1378. 囚われ人の願い ~解放の問い
意を決したイーアン。
尾が出ただけでも上がった龍気。そこに更にじわじわと増える龍気を、シャンガマックは結界の壁を厚くして押さえる。
以前、ティティダックの時に結界を張った、あの時ほどではないが、自分も意識を保ちながらの精霊の力を出すことで、押さえている相手がどれくらいの力量か知るが。
イーアンの龍気は、これがまだ序の口と思うと、女龍の成長の速度に驚く。
この一ヵ月で、自分も成長していたから間に合ったことを、体で感じる褐色の騎士は、ふと、練習相手になってくれた父も、相当な力を、自分相手に制御しているのではと思った。
イーアンは結界を意識しながらも、龍の存在を知らしめるように龍気の密度を高める。
「バサンダ」
若者の名を呼び、側へ行くと、女龍は彼の目を見た。若者は手に持った仮面をぎゅっと掴み、『はい』と答える。
「あなたに教えておくことがあります。
夜に馬車へ来たあなたが、ここへ引き戻された後の話です。あなたが消えた場所だけ、空気の乱れがありました」
いきなり何を話すのかと思う、若者と他二人。イーアンはそのまま静かに伝える。
「乱れが気になり、私は自分の鱗を数枚使い、その乱れた個所を囲いました。それから用事を済ませ、数時間後に見た時。鱗が囲んだ空気の乱れは消えていましたが、その内側の地面に変化が見られたのです」
「変化。それはもしかして、私がこれから」
「そうです。恐らく、その地面の変化同様のことが、あなたに生じます。黙っている気になれないので、伝えておこうと考えました。
地面にはそこだけこんもりと枯草が積もっていました。雑草が伸び、冬が来て枯れて倒れる、それを何度も繰り返したように」
女龍の声は静かで低く、決して怯えさせるものではないが、その淡々とした口調は、聞いているバサンダにも、また、シャンガマックにも恐ろしく感じた。
「枯れていたんですか?」
バサンダが眉を寄せて、現実味のある変化の現象を訊ねる。女龍に表情はなく、哀れむでもなく、繕う笑みもない。
「はい。枯れて、畳まれるように重なり、そしてそこに新たな草が生えていました。細く、生まれ立ての、若々しい草。それは枯草を越して、伸びていました。
でも。私が囲んでいた鱗を取った後、その若草はしおれ始め、生命力が抜けたように萎びて倒れました」
イーアンの言葉が終わらないうちに、バサンダの喉元が唾を飲んで動くのが見えた。若者は、女龍を見つめて声を絞り出す。
「つまり」
「その中。鱗が囲んだ場所だけ。時間が動いたのでしょう。私が今、この場所に居ても、何もしなければ変化はないようです。でも、『龍が動く』という意味は、思うに雑草の現象と同じことが生じます。
どれくらいの変化が起こるか知れないにしても、この場所で歪めてられていた時間が、あなたに襲いかかります。
・・・・・あなたを、元のテイワグナの大地に引っ張り出した時。
あなたの体の時間が、現在の時間に向かって、急速に動き始める。そうなる可能性は高いです」
イーアンはそれ以上は言わず、話の途中から、目を伏せた若者にゆっくり背中を向けると、シャンガマックに頼む。
「行きましょう。あの集落へ行き、私の問いの答えを聞きたいです」
「選ばせる気か」
シャンガマックの代わりに答えた獅子が、碧の瞳をちょっと女龍に向ける。女龍は頷いて『精霊もそうしたのだし』とやり切れなさそうに呟いた。
「助け方。知っているわけじゃないもんな」
「勿論です。いきなり事態に呼ばれて、何度聞き直しても、分かる情報は『龍が解放』だけ。その意味は、一つしかありません」
「こいつも覚悟している以上、きっとそういうことなんだろう」
「ここで終わるか。外に出て時間と共に死ぬか。どちらかです」
「どっちみち、いつか死ぬだろ」
獅子は何てことなさそうに、そう返すと、息子を見て『お前は女龍と行け』と命じ、『自分はこの若造を連れて行く』と言った。
「イーアン。私だけ連れ出す、ことは」
バサンダは改めて、最初に頼んだ言葉をもう一度口にした。
集落の人間たちも『イーアンなりの情け』で選ばせ、引っ張り上げるつもりなのかと思うと、彼らは騒ぐだけに思えるし、この場所はもう放っておいても、彼らはこのままを望んでいる気がして。
