1334. 霧の森林 ~阻む魔の手
霧ではぐらかされたこの場所。両脇に森林が、まだあるのかどうかも分からない状態。
考えてみれば、道らしい場所を歩いていなかったため、出発して最初のうちこそ、近づく木を避けながら進んでいたのに、途中から、3人が横並びで歩いていたのだ。
木々の間隔が広がった、とは思ったが、気に留めていなかっただけで――
イーアンは、松明が並ぶ様子に、街頭やぼんぼりが並ぶ光景を思い出す。
昔、人間時代に暮した海辺の住まいは、よく海霧の発生で、夜明けの道が白さに包まれていた。まだ暗い時間、その曇る白さに包まれた街頭の明かりは、光の範囲も狭く、実に頼りなげに見えた。
ぼんぼりの点々と並んだ風景も、雪の夕暮れに見た時、家屋の温もりを思う冷えから、僅かな明かりに引き付けられる反面、白い雪の降り注ぐ風景に、いつ消えるとも分からない不安定な印象が残る。
今、自分たちの足取りが遅くなり、バイラの馬が嫌がるように鼻を鳴らすのを聞きながら、イーアンの記憶の『白いぼんやりした灯の列』は、この異世界の中、更に異界へ通じる、緊張とまやかしを意識していた。
「入ったら。戻ってこれない気がします」
怖気づいた言葉を口にするバイラに、オーリンが小さく笑う。イーアンも口元だけ笑みを浮かべ『何かしら、方法はありますよ』と答えるが、戻れる保証はないな、とも思っていた。
尻尾をびゅっと出し、一度振り返ってから、イーアンは尻尾の鱗をちょいちょいっと抜いて(※痛くない)後ろへ向け、ぴっぴと投げた。
オーリンがその行為に気が付き『目印か』と確認する。彼を見上げる女龍は『嫌だけど一応』と苦笑い。
「まいったね。女龍も自信ないのか」
「私が自信のある時は、相手の正体が知れている時ですよ」
俺もだよ、と頭を掻きながら、女龍の背中に手を添えて『よーし。一緒に入るぞ』情けなさそうに笑う弓職人。
イーアンも笑って首を傾げ『何かあれば、バイラを先に逃がします』そうしないとマズそうだと、弱気な発言で返した。
二人の龍族の弱気っぽい感じ、バイラはさらに弱気が増える(※悪い効果抜群)。自分の馬の首をポンと叩いて『頼むぞ』と、大真面目に命を預けた(※馬分かってない)。
3人が、導くような灯の列に入り、左右に並びながら奥へ続く松明の中を歩いて、少しした時。前方に影でしか見えなかった建物の形が現れ始める。
建物は黒く、木製にも見えるが岩のようにも見える。近づくほどの距離ではないが、目に映っている時点で、霧が薄れたのかと3人は思う。同じことを過らせたお互い、誰ともなく顔を見合わせ、先ほどよりは霧が薄いと知った。
「気配。あるか」
「ありますねぇ。でも。あちらも気にしているのか」
オーリンの囁きに、イーアンも低く聞き取りにくい声で返す。『龍気。抑えていますが、どうかしら』ちょっと気にした様子の女龍に、『俺も君はそれが普通だと思ってるから、分かりにくい』困ったように返事をする。
バイラは龍気も気配も分からないので、馬任せ。馬は忙しなく耳を動かし、その動き方が『すぐ近くに何かがいる』と告げている。もう、おそらく。自分たちは何かに囲まれている―― それだけしか、バイラには分からない。
ふと気になり、腰の剣を見ると、鞘の隙間から光がこぼれており、その光は薄緑色を見せる銀色。輝きに力強く思い、バイラは得体の知れない場所への怖れを、ぐっと堪える。
長い護衛の仕事の間にも、こうした不思議な体験は、たまにあった。
だが、これほど連続したこともないし、奇妙と感じたら、すぐに引き返すものだったから、立ち向かう旅の仲間との旅の時間が、今、どれほどに自分を育てているかと感じた。
連続する松明の道。前方の黒い建物。ここを歩き始めてから、ちっとも近づかない。ハッと気が付き、バイラは馬の手綱を引き、振り向いた龍族に『先へは行けないです』と小さい声で伝える。
イーアンは、ピンときた。オーリンも続いて『ああ、そういうこと』周囲に顔を向けてすぐ、疑りの眼差しに変わり『どこかで抜けるのか』と、抜ける切れ目を探し始めた。
3人の足が止まり、オーリンが首を左右に動かしたことが合図か。何かの気配が大きくなり、それと同時に感づいたイーアンは、ボンッと龍気を増して、長い尾を振ったと思うと、バイラとオーリンをぐるんと囲い守る。
「イーアン」
「来ますよ」
白い長い尾が巻いたのを見て、オーリンが女龍を見る。
イーアンは短く答え、グワッと音を立てるように、背中から6枚の白い翼を突き出し、目に攻撃を宿した視線は、空気を切る音と共に、自分たち目掛けて飛んできた矢を捉える。
矢を見た瞬間、頭を龍に変えた女龍はカッと口を開け、降って来た何十本もの矢を消した。
