1359. もう一つの先住民
赤ちゃんを、両腕にしっかり抱えたミレイオ。
足元のお皿ちゃんに気がつかれないよう、風景が変わったと知って即、パっとしゃがんで、お皿ちゃんを背中の専用ベルトに仕舞いこみ、赤ちゃんを布で包んだまま、立ち上がる。
先ほどの被り物の人物は見えず、森林はあるものの。
「さっきの場所じゃないのね。さっきより・・・木が。若い?」
ミレイオの風景を記憶する能力は、芸術家だけに高い方。普段何気なく、素通りするような場所でも、意識せずに、大まかな配置や特徴は記憶する。
日差しの角度も、気温も、同じように感じるのに、周囲の木々が細い。木の生えていた間隔や場所はほぼ同じに思うが、幹が全体的に細いし、木々の天辺が低いことに気づいた。
「どういうこと。えーっと。落ち着くのよ、ミレイオ」
自分に言い聞かせながら、ごくっと唾を飲んで、周囲の空気や受ける感覚を研ぎ澄ませる。自分一人ならどうにでもなるが、赤ちゃん付きとなると・・・ここで、ハッとする。
急いで布をめくり上げ、赤ちゃんをさっと見ると、赤ちゃんは普通。まるで普通に眠っていて、いつも通りキューッと丸まっている。
「赤ちゃんは『平気』ってことよね。じゃ、やってみるか」
ミレイオはここが、イーアンたちが紛れ込んだ霧の集落ペリペガンのような、奇妙な異界だったらどうしようかと考えたのだが、僅かな時間でも、急激に緊張して焦ったミレイオに、赤ちゃんが反応していないなら、赤ちゃんが『何かしようとしない』場所、と判断する。
「土砂の時だって、私の力に触発された感じだったもの。イーアンの龍気が高まった昨日だって、寝ていたのが起きたんだから・・・ここは、この子にとって問題ないってことよ」
って、ことにして。
ささっと見渡して、誰もいないので、ミレイオは『よし』と決めて、大急ぎで影へ滑り込む。
この時、頭上で『あ!待て』と声が聞こえたが、ミレイオは、間一髪逃げられた!と解釈し、潜るように地下へ入って、逃げ果せた。
逃げられたと知った、立ち尽くした人物。
悲し気に呻き、大きな溜息を落とした。その彼と同じような姿をした、他の人々が後ろから来て『龍を呼ぶ者は』と訊ねる。
「逃げてしまった」
辛そうに答える彼に、後から来た人々はお互いを見合わせて、いきなり責めるように口々に質問し始める。
「龍は来ないのか?ずっと待っていたのに」
「どこへ逃げた。人間じゃなかったのか」
「ここから出られるのは、私たちと一緒でなければ無理だろう」
「誰を捕まえたんだ。相手は」
「どこに逃げた?」
騒ぐ声が大きくなり、最初の彼は被り物の頭に両手を置くと、首を振って遮るように答えた。
「分からない。私には人間に見えた。その者が抱いていたのは、子供のようだったが、包む空気が変わっていて」
見た相手と、『龍を待っている』言葉と、風変わりな空気の特徴を説明しようとするが、顔を覗き込む別の男が遮った。
「どこへ逃げた。近くにいるかも」
「いない。影に入った。影に消えたんだ」
影、と聞き、数人の人々は『影に消えるなんて、人間じゃない。龍でもない』と喚き、龍の名を騙ったんだと決めつけた。
そして彼らが喚いている場所の、さらに奥から、ゾロゾロと同じような格好をした人々が現れて、皆は『龍が来る』期待が、敢え無く消え去ったと知って、また木々の奥へ戻って行った。
一人残った、責め立てられた人物は、暫くの間、そこにいた。
「影に消えたが。あの瞳の色は、龍の色。そう伝えられている、龍の目の色。ここから、私を出してくれ」
大きな被り物の顔を、両手に押し付けて、呻き絞るような声で呟く。その声は誰に届くことなく、時間の流れない森林の中に霧散してゆく。
小さな溜息と共に、呼んだはずの相手が消えた影に歩き、影に跪いて、彼は手を地面に置いた。ひんやりした森の土に、指は静かに食い込む。
「私一人でも。もう一度、探せたら」
彼の言葉は決心に似て、震えた気持ちは固さを伴う声になって、唇から落ちた。
*****
「いないのだ。どうしてしまったか」
