1367. 静かな夜・見守る夜
午後の森林を移動する旅の馬車は、そのまま何事もなく、夕方を迎える。
フォラヴとバイラが心配した事態は起こらず、荷台で休んでいたバイラ・ドルドレン・タンクラッドも、夕方には普通に動けるまでに回復。
イーアンは絵を描いていたし、タンクラッドも側で寝転がった状態のまま、魔物の絵を描くような穏やかな時間。二人の横で、ちょっと体を起こして、黙々と絵を描く様子を眺めるドルドレンものんびり。
「上手いのだ。イーアンが上手いのは知っていたが、タンクラッドも絵が上手い」
「俺の場合は、見たままだ。覚えている特徴と形の大きさを、線にしているだけだ」
「それが上手いって言うのですよ」
ハハハと笑うイーアンとドルドレンに、タンクラッドもちょっと笑って髪をかき上げると、一枚描いた絵をドルドレンに渡す。
「上手い。とても現実味がある。思い出すと、憎々しいくらいだ」
「そりゃ困るな。破くなよ」
笑うタンクラッドは、イーアンの絵の具付きの魔物の絵を覗き込む。台の上で、小さな筆を動かす女龍(←働く女龍)。
ちらと、女龍の顔を見ても、真剣に筆先を見つめているので目が合わない。タンクラッドはニコッと笑って、大きな角を撫でた。
ふと、鳶色の瞳が動いて、目が合うと、イーアンはニッコリ笑って『タンクラッドも色を付けたら』と言った。
「いや・・・俺は色までは。お前は本当に、丁寧に描く。よく覚えている。これはイオライの」
「そうです。あなたもご覧になっているでしょう。採石の現場にいたと思います」
ふむ、と微笑むタンクラッドは、イーアンの絵の魔物の首を指差す。
「ここのところ。そう、そこだ。見なかったかな、そこに開く場所があるんだ。喉の下にあって、それが開くと、奴らの炎が大きくなる」
「あら、本当?そうか。タンクラッドは襲われて、真下から見ているから。じゃ、線を入れておきます」
「ここだぞ・・・ここ。そうそう、多分、この系列は皆、この部分が膨張部だ。これが膨らむのを見たら『焼かれる前に逃げる』って感じだ」
嫌ですねぇと笑うイーアンに、タンクラッドも寝転がった体を肘で支えたまま、笑う。
そんな、似た者的な話し具合も板についた、仲良しな親方と奥さんを見つめるドルドレン。複雑な心境で(※俺は夫)外野気分を味わう時間も屡。
イーアンはいつでもこんな感じ、とは分かっているんだけれど。誰にでもケラケラ笑うし、よほど嫌っていなければ(※某獅子)触られても撫でられても、特に気にせず、大人しいのだ(※大きいワンちゃん説健在)。
それにこれは、何もイケメン(※この場合、親方)に限ったことではなく、相手がお爺ちゃんだろうがお婆ちゃんだろうが、子供だろうが女だろうが、同じ態度で変わらない。
だから。まぁ。ねぇ、とは思うのだが。
タンクラッドも、天然度は治らないので(※47年天然人生)旦那が横にいても、平気で人の奥さんの角とか頭とか撫でる。
ともすれば、背中に手を置いたまま、ああだこうだと・・・実に自然体で、話を続ける様子。
今更だが。タンクラッドの工房に出掛けていた時は、しょっちゅう、こんなだったんだろうなぁと、しみじみ、二人の天然具合に悲しくなった。
天然さんだから仕方ないねと、諦めるドルドレン(※よく出来た旦那)。
はぁ、と疲れた溜息が漏れると、二人は振り向いて『具合が悪いのか』と同じことを聞く。同時に同じことを言ったので、二人はお互いの顔を見合わせて、アハハハと笑った(※これも嫌)。
いや、大丈夫だと、ドルドレンが額を押さえて答えた時、馬車はぐぐっと方向を変えて停止。
「着いたのか。今日はここで野営か」
タンクラッドもよっこらせと体を起こして、荷台の外へ顔を出す。
夕方の光が差し込む森林は、もう薄暗い。『ベッド出しとくか』親方はそう言って、荷台の壁に沿わせてある簡易ベッドを引っ張り出し、絵を描くイーアンに『もうちょっと描いていろ』と微笑み、外へ出た。
ドルドレンも座ったまま伸びをし、イーアンの手元を見ると、筆はまだ動いている。
「イーアン、描いていても良いのだ。夕食はまだだろうから」
「でも、もう・・・終わりますから。うん、終わり。出来ました。今日は何事もなくて良かったですね」
そうだね、と頷くと、ドルドレンはそろそろと奥さんの背後に這い寄って、切ない気持ちを晴らすように、奥さんを背中からぎゅーっと抱き締める。
どうしたの?と振り向くイーアンの角に顔が当たって、ドルドレンは倒れた(※角硬い)。
慌てたイーアンが、わぁわぁ騒いで謝っている間に、ミレイオたちも馬車を下りて野営準備。荷台に来て、食料と調理用具を出すミレイオは、イーアンが必死に謝って、顔を押さえて倒れるドルドレンに苦笑。
「何があったの。え?角が当たって、鼻血出た?あんたも忙しいわねぇ。フォラヴ呼ぶから待ってなさい(※応急処置)」
何をしているのやら、と笑いながら馬車を下りたミレイオは、焚火を熾す前にフォラヴを呼び、ドルドレンの鼻血を治してと頼む。フォラヴは微笑んで了解し、荷台へ行ってくれた(※そして治癒完了)。
魔物に遇うこともなく、夕方の時間も徐々に夜へ。夕食を囲む皆は、穏やかな一日に寛ぐ。シャンガマックも赤ちゃん付きで、一緒に夕食を囲み、赤ちゃんはミレイオたちに肉をもらう。
