136. 友達で落ち着こう
ベディルロッサ・クズネツォワ ――耳までの長さで切り揃えた焦げ茶のサラサラ・ヘア。弟と同じ、茶色よりも赤に近いオレンジ色の瞳。日焼けした肌。少し無精髭がある顔で、流れ者的な印象―― ベルが向かった先は、屋内鍛錬所だった。
昨日。風呂に早めに入れると知って、夕食前に風呂へ下りたら、手前の鍛錬所に講師の強面爺さんと女がいた。
格好は同じチュニックだが、見たことのない顔つきと、体の線の細さが目に付いた。女だろうな、と思ったが、それだけだった。
――多分、あれがイーアンだ。髪は濡れていて風呂上りみたいだったし、爺さんと喋ってなくても打ち解けている様子から、多分あの時間に鍛錬所によくいるのかも知れない。
弟に後で部屋に行く、と伝え、ベルは鍛錬所でイーアンが来るかどうかを見張る事にした。鍛錬所へ行くと、強面の爺さんだけだった。
爺さんがベルを見る。『何だ。一汗かくのか』と言われ、まぁそういう流れだろうな、と『そうできれば』と返事をした。
「自分で稽古するなら、その剣で。相手が欲しければ相手してやる」
いや、ちょっと自分の腕の調子見るだけなんで・・・と一人稽古を伝え、曇りかけた鏡板の前で剣を取った。疲れてるのに真面目な振りか。そう思うとイーアンが来なければさっさと切り上げようと、剣を走らせた。
10分経たない内に、総長が来た。勘が当たる。で、ドルドレンは俺に気がついていない。これも運良し。
連れの女を爺さんに預け、ドルドレンはどこかへ行った。鏡で見えるが、曇っていてはっきりは分からない。ちょっと振り返ると、驚いた。何だあの場違いな格好――
ぼんやりした鏡で、服が昨日と違うとは思ったが。
ふわっとした長い青いスカートに、肩が出る真っ白なブラウス。黒い幅の広い革のベルトと長い革靴。黒い髪がくるくるして、洗ったばかりの水気でツヤツヤしてる。
うっかりボケッと見入ってしまったベル。これが?これ、弟の言ってた・・・・・
ベルに気付いたイーアンが微笑んで会釈した。オシーンも振り返る。オシーンが鼻を掻きながら『ああ、ちょっと来い』とベルを呼んだ。
内心、ベルは慌てた。ドルドレンが帰ってきたら何ていえば良いのか。でも稽古していただけと決め込み、呼ばれたオシーンのもとに平静を装って近づいた。
「お前。あの弟の兄貴だろ。来たばっかりで知らないだろうが、彼女はイーアンだ。ここの工房で武器や防具を作る。何か相談があったら頼め」
オシーンはイーアンを紹介した。
こんな紹介をしてもらうのは初めてだったので、オシーンが認めてくれたのだ、と思ってイーアンは嬉しかった。
「まだ始まったばかりなのです。でも鎧や武器を作れるように頑張るので、何かあったら相談して下さい」
イーアンとしては。『あの弟』というのがハルテッドだ、とは気がついた。お兄さんは普通の男の人で、似ているのかどうか、あまり分からなかった。
「ベル・・・・・ あの。ベディルロッサ・クズネツォワです。呼びにくいので、ベルで」
ベルがちょっと頭を下げると、オシーンは自分の作業を続けた。イーアンもオシーンの横へ行こうとしたので、ベルは『そういえば、ちょっと』と声をかけた。
『少し聞きたいことがあるんですが』と言いながら、振り向いたイーアンの背をそっと押して、オシーンから若干の距離を離れた。触った背中が儚く思えるほど細かった。これか~とは思うが、質問、質問。
「唐突ですみません。手短に聞きたいことがあります」
「何でしょうか」
「俺の弟ご存知ですよね」
はい、とイーアンは笑顔で答えた。『単刀直入に言います。弟はあんな格好してますが、もし男の格好したら友達になれないですか?』一気に必要な事だけ伝えるベル。イーアンは少し驚いた表情で首を傾げた。
「ハルテッドは男性ですから、時には男性の姿で動くこともあるでしょう。そんなことでせっかく友達になったのに嫌になんてなりません」
「あのう。弟はオカマじゃないんです。ただ、楽しんで女装してるだけで。中身は本当に俺と何も変わらない男です。だから、男の姿で男の言葉で話すとして、それでも友達でいてもらえますか」
分かってるかな~?と心配になるベルは、出来るだけ分かりやすく説明してみた。鳶色の瞳で自分を見つめるイーアンは笑って答えた。
「ハルテッドの何がどう、というので友達になったのではないです。ハルテッドはハルテッドです。
女性の姿で女性らしくしてても。男性のままのハルテッドでも。最初はちょっとは驚くかもしれないけれど、そんなの誰でもあるでしょう?
