1376. 囚われ人の願い ~追いし追われし
到着した場所は、離れた場所から大頭の人々の影が見え隠れして、少しずつ近づいているのが見える。
妙に頭だけが大きいので、彼らが普通の人間の姿で動いていたら見えないだろうが、遠目の利かないイーアンでも、その揺れる頭の横に並んだ様子は、何となく分かる。距離はかなりあって、平地で遮るものが少なく、直線距離200mほどか。
その相手に、こちらからも近づく間。
イーアンが気になる、風景がくるりと部分的に替わる現象は、側でも起きる。結界の中だから無事らしいが、気にはなる。
これ何だろう、とイーアンが不安に思っていると、不意にシャンガマックが咳払いして、奇妙な現象の話をし出した。
「これは多分。別の時間かも知れない。さっきから何度か、触れては通過しているが、景色が別の場所に見えるし、植物の生育状態が同じではないな。
植生から同じ地域の中に見えるが、場所も時間もズレが一定しない。もしかしたら、ミレイオとシュンディーンが動けたのは、この替わる風景の若い時間だったのか」
イーアンの疑問を、シャンガマックも持っていたようで、彼は観察した推測を独り言にした。内容が細かく、ミレイオたちのことも考察されていたので、イーアンは感心した。
「結界の中だから、これらの不安定な影響を受けないんですね」
こちらを見ないまま話していた騎士に、イーアンはちょっと答える。褐色の騎士は振り向いて微笑むと、「父の力も混ざった結界だから」と教えた。
その意味は、イーアンにはっきり分からないが、マカウェの時、ビルガメスが話していたように、ホーミットの能力なんだと、ぼんやり理解した。
状態は、結界の金の塊の中に、3人。
思えば、イーアンは龍気を抑えているが、よくこの二人が平気だな、と思いながらの徒歩(※飛ぶと龍気使う)。
以前、彼の結界の中で龍になったこともあるし、シャンガマックは大丈夫かも知れないが、龍気を問題にしそうな獅子が、平然としているのが不思議だった。これもシャンガマックの力によるのか。
自分は獅子の横を歩いているし、尻尾も翼もしまったけれど、龍気が近くてイヤじゃないのか・・・と思っていたら、獅子の背で揺られる騎士がフフッと笑う。
何だろう、とイーアンが彼を見ると、騎士はイーアンを見て『いや。すまない』と先に謝った。
「なぜ謝りますか」
「俺には分からないが、ヨー・・・ええと(※毎度)父にはイーアンの思考が伝わっている」
「げっ」
「そう、だから。父は俺の頭に、あなたが何を考えているのかを教えてくれて」
「やめて下さいよ」
済まなそうに笑う騎士に眉を寄せ、イーアンは獅子に『お前!』と言いかけるが、獅子はちらっと女龍を見て『煩いと放り出すぞ』とだけ忠告。
歯軋りする女龍。ちくしょ~ 強気~ 生意気~ でも言えない~ 放り出されるのイヤ~~~!
女龍の悔しがる頭の中も聞こえているので、獅子は同時通訳で息子に流す(←女龍、バカにしてる)。シャンガマックが咳しながら笑うのを我慢し、女龍に『仕方ない。父の能力だ』と理解を求める。獅子もそれに続ける。
「そうだ。お前のその、やたらに誇示するデカい角と同じだ。俺の能力は見えないだけで強く、お前の軽い頭の中なんて、聞く気がなくても聞こえる」
「か。かるいだと~ 軽くねぇよ!この、ライオ」
「放り出すか」
くそ~~~っ ここから出たら、覚えとけよっ(※古い決まり文句健在)!
