135. クズネツォワ兄弟
午後の演習が終わったベルは、ハイルと一緒に支部の前庭に出た。
厩当番にお願いして、夕方の馬の世話をベルが買って出た。馬と一緒にいると落ち着く、と理由を言うと、彼らが旅の一族・・・と聞いていた当番は『じゃあ頼むよ』と代わった。慣れない場所で、寛げる環境を探しているのだろう、と配慮してくれた。
ベルが馬糞を外に出す。ハイルも手伝って、馬の小便を水で流してやり、毛を梳かした。二人は新しい干草を持ってきて、それぞれの馬の飼い葉桶にどさっと盛ってやった。
「ベルは馴染んだ?」 「そう見えるか?」
見えないけど、とハイルが答える。お前は?とベルが聞き返してすぐ『無理だな』と鼻で笑った。そしてハイルを見て『お前なんか言いたいことあるんだろ』と訊いた。
「昨日遠征だっただろ。夜呑んでる時、ポドリック隊長にいろいろ訊かれてたのと関係あるか」
「そっちじゃないかな」
「なんだよ。ドルドレンに何か言われたか」
「ってわけでもない」
ふん、と鼻を鳴らした兄・ベル。一頭の馬の背に跨って、ベタッともたれかかりながら『言え』と弟に訊く。ハイルが髪をかき上げて夕陽を見ながら、うーん・・・と唸る。
「俺が男だったら。ベルどう思う」 「男だろ」
「そうじゃねぇよ。格好だよ」 「何だそれ。化粧しないとか胸つけないとか、か」
「それっていきなりだと変?」 「お前何かあったの?」
弟の様子がふざけないから、変だなと兄は思う。いつもニヤニヤしていて、真面目な返事なんてしない弟だ。ここへ来て、あんまり拘束があるから初日から嫌がっていたが、そういうことか。
「黙ってちゃわからねぇよ。言えよ」 「気になるヤツがいる」
「? 誰」 「女だ。イーアンっていう」
それ、ドルドレンの女?とベルが訊く。ハイルは綺麗な顔を嫌そうに曇らせて兄を睨み、『別にドルの女じゃないだろ。保護してるだけで』と否定した。
「ハイル。お前の気になるって言う意味がよく分からない」 「そのまんまだって」
「お前、女・・・好きなの?」 「男がスキだって言ったこと一回もないだろ」
バカ言ってんなよ、とハイルが吐き捨てた。だからさー、と面倒そうに兄の助言を引っ張り出そうとする。
「この格好だと女でしょ。男の格好したら、警戒すんのかなってことだよ」
ベルは頭を振りながら『言いたいことが分からない』と繰り返す。お前は端折りすぎだ、と付け加えて、短気な弟に説明を求める。ハイルは起伏が激しいし、短気ですぐ話が飛ぶ。弟は、蝶々が人間になったみたいだ、とベルは思っている。
めんどくせっ、とハイルが腰に手を当てて溜息をつく。がしゃがしゃとストレートヘアを掻き、ガサツな美人がお怒り状態になる。舌打ちしてから『あのな』と馬上の兄を見た。
話し始めるハルテッド。
最初にイーアンと会った部屋の前の会話。遠征に出た時にイーアンの言葉で気になったこと。魔物を倒したら抱きついたこと。朝、朝食を一緒に食べたこと。菓子をやって、髪を編んでやったこと。
「で? 好きになったと」 「知らねぇよ。好きじゃないかも知れないじゃん。気になるって言ったろ」
「でもアレだろ。男の格好でもそう・・・同じ反応してくれるのか知りたいんだろ?」
「そう」 「それ。警戒されたらどうすんの。それはそれで良いの?」 「困るでしょ」
ふーん、とベルが唸る。『困る』と弟は言う。
困るってことは、仲良しが良いってこと。聞いてみれば、そのイーアンっていう女は、弟の女装も気にせず、本当に『女友達』感覚で接している気がする。イーアンから見たら、弟は『女になりたい男』の印象か?だとしたら、それは誤解だな。
「イーアン、だっけ。彼女は会ったばっかのお前のこと知らない。だから誤解してる気がする」
「誤解」 「そう。お前がホントは女になりたがってて、それが出来ないでいる男、って」
「それ違う」 「だろ。でも多分そうだぜ。だってオカマ対応が、良い人じゃん」 「オカマじゃねえ」
「それ、イーアンには分からない。偏見がなさそうだけど、明らかにお前のこと男扱いじゃない気がする」
はあ~っ?と間抜けな呆れ方をするハイル。『なんでよ。俺のこと頼もしいって言ったぞ』と兄にぶつける。ベルはこういう・・・弟の一方的な思い込みたがりには、子供の頃から煩わされていた。
「頼もしいって、別にお前が思いたい理由じゃないかもしれない。理由は1つじゃない。そういうの分かる?」
わかんねぇよ、と唾を吐くハイル。下品な美女に成り下がっているとは、四方や気がつかない。
「んー。しょうがない。俺が聞いてやる」
「何を?」 「だから。イーアンにお前をどう思うかだ」
ハイルはちょっと躊躇った。そこまでしないでも良い、と言い始める。気になるだけで、次の行動をどう取れば良いのか分からないから、兄貴に聞いただけ、と。
ベルも気は進まない。
ここへ来て3日目で、ドルドレン以外は誰が誰かも分からない。ただ、恋多き弟ではなく、こんなちゃらんぽらんでも恋少ない弟が、変に反応しているのだ。お兄ちゃんとしては応援しよう、と思う(←良い人)。
「とりあえず聞いてみるだけだ。ドルの女じゃない、っていうのは本当だろうな?」
「・・・・・ドルは大事にしてるよ。でも保護された、ってイーアンは自分で言ったし」
ベルはちょっと嫌な予感がした。イーアンとドルドレンは同室で、二人はくっ付いている、と話に聞いている。もしそうなら、友達の女に手を出すのはダメだろう、と思う。
弟の横恋慕か。横恋慕手前で飽きれば良いが。妙な事になって、居辛くなるのも困る。
だけど。そう思えば余計に、この弟の破天荒さを知っていて、放っておく方が危ない気がするので、やはり早めに自分が抑えておこうと考えた。
「まぁいい。俺が聞いてみるよ。お前は大人しくしてろ。女の格好で」
夕日はとうに落ち、空はすでに柔らかい藍色に染まりつつあった。支部の外まで夕食の香りが漂っていた。