今日、私の髪を編んでくれました。それに美味しい飴も作ってくれました。ハルテッドは思い遣りがあって、自分らしく素敵に生きています。そういう自由さが・・・私、好きだな、と思って」
ベルは戸惑った。仰天に近い戸惑いだった。
――大きいよ、この人。器、大きいよ。良い人だー・・・・・
こりゃ、弟の友達にはもってこいだ。偏見がないとか、そういう範囲じゃない。『ありのままでいいのよ系』だよ。ああ、だからドルがやられたんだ。こりゃ、こんなストレートに来られたら、人生で疲れた大人はやられる。
ビックリして何も言わないベルに、イーアンは微笑んだ。
「もし。ハルテッドが気にしていたなら。私何にも気にしない、と伝えて下さい。
ハルテッドは優しい人です。私のために代わりに戦ってくれました。会って間もない私のために、危険な武器を使ってくれました。仲良くしよう、って一生懸命いろんなことをしてくれます。そんなに頑張らなくても仲良くできるのに。大好きですよ」
そしてベルにも『ベルも優しいお兄さんですね。ハルテッドのために、来たばかりの知らない場所で、ハルテッドの友達の私に会いに来るなんて。そんな温かいお兄さんがいて良いですね』と笑った。
「イーアン」
後ろからドルドレンの声がした。イーアンが振り返ると、なんだか急ぎ足でドルドレンが近づいてくる。
手を上げて「お帰りなさい」とイーアンが答え、ベルを振り返るとそこには誰もいなかった。
「今、ベルがいたろう」
ドルドレンの心配そうな顔を見て、イーアンは『ハルテッドが気がかりだったみたいですよ』と答えた。なぜ?と訊かれたので、さっき聞いた話をした。
ドルドレンは、何でベルがそんな質問を・・・と訝しんだが、あいつらは仲が良いからイーアンの正体でも確認しに来たのかな、とちょっと思った。
ドルドレンはこの後イーアンと夕食を食べて、その話は忘れ、そのまま寝室へ上がった。
夕食より先に弟の部屋へ向かったベルは、階段を上がりながらイーアンの言葉を思い出していた。
イーアンは本当に友達でいようとしている、そのことは分かった。弟のことも好きだ。だけどここはきちんと意味を言わないと、弟は自分に良いように解釈するから気をつけねば。イーアンの言う『好き』は、あくまで友達の『好き』だ。
女友達でもなく、男としてでもなく、人間としてのハイルを『好き』だと認めていることを・・・
「あいつに分かるかなぁ」
額を掻きながら、ベルは独り言を落とした。
まぁ、弟の気持ちは分からないでもない。イーアンは偏見がない。その上、最初から自然体だ。美人とかそういう見た目じゃなくて、イーアンは魅力がある。あれは人間的なものなんだろうな、と思う。
だから『男女として恋愛』というよりも、自分を受け入れてくれた安心感みたいなもので、弟は、自分が彼女を好きになった・・・と勘違いしてる可能性もある。質が違うが、弟は恋愛は少ないから分からないのかもしれない。
「でもまあ。綺麗っちゃ綺麗だったな。服もあるんだろうけど」
弟の部屋の扉を叩いて、中に入るベル。ハイルは『どうだった』とせっついて兄の報告を急かす。『今、話すよ』とベルは椅子を引いて座る。
「ハイル。一度、男のまんまでイーアンと喋ってみたらどうだ」
「どういう意味? 大丈夫ってこと?」
ベルは、弟が思い違いをしないように言葉を選びながら、イーアンとの会話を少しずつ話した。途中、何度も『勘違いしないで聞け』と太めの釘を容赦なく刺したが、ハルテッドは真面目に聞いていた。
「それって。俺が女でも男でも好き、ってことでしょ?」 「そうだ。ハイルの人間味が好きなんだ」