ミレイオと赤ちゃんを待たせた場所を探し回る、藍色の龍とソスルコ。心配そうに振り返る総長に、バイラも困る。ザッカリアは、少し離れた右側を担当。
「待たせてしまいましたからね。タンクラッドさんが見つけてくれたから、先住民にも、どうにか鱗は渡せたけれど」
時間が掛かったことを気にするバイラも、ミレイオたちがどこかで涼んでいるとは思いたい。ドルドレンは、先住民たちを探し出すのに、こんなにかかるとは思わなかったと、呟いた。
「あんな場所じゃ、分かるわけないのだ。勘が良いタンクラッドがいなかったら、ずっとグルグル回っているところだった」
「まだ戻らないですね。タンクラッドさんも、話を聞き始めると長そうだし・・・先に出たは、良いものの。ミレイオたちを見失ってしまうとは」
だからオーリンを残したのだ・・・下方を見渡すドルドレンは溜息混じりに言い、ショレイヤに『もうちょっと下、飛べる?』とお願いする。藍色の龍は、うん、と頷いて、ゆったり下降する。
「タンクラッドは、伝説やら、秘密の口伝やらに、目がない。それで助かることはあるが・・・今は、人を待たせているのだ。
『ミレイオと赤ん坊が待っている』と何度言っても、『ミレイオなら問題ない』くらいの返事で、聞きやしない。赤ん坊もいる時点で、もっと気を付けねばならないのに、彼は・・・もう!
オーリンが一緒に居てくれると言うから、とりあえず、キリの良いところで、引き上げてくれるとは思うが」
そうですね、と答えるバイラも、ミレイオが見えないことは心配になる。
確かに、タンクラッドの言うように、ミレイオなら機転も利くし、能力も高いし、頭も良いから、とは思うが、片腕に赤ん坊がいる以上、いつも通りとはいかない気がしてしまう。
「ミレイオ、ミレイオー!」
木々のすぐ上を飛ぶ龍の背から、ドルドレンは彼の名前を何度も呼び、少しでも動くものはないかと目を凝らす。
「総長。俺、もうちょっと上から見てみる」
ザッカリアは、広範囲から探すと言いに来て、ドルドレンもお願いする。『お前もそう離れないように』それだけ注意すると、ザッカリアは了解してソスルコと上空へ向かった。
「あの赤ん坊とミレイオなら、大方のことは越えそうな気もするが。しかし、如何せん赤ん坊である。自分一人では動けない。
ミレイオに万が一のことがあれば、驚くべき力の所有者であっても、その場から動けないのだ」
せめてハイハイ出来ればと(※それじゃ足りないと思う)、ドルドレンは眉を寄せて心配する。
――あの時。先住民の生活する場所を探して、4頭の龍は各方向へ飛んで調べたが、最初の10分くらいは行きつ戻りつで、それらしい場所に掠りもせず過ぎた。
ウロウロし続けていたところに、まずはオーリンが来て、次にタンクラッド、ザッカリアが来た。龍の気配があれば、お互いを探せるので、広い空にいても4頭は集合した。
どこにもないぞと、同じ意見で一致したところで、タンクラッドが『一つ気になった場所』を教えた。
そこが実はそうだったのだが、おかしな場所に居住地はあり、森林の斜面に突出した岩棚下が入り口だった。
一度、龍を戻して、岩棚の奥へ進もうと決めたのは、岩棚の付近まで行った際、明らかに、人工的な木製の柱が見えたから。
そこまで行ってしまえば、『ここが入り口』と分かりやすいくらいだったが、上空・もしくは、森林を彷徨って見つける、となると、とてもじゃないが、土地勘があっても難しそうな場所。
岩棚は大きくて、その下へ延びる坂のような場所の先は、森林の地面に亀裂でもあるのか、完全な洞窟ではなく、日が差し込んでいた。
ドルドレンたちが覗き込んだ時には、既に向こうから人が見ていて、バイラが大きな声で挨拶し、集落に頼まれた来たことを伝えたところ、意外にも警戒されることなく、普通に招かれた。
そこで生活する先住民の様子は、バイラが全く知らない姿と文化で、小規模な民族とは言え、非常に貴重なテイワグナ人たちの集合体と理解した。
彼らは言葉が方言で、部族の言葉も交えていたが、バイラとタンクラッドの二人は、どうにか通じる言語で会話が出来たため、事情を話して、アオファの鱗を提供したところ。