女龍は振り向く。その目はとても悲しそうだったので、バサンダは『ここから出たら、彼らは間違いなく消える』と急いで教えた。
「私よりも、ずっと前から居るんです。だからきっと、ここから出せば死ぬ。そして、それ以前に・・・彼らは『出たいかどうか』の問いに『救われる希望』しか」
「若造。それでも龍が来たってことは。今日が『言い伝えの日』だってことだ」
獅子は、女龍が口を開けて答える前に、先に答える。騎士と女龍は彼を見たが、獅子はもう少し話した。
「分かるか。お前が女龍を頼った時点で、『運命の日』になったんだ。ここから先は、お前の意思は関係ない。龍が決める。
この狂った場所で終わるか。人間らしく死ぬか。最期くらいは選べる」
「う・・・それじゃ」
バサンダは自分のしたことに、急に責任を感じる。
そのつもりで助けを求めていたのに、今、現実味を帯びて物事が動き出す速度に、ちょっと待って!と頼みたくなる焦りが溢れる。そんな若者に、獅子は呆れるようにぼやいた。
「龍の意味を知らない、お前たちには災難だな。だが、そういうことだ。恨むなら、この場所へ放り込んだ相手を恨め。
俺にはどうでも良いことだが、龍だってとばっちりだぞ」
思いがけない獅子の言葉に、騎士と女龍はちょっと反応したが、ここは黙った。彼の言うことは本当なのだ。
言葉を探すバサンダに、褐色の騎士は、少し同情の眼差しを向け『もう。あなたの手を離れている』そう伝えた。それは精一杯の、責任を負わせないための一言。
騎士はバサンダに伝えてすぐ、イーアンに顔を向け、片手で自分の肩を叩く。女龍は頷き、言葉を交わさないまま、騎士の背中に回って翼を出すと、シャンガマックを背中から抱え上げて浮上した。
「お前も連れて行く。乗せてやる」
戸惑うバサンダの横に獅子が寄って促す。怖がる若者に『銜える方法もあるぞ』と面倒そうに言うと、ギョッとしたバサンダは、急いで獅子に乗った。
「では、行きますよ。ここまで来たら、後に引けません」
大きく深呼吸し、はっきりと言い切った女龍は、騎士を抱えてびゅっと飛ぶ。獅子もその後を、飛ぶように走り、追いかけた。
そして――
4人は集落のすぐ側まで来た。集落の上に浮かぶ、イーアンとシャンガマック。集落より少し離れた場所に立つ、獅子とバサンダ。
既に、金色の光の玉を見つけた人々の声が、そこかしこで起こり、集落の家の外にはたくさんの人たちが溢れている。
「何だか変です、私たちが来る前から集まっているような。シャンガマック。あの広い場所にあるものは」
「儀式・・・をしていたのかも知れない。あの、台の付近。え!」
シャンガマックは抱えられている状態で、首を突き出して目を見開く。イーアンにはよく見えない。どうしたのか?と急いで訊くと、褐色の騎士は見えているものから目を離さずに教えた。
「斬り合っている。斬り合って、血が。だが、倒れても起き上がる」
イーアンも眉を寄せる。『バサンダが話したように、死なないのです。ちょっとそっとの傷では』これが罰でなくて何だろう、と苦し気に呻く女龍の声を、背後で聞くシャンガマックも苦しい。
「儀式だ。儀式で、きっと。龍か精霊にああして。ずっと、これを繰り返してきたのか」
狂っている、と呟いた褐色の騎士。見えている舞台の上で、剣の翻る光がちらちらと動く。それは相手の体を遠慮なく傷つけ、相手はよろめき、または倒れ、そして起き上がって、斬り合い続けていた。
「俺たちを見て、もっと勢いが付いている。俺たちが、龍か精霊か分からないにしても、伝えているつもりなんだ」
「ああ。何と恐ろしい。バサンダはずっとここに。いえ、彼らもここに閉じ込められて」
「イーアン!彼らは被害者かも知れないが、あなたのするべきことは、龍として運命づけられている」
一瞬、同情が湧いた女龍の顔を肩越しに見て、シャンガマックは『これは運命』と言い切った。その言葉で、イーアンもすぐ頷く。
「はい。そうです、そうですとも」
運命じゃなかったら、こんな事、絶対嫌だ!と心で泣いて。イーアンは先の決意を呼び起こす。
「聞こえますか!私は龍。あなた方の解放の時。私は伝えることがあります!」