その赤ん坊を気にする男、ドルドレン。彼の今夜の風呂はどうしようかと考えていると、早めに食べ終えたシャンガマックが立ち上がって『ちょっと出かけます』と言う。
どこへ行くのか、聞くのも野暮(※お父さんだろうと想像)なので、皆は普通に了解。
するとシャンガマックは、赤ちゃんを見つめ、それから総長を見た。『ちょっといいですか』シャンガマックに呼ばれて、ドルドレンは食べかけの皿を奥さんに預けると、部下と一緒に少し離れた場所に移動した。
「何だ」
「シュンディーンのことです。オムツが」
「オムツは俺が替える。一緒に居た時間、排便したのか」
「あ、いえ。その。したのだろうけれど」
言い難そうなので、ドルドレンが『食事中だが、皆に聞こえない』と小声で促すと、シャンガマックは少し躊躇いながら『父が消しました』と答える。驚くドルドレンに、困ったように苦笑いを浮かべる部下。
「俺は気がつかなかったんです。でも父が。『こいつは人間みたいだ』って言った時、シュンディーンのオムツに手を当てて。シュンディーンがびっくりした顔をしたので、多分その」
「凄いことである。出す前に消されたのか」
だと思います、とボソボソ言う部下に、ドルドレンも『お父さんが偉大過ぎる(※オムツ交換不要)』と呟いた。
「それで。お前は、オムツのことをなぜ訊ねたのだ。汚れていないなら構わない」
「もし良かったら。父は俺を風呂に入れるため、遠くへ連れて行こうとしていますから、シュンディーンも一緒にと思います。そうすると、着替えもあった方が、赤ちゃんだし。良いのかと思って」
汚れていないけれど、お風呂に入るならオムツは替えて、と申し出る部下。その部下を風呂に入れるため、遠くへ移動するお父さんの行為に、ドルドレンはつくづく驚きつつ。
赤ん坊の衛生を保ってもらうのは助かるので、有難くオムツの替えと着替えを彼に渡し、風呂に入れてもらうお願いした。
「はい。では、俺が戻るまで、ミレイオにいてもらって下さい。夜はミレイオと眠るんですよね」
「そうだ。ミレイオも可愛がっている。皆で育てるのだ」
はい、と笑顔で頷いたシャンガマックは、焚火側の赤ちゃんに顔を向ける。
タンクラッドに抱っこしてもらって、お腹一杯になるまで肉を食べたシュンディーン。満足そうなので、もう良いかな、と近くへ行って事情を伝えた。
赤ちゃんはシャンガマックに渡されて、ミレイオも笑顔で送り出す。そして、仔牛の奥の暗がりに騎士と赤ん坊が行くと、すぐさま大きな獅子が動き、二人を乗せた獅子はそのまま影に消えた。
「(イ)風呂入るのに、遠くへ移動」
「(ド)愛だ。愛」
「(オ)凄いよね。風呂のために出掛けちゃうんだぜ」
「(ミ)あ~・・・あれ、私が言ったからだと思う」
皆がミレイオを見ると、ミレイオは目を瞑って悩むように『まぁ良いんだけど』と呟いた。
「ほら、ホーミットはサブパメントゥだから、風呂も食事も知らないのよ。だから、シャンガマックを預かる気なら、食事は3食だし、体は毎日洗わせて、って言ったことがあるの。
洗う意味も適当な解釈だったから『人間は、体温より温かいお湯で洗うんだ』って教えたのよね。だから、今は毎日なんじゃない?」
「意地でも毎日」
驚くイーアンに、ミレイオも笑って『ね』と頷く。他の者も笑うが、『貫くあたりが愛情を感じる』と褒めた。
「昨日は、宿泊していないシャンガマックは、風呂に入れなかった。それもあるのだ。お父さんは何が何でも、風呂に入れてやりたいのだ」
「不器用な愛情でも美しいです」
ドルドレンの言葉に、フォラヴは微笑む。不器用な愛情・・・ぴったりの表現だと、皆で談笑する。
こんな夕食の時間も終わり、片付けも済ませ、赤ん坊が戻るまで馬車で待つミレイオは、イーアンとタンクラッドの絵を見て楽しみ、自分も時間があれば描くと話した。
次の町ではあれも買おう、これも買おうと相談し、バイラも交えて、町までの距離や、彼が覚えている町の様子を教えてもらって。
穏やかな時間は流れ、静かに夜は過ぎてゆく。
そうしているうちに、シャンガマックが戻り、赤ちゃんを受け取ったミレイオは『また明日ね』と挨拶して地下へ。皆もお休みの挨拶を交わし、それぞれの寝床へ入る。
午前一番、大きな試み『海の水』の実行はあったにせよ、今日は何もないまま、一日が閉じた。
彼らは誰も。何も。感じ取ることさえ出来なかったけれど。この時間を全て、側で見守り続けた者がいた。
その者はずっと付いて来ていて、朝の妖精による現象も、その後の微睡むような時間も、夕餉の楽しい様子も見つめていた。だが、ただ見守り続けるようにいただけで、何も行動せず、そのまま馬車の近くに留まる。
コルステインだけは何となく気にしていたが、コルステインにさえ、それが何かをはっきり知ることは出来ないままだった。
お読み頂き有難うございます。
ブックマークを頂きました!ありがとうございます!
明日22日(月)は仕事の都合により、朝一度の投稿です。夕方の投稿がありません。
ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんが、どうぞ宜しくお願い致します。




