1351. 混沌の水 ~イーアンの謎解き
夕日も落ちた頃。
外で話していた、イーアンたちが戻った時。バイラは『報告書を出してきますから』とした理由で、既に宿にはいなかった。
バイラは先日同様、夕食は後ということで、皆は先に夕食を済ませることにした。
「イーアン。首は」
「あれですか。龍の皮に包んであります。馬車ですよ」
「灰になった、というけれど。変なのはもう、ないの」
「ないと思います。さすがに私、そこまで鈍くないと思うのです(←触ってる)」
食事する前にも、同じ質問を皆さんそれぞれに受けているので、イーアンはその度、皆さんに同じように答えているが、伴侶は2度目。相手が魔族だから仕方ないな、とは思う。
ちらと伴侶を見ると、じーっと見つめられていて、イーアンが料理をパクリと食べ、モグモグして見つめ返すと、口の端に出た料理を伴侶は拭ってくれた(※頬張るから出ちゃう)。
「あのね。俺たちが寝ている間とか、こうして今も。食事をしている間に、その灰がにょきにょきと魔族にでもなったら」
「うーん。灰ですからねぇ。大丈夫ですよ」
「だって、魔法使いかなんかだったと言うではないか。強烈なしつこさで」
「そう?何か感じます?」
あまり心配されると、自分が鈍いのかしら?と思い始めるイーアン。だが、何かを感じるかと訊ねれば、ドルドレンも困ったように黙った。
「いや。今のところは、俺には何も。だけど。ほら。赤ん坊が」
イーアンは赤ちゃんの反応を見て、それは確かに・・・少し気になるのだが。赤ちゃんは、凝視に近いくらいの眼差しで、ずっとイーアンから目を離さないのだ。
戻った時も、食堂に下りる前も、食事が始まってからも。赤ちゃんはミレイオの抱っこの腕から、ずっと顔をピタッと『照準・イーアン』に合わせたかのように、見続ける。
「確かにですね。あの子が私を気にしているのは、私も不思議なのですが。理由があの魔族の灰とは」
「赤ん坊は、イーアンが戻ってくると分かった時から、何やら怯えて、タンクラッドに貼り付いたのだ。それは、今もご覧のとおりである」
「ドルドレンたら。ちょっと嫌味ですよ」
ごめんね、とふざけたのを謝り、ドルドレンは自分を見上げる奥さんに『灰が落ち着かない』と胸中をしっかり伝える。イーアンも頷いて『そこまで落ち着かないと、問題です』と答えた。
「ではですね。私、本日はあの灰と共に、別の場所で眠りますから。お風呂終わったらサヨナラ」
「え!サヨナラ?!何てこと言うのだ!怒ったのか」
「いえいえ。安全と安心と安眠のため。私は怒っていません。じゃ、風呂上がりにサヨナラですよ」
ええええ~~~!!! 嫌がるドルドレンに、男らしいイーアンは無表情で『朝には戻る』と言い聞かせる。
はたから見ている皆は、可笑しくて笑っているのだが、内容が内容だけに、イーアンを引き留めるのも出来ない。誰もが、あの『魔族の灰』には、一抹の不安を拭い切れないまま。
だから、こんな時はしみじみと、イーアンの肝っ玉の据わり方に改めて感心する。
イーアンだって、いつもは心配性で、先読み過ぎるくらい立ち回るけれど。
一旦、『こう』と決めてしまえば、自分が全てを引き受ける。その時の態度は、ザックリとしていて、男でも真似できないなぁと(※ここ全員男)思うほど。
ここでようやく、タンクラッドたちは―― 支部に初めて、イーアンが魔物の体を持ち込んだ時の、騎士たちの驚きや困惑を体感(※すごい前)。
自分たちは、突如現れた『魔族』の得体の知れなさに怖れを抱く。
魔物はまた違う枠だが、魔族は寄生したり、取り込んだりとあり、これの対処がまだ分からないうちは、警戒してし過ぎることはないくらい、とさえ思う。
その魔族を。イーアンは、魔物を使おうと言い始めた頃と同じように『材料』と呼び(※意味は違うんだけど)元が人間だったと知っていても、『既に魔族』と割り切れば、黒焦げにして、首を切り取って来る。
しんみりと。イーアンはこの世界に、来るべくして、登場した女。と、皆が認める、こんな時。
