすぐに着くわけではないなら、ここらでお昼にしようかと、ドルドレンは馬車を寄せる。
「町が稼働していると良いのだが」
「そうですね・・・見てきた方が良いのかな。でも見て、稼働していないのを知ったら、それもツライ」
「着いてから知っても、辛さは一緒である(※正論)」
ですよね、と苦笑いした警護団員に笑い、ドルドレンは馬車を停めて、貼り付いたままのイーアンを見る。
「お昼だよ。瞼が腫れたのか」
「はい」
「ミレイオに濡れた布をもらっておいで」
うん、と頷いたイーアンは、泣くだけ泣いて顔がパンパン。クロークで顔を隠して、恥ずかしそうに荷台へ行った。
見送ったドルドレンとバイラは、少し笑う。
バイラは『彼女みたいな龍で良かった』と総長に言い、総長は『女龍が人間上がりの意味はそこかも』と頷いた。
「男龍たちの言葉を聞くと、とても遠い存在に感じる。仲良くなっても、やはり遠い。
人々の住む世界を救うためには、人間の心を持った大きな存在が必要なのかも、と俺はよく思う」
「そうですね。きっとそうだと思います。分かってくれることは、とても親しみが生まれます」
二人がそんなことを話しながら、寝台馬車の荷台へバサンダの様子を見に行くと、既にフォラヴが入っていて、バサンダのベッドの横に座っていた。
「フォラヴ。バサンダは」
声が掛かるのと同じくらいで、妖精の騎士が振り向いて微笑む。横になっていた男もゆっくりと体を起こし、荷台を覗き込んだ総長と警護団員に顔を向けた。
「おお・・・バサンダ。起き上がって」
ドルドレンは自分の父親より年が上(※ドルパパ52才)に見える男に瞬きし、外見と対照的な瞳の強さに驚いた。彼は静かに微笑むと、こちらへ来て下さい、と勧める。その声もすっかりと、年齢を重ねた声。
バイラもドルドレンも、すぐに中へ入り、フォラヴはバサンダの手をそっと離す。
「彼が。フォラヴさんが私を癒してくれました。私のひげも、剃らせてもらって」
彼のベッド脇を見れば、水を張った手桶と薄いナイフと石鹸、布があった。フォラヴは楽しそうに笑って『すごい勢いで伸びたものだから』と言い、これでは大変と思ったと話す。
「バサンダは弱っていらしたので、私が癒したことで体の機能が追い付いたのでしょう。ひげも髪もどんどん伸びるので、髪は編みましたが。ひげは編むわけにも」
フォラヴがそう言うと、バサンダも少し笑い『髪も後で切ります』と、背中に沿った長い三つ編みを、胸の前に垂らした。
バイラもドルドレンも特に訊かなかったが、『ベッドの布も交換した方が』と呟いたフォラヴの視線で、彼の生えては抜け替わった体毛の様子も知った。
「他は。肌や、何か。体の異変は」
「いいえ。皮膚は少し・・・これは年齢によるものか。古い皮膚が自然に剥離している様子は見えましたが、思うに、体そのものは私が癒していることで、入れ替わりの影響が少ないのでしょう。
毛はどうしても、抜け落ちたり、そうしたことが目立ちますもので」
バサンダは何度か口をもぐもぐさせて、『歯も大丈夫そうです』とフォラヴに伝える。爪は伸びたが、これも毛よりは落ち着いていて、もう少し伸びたら切ると良いと、フォラヴは微笑んだ。
「急いで何かをする必要はありません。次の町へは」
「それなのだが。稼働していない可能性があるのだ。彼も少し同行することになるかも知れない」
フォラヴが次の町の話を出そうとして、総長は遮り、バイラも頷く。二人を見た目に、バイラは『午後にでも確認してみる』と言った。
「私も随分前に行ったきりですから、現在どうなっているのか知らなくて。町に人がいない時期も数ヶ月あった記憶が」
そこまで言うと、警護団員はちょっと考えてから、総長に『オーリンかミレイオに見て来てもらえれば』と提案し、総長は了解する。
