1353. 旅の百一日目 ~魔族の種返却の朝
宿に戻った女龍とフォラヴ。イーアンはフォラヴを運んだ時間が、数分だったとは言え、彼を抱えられることも、またその手前で、自分を抱き寄せられることも、やはり特別に思った。
宿に入る前に、赤ちゃんの話をしながら『では彼は。属性が分からず仕舞い?』とフォラヴに訊ねられ、『そうだ』と返事をしたすぐ、フォラヴも妖精なのに、女龍の自分に対して抵抗がなくて毎度驚く、と伝えた。
妖精の騎士は、話が赤ちゃんから自分に移ったので、コロコロと鈴の音のような声で笑い『私もあなたも、それぞれの種族では変わり者でしょう?』で、済ませてしまった。こう言われたら、イーアンも話を続けにくいので黙る(※さらっと扱われる女龍)。
下りた宿の裏庭で、馬に挨拶をしたフォラヴは、運んでくれた女龍にお礼を言うと、一緒に宿の中へ入り、宿屋の人にも挨拶して、一階の食堂へ。
イーアンは食堂にフォラヴを待たせ、伴侶を呼びに行き、起こした伴侶にしがみつかれて謝られ(※反省伴侶)『それは良いから、フォラヴが戻った』と教え、そそくさ着替えたドルドレンと二人で食堂へ向かった。
「総長。おはようございます」
「おお、フォラヴ。いつ戻ったのだ」
食堂のこじんまりした机の前、朝陽を受けて清々しい妖精の騎士の微笑みに、ドルドレンは側へ行きながら、彼の余裕さに感心する。
どこへ出かけ、何を手にしたのか。自分たちが思うよりも、ずっと大変なことをこなしているだろうに、顔を合わせれば、普段と変わらない微笑みを向ける部下は、とても強く感じた。フォラヴは、席に座ったまま、横を示す。
「こちらへお座り下さい。起きたばかりで、喉が渇いておられるでしょう。お茶は?」
「良いのだ、俺が茶を淹れる。お前は戻ったのだから、休め。いつだ?夜中?朝に戻った?」
食卓の中央に置かれた、茶器の盆を引き寄せようとする部下の手を遮り、ドルドレンは『自分がやるから』と苦笑いで茶を3人前淹れ、戻った時刻を訊ねた。
騎士は笑って『夜明けに』と答え、お茶のお礼を言い、イーアンを見る。
女龍が頷いたので、フォラヴは自分が戻った時、イーアンの龍気を感じて立ち寄ったことも、そこで彼女から、昨日の話を聞いたことも手短に伝えた。
「魔族の首。見たのか」
少し、声を落としたドルドレンは、イーアンに視線を動かしてからフォラヴに訊ねる。
フォラヴは人間同様、例え妖精の姿を取ったとしても、魔族に種を移される対象。死んで灰になったとはいえ、抵抗がなかったのかと思えば、フォラヴはニコリと笑顔を見せた。
「いいえ。灰だと言うから。あの場所で包みを開ければ、風に飛ぶでしょう。ですから、開いてもらいはしませんでした」
「そうか。でもお前はそれを使うのだろう?」
「総長の知りたいこと。それは私を心配した気持ちから来る思い。あなたの温かさに感謝します。
ですが、ご心配に及びません。私は越えました。越えたからこそ、魔族の世界に入り、ホーミットとシャンガマックの援助を受けてでも、欠片を手にして戻ったのです。
今回は、この世界に存在する、他の種族の力を人の身に借りるため、手法を調べに出ました。私が魔族を恐れたのは、過去のことです。もう大丈夫」
静かな声で一気に思っていることを喋ると、妖精の騎士はお茶を飲み『美味しいです』と総長に微笑む。
見るたびに、成長する。そんな印象を抱いたことで、ドルドレンは自分を少し恥ずかしく思い、自分もお茶を飲んで、返事代わりに頷いた。
「フォラヴは。私を外で見つけ、一緒に帰る時。私が片手に吊るした包みを、何も気にされませんでした。一番、怖れるはずの立場に居てもおかしくない、妖精のこの方が、私よりも怖れないことに、私は畏敬の念しかありません」