集落の人は龍に非常に強い関心を示し、龍信仰の発祥の話を話し出した。これで、タンクラッドの座った腰に根が生える(※動かない)。
御礼がてらに話を聞かせてくれるという、寛容な人々で、タンクラッドは『喜んで受ける』と居座った。
ので、ドルドレンは『帰ろう・ミレイオが』を繰り返したのだが。聞く耳持たない親方に、オーリンが『俺が一緒に残るよ』と言ってくれ、ドルドレンとバイラ、ザッカリアは先に出たのだ――
「いない。どうしよう。俺はミレイオを呼ぶ、連絡珠を持っていない」
困った、と顔を擦る総長に、バイラも心配が募る。もう少し、早く戻って来ていればと思うと、比例して、タンクラッドの好奇心に非があるように思えてくる(※八つ当たり先)。
「どうなのだ。この辺り、おかしな連中とかいそうだろうか。盗賊とか」
「いやぁ、いないと思うんですけれど。ここまで辺鄙だと、ここを根城にしても、意味がないというか。通過することも、しないでしょうし。
盗賊くらいなら、ミレイオ相手にどうとも思いませんけれど・・・私の心配は、この前のペリペガン染みた場合の心配ですよ」
「晴れているのだ。霧はない。こんなに明るくて、幻とかはないんでないの(※ドル素)」
霧と明るさに限らないでしょうに、とバイラが答えると、ドルドレンも『そうだけど』とは言う。
「もう、皆さんの旅に同行して『在り得ない』が在り得ない、ことを学びましたから。私は、なんでも心配です」
「バイラは、実に順応性が高いと思うのだ。柔軟だしね。イーアンみたい」
褒めてる場合じゃないですよ、と苦笑いするバイラは、総長の龍に掴まりながら、一緒に下を覗き込んでいたが、この時、ハッと気がついたのは、腰の剣。
「あ!剣が」
「え。何なのだ。精霊か?ではやはり、ヤバい系」
「違う・・・この辺を飛んでいても、さっきまで光っていなかったし、これは・・・あの子です。あの子が側にいると、私の精霊の剣の色が光る気がしていたんです。
ほら!総長、見て下さい!午前に見た、あの青緑の風の色ですよ!」
言いながら剣を鞘から少し引き出したバイラ。その剣身は、晴れた空の下でも分かるほど、透き通る青緑色の柔らかな光を発している。
「おお、本当だ。ってことは?居るのか、側か?」
どこだどこだ!と、二人は龍の背中から身を乗り出して、ミレイオの名を大声でまた呼ぶ。
「ミレイオ!ミレイオ!いるか?ミレイオ!」
「ドルドレン!」
いた~~~!!! 二人は大喜びで、ミレイオの声が返った下を見て、それから上に向かって叫ぶ。
「ザッカリア!いたぞ、ミレイオだ!来なさい」
「ホント?分かった」
上から降って来た返事に頷き、ドルドレンは森林の隙間に日差しを受ける人を見つけると、急いで龍を降ろした。
降りて来た龍に、ミレイオも片腕をぶんぶん振って笑顔で走り寄り、『助かった~!』と笑う。ザッカリアも続いて降りて『赤ちゃん、大丈夫?』と大声で安否確認。
「済まなかった。待たせてしまって」
龍から降りて謝るドルドレンは、ミレイオの側へ行って二人の無事を確認。赤ちゃんは眠っているし、ミレイオも怪我や汚れは無い。不安だっただろう、と労った総長に、ミレイオは首を横に振る。
「違うのよ。待ってたからじゃないの。ちょっとここ、面倒かも。とりあえず出ましょ」
どうした?と驚くドルドレンとバイラに、ミレイオは周囲をさっと見回し、ささっとお皿ちゃんを出して乗る。
「良いから。とにかく空へ行きましょう」
話は後よ!と急ぐミレイオの顔が真剣なので、3人は了解して龍に乗り、赤ちゃんを抱えたミレイオと、ドルドレンたちは、青空に浮上した。
時間はもうすぐ夕方。ミレイオは、タンクラッドたちが戻って来る姿を見つけ、『とにかくここから離れて』と強く頼み、合流した皆で、一旦町へ戻ることにした。
タンクラッドとオーリンは、ミレイオの様子が気にはなるものの、二人で顔を見合わせて『俺たちの話もしないと』と少し面白そうに笑みを浮かべていた。