バサンダもフォラヴも黙って頷き、それから総長たちが『もうじき昼だから、後で』と出て行くのをその場で見送った。
バサンダは昼の日差しの明るさと、馬車の中の黒さの対比を見つめ『綺麗です』と呟く。それから、片手を動かし、壁際に置いてあった仮面を取ると、見つめるフォラヴの空色の瞳に微笑んだ。
「あなたの?あなたの住んでいらした町」
「はい。私が作ったんです。作って、持って来て。もうすっかり忘れていたけれど、またこの手に触るとは」
古びた仮面を見つめる二人は、少しの間、その面から聞こえるような、言葉なき語りに耳を傾けていた。
昼食を作るミレイオの横では、顔に濡れた布を当てるイーアンと、その横に座るタンクラッド、彼の腕に抱っこされているシュンディーンが並ぶ。
焚き火から少し離れたところで、オーリンとザッカリアが木の近くで話しており、彼らは『木の見方』について、短い講義中だった(※オーリンが講師)。
ドルドレンはミレイオの横にいる奥さんに『どう?』と訊ね、彼女が首を横に振ったので、少し笑って『そのままで』と言っておく。
それからミレイオに『後で町を見に行ってもらえるか』稼働の様子を知りたいと話した。
「町?いいわよ。あそこに見えてたところでしょ。ええと、ここからじゃ見えないか。もう一回、道が曲がったら見えるのかしら」
「そうです。ここから見える町は、あれしかないから。他は集落ですし、集落は自給自足なので。町がやっていないとなると、道を変えた方が良いかも知れないです」
「町に人がいれば寄るんでしょ?」
「はい。普通にいれば。ここからは、煙が見えにくいので、いるかどうか」
良いわよ、見て来るとミレイオは頷いて、先に茹でた肉をタンクラッドに渡した。
親方は金属の串に刺さった肉の小さい塊を、赤ん坊の開けて待っている口に差し出し、赤ちゃんは串にも恐れず、豪快に肉に嚙り付く。
「シュンディーンくらいならな。食べる量も少しだが。バサンダも少しの間は一緒だから、食料を買い足しておかないと」
タンクラッドが少し声を落として、そう言うと、ドルドレンも頷いて『彼の体に良いものを用意したい』と、出来れば次の町で少し、療養に適う食材を買いたいと話した。
「目が。彼の目がとても力強かった。イーアン、見たか」
ドルドレンは、今し方見た、バサンダの目に驚いたことを教えると、イーアンは『出発前に会った時に、自分も驚いて』と呟く。
「彼は、文字通り二度目の人生を信じている。今日明日に万が一、倒れるとしても。それでも今という時間を心から喜んで、希望に満ちているのだ」
まだ気持ちの許しが自分に出来ないイーアンは、伴侶の言葉に、うんと少しだけ頷く。親方はそれを見て、『彼の命の行方は、もう彼のものだ』と教え、イーアンの手を離れていることも、ちゃんと教えた。
親方と総長に励まされるイーアンを横目に、ミレイオは何も言わず、お鍋を混ぜながら微笑むだけ。
――当事者だから。普段だったら、イーアンだって他の人にそう言うだろうと、ミレイオも思っている。
でも、人は時々・・・自分が引き起こすと、それに理屈が付いて行かなくなることも。
ミレイオだって、人に近いサブパメントゥの自覚はあるが、心は更に『サブパメントゥっぽくない』と、見た目以上の感覚に悩むことがある。
イーアンは、女龍。仲間は全員、空の上。
空で育ち、地上の誰かのことなんか知りもしない、光の世界の住人達。ルガルバンダだけは違ったが、彼さえ、人間とは一時期の接触でしかない。
外の世界から放り込まれて、あっという間に龍の世界に入り、あれよあれよと人間から『龍族』として生きるよう、運命が流れていくイーアン。