イーアンが教えた『フォラヴは恐れなかった』ことに、ドルドレンは朝一番で打ちのめされる。『俺は』と、恥じた思いを口に出すことも難しいほど、胸が締め付けられた。
ぐぅ、と唸って俯いたドルドレンに、イーアンは『あなたを責めていませんし、苦しまれることはないのです』と伝え、フォラヴも『そうです。私は私の、彼女は彼女の立場がある』だから、そういうもの、と教えた。
「だが。俺は。俺は勇者で、イーアンの夫なのに」
「ドルドレン。昨晩もあなたは、私が外へ出ることに謝りました。今も、起こしたらすぐに私に謝ったけれど。
恐れや懸念は、あって普通です。私の行動は、それを考慮しただけのことです。
自分を責めないで下さい。苦しむ必要はありません。勇者でも夫でも、立場がそれぞれ異なるのですから、行動の違いに寄り添えないことは、今後も多々あるでしょう」
「イーアン」
横に座るイーアンの手を掴んで握り締め、眉を寄せたドルドレンは『すまないね』と、絞り出すような声で再び謝る。フォラヴも、そんな総長に『自分たちはそうした集まり』と言い聞かせた。
――旅の最初こそ、気が付かなかったが、それぞれの運命がある。それぞれに課せられた立場があり、それぞれが実行すべき態度がある。それを役割として、一緒に動く集まりが、この旅の仲間――
これを教えても、まだ苦しそうな総長の横顔に、フォラヴは同情するように微笑むと、その話を変えた。
「さて。私はお茶を飲み終えましたら、まず、二つのことを先に済ませます。
一つは、魔族の種を返すこと。こうしている時間も落ち着きません。早く終えましょう。それからもう一つ、赤ちゃん?どこにいらっしゃるのか」
「あ。赤ん坊はミレイオと一緒に地下で眠るのだ。もうじき戻るだろう」
「そうですか。彼に私が大丈夫か、近づけるものなのか。それを確かめる必要があります。いつまでご一緒するにしても、小さな子を怖がらせたくはありません」
優しい騎士はそう言うと、お茶を飲み干して容器を置き、イーアンを見た。イーアンもお茶を飲んでから、『魔族の種は馬車に』と立ち上がる。
「フォラヴの側にいます。ドルドレンは皆さんを起こして下さい。そろそろ、後20分もすれば朝食です」
イーアンに頼まれ、ドルドレンは了解し、立ち上がった二人の腕をそっと引っ張ると、少し驚いたような二人を大きな胸に抱き寄せて『俺を育ててくれ』と頼んだ。
フォラヴもイーアンも、彼の言葉に顔を見合わせて微笑み、総長を抱き締めて『勿論です』と答える。
二人が思ったことは同じで、こんな勇者と一緒で自分たちは幸せ・・・と、それだけだった(※過去の勇者と大違い!)。
二人が裏庭へ出て行ったのを見送ったドルドレンは、まだ起きてこない仲間の部屋を回り、扉の外から『そろそろ朝食』の声をかけ終え、廊下の窓から裏庭を見た。馬車二台は、張り出した屋根の下にあり、馬房もその横に並ぶので、二人の姿は見えない。でも。
「気配は感じる。冠があると・・・フォラヴの気配が、妖精に丸きり変わったのが伝わる」
あの神々しい、透ける体を持った妖精の姿。記憶に蘇る、森の一幕。人に殺される動物を守るため、フォラヴが姿を変えた、あの日。ドルドレンは、目が落ちんばかりに見開いて驚いたのだ。
「彼は。強くなった。もっと強くなるのだろう。今も・・・彼の話通りであれば、自分を切り、血を流し、それを自分の癒しで止める。魔族の種を見つけ、その世界へ抛る度に、フォラヴは」
お前は凄いな、と小さく呟き、その後すぐに、今は側にいない、シャンガマックにも同じように思う。彼を思えば続けて思う、ふとした時に、先を見通す目で導くザッカリアにも。
