1339. 蜘蛛の精霊と「この子」
小さくなる渦。そこに再び飛び込んだ女龍、尻尾に乗って、連れて行かれたタンクラッド。
中に入ったすぐ、タンクラッドはイーアンの頭の中に呼びかける。先ほど通じたなら、とイーアンに呼びかけると、集落に入った白い龍は驚いて振り向き、急いで尻尾を持ち上げて腕に乗せ、その腕を持ち上げて首を下げ、親方を角の間に乗せた。
『何てことするんだ!何で戻った』
『タンクラッド。誰かが出たがっています』
中の事情を何も知らないタンクラッドは、そんなの構ってないで出ないと!と龍に叱るが、イーアン龍は集落の上から、自分を呼んだ誰かを探し、せめて話だけでも聞いてあげなければと焦る。
大きな白い龍が戻ったことは、一旦は外の様子を見ようとした、集落の人々の目に留まり、彼らは怖れの声を上げてまた隠れた。
『イーアン!もう出口が消える。俺がもう一度作るから、戻れ』
『はい、あの。あ!あの人です。タンクラッド、代わりに話して』
『何だと?どうでも良いだろう!早くしないと』
怒鳴って(※頭の中で)引き留めようとする親方に、垂れ目になって困る龍は、答えながら、自分を呼んだ相手を見つけ、大急ぎでそこへ向かった。
龍は、降りられるほどの大きさではない。だからと言って、人間の姿に戻る時間も惜しい。次に龍の体に慣れるほど、龍気があるかどうかも怪しいイーアン。親方に頼んで、通りに出ていた人影に首を寄せた。
その人は、恐れおののきながらも、後ずさるだけで逃げなかった。
集落の長屋の外れにいて、渦からは離れたそこは、長屋の端っこの列で、その人は集落の壁と社のような建造物の間にいた。
「『連れて行ってください』」
その人もまた、顔に模様があり鬘を被り、メツリたちと同じ衣服を着ていた。言葉が通じないイーアンは、手振り身振りで話だけでも聞けたらと、親方に頼み、親方は『大急ぎだぞ』と観念してくれた。
「『出たいのか』」
何と、親方。ここの言葉に返した。イーアン、びっくり。分からないけど、発音がバイラと同じ。さすが親方!話すことも出来るのかと、心で感謝しつつ・・・下方で見上げる、その人の反応を待つと、その人は社の中に一度入り、両手に何かを持って出て来た。
「『この子を。この子を出してあげて下さい!ここではない、世界で。もっと明るい、太陽のある世界で育てて』」
「『子?』」
タンクラッドが眉を寄せて、嫌な予感を過らせたすぐ、その人は倒れた。両腕は小さな包みをしっかりと掴んだまま・・・・・
タンクラッドは迷い一秒後。舌打ちと一緒に龍の頭を飛び降り、その包みに走り、包みに触る。うつ伏せに倒れたその人は、微動だにしない。包みはタンクラッドの前腕くらいの大きさしかなく、タンクラッドが引っ張る必要もなく、受け渡したとでも言うように、するっとその人の両手を抜けた。
「外に。その勇気をこの子に伝えよう」
恐らく息絶えた、突然に倒れたうつ伏せの人物にそう呟くと、タンクラッドは、心配そうに見下ろす女龍を見上げ、頷いた龍の下ろした指先に飛び乗り、再び二人は渦へ向かった。
タンクラッドの目は、自分の片腕に抱えた『この子』を見ることが出来なかったが、その温度は感じていた。
*****
飛び込んでしまったイーアンとタンクラッドを待つ、バイラとオーリンは『どうしよう』『もし戻らなかったら』を繰り返していた。
「大丈夫だろうと言いたいが。渦が。渦を中から作って間に合う用事なら良いが」
「オーリンには聞こえなかったんですよね?タンクラッドさんは何か、聞こえたのでしょうか」
「分からない。彼は直感が鋭いし、頭も良いから。聞こえていなくても、イーアンの動きに何か察したのかも」
とにかく、早く出て来いよ~!オーリンは、気が気じゃない。
もう、イーアンの龍気も低い。ガルホブラフを呼ぶなり、一度総長のいる馬車に戻って・・・と、あれこれと、万が一の龍気の調達を考える。
バイラもそわそわしながら、オーリンと渦を何度も交互に見て『早く。戻って下さい~』の呟きを落とし、はた、と止まる。
渦の脇。
大きかった渦の、縮小したその辺りに。何かが動いた。え?と顔を向け、じっとそこを見ていると、灰色の人影が揺らいだのを見つけ、バイラは目が落ちんばかりに見開く。
「どうし・・・え?出て来たのか」
バイラの顔に、オーリンも訊ねながら、同じ方を見て驚く。灰色の人影は、10mほど離れた所に揺れ、二人の凝視を知ってか知らずか、少しずつ近寄って来た。
ごくりと唾を飲み、馬と二人の男は近寄る灰色の影を見つめる。オーリンの手が、腰に収まった弓にそっと動く。バイラも剣の鞘の下に、左手をずらした。
近づいて来る影は、不明瞭の一色だったのに、徐々に形を作り始め、それが立体に変わる側から、周囲の霧が吸い込まれているようだった。
そうして。二人の前に現れたのは、一人の女。
白い太い紐を、網のように繋いだ服を体にかけて、頭に宝石をちりばめた冠と思いきや、丸い露が光る小枝の冠。女の顔と体だが、足に毛深く分厚い長靴を履いているようで、それはよく見ると彼女の足だった。