人一倍、熱い情熱と勢いで生きてきた、人間臭い喜怒哀楽を抱えた彼女が、僅か一年にも満たない期間で『考え方も感覚も』学んで体得しないといけないなんて。
フォラヴが言ったように『辛い立場』だと思う。
私たちは、彼女を支えるしか出来ないけれど。彼女を見守り、導いたり、励ましたり、慰めたり。それが自分たちの役目の一つだろうな、とも分かる。
これはでも、彼女に限らず、仲間のそれぞれ皆に言える。加速して降りかかる、多くの事態に、その時までの自分で挑み、喜びも憂いもこなして進むのだ――
そんなことを思うのも、『私が今回、第三者だからかしらね』と、ミレイオはちょっと笑う。
お鍋の中身は、良い具合に出来上がっており、匂いに釣られた仲間が、徐々に集まって来ていた。
「シャンガマックが来ないな」
オーリンは仔牛が微動だにしないのを見て、昼なのに、と呟く。ミレイオが立とうとして、ドルドレンが手をさっとあげて止め『俺が』と引き受ける(※喧嘩になる恐れ回避)。
奥さんにシャンガマック用の食事を付けてもらい、皿を持って仔牛の側へ行くと、昼を持ってきたと声をかける。仔牛の横っ腹がパカンと開いて、毎度のことだが少し奇妙さに後ずさると、褐色の騎士がそっと顔を出した。
「シャンガマック」
「しー・・・・・ 」
総長に『シー』と。人差し指を立てて口の前に当てた部下。
仔牛の腹の中で四つん這いの姿勢。部下はそのままの格好で腕を伸ばすと、何も言えずにじっと見つめる総長の手から、ゆっくりとお皿を引き取る。
そして困惑する上司を見上げて、ニコッと笑うと『有難うございます』小声でそう言って、引っ込み、ぱたんと仔牛の横っ腹は閉じた。
ドルドレンには見えなかったが、きっとお父さんに気遣っているのだ、とそれだけは分かるので、そっとしておくことにした(※それでも上司の扱いに疑問がないわけではない)。
それから、仔牛に寄った序、ちょっと寝台馬車を覗く。『バサンダの食事は後で』と聞いているので、声はかけないが、彼は起きているようだった。
焚き火の側に戻り、ドルドレンが奥さんから皿を受け取ったすぐ、ミレイオがまだ口をもぐもぐさせながら、鍋の側に来て、中身をかき混ぜ、何かを入れる。
「それはバサンダの?」
「そう。彼、病み上がりみたいな感じだし。肉、柔らかくないと」
それと、野菜とかも食べさせたいじゃない、と言うミレイオは、細かく刻んだ干し野菜を加えたようで、それをもう少し火にかける。
「ミレイオがいてくれると、気遣いの幅が違うのだ」
「誰だって、こうするわよ」
ハハッと笑ったミレイオは、鍋の様子を見ながらイーアンに『もうちょっと煮詰まったら、火からおろして』と頼む。了解したイーアンは、ミレイオの空いたお皿も引き取った。
「よし。じゃ、行って来るか」
ミレイオは荷台に置いてあったお皿ちゃんを出すと、ひょいと乗って『町に行ってくるわ』と一言落として、かっ飛んで行った。
そんなミレイオが、青空に点になるのを見つめ、イーアンとドルドレンは『頼もしい』と頷き合った。
この後。ミレイオはすぐ戻らないので、イーアンはバサンダ用の食事を器に取り、他を濯いで片付ける。片付けはバイラも手伝ってくれたため、あっという間に終わり、バサンダへの食事は、フォラヴが引き受けてくれた。
親方は赤ちゃんを、オーリンの作ったベッドに寝かせ(←寝た)ロゼールの宿題・絵の時間。オーリンが寝台馬車の御者を交代してくれ、ザッカリアも御者台に座った。
顔の腫れているイーアンは、ドルドレンと一緒に荷馬車の御者台。バイラも馬に乗り、町のある方角を見て『ミレイオは何をしているのか』と思いながらも、午後の道を歩き出す。
旅の一行は、ミレイオが戻る前に、ゆっくりと進み出した。




