1374. 囚われ人の願い ~覚悟と移動方法
朝食が終わり、片付ける間も出発する時も、口数が減った旅の仲間を乗せ、馬車は道に出るために動き始める。
その時、先頭で待っていたバイラが、地面に見えた白い花びらの輪に気がついた。
「これは」
道に出るため、馬車は大きく方向を変えている最中。バイラは馬の足を止めた場所から、その白い花びらを見つめ、それが『鱗』イーアンの鱗と分かり、どうしてこんなところにあるのか、御者台に座っているイーアンに馬を向けた。
「イーアン。ちょっと訊きたいです。あそこにあなたの鱗が」
「はい。ああ、そうです。今朝の話で、そのバサンダという男性が消えた後、そこだけおかしな空気だったから。誰かが触れて困ったことにならないよう、目印に」
「あれ、このままにしておくのですか?」
話を聞いて納得したバイラは、イーアンの鱗を、こんな場所に置きっぱなしで出るのは気が進まない。それが伝わるので、横にいたドルドレンは奥さんに『見ておいで』と促す。
「まだおかしいなら、そのままだが。もし変化があるなら取り除いても」
「そうですか?いっぱいあるから、別に構わないけれど(※鱗とっても痛くないし、次には既に生えてる)」
「イーアン。もしかしたら、あれを見つけた変な輩に商売道具にされるかもしれないです。そんなの私は許しません」
バイラが厳しい顔で首を横に振るので、イーアンは了解(※ご本人は貴重だと思ってない)。それじゃ、見ましょうか・・・女龍は伴侶の停めてくれた馬車を下りて、ちょこちょこ、鱗に近づく。
そして地面に置いたままの鱗を真上から見て、じーっと見つめた。しゃがみ込むと、じっくり。バイラが側に来て、馬上から背を屈め、どうしたのかと訊ねる。
振り向いた女龍が、鱗の囲んだ中を指差したので、バイラも馬から下りてそこを見た。
「あれ?これ。ここだけですか」
「そうです。だって、他・・・落ち葉ですよ」
二人は周囲を見渡し、また鱗の囲った中を見た。二人で覗き込んでいるので、ドルドレンは『もう出るよ』と早くするように声をかける。奥さんとバイラが振り返り、手招きするので、仕方なし、ドルドレンもそこへ。
そして同じように『どうして』と灰色の瞳をまん丸にした。
「時期的には変ではないが。なぜ」
「どういった作用が起きたんでしょうね。でも、イーアンの鱗が理由か、それとも『おかしな空気』が理由か。分からないですが」
夏だから、現象としては変じゃないにしても、と呟いた総長に、バイラも、目の前の状態は異質と認める。
「どうしますか。取り除いてみますか」
白い鱗を見つめるイーアンは、訊ねているが悩んでいる。ドルドレンも一瞬だけ躊躇ったが、すぐに頷いて、イーアンに取り除くように答えると、腰の剣の柄を握る。
「万が一。この場で何かがあったとしても、俺の力で君を支える。龍気は心配するな」
「はい。では、バイラ。下がっていて下さい」
――白い鱗の囲みの中。そこだけ、他の落ち葉とは異なった枯草の山が小さく積もり、また、その倒れた枯草の山の中から、新しい緑の芽が何十本も生えていた。
何が起こったのか、何も分からないが。イーアンはもしもの時のために尻尾を出し、バイラを下がらせて、伴侶の補佐を以て、鱗を一枚ずつ持ち上げて片手に集めた。
斜め後ろで見ているドルドレンも、緊張する。イーアンも緊張しているが、何があっても片付けるつもりでいた。
全部の鱗を集め終わった後、緑の芽は。最初こそ変化はなかったが、少しずつ、目に見える速度で伸び始め――
「しなびた」
ドルドレンの驚きの呟きに、イーアンは静かに息を吸い込み、眉を寄せる。
『次がありません』イーアンは数秒、そこを見守ってから立ち上がると、手に乗せた自分の鱗をちらと見て『意味が分かった気がする』と言った。
「どうなのだろう。もう、ここは」
「恐らく。何もないのでは。変化は終わった後だと思います」
そんな気がする。それしか言えないが、イーアンはこの言葉が正しいだろうと、思った。バイラに鱗を渡して、イーアンとドルドレンは馬車に乗る。それから、馬車は動き、イーアンは伴侶に、自分が想像することを伝えた。
*****
ホーミット仔牛も、馬車の後をトコトコついて行く。
あらかじめ、父に『赤ん坊は連れて来るな』と命じられていた朝一番だったので、今日は二人。
「ヨーマイテス。これ、どうやって会話するのだろう」
「何がだ」
指輪だよ、とシャンガマックが自分の手を見せる。ヨーマイテスは、抱え込んでいる息子(※特等席)の差し出す手を見つめ『それか』と頷く。