ギリギリ、音を立てて歯軋りする女龍に、シャンガマックは笑って『大丈夫だ』不意に、話を戻す。
「父に影響がないか、と考えていただろう?俺が側にいる間は平気だ。イーアンが、グィードの皮を着ているのも助かっている。父はイーアンが、その皮で身を包んでいる分には、少しなら触れる。
龍気を増やす時だけ、俺が気を付けていれば、父には影響ない状態だ。心配は嬉しいが大丈夫だ」
「心配。なんて、していません。違うからっ」
ムスッとした女龍は、否定して黙る。獅子は分かりやすい嫌な溜息を落とし、騎士はそんな二人に声を殺して笑った。
何のかんの言って、父も最低限、イーアンの無事は考えてくれるし、イーアンも父の状態が、安全であるように気にしてくれる・・・仲良くなれなくても優しい二人に、褐色の騎士は何となく嬉しかった(※父は筒抜けで嫌そうな顔してる)。
「いいか、イーアン。俺だけが、この外に出て問題ない。お前はやめておけ。出てもすぐにどうなるわけじゃないだろうが、何も保証もない。お前はバニザットと動け」
「それ・・・私がもしも戦うとか、龍気を増やす時は。結界の中では」
徐に行動を指示し始める獅子に、イーアンは気持ちを切り替え(※業務)気にしていたことを訊ねる。すると獅子は答えず、シャンガマックがこちらを向いて微笑む。
「イーアンが動く時は、俺の結界の形を変える。大丈夫だ」
「え。この丸っこい状態以外にもなるのですか」
「そうだ。そのために練習した。いろんな形で使える。イーアンの龍気と、俺の精霊の力を併せることも出来るだろう」
えええ~~~!! 凄いことしますね!と驚く女龍に、シャンガマックはちょっと照れて『父が教えてくれたんだ』とはにかむ。獅子、仏頂面(※息子が女龍に照れたのイヤ)。
「でも。実際に、女龍の力に乗せるのは初めてだし、上手く出来るか約束はしない。とにかく、この場所に体が触れないように、俺が注意するのはそこだ」
「んまー・・・謙虚な。そうですか、分かりました。攻撃ではないにしても、何かで龍気を使」
「ほら行け。その龍気を使え」
「え?」
女龍の言葉を遮った獅子は、面倒そうに促した後、息子をぶるっと振るい落として(※いつも)さっと結界の外へ出た。獅子の背をひょいと降りた騎士は、ハッとした顔で空を見る。
「イーアン!矢が」
シャンガマックが驚いた、結界の外。
まるで映画のように、矢のカーテンが飛んでくるのを見たイーアンは、ビックリして、グワッと頭を龍に変えて飛び、今、降りかからんと、弧を描いて落ちて来る矢に、口を開けて全て消した。
「おお!素晴らしい」
「ゴゴ(※喋れない)」
「もう一回来るかも・・・来た!」
龍頭のイーアンは、シャンガマックを見下ろしてから、すぐに矢の飛ぶ空に顔を向け、上に向けて放たれた矢を、一本残らず、再び消滅させる。
イーアンが訝しみ、3度目が来る前に調べに行こうと翼を引き上げた時、下からシャンガマックが叫んで止めた。
「戻ってくれ!」
急がないとと思うが、イーアンはすぐに降りて首を人間に戻す。シャンガマックは矢を放った人たちの方に顔を向け、『何か言っている』と呟く。
「彼らが何かを?」
「聞こえる・・・俺を連れて飛んでくれるか?彼らの声が」
イーアン、忘れてた。シャンガマックは言語能力が異様に高いのだ。すぐ承知して彼を背中から抱えると、びゅっと上に移動。矢を番える素振りはするものの、何か狼狽えているような、大勢の人たちの不安定な動きが見える。
「あれは」
「イーアン、俺たちじゃない。俺たちを狙ったんじゃないんだ。あの人だ!」
はい?頭が付いて行かないイーアンは、何やら聞き取った騎士の指差した方向を見る。するとそこには、丘を走る人影が一つ。『もしや、バサンダ』イーアンがハッとしたように言うと、シャンガマックも『そうだ。きっと彼だ』と答え、女龍を振り向いて『彼を守らないと』と焦る。
妙に切れ切れする景色の中を、シャンガマックは『気にしないで飛んでくれ』と頼み、イーアンは彼を信じて、急降下。目の端に、カラッと風景が変わる瞬間を見ても、ビクッとはするものの、ぎゅんぎゅん飛んで、目的の走る人に追いついた。
「バサンダ!」
イーアンが叫ぶと、走る人は頭上の声を見上げることもなく、更に逃げる。丘を走り抜けて、林に入るつもりだと分かり、イーアンはもう一度『バサンダ!私は龍です』と叫んだ。
その時、彼は走りながら振り向き、顔につけた仮面越しに何かを答えたが――
「うわっ」
彼が答えたと同時、真横から金茶色の大きな動物が飛び掛かって、彼の体を口に銜え、そのまま走り去る。逃げていた人は『わあー!!』と叫びながら、獅子の口元で揺れている。
「ホーミット?!」
「父が守る気だ。イーアン、追いかけて」
そら、私のが早いけど、と戸惑いつつ、突然襲われた(※ようにしか見えない)人の、胸中が心配なイーアンは、急いで獅子の走る背中を追いかけた。