「誰だ?」
途中まで飛んだ矢の方向に、オーリンは大声で叫び、自分も腰の弓を手に取った。バイラは、龍気に守られた時点で精霊の剣は使えないな、と諦めているので、こんなこともあろうかと別に帯びていた、以前の剣を抜く。
見上げる方向は一緒。矢を消した女龍は、口を半開きにして右上前方を睨みつけ、オーリンとバイラも構える。高まった緊張に、音が沈む。ググ・・・と何かが引き絞られる音は、霧に埋もれるが、イーアンたちの耳には届いた。
女龍の口が開き、瞬きしない鳶色の瞳に怒りが揺らぐ。真横で無表情に変わった龍の民は、黒い小さな弓の弦に手をかけた。
二人の龍気が、霧の白さよりも輝く様を見て、バイラとしては頼もしい限りだが。一つ、脳裏に掠めたことは、直感で『敵は人間』だった。
「イーアン、オーリン。相手は人間かも」
「だとしても、黙って刺さる気はないね」
オーリンが感情のない声で、すぐにバイラに答える。イーアンは?彼女を見たバイラに、間に立つオーリンが『龍の頭は喋れない』と教える。
イーアンは聞こえていてもそのまま、首を動かさず、口を開けたまま、相手を威圧するように龍気を上げ続ける。
「聞こえていますか、イーアン・・・矢が普通でした」
見えていない矢の形。だが、バイラは音で知った。
矢羽根の風を切る音、引き絞られる音で、弓の強さを記憶している。何度も、人間相手に護衛で戦ったバイラの耳が、相手の武器が普通の範囲と判断した。
オーリンは小さく首を振り、馬上の警護団員をちらっと見る。
「気持ちは分かるが、矢の数は何十人分だったぜ。普通の武器を使っているとしても、無抵抗にやられる気はない」
「何か変です」
「バイラ。お前が言った、って聞いてるぞ。相手が『妊婦でも子供でも』殺す覚悟だろ?」
あ、と呻くバイラ。オーリンは視線を戻し、眉根を寄せ『普通の武器を使ってるのが、人間とは限らないぞ』と吐き捨てる。
「それは。魔族が取り憑いていたら、と」
「だからさ、見ないうちは分からないぜ。見れば分かるが、見えない相手が魔族かも知れないのに、普通の弓矢だからって、遠慮できないだろうに」
バイラは自分が伝えた言葉は、そんなつもりではないと言いかけるが、オーリンは畳み掛ける。
「そのつもりで言った、って覚えておけよ。イーアンも俺も『間違えました』で人間殺す気はないが、魔族の可能性がある以上は、お前を守る必要もあるんだ」
龍の民の言葉がグッサリ刺さる。自分が、人間だから。魔族の犠牲の対象だから。そうだ・・・うっかりしたバイラは、龍族は魔族に耐性があることを思い出す。
彼ら二人だけ、だったなら・・・攻撃し返さないのかも知れない、と分かったことで、バイラは自分の言葉を悔やんだ。二人はバイラを守るため、相手の正体が判別利かない状況では、倒すつもりでいる。相手が、誰でも。
その時―― びゅうっと音が鳴り、二回目の矢が飛んだ。
あっという間に、女龍の力の前、その矢が消える。消える手前、真横からも火矢が放たれ、オーリンがすぐにそちらに反応し、連射したオーリンの弾が、火矢の幾つかを爆発させる。
イーアンはそっちにも顔を向け、残りの火矢と、霧を奪う爆発ごと消し去った。
「出て来い!こっちは、お前らが勝てない相手だ」
「『また奪われることを選ぶと思うのか!』」
オーリンが叫ぶと、爆発の勢いで揺らいだ霧の向こうに、声が返る。ハッとしたオーリンはイーアンを見る、イーアンも頭を人に戻し、『今のは?』と小さな声で急いでオーリンに訊ねる。
「人間の声だな。でも、何て言った?」
オーリンも女龍の困惑する目に、首を小刻みに振る。言葉が違う、と二人は気が付いて、馬上の男に振り向くと、バイラは声のした方を見つめていた。
「バイラ。あれは」
「また、って言いました。取られたような・・・何かを取られたのか?」
「理解出来る言葉?」
オーリンとイーアンの質問に、バイラも戸惑いながら『少しですよ』と頷き、テイワグナの地方の言葉だが、昔の言葉みたいだ、と教えた。
「方言までは、私も全部知っているわけじゃないから。でも、間違いなく、共通語ではないです」
「話せる?彼らに通じますか?」
イーアンが会話の有無を訊ね、バイラは目を一度瞑ると『自信ないですね』と困りながら、知っている範囲で答えてみる、と受け持った。
それから息を潜めてどこかに隠れる相手に、バイラは息を吸い込み、大声で伝える。
「『私たちは取らない!私たちは魔物を殺す』」
「『魔物が何を言う。家族を返せ!焼かれた家族を戻せ!』」