が。言い難い。息子は『指輪があっても、頭で考えていることが通じていない』と信じ切っているので(※父がそう仕向けた)迂闊に、これまでずっと筒抜けだ、とは言えない。息子は、うーんと唸って首を傾げる。
「使い方があるんだろうか(※ない)。今日みたいな時にこそ、役に立ちそうなのに」
「それな・・・(※言い難い)そうだな。ちょっと待ってろ」
父は座った膝の上に乗せた息子を包み込むと、片手に息子の指輪がある手を掴み、自分の指輪のある手を並べた。それから、黙って見ている息子の頭に話しかける。
『バニザット』
『あ!聞こえた(※実はいつも)。どうやったんだ?』
『どうも何も・・・(※言えない)まぁ、これで良いだろ。俺に話しかける時は、名を呼べ。それでどうにかなる(※苦しい言い訳)』
『分かった。名前を呼んだら良いんだね。そうか、これまでは呼ばなかったかな』
言われてみれば、ヨーマイテスに呼びかけていなかったかもね!と、弾ける笑顔を見せる息子に、ヨーマイテスはとても罪悪感を感じた(※筒抜け)。
しかし、サブパメントゥ特徴として、こんなのなくても本来なら意思疎通可能な性質により、それも自由に操れるヨーマイテスは、息子に今後もバレないよう、しっかり遮断術も交えて、意識の奥の方で懸命に謝罪しながら、表面では『名前を呼んだら聞こえるから』と、適当なはぐらかし方でやり過ごした。
この後も、息子は暫く『今まではちっとも繋がらなかったなぁ』とか『呼びかけなくても使えれば良いのに』とかブツブツ考えていた(※筒抜け)が、ふと、意識が変わる。
『イーアンの龍気。どんなことが起こるんだろう。彼女が動くということは、龍気が影響するんだから』
『オーリンじゃダメだぞ。タンクラッドでもない。龍気を帯びていれば良い、って話じゃないだろ』
頭の中で考えたそのまま、父の返事が戻ったので、シャンガマックは彼を見上げてニッコリ(※父の良心イタイ)。彼は頭の中で会話を続ける。
『うん。そうだね。俺は今朝、ヨーマイテスに教えてもらった話で、またペリペガン集落のような展開なのかと想像したんだ』
シャンガマックも、話に聞いただけの、先日の霧の集落、その状態。
今回と場所も近いし、似たり寄ったりの異界絡みだし、同じ系列だと感じた、と話す。ヨーマイテスは黙って息子の話を聞く。
シャンガマックは一息置いてから、普通に言葉に切り替える。父はちょっと安堵し、そこには触れない。
「どうなのか。ヨーマイテスが話したように、ちょっと時間が」
「ちょっとじゃない。相当だ。俺は知らんが、バサンダの話だと、一度目の走りで龍に助けられている。
過去のバニザットは後半『ズィーリーのために、男龍が来た』と話していたことがある。
思うにその時代だ。それ以外の時代に、龍が降りて来るはずもないんだ。あいつらは気位が高いから、空以外の何も気にしない。その時だけと断言しても良い」
「じゃ、ヨーマイテスもいたわけだから。どれくらい前なのだろう。バサンダは、その時からいるわけではないんだろう?」
ヨーマイテスは首を振って『違う』と答えると、何百年前か、その単位は問題じゃない、と教える。
「どういう意味?」
「例えば、何日何ヶ月程度だったなら、この話も平気なもんだ。その意味は、今から言う。考えてみろ、たかが10年程度の年月でも、お前たち人間はどう変わる」
「年を取る・・・よ。まさか」
「そうだ。単位が、100年だろうが500年だろうが。もっと短くたって、10年20年か?そのくらいでも、お前たちの体は、瞬く間に劣化する。寿命が短か過ぎるんだ。
その時間に閉じ込められたやつらが、今日の夜明けに見たバサンダの状態だとすれば。『解放』の内容は、やつらの死だ。『場所が解放されたら済む』話じゃないだろう」
「それじゃ、ペリペガンも。シュンディーンがいつか、大きくなったら解放しに」
その通りだ、と大男は答え、眉を寄せた息子の髪をかき上げてやる。漆黒の瞳はいつもにまして、潤むように光り『シュンディーン』と小さく呟いた声は辛そう。
「ってことだ。リーヤンカイのお前の知り合いと似ている」
「朝の話では、俺とヨーマイテス、イーアンでその場所を解放して抜け出る、と。イーアンが解放する際に、ヨーマイテスが俺たちを保護するから、俺はヨーマイテスとイーアンを結界に入れて・・・って」
「意味が分かったか?何の結界もなかったら、俺たちもどうなるか分からないんだ。
