1352. 混沌の水 ~女龍の責任・フォラヴ帰着
謎解きを確信しながら、イーアンは今日の夕方に話したことを思い出す。
「タンクラッドに、あまり詳しくは言えませんでしたね・・・・・ 」
『見て来た歴史により、これこれ、こうするのですよ』とは話したが、何を見たかは言わなかった。タンクラッドは聞きたそうだったが、イーアンは喋らなかった。
隠し事とは違うけれど、今後、こうして話せないことも増える。それはそれとして、出来る限り、自分が役に立てることはしたい。
イーアンはこの推測を、霧のペリペガン集落から戻った日の夜。イヌァエル・テレンで、おじいちゃんに相談した。
フラカラの部屋の話は伏せたが、おじいちゃんは何となく、イーアンが何かを隠しているとは感じているようだった。
とはいえ、ビルガメスらしく。
それには触れず、『そんなところだな』と答えると『実行する気か』とも訊ねた。イーアンは『正しいなら、実行するだろう』と答えた。
「それは。お前が魔族を見つけて倒したら、そいつも使う、と。言っているか?」
おじいちゃんの質問。イーアンは、この時、ハッとした。ビルガメスは微笑み、何も言わない。
教えてくれたんだと、分かった瞬間、イーアンはビルガメスに頭を下げて『そうします』と言い、礼を言った。おじいちゃんは満足そうに、フフッと笑い、女龍の頭を撫でた・・・・・
「ビルガメスが言わなかったら。私は魔族を使うことまでは考えていなかった。
元の海の水で、多種族の混合液(?)を作って・・・それをフォラヴのような存在に分けてもらい、分かれた水の『薬』として使える方を使う。それしか考えていなかった。
それが出来るだけでも、体に取り入れた人間は、人間以外の種族の免疫が付くのだと思ったから。
でも。そうなんだ―― おじいちゃんが言ったみたいに、既に死んだ魔族の一部であれば、混ぜて弱毒化することで、魔族への耐性も上がる。彼が勧めたということは、これが一番、魔族に対して効力があるんだわ」
真上に掛かる白い月。取り囲むように、群青色の夜空が澄み渡る空の下。イーアンは、ビルガメスの助言を考慮し、今日、出くわした魔族の体を手に入れた。
何日か前まで、人間だったのかもと思うと、躊躇いが全くなかったわけでもない。
だが、オロノゴ・カンガを助けた、彼の友達の言葉では『戻れない』だった。種を取り除けるのは、魔族だけだし、一度魔族になってしまったら、もう人間には戻らない。
今日の敵は、魔族なりかけ状態だった。人間の意思が残っている様子だったが、それも途切れがち。日を置かず、あの敵は完全に魔族と変わっただろうと思う。今日の状態でも、見る人が見れば既に魔族・・・そう思っても無理はないほど、体は魔族のそれと、イーアンも感じた。
だからイーアンは。本当なら一瞬で死なせたかったが、それで消してしまっては目的が果たせないと、相手を消さずにおいた。しかし、『即死』だけは叶えた。黒焦げにはなったが、痛みも何もなかったと思う。
そして、その首を取った。腕も足もあったが、取るなら頭、と決めていた。それが一番、相手のために良いような気がした。
既に、顔らしい顔もなかった相手で、黒焦げの状態は『頭部』としか判別がつかないくらいの形状だったが、抵抗を抑え込んで、イーアンはその首を切り、龍の皮に包んだ。
「難しい。私の気持ちの中の決着。でも。もう行ったことです。私以外の・・・コルステインは出来るだろうけれど。他の仲間に頼めることではありません。これは私の範囲」
ふーっと、胸に痞えた重い息を吐き出し、手元の包みに目だけ向ける。龍の皮は、ビルガメスの翼の色。彼の色に包まれた、魔族の灰は、当然だがうんともすんとも。
「ビルガメス。私は・・・少しずつ。人間離れしています。見た目だけではなく、意志も。それは、人間としてはある意味、残酷さや苦しさを伴うけれど。男龍には、『そうあるべき』考え方であり、感覚なのですよね」
人は殺していないが。人だった相手を倒した、今日。
イーアンは。たった今、一人でここにいることに、少なからず必要を感じていた。誰にも、言えない気持ち。しかし、自分がその立場を歩く運命である、一歩を果たした想い。
始祖の龍は強かった。本当に本気で強かった。彼女は最初の女龍として、ここに連れてこられるに、充分な人材だった。それを思わずにいられない、現時点での自分と重ねた時間。
「魔物退治の旅・・・ゲームや映画ならね。爽快にワルモノ退治で進みながら、良いものは良い、悪いものは悪い!で済むのか。現実は。そうでもない・・・だよねぇ」
目を閉じたまま、イーアンは少しだけ笑ったが、その笑いはすぐに消える。イーアンの目尻に、僅かに月光を受けて光る雫。
「私はまだ。心が人間なんだ」
呟いた声は穏やかな夜風に連れて行かれ、イーアンは両手で目を押さえる。自分の動きも、自分の意思も、誰にも言えない。
決定したのも覚悟したのも自分だが、今、流れる涙は後悔とは違う、大きな責任を受け取る立場、その悲しい一面によるものだった。
*****
寒くもない夜が過ぎる。寝冷えもなく、イーアンは目に手を乗せたまま、眠っていた。
どれくらい眠ったか。夜明け前の少し気温が下がった頃。イーアンは薄ら寒い感覚に、目覚め始める意識の中、ちょっと体を丸める。すると、少しして体に何かが掛かり、イーアンは布団で眠っている通常の感じで、掛ったものを引っ張り上げた。