霧は再び濃度を増す。響いたと思っても、すぐに吸い込まれる声は、どこが発信源か分かりにくい。バイラと相手の会話は通じていると知った、イーアンは『そのまま、続けて下さい』と頼んだ。オーリンは弓の構えを下ろさないで待機。
バイラも剣は抜いたまま、イーアンの頼みに頷く。『今、家族を返すように言われました』理解したことを伝えると、イーアンもオーリンも眉を寄せる。
「家族ですって?」
「はい。私たちを魔物だと思っています」
「バイラは、何て言ったんだ?」
「私は、自分たちが『取らない』こと、『魔物を殺す』ことを伝えたんです。そうしたら、返事が『魔物のくせに』といった感じです。それで『家族を返せ』とか『焼いた』と・・・意味が繋がらないけれど」
龍族の二人は目を見合わせる。イーアンの考えていることを、オーリンは読む。無言で二人は同じことを結論付け、視線をキョロッと動かした女龍に、オーリンも小さく頷いた。
イーアンはそっと、自分たちの答えを待つバイラに『龍と一緒、って言えますか』と訊いてみる。バイラは頷いて『方言でも、古語でもなければ。テイワグナの、北側の言葉で伝えます』通じるかもと、了解した。
「『私たちは龍と一緒だ。攻撃は、龍が怒ったからだ』」
「『魔物・・・が、魔物だ!』」
「『違う。龍がいる。龍の女が、魔物を倒す。ここへ入って魔物を』」
「『魔物はここに居ない!家族を殺して連れて行った』」
何だって?バイラの顔が険しく変わる。龍族の二人は、『何て言ったの』と会話を訊く。バイラは急いで、戻って来た答えを伝え、二人も驚いた顔をしてから『龍の証拠を見せることを伝えてくれ』と頼んだ。
「難しいですね!そこまで、ちゃんと言えないかも」
「頑張って!」
イーアンは励ます。龍の言葉で反応が変わったんだから、証拠が見れるなら、話が変わって来るかも、とバイラに言い、『頑張ります』と困るバイラは、一番簡単な言い方を選ぶ。
「『龍の女が姿を現す。本物だ』」
と。言いきって、バイラはさっとイーアンを見る。『どうぞ!』龍になって、と続けたバイラに、イーアンは『え、龍になるの』そういうつもりじゃなかったんだけど、と躊躇う。
ちょびっと、それっぽい部分見せるくらいだと思っての言葉だったが、オーリンも『龍になれば早い』と推してくる。
ええ~ここで~と思いつつ。仕方なし、自分で言ったからには緊急事態だし、一瞬だけと決めて、イーアンは浮上してすぐ、白い光の塊に変わって、龍の姿を取る。
「『おお!龍が』」
「『龍だ!本当に、龍が!』」
騒ぐ声が一斉に響いた時、イーアンは嫌な軋みを感覚的に受けて、さっと体を戻した。慌てるように降りて来た女龍に、オーリンが『何かあったか』と訊ねる。上から何か見えたのか?と訊く彼に、イーアンは首を何度か振り『ここ、別の力が張っている気がする』と教えた。
「私が龍になったら、体に何かぶつかりました。空が。空じゃないです」
「空ったって、君が上がったの、すぐそこだぜ。30mくらいしか上じゃない」
「その30m程度で限界です。そんな感じでした。異界にしては、ちっちゃいですよ」
オーリンの腕を掴んで、女龍はキョロキョロ辺りを見渡す。
見渡しても濃霧なので見えないのだが、落ち着かなさそうに『おかしいですよ!異界とか、別次元系とも違う』何かまた違う相手だ、と訴える女龍に、オーリンも答えようがない。
初めて出くわす異質な感じに、女龍が警戒し、オーリンも困惑している中、バイラは彼らの声が増えたことに気が付く。
「『龍なら・・・龍が来るとは』」
「『話すことも』」
「『魔物じゃない?本当に?』」
「『龍は魔物を倒すのだ。前もそうだった』」
合間を開け、大きく宣言するような男性の声が、最後に聞こえる。
「『封じも消せるかも知れない。龍が来たら、ここもいつの日か』」
この後、何を言っているか、はっきりしない声が増え、混ぜこぜに遠慮なく大きくなり始めたので、バイラは彼らに、姿を見せるように言おうとした。
バイラの口が開きかけた時、3人のいる場所が何かで解けるようにグルッと回転し、ワッ!と声を上げたそこは、既に風景が変わっていた。
正方形の大きな石畳の上に、イーアンたちは立っていて、周囲を背の高い、屋根のある壁が囲んでいる。その屋根の一辺に、数十名の人影が並んでいて、唖然とする3人の前で人影は動いた。
「『龍は誰?』」
年の行った男性の声と一緒に、動いた人影が石の床の上に飛び降りる。
濃霧は壁の周囲を隠すように白く張っていたが、壁とその内側の正方形の床には掛かっていなかった。そして、3人を導いたあの松明の列も、既に見える場所にはなかった。
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