いくら『龍そのもの』が条件にあっても、それは龍側の都合が、一切語られていない以上、龍さえどうなるか。『強烈な結界を作るお前』と『目的の女龍』だけでも、結界で、一時的に周囲の時間から身を守るに過ぎない。続きがないんだ、お前たちだけじゃ。
だから、俺も一緒に居ないといけない。入って、出たかったらな。マカウェの砂の城みたいなもんだな」
加えて、結界付きで移動するならサブパメントゥは通らない、と言った。さすがに、シャンガマックの精霊の結界は、サブパメントゥに危険だとした話だった。
ミレイオと赤ちゃんが拐われた時、『サブパメントゥを使えたのは、運が良かっただけかも』ともヨーマイテスは呟く。
時間の動きに狂いがある異界で、たまたまその時だけが、もしくは、その一ヶ所が、サブパメントゥ程度の曖昧な時間の世界に、繋がった可能性が高い。下手したら、サブパメントゥにも降りられなかっただろうな、と。
「もう一つ、引っ掛かりがある。バサンダが『出られる』と言ったが、完全に出る意味じゃないんだ。何かおかしな条件があって『入って・出る』そのものじゃないだろう。バサンダや周りのやつらも、若干抜け出ることは可能なだけ。そうじゃなきゃ、解放なんか待たないしな。
それは、部外者が入ってもそうだろうと、俺は思う。俺くらいの能力でもないと出られない」
ヨーマイテスの口調は、シャンガマックと出会う前の、口調そのもの。
こうした話をする時、彼はとても無感情に、吐き捨てるように、何ともないかのような・・・話し方をする。
シャンガマックは、彼のこの口調を耳にする度に、自分がとんでもなく大きな存在と居るんだ、と強く感じた。それは今もそうで――
「バニザット。どうした」
俯いて顔を押さえた息子の胸中に、ぐわっと湧いた苦しく悲しい気持ちを感じ、ヨーマイテスは、自分が何か、息子に嫌なことを言っていたか、と心配する。
彼の顎に手を添えて、『顔を見せろ』と上を向かせると、息子は父の広い胸に顔を付けて、大きな体を抱き締めた。
「どうした」
「ヨーマイテスは、過去も未来も知っている。俺はいつも、あなたに学ぶのに。
それでもまだ学び切れていないのか、命が消える話を淡々と語る、時を越えたヨーマイテスのようになれない」
「お前が人間だからだ。俺とは出会ったばかり。気にするな」
うん、と言いながら、聞いた話に打ちのめされたシャンガマックは、呼吸を整えるまでそうして抱きついていた。
ヨーマイテスも、彼を優しく抱き寄せて、暫く背中を撫でてやっていた。
――息子は優しい。命が消えることに、決着をつけるのは、まだ先なのかも知れない。
時々、気持ちを切り替えたり、覚悟を決めて力強く見せることはあるが、人間だから。同じ状況が連続していないと、気の緩みで、戻ったりもするのかと考える。
そう思うと、ゆっくり育ててやる必要があるんだなと、ヨーマイテスは息子を撫でながら思った。
「イーアン。大丈夫かな」
自分に貼り付いた姿勢で、呟いた息子の声。ヨーマイテスにそんなことはどうでも良い(※本当)が、息子の気が紛れるなら、と答えることにする。
「どうだろうな。大丈夫だろうが。あいつはそれなりなんだ」
「それなり、って」
顔を上げた息子の、漆黒の瞳が可哀相で、ヨーマイテスはちょっと微笑むと、彼の顔を撫でた。
「それなりなんだよ。龍だからだ。人間じみた龍だが、葛藤はあるにせよ、確実にとる行動は決まっている」
「それは」
追うように質問する息子の頭を胸に押し付け、ヨーマイテスは頷く。
「あいつなら、そこにいる全員を龍の愛で対処する。若干の、人間らしさで羽目を外すにしても。行きつくところは、龍だ」
シャンガマックはそれ以上、何も質問出来なくなった。
そしてこれと同時に、ヨーマイテスの筋肉がビクッと動く。シャンガマックが見上げると、父は顔を外に向けて『来る』と言った。
「来るぞ。馬車が飲み込まれる前に、入る。俺とお前、イーアンで止めるんだ」
碧の瞳に、優しさが消え、大男は息子に剣を付けるように命じると、仔牛をすぐに出た。シャンガマックも鞘を掴んで飛び出し、父の背中の後ろに立って、『何だこれは』の驚きが口を衝いて出る。
「イーアン!出てこい!行くぞ、馬車が巻き込まれる前に」
「勿論です」
叫んだヨーマイテスの声に、白い翼を広げた女龍が浮かぶ。女龍はドルドレンたちに振り返り『逃げて下さい』と大声で指示し、さっと大男と褐色の騎士を見た。
『行きます』の一言と共に、女龍は長い白い尾を振って宙を叩き、猛烈な勢いで迫りくる、渦巻く『時間の竜巻』に突っ込んで行った。
お読み頂き有難うございます。