引っ張り上げて、その香りに目覚め前の嗅覚が反応する。花のような香り。どこかで嗅いだことがある。そう感じながら、同時に『私。寒くないんだった(←忘れてる)』習慣的に気温が少し下がること=寒い・・・と覚えた体感に、可笑しく思い、寝ぼけたままクスッと笑う。
「良い夢をご覧になっているのか」
静かで温もりのある声が聞こえ、イーアンは夢の中に響いた声に、にっこり笑う。
「涙の跡が。夢だけでも、良いものでありますように」
・・・・・え。夢にしては。
イーアンはここで、ピタッと笑顔を止める。それから、自分の角を誰かが撫でるのを感じ、えーっと・・・と、目を閉じたまま固まる(※確かここは外)。
徐々に意識がはっきりし始め、その間、角は撫でられ続ける。明らかに、誰かが横にいて、誰かが私の角、撫でてる~
ちょびっとだけ、瞼を開けると、まだ夜明け前。さほど明るくないけれど、見える空の群青は少しずつ明度を上げている。それから。肝心の『角撫でてる誰か』を、手に掴んだ布に隠れて見ようとし、ふと。
布。布? この香り・・・と我に返る。
「フォラヴ?」
ハッとして思わず名を呼んだ、寝起きの掠れ声。開いた目が捉えたのは、夜明けにさえ、星のように輝く白金の髪を揺らして、横に座り微笑む、博愛の人。
「はい。起こしてしまいました」
「ちょっ、ちょっと、起こして下さいよ!もっと早く!」
いつからいたんですか、と慌てて体を起こすイーアンに、横に並んで座っているフォラヴは笑い『まだ横になっていらしても』と促すが、イーアンはそれどころじゃない。
「勘弁して下さい。寝顔見られていましたか。やだ~!」
絶対よだれとか垂らしたと思うんだけど~ おならしたかもしれないし~(※こっちのがツライ)
起きて早々。騒がしく、広がる髪を撫でつけたり(※渦巻きだから意味ない)顔を手で拭いたりするイーアンを見つめるフォラヴは、『ちょっと前に帰りました』と教える。
さっと見た女龍は『ちょっと前、っていつ(※オナラ懸かってる)』と睨むように訊ね、その顔が可笑しくて、フォラヴは笑いながら彼女の背中を撫でた。
「そんなに嫌がらなくても・・・いつもご一緒しています。私は帰って来たのです。いけませんでしたか?」
「あ!いえいえ、とんでもない。そうでした(※取り乱してそっちのけ)。お帰りなさい」
ようやく、『戻ったこと』に話が向き、フォラヴは小さく咳払いすると、微笑んだまま『外で一人なんて』と注意した。
「私が見つけたから良いですが。別の誰かだったら、どうするのです」
「フォラヴ。私が負けると思いますか」
「ハハハ。いいえ。あなたに勝てる者はいませんが、それでも女性ですから心配です」
さすが博愛の人。言うことが違う。変な感心をしつつ、イーアンはとりあえずお礼を言って、実はねと、一気に業務モードに切り替える。
前置きで『軽蔑されませんように』と真顔でお願いし、その言葉にはたと笑顔を戻した騎士に、包みを示し、昨日、何があったかを教えた。
夜明けの時間は刻一刻、明るさを世界に齎す中、二人の間に流れる話題は、対照的な重さと暗さを含む。
妖精の騎士は、イーアンが話す間、彼女のちょっとした間も、ただただ黙って聞き続け、全て話し終えた女龍が『以上です』と伝えた時、彼女に両腕を伸ばして抱き寄せた。
驚いたイーアンが『どうしましたか』と訊ねると『あなたは強い』と、答えが戻る。その声は、苦しそうに絞り出され、答えのすぐ後に、フォラヴが唾を飲み下した音がした。
抱き寄せられながらも、体を少し起こして騎士の顔を見たイーアンは、彼がとても同情してくれていると知った。
「フォラヴ。私は大丈夫です」
「いいえ。あなたの顔に。涙の跡がありました。一人、悲しみに耐えられたのです。私はその悲しみを理解します。なぜなら、私も同じように立ち向かう日が来るから」
妖精の騎士の同情に、イーアンは彼が背負った何かを感じ、うん、と頷く。フォラヴは溜息を落としてから、そっと腕を解いて『よく頑張られて。女龍とは凄まじい存在』と労い、褒めた。
「いいえ。勿体ない言葉です。私はまだ、心が人間だから」
「だから、凄まじいと言ったのです。私もこれから、きっと一人で立ち向かう時。あなたを思い出しましょう。イーアン、あなたを軽蔑なんてしません。ただ、あなたの大きな勇気に心から尊敬を」
イーアンは何も言わず、苦笑いで首を振り、自分に掛かったフォラヴのストールを見つめると、それを畳んで彼に返した。受け取ったフォラヴは、町のある方を見て『あそこですか』と話しを変える。
「そうです。皆はあの町に居ます。今日もいるかも。戻りましょうか」
「そうしましょう。ええと。歩き?」
「いえ。あなたが困らないなら、私が抱えて飛んで戻ります」
暁の光が差し始める岩棚で、白金の髪が煌めきを増す。イーアンの白い角も透き通るように輝く。二人はお互いを見て、少し笑うと、立ち上がった。
「宜しくお願いします。少し疲れまして」
「勿論ですよ。お疲れなら、宿で休んで・・・あ、赤ちゃんもいるのです」
え?と驚いたフォラヴの背中を抱え、翼を出して浮上したイーアンは、片手に魔族の灰。フォラヴは一切、気にしないでいてくれた。
その彼の、気丈な優しさに感謝しながら、イーアンは『可愛いサブパメントゥのような赤ちゃんがいまして』とその話をしつつ、宿に向かって飛んだ。