そんなことを思われているとは、考えてもいないイーアンは、『今のうちに食べておきます』と、外で寝る準備なのか(※普段と変わらないはず)いつもより多めに頬張っては、モグモグと元気に食べていた。
こうして。イーアンは食べ終わると、止めるドルドレンに『朝ね』と言いながらお風呂へ行き、さっさと出てきて『コルステインに後は頼んだ』と皆さんに挨拶し、悲しそうな伴侶に『何かあったら呼んで』さくっと笑顔でそう言って、パタパタ、月夜に飛んで行ってしまった。
イーアンと交代で風呂に入る、親方とオーリンとザッカリア。ドルドレンと、赤ちゃんを抱っこしたミレイオは、月夜の窓辺に立って女龍を見送った。
「強いわよね」
ボソッと落とすミレイオ。ドルドレンは寂しそうに、奥さんの消えた白い月を見つめながら『いつもである』と答える。
「彼女は。守る、と決めたら、相手が何であっても立ち向かう。誰もが恐れる相手であっても、一度腹をくくれば、誰よりも先に前に出るのだ。
相手が人間だったと言っていたが・・・会話したのか。そうと知っていても、二度と人間に戻らない魔族。世界の皆を守ると決めた以上、イーアンは相手の首を取っても、冷静に行動する。
心に悩みを抱え、自分の仕打ちの厳しさを感じても、だ。見ている者たちが、自分たちの行動を疑わないように」
「それ。私たちの事?私たちが、魔族に憑りつかれた人間相手に、戦う時。迷わないようにって」
そうだ、と頷くドルドレン。それから少し黙り、白い月光に背を向けて、黒髪の騎士は目を閉じる。
「あれは。俺に教えたのだ。無言で背中を見せる、イーアン。いつでも率先して、背中を皆に見せる。誰にも『戦え』『怖気づくな』と嗾けない。恐れないで下さい、とは言うが、無理はさせない。
俺が・・・元々が人間だった相手に、剣を振れないだろうと。彼女は気が付いているから。自分が行って見せたのだ」
ドルドレンが、自分のためにと感じた話に、明るい金色の瞳で彼を見たミレイオは、少し否定するように首を振る。
「モロに、なら抵抗あるだろうけど。あんただって、鍾乳洞の奴とか、雲の相手とか倒したでしょ。
人の姿で会話もしたり。あんたも剣で倒しているわよ。まったく出来ないわけでもないんだから」
「いや。鍾乳洞の相手は嫌だった。泥のようで人の要素は喋るくらい。しかし抵抗はかなりあった。あの時、シャンガマックが一緒だったから、無我夢中に応戦した具合で。
雲の相手も、ロゼールが入ったから追いかけたのだ。雲の中にたくさんいた、黒い人間的な魔物は、飛び出して襲ってきたから、剣で斬り続けたが」
襲われなければ、自分から攻撃したか、迷わなかったか分からない。ドルドレンは、そう打ち明けた。
「必要に迫られ、応戦した。その俺が、使うからとは分かっていても、倒した摩族の首を切って持ち帰れるか。そればかりは、すぐに頷けない」
「そうね。イーアンだって、嫌だと思うのよ。残酷だと思われるの、分かっているだろうし。
だけど、ケロッとした顔でそういうこと、言うのよ。本音を聞こうとすれば、あっさり本音で『嫌ですよ』って言うくせに。それが、『龍の立場』なんだろうね」
赤ちゃんを抱っこするミレイオは、大津波戦の翌日、ベデレ神殿でビルガメスが見せた『龍の愛』の意味を思い出す。イーアンもそれを、少しずつ、自分の役目として実行していると分かる。
黙って聞いていたドルドレンは閉じた目を開け、静かに息を吐き出すと、空を見つめる赤ちゃんの頬を撫で、彼をミレイオから受け取って『風呂に入るよ』と微笑んだ。
答えないまま、この話を終わらせた騎士は、赤ちゃんと一緒に風呂場へ行った。ミレイオは、彼の理解にも、イーアンに向ける尊敬と同じくらい、尊敬を抱いて呟く。
「あんたに言うことじゃないかも知れないけど。あんたはあんたの『勇者の役目と立場』を、ちゃんと歩いていると思うわよ」
ミレイオは控えめに微笑んで、自分も地下に戻る支度を始めた。
*****
どこで寝ようかなと、魔族の灰を入れた包みと一緒に、イーアンは出来るだけ、見晴らしの良い場所へ移動する。伴侶たちから離れ過ぎても行けないし、人や動物が来る可能性のない所でなければ。