髪の毛にはたくさんの葉っぱが挟まり、絡んでもいない、真っ直ぐな白い髪の毛の分かれた間に覗く顔は、女の顔だが大きな黒い目がぽんぽんと二つあり、額にはそれと同じくらい黒く、艶のある小さな玉が、幾つか並んでいた。
女が口を開いた時、オーリンとバイラは思わず眉を寄せる。唇は小さいのに、開いた口の中に見える歯が二本の太い白い牙。
「お前が龍?」
話しかけられたのはオーリン。オーリンは相手を見る目を逸らさず『俺じゃない』とだけ答える。すると女は頷いているように、頭を上下に振ってから『龍が壊してしまった』と独り言に聞こえる言葉を呟いた。
それから、馬を下りたバイラを見て、ギョッとしたバイラにも口を開いて話しかける。
「お前は精霊?」
「違う。俺は人間だ・・・あ。いや。もしかして、あなたは精霊では」
警戒したバイラは剣の柄に手を滑らせた途端、剣が光を増しているのを見て、ハッとする。女の真っ黒い目はどこを見ているか分からないのに、顔は警護団員の剣に向いていた。
「もしや、この霧の」
「そう。私。龍が壊した。龍を怒らせるつもりはなかった」
悲しそうな言い方に、喋るたびに飛び出る大きな牙も、少し恐怖が減る。
小柄で奇妙な風体の女を見つめたバイラは『あなたが許さなかった人々は、これからも』と言いかけて、黙った。精霊相手に、普通の人間に話しかけるような言い方をした、自分を心で叱る(※最近、周りに人間外多いから)。
オーリンは二人の会話を見守る。バイラの精霊の剣に反応した、この奇妙な女が。まさか、この霧の集落の呪いをかけた、張本人とは。
バイラも思うことはオーリンと同じだが、この精霊が何を知りたいのか、何を目的に姿を現したのか、分からないので下手に話せない。
そんな気持ちを読んだように、女は少しの間黙っていた口を開いて、また話した。
「龍が壊したら。ペリペガンを一人の子供が離れる。その子は成長して、ここへ戻り、私を倒す」
「何ですって・・・あなたを倒す?なぜですか、そんなことしなくても」
「私を倒して、ペリペガンは許される。龍が来たら。龍は来た。ああ、悲しい」
バイラの精霊の剣を見た黒い目はそのまま、片腕を揺らすように伸ばして、女は惧れで固まるバイラの腰の剣に指を伸ばす。
「お前の剣に、私のいた証を与っておくれ」
バイラの目は瞬き出来ず、鼓動は早くなる。彼女の指は5本ではなく、何本も付いていた。
そして、その指は剣に触れることなく、腕は戻され、女はゆらゆらと体を不安定に揺らし始め『悲しい』を呟きながら、霧にほどけて消えた。
時間にして、ほんの数分だったと思うが。バイラは、これまでにない冷や汗をかき、体中がびっしょりだった。オーリンも横で見ていたが、何かあったら守らなければ、と思いつつ、体が動かなかった。
相手に、攻撃の気配がなかったことが、最大の理由だったが、正直な話、あそこまで不気味な精霊は、生理的に受け付けなかった。
「今のは」
オーリンは、中々話し出さない警護団員に振り向いて訊ね、止まる。
「大丈夫か」
冷や汗が顔に浮かび、息が体を揺らすくらい緊張していたバイラは、オーリンの心配そうな声にも彼を見ず、ちょっとだけ頷いて『はい』と答えた。
「お前さ。精霊とかに信心深いから。少し強烈だったな。俺も何とも言えない」
「初めてかも知れません。畏怖の対象に遇って、ここまで縮み上がったのは」
龍やコルステインにはなかったのに、と絞り出す掠れ声。オーリンも同情して、バイラの背中を撫で、彼の背が一瞬の汗で濡れたことを知ると『本当に怖かったんだな』と顔を覗き込んだ。
唾を飲み込み、バイラがオーリンに礼を言おうとした時。
既に人の背丈ほどに縮んだ渦が、ふっと何十倍にも広がり、その次の瞬間、真っ白い神々しい光がワッと飛び出した。その光にバイラは目を瞑ったものの、龍が戻ったことに、心底、安堵する自分がいた。
「イーアン!タンクラッド」
「おお、帰ったぞ。やれやれ」
タンクラッドが大きな龍の上から、姿も見えないままに答え、龍の頭の上からオーリンとバイラの側に飛び降りる。
霧は晴れ続け、彼らの周囲には森林の樹木が立ち並ぶ姿が徐々に浮かぶ中、龍が脱出した渦の二度目は、呆気なく縮み、見ている前で消えてしまった。
地面に飛び降りたタンクラッドに続き、イーアン龍もピカッと光って人の姿に戻り、フラフラと体を揺らす。タンクラッドが急いで駆け寄り、イーアンを片腕に支えるとオーリンを呼んだ。
「馬車に戻るぞ。イーアン、歩けないな?」
「歩けますが、遅いかも(※正直)」
「イーアン、私の馬に乗って下さい。揺れますが支えますから。歩くよりは」
バイラは馬を連れて来て、イーアンに乗るように言う。タンクラッドは頷いて、側に来たオーリンにイーアンを任せる。
その態度に、『いつもはタンクラッドが放さないだろうに』と不思議そうな目を向けたオーリンは、タンクラッドの片腕に・・・何かが抱えられているのを見る。
その視線を受け止めた親方。言い難そうに『後で話す』とだけ伝えると、包みを抱えた手をそのままにイーアンを託し、彼女を馬に乗せると、後ろにバイラも乗り、4人は晴れ始めた霧の中、馬車のある方に向かって歩き出した。
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