大声で叫んだ声。シャンガマックは、ハッと気がついて急いでその言葉を通訳する。
空から降り注いだ、最初の言葉は理解出来なくても、続いた男の声に、仮面を被った人々がざわめいた。龍が来た、龍が解放と言っている、精霊ではないんだ、あれは龍だ、と確認し合うように大声が響く。
「何て?」
「精霊じゃない、と分かったようだ。龍の声を伝えよう」
シャンガマックは、続けて勢いで言ってしまった方が良いと考え、イーアンを急かした。イーアンも決意が同情に揺るがない内に、大声で叫ぶ。
「あなた方を解放します。その意味は、この世界ごと消えること。もしくは、元の世界で死ぬこと」
シャンガマックも通訳で大声を張り上げる。その言葉に怯え驚く人々は『死ぬのは違う』と返す。『元の世界に返してほしい』と訴え、イーアンが続けて『どこで死ぬかを選んで下さい』と答えた。
ぐっと腹に力を入れて。褐色の騎士も泣きそうになりながら『どこで死ぬのかを選べ』と怒鳴る。何て残酷な運命だろう、と思わずにいられない。誰もが犠牲者なんだ、と分かっているのに。
仮面をした人々は、その言葉に『死にたくない』と叫んで返す。
『元の世界に帰れるはずだ』『途方もない時間を待った』『精霊が約束した』とそこかしこで言い合い、シャンガマックはそれを呟くようにイーアンに訳す。イーアンはもう、涙が出そうだった。
「シャンガマック。龍に変わります。支えて下さい」
分かったと答えた騎士も。震える声で頼んだイーアンも。目に涙を浮かべ、イーアンは白い龍に変わる。
白い龍に身を変えたイーアンは、決して言葉の喋れない龍の喉で『ひでぇ運命だ!』と、ありったけの悔しさをぶつけて吼えた。
その声は空に向かって一気に広がり、轟く地鳴りのような龍の咆哮が、小さな呪いの世界を揺さぶった。
パンッ―――
揺さぶられた、風景の変わる世界の空に、何かが当たるような音が落ちる。
ハッとした龍と、その角の間に乗るシャンガマック。『今のは』シャンガマックは周囲を見渡し、ギョッとする。
あれは!と叫んだ直後、真横や後ろでも『パンッ』『パシッ』と破裂音が鳴り、シャンガマックが見つけた個所と同じものが、立て続けに空に生じる。
それはイーアンの目にも映る。次々に空が割れて、最初に見た、くるっと変わる風景のそれがブルブル震えては弾けて・・・『落ちている!割れて、空間が!そんなまさか』頭の上で叫ぶ騎士の声に、イーアンも慌てる。
そこかしこで亀裂が入った水槽のように、バキバキと、亀裂が新たなひびを走らせ、それがくるりと変わった風景の場所に当たると勢い良くバンッと大きく割れて、その破片が地上へ落ちる。
「イーアン!壊れる、この世界が壊れるんだ!」
下では人々の叫びが恐怖一色に変わり、世界を覆っていた殻が割れて落ちてゆく様は、あっという間に阿鼻叫喚を引き起こす。割れた巨大な破片が、そこかしこに降り注ぎ、集落も畑も丘も林も森林も、全てに突き刺さって崩れる。
そしてそれだけではなく。
「逃げろ、イーアン!竜巻が」
シャンガマックが気がつくより早く、イーアンも竜巻の轟音に頭を振った。割れた場所の向こうから、猛烈な勢いで風が吹き込む。それはここに入る時に通過した、時の竜巻。
「父が、バサンダが」
叫ぶシャンガマックが急かす声に焦り、白い龍は顔を丘へ向ける。『あそこだ!呼んでいる!』騎士が怒鳴り、イーアンも獅子の気配を掴むと急いで滑空。
すぐに金茶色の獅子と若者が見え、それと同時に『龍はダメだ!幾ら父でも』と騎士の声がしたので、イーアンは大急ぎで人の姿に変わり、落ちかける騎士をガッと抱えると、目一杯の速度で獅子たちに飛んだ。
「俺から離れるな!バニザット、結界を強めろ!」
獅子の怒鳴る声も風に消される。時の竜巻は今や全体を巻き込んで、旋回の渦の中に押し込み、イーアンたちもその中に引っ張られる。
褐色の騎士の金色の結界がグワッと濃くなり、イーアンは彼を抱えたまま、彼が獅子の尾を握ったのを見た。
「出るぞ!絶対離すな!」
時の竜巻に呑まれながら、振り切るような獅子の咆哮が聞こえ、そこから先はイーアンもシャンガマックも、獅子の背のバサンダも、何も見えなくなった。