「俺は。もっと。もっと。俺の部下たちに愛想尽かされないよう、頑張らねば」
白髪交じりの黒髪を両手でかき上げ、ドルドレンはふーっと息を吐き出すと、先に食堂へ降りた。
荷馬車に入った、イーアンとフォラヴ。魔族の種入り、龍の皮を開いたイーアンに、フォラヴは少し険しい表情を向け、何も言わずに体を妖精に変えようとする。
慌てたイーアンが『私は離れるから、待っていて』と彼を止め、ハッとしたフォラヴに頷くと、すぐさま馬車を下りた。
「扉。閉めますか」
「はい。その方が目立ちません」
「私の龍気が遮ってはいけませんから、少し離れますよ。何かあったら教えて下さい。助けます」
急いでそこまで言うと、イーアンは扉を閉じる。フォラヴも閉じた扉を確認し、自分の腰袋から『写しの壁の欠片』を取り出すと、そこへ置き、魔族の種を見つめた。
龍の皮の中に集められた、禍々しい黒い粒たち。以前に見た、カンガの体についたそれと違い、小石より小さく見える。
その理由は、コルステインの力の前に屈したから、と思えば、改めて、地下の最強に心の中で敬服した。
「コルステイン。あなたが縮めて下さった、この害。私が片付けます」
頼もしい味方に感謝して。妖精の騎士は深呼吸すると、ワッと体を光らせて妖精の姿に変わる。大きな白い翼を畳み、透き通る体を持ったフォラヴは、自分に反応し始めた種の上に手をかざし、触れないように持ち上げ、欠片の真上に移動させた。
すると欠片は黒く透き通った中心に、じわじわと歪む抜け道を見せ始め、フォラヴの力にまとめ上げられた黒い粒の集まりを吸い込み始めた。それは瞬く間の出来事で、ひゅっと吸ったかと思ったら、あっという間に、全てが消えた。
吸い込むというよりも、引っ張られて消えたような様子。初めてその様子を見たフォラヴは、次にすぐさま自分の指を、欠片の角に引っ掛けて切り、ぷっ・・・・と浮いた血を擦りつける。
血が付いた途端、欠片の揺れは閉じ、その後は何も動かなくなった。フォラヴは自分の傷を癒して治し、体を元の人間に戻す。
「緊張。緊張で疲れますが。もう残っていませんね」
龍の皮をもう一度見て、広がった薄い皮に一粒の種もないことと、周囲にも全くその気配がないことを、しつこいくらい繰り返して、確認を済ませた。
「イーアン。もう大丈夫ですよ」
板の隙間から朝の光が漏れて差し込む馬車の中、フォラヴが大きめに声を出すと、扉はさっと開き、心配そうなイーアンが『大丈夫?』とフォラヴを見つめた。フォラヴは両手を出してひらひら、表裏を返して見せ『怪我もないです』と笑う。
イーアンは話しに聞いているから、知っている。彼がその都度、自分を傷つけること。その都度、痛みを負うこと。小さな傷かも知れないが、彼にしか出来ないことを、当然として受け取った、目の前の騎士に微笑んだ。
「フォラヴ。あなたはね。私が見て来た男性の中で、一番男らしいかも知れません」
褒められたと分かったフォラヴは、きょとんとしたのも、束の間。照れたように俯いて首を横に振る。
「私はそれほど精力的ではありません」
彼の冗談に、テレを知ったイーアンは笑い、『そっちの意味なら、他の人ですが』と笑いながら返すと、馬車を下りたフォラヴと一緒に宿へ入った。
宿の戸を潜る時、イーアンはフォラヴの腕をポンと叩いて『あなたは、最高の度胸の持ち主』と伝えた。
女龍の力強い微笑みに、妖精の騎士は冗談ではぐらかすのをやめ、ニコリと微笑んで返す。
食堂に待つ皆をガラス越しに見て、自分よりも遥かに強い面々が揃っていても、イーアンが『最高の度胸・一番男らしい』と褒めてくれたことを、この朝、心から誇りに思った。
お読み頂き有難うございます。