*****
――金色の光が矢を消した。
弓を番えた人たちは腕を下げ、口々に何が起こったかを話し合う。
ここにいる者、皆が大きな被り物を頭に付けており、感情の動きは声でしか分からないが、全員が今し方起こった異様な事態に戸惑っていた。
話し合っている大人数の場所に、二人が走って戻って来て、何人かが戻った二人の手を見て質問する。
「面はどうした。取れなかったのか。直に殺したのか」
「バサンダは見つからない」
どこかへ逃げたが出られない以上は、いつか見つけるだろうと、戻った一人が言う。
「あれは何だったんだ。金色の光の中に何かいた。地面から伸びるような光が見えた、と思ったら。矢が消えてしまった」
「二度も。何の音もしなかった。光が伸び上がっただけで、矢が二回とも消えてしまうなんて。あの光も縮んで飛び去った」
「バサンダか?バサンダに何かしたのか」
「バサンダが、何かをしたんだ」
何か。その『何』は言わなくても、皆の中に通じている。ただ、彼らもまた、初めて迎える事のため、この物事の動きには、焦りや不安が混じる。
「もし。この前の龍の話だったら」
「龍を呼ぶ、と言っていた」
「あの時、逃げた者は、バサンダが気にしていた」
龍を呼ぶ者を見つけたのかも知れない、可能性。それを話し合いながら、もしも先ほどの光がそうであれば、と続く流れは『今夜。龍と精霊の』――
古くから伝えられていた、その日が来たなら。
誰もがそれを信じていた。その場に集まっていた大勢の人たちは、互いにこの日の到来について相談し、彼らは集落へ戻って行った。
*****
どさっと落とされた若者は、生きた心地がしない逃亡劇の後、汗に濡れて息も荒く、体の震えが止まらない。
自分を銜えた獅子のすぐ後ろから金色の光が来て、ヒューッと降りたと思うと、木立の奥に二人の人影が現れた。若者は怯えたまま、側に立って動こうとしない大きな獅子と、近づいてくる人影に顔を忙しく動かす。
「あ、あなたは」
「他の誰だって思うんだ。物忘れが激しいやつだ」
「夜明けの。あの獅子」
「それ以外の誰でもないだろ。お前が頼んだんだ」
「有難うございます・・・じゃ、この人たちは」
「お待ちかねの『ぶっ飛んでるヤツ』だ」
「何て言い方するんですか!」
手前の会話は知らないが、『ぶっ飛んでる』は聞こえたイーアン。獅子にキッと睨む(※これ以上は逆らえない)。獅子も『事実だろ』と凄み、少し唸る。
そんな女龍と父はさておき、褐色の騎士は、地面に落とされたままの格好で、こちらを見上げる若者に『顔を見せてくれ』と言い、彼に近寄った。
「あなたは?あなたは」
「俺の自己紹介は、後で良い。自分が助かったことは分かるな?その面を取って、顔を見せてくれ。面越しじゃないとダメなのか」
誠実そうな精悍な男に指摘され、若者は首を振る。
細い体つきに、どっしりとした獣の面が揺れ、その重量がありそうな感じに同情するシャンガマックは、眉を寄せて、彼が面を外すのを待った。
若者は震えが収まらない体を、ノロノロと動かして立ち、頭の後ろで結んだ数本の紐を引っ張る。
大きな面を片手に持って、褐色の騎士に向き合った若者は、不安を浮かべた目を何度か瞬きさせて『助けてくれてありがとうございます』と礼を言った。
「テイワグナ人じゃないな?あなたはどこの」
「ティヤーです。今も、ティヤーで通じるのか。私はバサンダ」
シャンガマックの漆黒の瞳が彼を見つめる。自分よりも一回り小柄な若者は、明るい色の髪の毛と、淡い緑色の目をしていて、顔つきがテイワグナと違う。
話している言葉は共通語だが、癖が強くて、イーアンにも通じていそうに思うけれど、共通語を使っていた時間は少ないのではと、想像した。
試しに、先ほどの人々が使っていた言葉で『今も、とはどういう意味か』を訊ねると、彼はさっと後ずさり、『なぜ彼らと同じ言葉を話せるんですか』と、先の言葉を変え、恐怖に顔をひきつらせた。
シャンガマックは頷き、また共通語に戻して『俺は言葉に通じる』とだけ答え、改めて伝える。
「俺はシャンガマック。あなたを連れて逃げた獅子は、俺の父。そしてこの女性は、空の龍。あなたが助けを求めたのは、彼女だ」
褐色の騎士は静かに体を傾け、自分の横に立って状況を見守っていたイーアンに、その場を交代する。若者は震えていた体がぴたりと止まり、大きくゆっくりと頷いた。
「龍・・・やはり。あなただった。馬車の人たちと一緒に、大きな白い角と白い肌を持った、海神の女」
「お。おや。その名で呼ばれたのは久しぶり」
イーアンの黒い眉がすっと上がり、少しだけ口端を吊り上げると、若者に答えた。
「私はイーアン。あなたの呼びかけに、彼らの助力を頼み、助けに来ました。でも、先にお話が必要」
「話」
「そうです。確認とも言う」
ほんの僅かな間の笑みは消え、イーアンはふーっと息を吐き出した。
「あなたは知っていらっしゃるのか。ご自身の行方を」