そう思いながら、キョロキョロと見まわして、月明かりの下に岩棚を見つけ、周囲から何かが近づいてもすぐに分かりそうな風景から、今夜は岩棚で休むことにした。
「雨は降りませんでしょう。今日の間に、太陽と風ですっかり乾いています」
夏だけど。最近は少し過ごしやすい夜が続く。テイワグナの山間部は、平野に比べて、気候が随分と違う気がする。
岩棚に下りたイーアンは、やんわり涼しい風を受けながら、寝るに良さそうな平らな場所を探し、気に入ったところに腰を下ろした。
手に持った包みは、微風でも飛んでしまいそうな灰が入っている。ここで開けるのはよそう、と、一度は結び目に触れた手を引っ込めた。それから、腰袋を外して頭の下に置き(←こうしないと、角があるから頭と地面に隙間が出来る)そこに仰向けに寝転んだ。
「フォラヴは。今頃、どうしているのか。彼も妖精の国で、海の水の対処法を調べているだろうけれど。まだ戻らないということは、手こずっているのか。女王と会えていないのか」
白い月の下、イーアンは月を見つめて独り言。普通の声で言うもんだから、誰かに話しかけているような具合で、月に向かってしゃべり続ける女龍。
胸の上で手指を組んで、クロークを敷布代わりに、イーアンは寝床気分で考える。
――フラカラの秘密の部屋で見た、壁画。
私が見たのは、この地上を埋め尽くしたかつての海を、精霊が清めた絵だった。
精霊は混沌の海に、自分たちに似た姿の小さな誰かをたくさん落としていた。
落とされた誰かは、水に溶けているように見え、それから次の絵で、人と別の種族両方の顔を持った誰かが、水を二つに分かつ。
右の水に、人が沢山。左の水に、別の種族が描かれていて、それらは次の絵で混ざる。その次の絵で、また分かれるが、二度目の右側に描かれた水には、一度目と同じで人の姿が沢山見えるものの、左側の水はちょっと風変わり。
この後、右に描かれた水が、大地の窪みに戻されて、海とされる場所に収まる。海は海として清められたのだ。
では。左側の水は、どうなったのか。左側の水が風変わりと感じたのは、水の量が、右側にあった水より、断然少ないこと。
そして、水の中に、翼や手足、人の顔、虫のような翅、角、尾など、体の一部がバラバラに描かれていた。
この水の行方は、そう遠くない位置に『左側の水』と思しき絵があり、その絵には、人でも別の形の誰かでも、水を潜って出てゆく姿。出て行った先は、その種族ではない、別の生き物たちがいる世界が見えるが、踏み込んだ誰かは問題ない様子が描かれていて、それを見たイーアンは、『これがそうだ』と理解した。
イーアンはそこから、直感を繋ぎ合わせた。ザハージャングの出生。男龍に連れて行ってもらった、古代の海に見えた大きな絵。フラカラの秘密の部屋で見た、壁画。メーウィックの状態。ホーミットが教えた情報。
全てにつじつまが合った時、『材料がいる』と感じたのだ。
「要は。ワクチンですよ。ワクチン。言ってみれば、予防接種みたいなものです」
イーアン、独り言もしっかり大きめで、自分に言いながら頷く。それに気が付いた一瞬『ワクチン?』と呟いたそれで、全部が繋がったのだ。
感染する菌ではないけれど(※失礼)。別種の混ざる、特殊な状態の海を作ってしまったのが、始祖の龍の怒りだったとすれば。
彼女の力である『龍』は勿論混ざり、呑み込んだ『サブパメントゥ』も混ざった。この中で生まれる力を持っていた卵は、殻を外してみれば、サブパメントゥの意識と力、龍の形と特性を一つに詰め込んで、この世に現れるに至った。それがザハージャング。
どこまで体を壊すか、何を含有するか、生まれてこないと分からないような、恐ろしい『水』は、精霊が清めるに当たり、別の種族の要素も投入し、それを分けたのだろう。清めるために投入されたものは、はっきり分からないにしても、それらが『弱毒化』の務めを果たしたのは分かる。
絵で見る限り、それを2度繰り返し、そして抜き取った大きい部分を占める水が『海』として戻され、残った方が『投入された種類であれば、どれとも関われる水』だろうと、イーアンは思った――
お読み頂き有難うございます。