そっか・・・・・とハイルは視線を落とした。でもどうなんだろ、と呟く。何がかな、とベルが思う。
「次、またもし魔物を俺が倒したら。俺の格好が男でも抱きつくと思う?」
「抱きつくかどうかは分からないだろ。さすがに他の騎士も全員男なのに、男のお前の状態で普通、皆の真ん前でやらないよな」
んーまーそうか~、と長い髪を一つに絞るハイル。ベルは、弟がちゃんと理解できたかどうかが気になっていた。誤解されると、イーアンにもドルドレンにも迷惑がかかる。友達ってだけでも充分じゃないの?とベルは思うのだが。
ちょっと後ろめたいが、イーアンが自分のことも誉めてくれたことは、ハイルには言わないでおいた。俺は勘違いしないから良いんだけど。
「男の状態で会えよ。胸付けないで、化粧なしで、髪結んで」
「それなー・・・ 勇気いるなぁ。どんな顔すんだろって思うとさ」
「大丈夫だって言ったろ。それで本当に普通に接したら、お前そっちのが気が楽だろうよ?」
「そうだけど。次に女の格好しても、触れなくなりそうじゃん」
触りたいの?ベルは眉根を寄せる。別に触らなくても良さそうだけど。『何で触るの』と訊いてみる。
「触りたいから。女の格好だと会話しながら、足とか耳とか首とか触れるし」
「まだ会って2日くらいだよな? そんな触ったの?」
うん、とハイルは普通に頷く。
イーアンは大人だから、きゃあきゃあいう感じもしない。でも普通は触られるなんてビックリするだろうなーと思うと、ベルは自分じゃないのに『すみません』と謝りたくなった。
「あのな。彼女は触って良いわけじゃないんだよ。お前が昔友達だった女達と違うんだ。やめろよ」
「そんなの分かってるよ。でも触りたいんだよ。今日だって、足ちょっと触ったら赤くなったりさ。髪編んで、耳とか触ったら感じる声とか出すし。可愛いんだよ」
「やめろ。オモチャじゃないんだぞ。お前何してるんだ」
兄に叱られて、ハイルは少しむくれた。そんな変な目で見てねぇよ、とぼやく。溜息をついてベルは諭す。
「イーアンは友達だ。な。それで良いだろ。彼女は、お前が男女の何でも良いって言ってんだよ。それだけで良いじゃんか」
四六時中触ったら嫌われる、と一応言っておく。ふと、ベルは目を細めて弟を見る。ふてってる弟がブツブツ文句を言っている。この状態の弟は。実は真面目に何か考えてる場合が多い。そう、遊びじゃない場合。
「お前。もしかして彼女を抱きたいとか思ってないだろうな」
「ダメかよ」
げーーーーーーーーーっ ダメダメダメダメダメダメッ 目が出そうになるくらい驚いた。
「ダメだ。絶対ダメだ。ドルドレンの女だ。そんなことしたら仕事なくなるぞ」
仕事なんて何でも良いじゃん、とハイルは気だるそうに答える。でも、と。
「俺だって、ドルの女を横取りしたいとかじゃないよ。たださ。気持ちがね、何か。イーアンだったら、抱いても受け入れてくれんのかなって思うんだよね」
「絶対止めろ。既に受け入れられてるんだ。そんな不純な関係、お兄ちゃんは許さないぞ」
お兄ちゃんとか言うなよ気持ちワリィ、と嫌そうな顔で切り捨てられるベル。ベルは、こいつにどう言えば常識と良識が伝わるのか、必死だった。
「あーもー、いいよ。普通にしてりゃいいんでしょ。何かちょっと思っただけじゃん」
――お前のちょっとは、いつだってちょっとじゃないんだよ。だから嫌なんだよ。昔の友達頼って仕事するんだから、ホントにやめろ。
ベルは何が何でも弟を見張らなければ、と決意した。
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