1371. 夜の木立と揺れる時間
旅の一行が寝静まった森林に、足音。
足音は静かだが、気配は変わる。その音を包んだ空気は、そこだけ歪み、それは歩いているのに、そこにいないよう。
コルステインは起きているので、昨日も感じたその気配に、じっと顔を向けて待った。
誰なのか。何なのか。それは分からないが、コルステインに分かっていることは、相手が悪いものではないことだけ。
人間のようにも感じるが、人間にしては存在がおかしい。
コルステインたちは霊を知っている。魂だけの存在が、動き回るのも見える。だから、そうしたものであれば、『そっち』と理解するのだが、これは違うのだ。
徐々に近づいてくるが、受け取る感覚に『助けてほしい』の気持ちを帯びているので、コルステインはベッドで待っていた。全く、悪いものの感じがしない以上、攻撃や迷惑の懸念がない。
――自分を見たら、人間は驚く。
それはコルステインの中で、いつも気になっているところだったが、この相手はどう反応するのか。
どうも普通の人間の存在ではなさそうなのもあり、相手が馬車に近寄って来るのを、狭い馬車の間から、顔だけ向けて佇むだけ。
『コルステイン。何してる』
ふと、頭の中に響いたホーミットの声に、コルステインは瞬きする。大きな青い目は月の光を受けて、一度だけキラッと光り、ホーミットの気配のある方へ視線が動く。
ホーミットは出て来ておらず、馬車の側にいる仔牛は、バイラの馬と並んだままだった。コルステインが答えないでいると、再び声がする。
『どうするつもりだ。来るぞ』
『知る。する。待つ。コルステイン。ここ』
そんなの知ってる、とばかりに、面倒そうなコルステインが返すと、ホーミットの溜息が聞こえた。
『お前に任せるのも、どうなるやらだな。消さないのか』
『消す。ない。ホーミット。いい。そこ。居る。する』
嫌そうなコルステインに、お前は来るな、そこにいろ、と言われたホーミット。舌打ちも交えて『知らんぞ。面倒になったら、お前がやれよ』とぼやくと、それから聞こえなくなった。
『大丈夫。コルステイン。見る。する』
そしてコルステインは、足音の主が動いた影を目に捉えた。
大きな大きな黒い翼をゆっくりと広げ、浮き上がるコルステイン。夜空の色の肌が透けて、木々の隙間に差し込む月明かりと、同じ色の髪の毛が揺れる。
浮かび上がったコルステインを見た相手は、『あ!』と声を出し、後ずさりながら消えようとしたが、コルステインは片翼を振って相手を転がした(※風圧すごい)。
『ダメ。逃げる。お前。何?』
「え。声が、声?どこから」
『お前。頭。話す。する。分かる?』
「ええ・・・あ、あなたが。話しているのは、あなた?私に」
『頭。話す。する。お前。何?』
「攻撃しないで下さい。助けてほしいんです。あなたは誰ですか?」
うーん、と唸るコルステイン。頭で話せ、って言っても、ちっとも頭で答えない。
どうしようかなと考えている間、相手は小声で焦りながら頼み続ける。頭だよ、頭、と話しかけても、相手は必死なのか、一向に応じない。
困ったなーと思っているところへ、とうとう、仔牛の横からデカイ獅子が下りて来た。
『だから、言ったんだ。お前じゃ』
『いい。お前。寝る。する。ホーミット。ダメ』
出て来るなの命令に、お前がダメだろ、と吐き捨てる獅子は、一層怯える相手にのっそりと近寄り、地面に尻もちをついたままの人間から、数m程度のところで立ち止まった。
「た。助け」
「頭で話せ、ってあいつが言っただろう。頭でだよ、分かるか。助けてほしいなら、頭で言葉を伝えろ」
「あ!獅子が喋った!」
面倒くせぇ~・・・と思うヨーマイテス(※獅子仏頂面)。
目の前で尻もちをついているのは、若造。バニザットよりも若いし、ザッカリアよりは成長しているふうに見える。だが、皆が衣服も薄い中、この若造は何故か着込んでいるし、頭に動物の何かを被っている。
そして分かりやすいくらい、若造の周囲だけ、空気がおかしな揺れ方をしていた。
『黙って、頭で話せよ』
「頭。あ、頭、って言うと」
言いながら、息切れも混ざる思考で、『頭で話すとは、こうか』と考える。それを聞き取り、獅子は頷き、コルステインは浮かび上がっている状態で『そう』と答えた。
『お前。何?誰?』
『私は助けてほしくて来ました。名はバサンダ。ここに龍の人がいますか』
『龍』
コルステインは繰り返す。そして獅子を見る。獅子はコルステインにだけ聞こえるように『俺が話す』と言うと、コルステインは今度は黙った(※自分じゃない方が分かるかも、って)。
『龍を探しているのか。お前が助かりたいのと関係あるのか』
『あります。でも。その、あなた方は。龍ではないし、獅子だし、あの人は翼があって』
『どうでもいいだろ(※いいえ、普通の疑問)。夜に来たのが間違いだ。龍に会うなら光の中、ってもんだろ』
『光の。その光の時間は、私は少しずつしか動けないから』
『ああ?話は聞いてやる。龍に用なら伝えることも出来る。どうせお前だろ?ずっとくっ付いてたのは』
龍が目当てで付きまとっていたなら、隠してやる必要もない(←イーアン)。獅子は自分を見て怖がっている若造に、話すだけ話せと命じた。
バサンダと名乗った若造は、声や体つきで年齢的な印象を感じていたが、その時、頭に被っていたものを動かした。その顔を見て、ヨーマイテスは見当を付けた年齢に差がないと分かる。
差し込む月明かりに、若者の顔は青白く映り、彼の周りのぼやけた空気は月明かりを吸い込んでいるようだった。
『私は。ここで死にたくない。だから、助けてほしいんです。助けられるのは龍だけです。龍が来たら、龍が訪れたら、私のいる場所は解放されて』
話し出した若者の話に、ヨーマイテスは黙っていた。どこかで聞いた話だな、と思ったのも束の間。
バニザットがシュンディーンを引き取った経緯を教えてくれた、あの話と同じと理解する。
宙で聞いているコルステインも同じ。タンクラッドが話した、小さいの(※赤ちゃん)がいた所みたいと思った。
バサンダは、ぽつりぽつりと話していたが、語られる事情は、何百回何千回と繰り返していたのかと思うくらい、やけに細かいところまで正確に繋がっていた。
そのため、コルステインは途中退場(※難しい・長い話ムリ)。ヨーマイテスだけで、若者の話を聞き、最後まで話し終えた頃には、時間にして30分近く経っていた。
『終わりか』
『はい』
『俺は伝えてやることは出来る。だが、期待するな。龍が何を思うか、俺に分かるはずもない。って言うか、知りたくもない!』
ケッと吐き捨てる(※犬猿の仲)獅子に、不安そうな目を向けたバサンダ。『お願いします』としか言えず、自分は明日の夜にまた来る、と言った。
『ちょっと待て。明日の夜に来たからって、どうにかなるわけじゃない。龍が動くのは光の下だ、と俺は言ったぞ。時間に融通つけろ。龍は、光の時間に動こうとする。そうなったら、どうするんだ』
獅子の言葉に、バサンダは黙る。だが、彼は決意しての行動。ぐっと一度俯いてから、顔を上げると『同じ場所に入ったら、攻撃をされます』と最初に言った。
何かと思えば、『馬車丸ごと、自分たちのいる場所へ入り込んだ場合、目的の龍以外を捕えるかも知れない』と言う。
『そして、入った場合は』
『そうだな。だがそんな話をしているんじゃない。お前が日中、都合をつけるならどうする気だ、と俺は訊いたんだ』
『今から話します。入った場合、時の捩れに挟まれるかもしれません。でもその時、彼らの意識が別に向いている時であれば、私は出られます。夜であればこうして、少しは出ても来れますが、完全ではないし』
『夜だからって、お前は自由じゃないな。単に、背後に引きずってる曰く付きと一緒に動き回っているだけ、だろ?』
『そうです。だから、昼でも夜でも』
バサンダもどうして良いのか、悩んでいた。ただただ、助けてもらえる可能性を見つけ、自分だけでもと願いに来た身の上。
助け出してくれる方法は、自分に思いつくはずもない。『相手が龍であれば助かる』と、知っていたのはそれだけだった。
行き詰ったように目を閉じた若者に、獅子はフンと鼻を鳴らして背中を向けた。
『まぁ良い。お前の話を伝えてやる。用意しておけよ。いつ何があるか分からないからな』
バサンダが顔を上げて、何かを言おうとした時、目の合った獅子は彼の周囲の空気が広がるのを見て、バッと飛び退いた。
そしてその次の瞬間、バサンダの体はそこから消えていた。
「やれやれ。面倒なもんだな、龍絡みは」
呟く獅子は、少しその場を見つめた後、月が西の空へかかるのを待ってから、『囚われの男』について、イーアンに話すことに決めた。




